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青の魔女  作者: ズウィンズウィン
第四章 赤薔薇編(下)
172/186

火焔

 断片的にリリスの過去を見たことにより驚きもあった……

 始まりとされる勇者と魔王の戦いに関与していたとか……何千年前? ってほどのはずだが……

 私も含めて、多くの人が僅かな文献での僅かな知識しか持っていないだろう。

 何より、このリリスの行動に納得してしまった。

 ……逆にそこまで私を思ってくれての行動であるなら感謝しかない。


 だが一方、それを見られたリリスの方は怒り心頭だった。


「見られてしまったのなら、仕方ありません。ちょうど黒の書もこの場にありますし少しお借りしましょうか……」


 怒れるリリスの視線が私から逸れて状況を見守っていたアイリーンの方へ向く。


「えっ……嘘……!?」


 驚くアイリーンの服から留め金が勝手に外され、提げられていた黒の書が落ちる。

 それは飛ぶように宙を浮かびリリスの手元へと返っていった。

 そう、返っていったようにしか見えなかった。まるで黒の書が意思を持ったように。


 驚き唖然とするアイリーン。それは私も同じだ。

 リリスはそれがさも当然のように黒の書を撫でていた。

 魔族王も驚かず微動だにしない……それは過去を知っているが故か……


「あれから何代も人の手を渡りましたが、覚えてはいるのですね……」


 リリスの過去を見てしまったからわかる。断片の記憶……赤の書の隣にあったのは黒の書だった。

 おそらく最初にそれを手にした魔女。初代の黒の魔女はリリスだった。

 前にお婆ちゃんは言っていた。繋がりの強さが重要なのだと……

 後継者として黒の書に認められはしたものの、まだまだ手にしたばかりのアイリーンではどうしてもその点で劣ってしまう。それは仕方がないことだった。


「分かりますか? ここに至っては勝機など皆無です」


 リリスは悠然とこちらを見据え、そう宣言した。圧倒的に優位に立ったそれは事実上の最終通告だ。

 それを聞いて、また黒の書を奪われてアイリーンも黙っていられないと身を乗りだしていた。


「ソニア、こうなっては私も戦います……」

「ごめん、アイリーンもう少し待って……私がやるから」

「ソニア……」


 彼女から心配気に見られるが、私はそれを拒絶する。

 リリスは問答無用に勝ちに来ている。彼女は与えることはあっても、人から奪うような真似はしない。それはこれまで私も見てきたし、知っている。

 そのリリスが、アイリーンから黒の書を奪った。

 であれば、それはきっと私が彼女の踏み入れてはならない核心に迫ったからのはずで……ならばここが正念場だ。


「良いのですか? もっとも手伝ったところで、わたくしに勝てないのは明白ですが……」


 リリスのそれは虚勢ではなく、事実だ。むしろ二対一の方が勝算が低い気さえする。

 だから私が狙えるのは一発逆転の博打だけだ。


 とはいえ、確実にリリスの中の何らかの扉に手をかけた感触はある。

 あと一歩……もう一押し……それを積み重ねて……ギリギリの駆け引きに至るまで。

 今は平静を装うリリスにその兆しは見えない。だから直感でしかない。あるいは妄執でしかないのかもしれない。


「妄執だろうが、押し通せば私の勝ち……」


 そんなことを言う私はきっとヤバい奴なんだろう……

 自己嫌悪で怯みそうになる気持ちを懸命に鼓舞する。何しろ相手は圧倒的強者だ。

 自分を騙してでも弱気にだけはなってはならない。


「本当に諦めが悪い……分かりました。もう決着をつけましょう」


 私の執拗さに苛立ち、呆れるように吐き捨てるリリス。


 リリスの言う通り、天使を助けに向かえばアストリアでの私の居場所は完全に無くなるだろう。

 正直、お婆ちゃんから受け継いだ家やその他諸々を手放すのは痛いし、辛い。財産的な意味よりも、思い出が無くなるような辛さだ。

 だが、本気で私を止めに来てくれたリリスや家を守ってくれているクロ、そしてアラネアとフレイア……

 彼女たちが引き継いでくれるなら、それはそれで本望だとも思う。


 私が許される目処が立たない以上、どうしても迷惑をかけてしまう。

 私にとって正しいと思ったことをすればするほど追い込まれていく気分だったが……


「それでも、散華ちゃんに天使の処刑をさせてはならない……」


 おそらく生真面目な散華ちゃんのことだ。責任感から天使の死刑執行の号令を取るし、仮に公開処刑なんてことになれば皆がそれを讃えるだろう。

