結魂
思わず首を押さえる……生きていることを確認する。確信するまで荒い息を吐き出して。
幻視した通り、死神の鎌が私の脇を通り過ぎていった。私が生きているのは選ばれなかっただけにすぎない。
彼女が見逃したからに過ぎない……
これまで死にそうになったことは何度もあったと思う。だが、おそらくこれほど死を間近に体感したことはない……
全く動けなかった……
動こうが動くまいが、標的にされた時点で即死。
ゴーレムでの防御なんて紙屑すらも価値がない。
二度目を放たせた時は私が死ぬ時だ。
一体、何が起きた?
いや……
「言葉で捉えるな……現象で理解しろ。それが魔法なのだから」
それは、魔導士、魔女……魔法使いの基本だ。
天使の首が斬られた。それは間違いない。それも一度に七体を。そして燃え上がった。
散華ちゃんの神速の抜刀術に合っていたのも間違いない。
……
見たことを強引に例えるなら……刃が時空間を切り裂いて、天使の首に到達した。
つまり時空間切断……距離を縮める、あるいは無くす。それはある種、「転移」と同じ理論だ。
ただ、ここでは時空間というのがポイントだ。時間を超えて、それは七体同時斬りを可能にする。彼女の言葉で表せば「原因を滑り込ませる」という表現だったか……
もちろん普通、転移では時間までは越えられない……そのはずだ。
加えて剣の達人クラス、俗に言う『剣聖』ともなれば刃先が触れることなく相手を斬ることができるとか……
華咲のお爺さんの本に書いてあった……気がする。
絶対、眉唾だと思ってたけど、実際見れば……納得せざるを得ない。
この際、炎はただの慈悲だ。遺体を残さないために……
言っておくが、これはかなり乱暴な例えだ。かなり無茶苦茶なことを言ってる自覚はある。
ただ魔素の揺らぎがあるので魔法が混じっているのは間違いなく、そのパターンはアイリーンの転移魔法に酷似していた……そこからの推測に過ぎない。
ただの転移だけでも凄いのに、時空間転移なんてできる者ははっきり言っていない。むしろ居たら困る。
あくまで強引に近づけて、それに近い何かだ……
つまり見て、斬られたら終わる。
なるほど原因があれば結果は必然。単純明快だが、それがどれほど至難の技か……
相手のどこでもいい……斬る場所を決めて斬るだけ。
まさしく「斬れば、斬れる」を体現した技。
「なんて技を……」
ある程度の理解と共に、全身から冷や汗が噴き出す。それは遅れて流れ落ちた……
心音が今更、警鐘を鳴らしている。
完全に手遅れの状態で。
そして何より……
散華ちゃんに天使の首を刎ねさせてしまった……
しかしながら……
「オオオオーッ!!」
驚愕は群衆も同じだったらしい……でも私と決定的に違うのは、それを彼らは褒め称えてしまう。
驚きで静まり返っていた中、思い出したように興奮で沸く大衆の歓声が後から後から湧いてくる。
こうなっては私たちはとんだ道化だ。いわゆる盛り上げ役だ。
そしてその矛先は当然、処刑の邪魔をした者たちへ……
「魔女を殺せ!!」
「散華様っ! 最高です! やっちゃってください!」
さらに、今の伝説的な光景に興奮しすぎた群衆の一部がバリケードを壊し始めて……「俺がやる!」などと乱入しようとして、兵達はそちらへの対処で動くに動けなくなっていた。
一方、こちらでは彼女は私に黒刀を突きつけて……
「よく見ろ。これが現実だ……」
「散華ちゃん……」
はっきりとわかる。彼女の言ったように、無情でもこれが現実だ。
大歓声が鳴り止まない……
人々の称賛、賛美が彼女を王として決定する。彼女の覇道を確定する。
この円形広場で、天使の生き血を生贄に、彼女は揺るぎない覇王として君臨したのだ。
それはもう、魔術儀式と言っても過言ではない。だが、それに多くの人は気づかない。
リリスは見せてくれた。
始まりの魔王の末路を……
基本的に世界は元に戻ろうとする……
だとすれば、それは赤の書の宿命だとでもいうのだろうか……
何かが今……かっちりと確定してしまったのだ……
「大人しく投降しろ、ソニア。私にお前の首まで刎ねさせるな」
絶対の王の仮面を被った彼女の意図は、今や私ですら読み取れない……それは最後の慈悲なのだろうか……
天使は処刑された……計画は失敗だ。ならばもう、いっそのこと投降するべきなのか……?