 そう、絶対に讃えてしまう。それが大問題なんだ。

 自分を助けた天使を処刑する。その称賛を受けなくてはならない苦痛。

 心が乖離してしまうような危険な状況ができあがる……


 それがわかっていても蓮華姉さんや藤乃はそれを止められる立場にない。いや、きっとそれは避けられない痛みとして、共に苦しむ覚悟なのだろう……


 いずれにしろそうなればアストリアの未来にとって良くない結果しか見えない。

 悪い方向へ流されているような……それは私の至らなさが原因でもある。私が逆天倫を起動してしまったのだから。原因を作ってしまったのだから。

 だが、まだ希望はある。リリスが止めに来たということは、おそらくまだ間に合うということのはずだ。


 これが、私のできる限りの最後の後始末だと思うから……


「ならば足を止める理由にはならない!」


 自分を叱咤し、言い聞かせる。

 リリスの誠意にこちらも誠意で応じる……






 んん? 何か違うような……私の誠意ってなんだ?


 いや、やっぱり違う……それは勝機にはならない。

 それはどこまでも私と散華ちゃんの問題だ。アストリアの問題だ。


 リリスと真正面から向き合っていない。それは誠意ではない気がする。

 私がどこまでリリスのことを知っている? これまで確かに共に過ごしたし、知った気にはなっていた。

 だが、私は今触れた記憶のことさえ知らなかった。リリスもあえて語ろうとはしなかった。

 それは確かに衝撃だった。

 だから……


「私はリリス……お前を知りたい」


 思えば今まで逃げてきたのかもしれない。居心地が良すぎて甘えていたのかもしれない。

 彼女には彼女の目的があって、私に近づいた……私の召喚に応じた。

 そうした想いにちゃんと向き合おう。痛みはあっても、今こそちゃんと向き合おう。

 それこそが本当の、私らしい誠意だと思う。


 私の見た断片的な記憶……表現が難しいが、おそらくリリスの時は止まっている。過去という永遠の夢の中に生きている。それは私達の「生きる」という意味からは大きく外れてしまっている。

 言ってしまえば彼女の人生はそこで完成されてしまっており、完結してしまっている。だからある一点を除いて、多くのことに彼女に関心は無い。

 ある一点、断片的な過去から類推するに……それは赤の書だ。それ以外に興味がない。それに関するもの以外に興味がない。


 例えるなら過去という夢の檻に囚われている。深い悔恨はあったとしても、それでも大切な黄金期の体験が彼女を縛っている。


 私はそれを振り向かせたい。こちらを振り向かせたい。私がここにいると示したい。

 きっと夢から出てきてくれるはずだから……


「何を今更……」


 そんな私の訴えにリリスがはじめて戸惑いを見せていた。


「人を知ることがどれほどの毒になるか……いいでしょう。はっきり言います。ソニア様。わたくしは貴女を利用しました。喪失した赤の書を探すには、青の書を見張っておくのが一番効率が良いからです」


 彼女の過去を読み解き、それは今は理解していた。ショックなのは隠せないが……


「そうはっきり言われるとショックだな……」

「目的は遂げられ、今はただ見守っています……あの方の後継者が現れたのですから」


 ああ、だからリリスは散華ちゃんを否定しない。その行動を止めない。

 だけでなく陰で支えようとしている。敵対行動に出た私を排除しに来ている。


「わたくしは赤の書を信じていますので……」


 それだ。それがリリスの行動指針。ここで私を止める最大の理由。私のためというのも理由の一つではあるのだろうが、それには劣る。


 悲しくはあるが……

 悲しいほど一途な想いに私はどう決着をつけてあげられるのだろう……


「本当に自身が薄汚いと呆れるばかりです……」


 自嘲するように言うリリスだったが、それが全てではないのだと思う。私を止めようとしているのは僅かでも関心があるからだ。関わった者への思いやりからでもある。


「リリス、お前は美しい」


 私はそれに応えるだけだ。


「世迷言を……」


 どうあってもその美しい想いを汚すことしかできない自分に悔しさすら覚える。

 それでも傷痕を残すことでしか、対等に向き合えないというのなら……


「赤の書なら私も使える……」


 彼女の感情を絶対に揺さぶるであろう禁断の言葉を、私は口にした。

 案の定、その言葉にリリスはこれまでになく激昂した!


「そんな偽物でわたくしを愚弄するか!!」


 私の一言に取り繕っていたリリスの外面が剥がれ落ちる。

 それはこれまでに無いほどの怒り。いままではお遊びだったのがわかるほどの……怒ってはいても、絶対的強者の優位性から来る余裕は確かにあった。それを私は剥ぎ取った。

 仮面が割れて剥がれ落ちるように……剥き出しの敵意が私に向けられていた。


「いいでしょう……ソニア。貴女を排除します」


 それでもギリギリで怒りを抑えるかのような驚異的な冷徹さを見せて、リリスは宣言した。

 彼女の逆鱗に触れたのは明白だったが、私もあえてそうしたためそれに耐える。

 断片的に見たリリスの想い人はそんなことでは怯まなかったはずだ。

 ならば私がそれに負けるわけにはいかない。


 これ以上、挑発する意図はないが……見せつけるように私は私の言葉を証明した。


「リリスの想いに応えろ赤の書!」


 義眼が赤の書を発動する。左目に赤い魔素が集約され、紅く輝きを放つ。

 

──ぐっ!?


 根本の性質の違いに左目が軋み、雷に打たれるような痛みが全身に走った。

 それでもどうにか耐え切る……

 赤の書が使えない者に、逆天倫の鍵としての赤の書の機能を複製(コピー)した。それがこの左目の正体だから。

 例え偽物だとしても、そこに込められた想いは本物であるように願う。

 それが魔法の本質だと私は思うから……



 させはしないと、それを遮るように……


「模造品の分際で!」


 リリスはそれを苦しむように悲しみ、怒るように私を見据えると、詠唱を開始していた……

 それは絶対に認めないという彼女の悲痛な悲鳴だった。


「わたくしは創らない──なぜならそれはここにあるから……」


「わたくしは創らない──それはすでに手にしているから……」


 これは……独自魔法なのか……!?

 しかも否定型で……自己否定型独自魔法!?


 確かに己の信念を形にするのが独自魔法ならば理論上は可能だ。だが、それは机上の空論と言ってもいい。

 それは自身を全否定した先にあるに等しく、自我を滅殺し世界と融和するに等しいはずだ。

 私の困惑をよそにリリスの信念が詠唱されていく……


「蛇は樹の根に巣を作り、鳥は樹の枝で子を育て、闇の娘は住処を幹に作っていた」


 ──夜ノ女王


 リリスを中心に夜の闇が広がっていく。その闇から現れたのは漆黒の蛇と獅子頭鷲(アンズー)だ。

 だが、以前見た時と違い蛇と獅子頭鷲はそのまま動かない。

 まるで女王にひれ伏すように動かない。

 なおも闇を従えた夜の女王は詠唱を続ける。絶対の余裕をもって。


「原初に闇があった……」


 濃厚な闇の魔素が周囲に広がり、危険度を増していく……

 なんとか牽制しなくては! そう焦る私が詠唱の構えを見せると、ピクリと蛇と獅子頭鷲はそれに反応していた。

 そのまま蛇と獅子頭鷲はじっとこちらを見据えていた。


 迂闊に動けない……動けばやられる!!