群衆の憎悪と非難を一心に受けて、心が麻痺する。
投降して火炙りにでもなれば魔女の末路としては相応しい……そんな考えさえ過る。
ここにいる皆がそれを望んでいるのだから……
投降へ向けて、足が一歩踏み出そうとしたところ……
天使に続いて、私まで散華ちゃんにやらせるのは不憫に思ったのだろうか……控えていた蓮華姉さんが前に出た。
「ソニア・ロンド、貴女は華咲というものをわかっていません。その課せられた使命を……」
「蓮華姉さんまで……それを言うのか……」
「我が王よ、天使の処刑、お見事でした。あとはわたくしが引き受けましょう。二度も汚れ役を押し付けるわけには参りませんから……」
了解したと告げて、入れ替わるように散華ちゃんは後方に控える。
いや、この二人は一心同体。この二人こそ一心同体。
どちらかが引っ張られれば、どちらも傾く……
私は一体、どうすれば……
「ソニアっ! 呆けないでください! 退きます!!」
アイリーンの叱咤で目が覚めたように身体が動いた。
反射的にアイリーンの開いた転移魔法陣に滑り込む。
この二人にゴーレムの防壁など意味はない。それは今見た通り明らかだ。
半ば自暴自棄で背中を晒して……無様に逃げる。
二人の手練れにとって格好の的のはずだ……もう、斬られるなら斬られても構わない。
だが、なぜか……見逃された……気がする。
「また逃げるのだな……お前は……」
散華ちゃんのそれは酷くつまらないものへの侮蔑の言葉のように冷たく耳に残った……
†
……転移を何度か繰り返し、国外方面へ逃げた先……国境近くのどこかの街の安宿。
アイリーンに任せて、どこをどう逃げたのか……わからない。
部屋に籠ると反省する気も、したくもないのに失敗の記憶がまざまざと蘇る。
やってしまったという後悔だけが残る。
ぐったりと椅子にもたれて、何もする気が起きなかった。
天使が処刑されたなら、命をかけて潔く散るべきだったのでは……? そんなことを何度も考えてしまう。
明らかな私への失望を込めた彼女の言葉が耳から離れない。
「斬る価値も無い、つまらない者か……」
私を見逃したのは、確実にそういう意味で……
終わった。完全に終わった。
完全に見限られた……
私が何をしようともう、無駄だ……もう、無理だ……
もはや私の言葉は届かない……その確信がある。
これ以上、何かをすれば私はただの邪魔者でしかなく……それはいわゆるテロリストにしかならない。もちろんそれは私の望むことではない。
アストリアは故郷で、応援してる。自分の利益が欲しいわけじゃない。
彼女はもう、王として確立してしまった。
人々の益々の称賛を得て、文字通り無敵になった。
反逆者の末路は……見ての通り。私のように逃げ回るか、天使のように処刑されるか……
私はもう、彼女の近くに居て良い存在じゃない。近づくことすら憚られる……
ひっそりとこの先、アストリアの栄華を指を咥えて見ていよう……それだけが私のできることだから。
そう思うと、私は気落ちして抜け殻のようになっていた。
もう、何もしたくない……何もする必要がない……
加えて、信じて送り出してくれた者を裏切ってしまった。
道を譲ってくれた彼らの期待に応えられなかった。
悔恨ばかりが募る。
それでも天使は死んでしまった。もはやどうすることもできない……
アイリーンには申し訳ないと思うが……思考がまとまらない。
そんな私を見かねて彼女が励ますように……
「ソニア、天使は残念でしたが……天へ還っただけとも言えます。散華女王とも対話を諦めなければいつかは……」
「ごめん、アイリーン。もう無理なんだ!!」
励まそうとしたアイリーンに、泣き叫ぶように思わず激昂してしまう……だってそれは、私が一番痛感していることだから。
「あ、ごめん……私が悪い……冷静じゃなかった」
「ソニア……無理に冷静であろうとする必要はないのです。私に感情を吐き出してください」
「アイリーン……」
ボロボロと涙が出る。止められない。拳を握りしめて耐えていると、不意に抱き止められた。
「うっ……ああぁ……」
温かい場所で私は大泣きした……
巨大な本当に大切な何かを私は喪失した……その空虚が、私を責め苛む。
嗚咽が止まらず、そうしてしばらく泣き続けた……
時間をかけてようやく、彼女のおかげでどうにか自分を取り戻す。
「アストリアから追放されたけど、これまでどこかで、いつか戻れるって信じてたんだな……それが今、わかったよ」
「そうですね……希望は必要です」
「甘い考えだった。アストリアはもう私を必要としていない……」
「そうかもしれません。そうではないかもしれません……未来は誰にもわからないのですから」
「そう……だね」
私はアイリーンに甘えて、いや、感情が暴走して思い出しては泣き続ける……
ただそれを繰り返していた。
時が経ち、私はすっかり泣き止んでいたがアイリーンの胸が心地よくてつい長居してしまう……
困ったような顔でアイリーンが話を切り出す。
「すみません、ソニア。ツヴェルフを助けて連れてきますので……」
「あっ、そうだった! ごめん、私が自分のことばかり……」
まったく……何をやっているんだろう……
私たちが逃げてしまったのでツヴェルフさんは置いてけぼりになっているはず……
逃げるか、投降してくれてれば良いけど……助けてくれたのに本当に申し訳ない……
「私が呆けてたから……私も行く」
「いいえ、ソニア、誰しも動けない時はあります……ソニアはここで待っていてください」
「アイリーン……」
アイリーンが居てくれて本当に良かったと思う。ただ、私は一人が不安そうな顔をしてしまったらしく……
「大丈夫です。すぐに帰ってきますから。それにその、隠密行動は人数が少ない方が動きやすいですから……」
「……そうだね。ごめん、お願いします」
失意から立ち直れていない、今の私では足手纏いにしかならない。それだけは冷静に判断して、アイリーンに任せる。
アイリーンが失敗することはない。彼女は不死者だ。
それよりもツヴェルフさんだ。もし捕まっているとしたら心配だ。一度逆らったくらいで処刑はないと思いたいが……
今の散華ちゃんたちは、もう私にはわからない。だから早めに救出した方が良い。
「では行ってきますね……その前に、一つお願いしても?」
「うん? なんでも言って?」
「お守りをください」
「いいけど、どういうの? 今、持ってるのは……あ、血の方?」
気づいて聞いてみる。そういえばしばらくなかった気もする。
彼女は遠慮して、我慢してしまうタイプだから……
「そうですね。血を少しいただけると助かります。でも、せっかくですので普通のお守りも……」
「うん、わかった」
私は服の首にある留め金を外して、首筋を晒す。彼女は吸い付くようにチュパちゅぱと……
「ふおおおぉぉ!!」
「ソニア、それ毎回やめてください……余計に恥ずかしいのですが……」
「ごめん……血行が改善されて肩こりが治る感覚は、ある種の治癒魔法……」
「どんな例えですか……」
もう、かなり慣れたものでわりと自然にできる。
傷も治癒魔法ですぐに治してもらう。
ただ、今日はなぜかいつもより激しかったような……気のせいか……
それからお守りを探すため鞄を手に取って中を探す。
冒険者なので験を担ぐため、いくつかは鞄に入ってるはずだ……
「いくつかあるけど、どんなのがいい?」
「いいえ、ソニア。ちょっとした契約の方を……魔族契約でしたか? 今は私も魔族だと思うので」
確かにアレもある種、お守りか……アイリーンも変わった物を欲しがるな……
うっ、そういえばリリスには破棄されたままだっけ?
私より強いと、あんまり意味ないかも……でもアイリーンがそれが良いというなら、もちろん断る理由はない。
「ああ、アイリーンは聖職者だから……良く知らない?」
「はい、あまり詳しくは……」
「普通の契約魔法だよ。約束みたいなもの」
そういえばアイリーンとはしてなかったか……いや、アイリーンとは必要ないんだが……私の左目を捧げての復活で、すでに繋がりができている。一心同体だし……
でもアイリーンはやる気のようだ。それに流されるようにして……
「なるほど契約魔法ですね。では私流にやらせてもらいます……まず椅子に座ってください。次にお互いの魔導書を机に置きます」
おお……なんか本格的だ。私の青の書と、彼女の黒の書が机に置かれる。
「その上にお互いの手を交互に置きます」
「うん」
私は青の書の上に、彼女は黒の書の上に左手を置いて、彼女の左手の上に私の右手、私の左手の上に彼女の右手が乗った……
「辛くとも苦しくとも……どんな時もお互いを支え、守り、助け合うと誓いますか?」
「はい、誓います」
「私も誓います……」
掌から魔素を込める。互いの魔導書が輝いて、契約を受理した……
おお、アイリーンの契約魔法すげえ! まるで本職……んん?
どこかで聞いたことあるような文言……
凄くシンプルな魔法契約……
「これはッ……まさか結婚というヤツではッ!! ハメられた!」
「イヤでしたか……?」
悪戯をした小悪魔のようにテヘペロするアイリーン……可愛いか‼︎
「いや……イヤなはずないよ!」
「どっちなんですか……」
興奮して上手く言葉が出ない。それをちょっと落ち着くまで待ってくれる。
「驚いた……アイリーン策士だね」
「でも結婚と思えばそうですし、違うと思えば違いますよ?」
「いいや、違わないね! これはやるしかあるまいッ……誓いの口付けを!」
「元気になったようなので……私は行きますね」
あうっ……私からしようとしたら躱された。
……私のおでこに口付けをしてくれて、アイリーンは部屋を出ていった。
「はうっ……よもやこの私が、手玉に取られるとは……」
恐るべしアイリーン。
チョロイと言われても仕方ないが、ちょっと元気出た。いや、かなり……かもしれん。
「うん。今はツヴェルフさんを心配するべき!」
頭の片隅ではわかっているので、そう言葉にはしてみるが……
浸るように、しばらくぼーっとしてしまう。
うへへ、とかぐへへ、とか我ながら気持ち悪くニヤついていた……
ただ、一人になるとすることがない。とはいえ、何もしたくないのは変わらない。
そうなると、やはり思い出してしまう。
罪悪感から天使を助けなくてはいけないと思った……誰も望まないのに。それは当の天使すらも……
「結局、私は欲張りすぎたんだな……」
反省する……まだ痛みは残っているけれど。いずれそれも癒えるはずだ。
「これからはアイリーンと慎ましく暮らしていこう……それだけで十分過ぎるほど幸せだ」
そう決意して。
できるだけこれからの良い未来を思い描く。天使の処刑の記憶を払拭しようとして……
悪戦苦闘しながらも、ようやくそれで前向きに……
そこでふと、我に返る。……見れば机の上に違和感。
「あれ? アイリーン間違えてるよ……もう、おっちょこちょいだなぁ……」
それは空元気の独り言。……酷く嫌な予感がした。
青の書が無くなっている。代わりに黒の書が机の上に残されて置いてある。それが違和感の正体。
急いでいたとはいえ、あのアイリーンがそんなポカをしでかすだろうか?
「舞い上がって間違えたとか? いや、私じゃあるまいし……」
有頂天だったのは私だ。彼女は私を手玉に取るほど冷静だった……
「どういうこと?」
もちろん、持っていっても使えない……こともないのか?
本質が重要で、物質としてはあまり重要ではないのが魔導書だ。それを今の私は知っている。
なので結婚の儀式……本人が信じるならそれは確実に有効だ。
「お守りってそういうこと?」
青の書をお守りにするために……黒の書をお守りとして残すために……
とても嬉しい反面、それは非常に嫌な予感が濃厚に漂っていた……
†
何度か転移を繰り返してアイリーンはアストリアへと急いだ。
ツヴェルフはおそらく無事だろう……彼女に関してはあまり心配していない。彼女は自動人形で、むしろそれを治せる教授などがいなくなる方が心配だ。
だから、それは建前というか口実、ついでだった。本当の目的を内に秘めて。
「少々、強引すぎましたでしょうか……今になって恥ずかしくなります」
慣れないことをしたせいでアイリーン自身、戸惑い、困惑していた。
それでも彼女自身が、果たさなくてはならないと思っている。
行く先々で、すでに天使処刑の噂が流れている。
そしてそれには当然、邪魔をした青の魔女の誹謗中傷が含まれていた……
天使が処刑された今、人々の憎悪はソニアに向かっていた。
今手を打たなければ、いずれ爆発するのは明白だった。
完全無欠の女王は民の意思には逆らえない。それは双方向の共有意識であり、女王の意思こそ民の意思だ。
天使の処刑はそれを決定付けた。ならば紛れもなく次にああなるのはソニアだろう……
国外へ逃げれば大丈夫だと思っていたが、それは少し甘いかも知れない……
だが、それだけならばまだ決断はしなかった。
不確定ではあるが、逃げ切れる可能性も十分にあったから……しかし。
決め手はソニアが一瞬、投降しようと迷ったことだ。そしてアイリーンはそれを見てしまった。
ソニアは散華と争えない……彼女は優しいから、その身を捧げてしまう。
自ら身を捧げる者を助けられないのは、先の天使を見ても明らかだ。
アイリーンはそこに焦りを覚えて叱咤し、転移で強引に引き剥がした。それが実情だった……
それをアイリーンは痛感していた。ソニアの美しい左目を奪ったのは、紛れもなく彼女だったから……
「師匠として自己犠牲は禁止にするべきでした……本当に誰に似てしまったのでしょうか……」
それは自覚があるが故に彼女を責め苛む。
「ソニア、わかってください。いつまでも見守っています……」
手にした青の書に「ごめんなさい、ソニア……」そう謝りながら……