 明確にわかるほどの危険信号が、頭で警鐘を鳴らし続けている。

 その間にリリスの詠唱はさらに続く。


「貴女には何も見えない。光はわたくしが奪うから……

 影の国。夜の国。真なる闇、そこに光は届かない。熱もない。凍えて眠れ永遠に……

 起源魔法……常闇(トコヤミ)……」


 

 リリスを中心に広がった闇は、蛇や獅子頭鷲だけでなく私を覆い包み込んでいた。

 周辺一帯を闇が覆い隠していた。

 何があると言うわけでもない。いや、何もない……


 攻性魔眼検知。対応不能。対応不能……起動した赤の義眼がエラーを訴えてくる。


「分かってるよ! ちょっと黙れ!」


 疼く左目に思わずイラついて、毒づいてしまう。


 あ……ヤバいこれ、死ぬ……


 濃い闇が広がる中、何も見えなくなる。濃すぎる闇の中では明かりを灯しても全くの無駄だ。

 視覚の喪失が心を凍らせて、体感温度すら下げてしまう……

 錯覚だと分かっていても、体の機能は止まらない。

 背中に張り付く死神の鎌に、恐怖は一層それを後押しした。

 それはゆっくりと死に至る闇だった……


「ソニア様、これは少し残念な結果です。宣告通り、死なせはしません……天使の処刑が終わったら起こしてさしあげますのでそれまでお眠りください」


 一面の闇の中、リリスの声だけが響く……怒り心頭のはずなのに、宣告通り私の命は奪わないらしい。

 いや、絶対嘘だろ……そんな思いがよぎるほど、すでに死にそうなほど体温が低下しているのがわかる。

 仮死状態に近い形で、半死半生と言ったところだろうか……


 その尊厳と自制心は敬服に値する。だが、逆にそこがつけ入る隙だろう。我ながら無様ではあるが……


 闇の中、私は生死の境を彷徨っている感覚に陥っていた。

 まるで眠っているかのように、黄泉の国を彷徨う。生と死は逆転し、全てが闇の中では、それすらも曖昧だ。

 分かったところで手の施しようがない。リリスはそれを知っている。

 夢の中、私は死を体感していた……

 それは真っ暗な棺の中だった……


 ただなぜか……そんな闇の中、私の左目の義眼だけが燃えるように熱く熱を帯びている。それが痛みと共に意識を繋がせていた。発動待機中だった赤の書の魔法だろうか……


「ゴリ押しとか嫌なんだけどな……」


 もう追い詰められて、他に対策が何も思いつかない。だからそれはただの悪あがきだった。

 視覚がダメなら、他の五感で対応する。意識を保てる間に対応しなくてはならない。

 僅かな音さえ聞き逃さず、鼻を嗅いで、舌を伸ばし味覚を探り、触覚を伸ばす……


「這え……青薔薇」


 できる限りの魔力を込めて、荊棘を伸ばし闇を侵食する。まさに手当たり次第だ。

 リリスはきっと良い匂いがする! その方向へ向かって荊を這わせる。

 半眠状態でほとんど勘だが、他に手立てもなく、思考も次第に鈍ってきていた。


「キャッ、ソニア……いきなり私を縛らないでください! 嗅がないでください! なんで舐めようとしてるんですか!?」


 違った……こっちはアイリーンだった……

 手当たり次第なので仕方ない……黒の書といい、ちょっと性質が似てるのではないだろうか……ってかアイリーンには見えてるのだろうか?

 いや、見えなくてもアイリーンにはわかるのかも知れない。黒の書の現所持者として通じるものがあるのかも知れない。


 ちなみに良い匂いのしない方は魔族王だ。絶対に近づいてはならない危険な罠だ!

 であれば残るは一つ……見えないので感覚的にしか言えないが、黒い卵のような結界の殻に包まれた存在……おそらく防壁だろう……どうやら蛇と獅子頭鷲は闇に合わさり、その結界へと変化したらしい。

 それがリリスだ!


 そこに全霊を集中して青薔薇を向かわせる。

 黒の卵を締め付け拘束する!


「くっ……やはりダメか……」

「ソニア、貴女にわたくしは捉えられませんよ……」


 場所がわかったのに青薔薇は空を切る。影を掴もうとしているようにその闇に実体がない!

 リリスの方から実体化させなくては意味がない。おそらくこの魔法は彼女の心の投影だから……


 凍える闇に心身は摩耗し、限界はすでに超えている……このまま意識が落ちれば敗北だ。

 左目の義眼の熱も、心なしか弱くなってきている気がする。痛みも感じなくなってきていた……

 もはや気力だけの悪あがきでしかない。それでもアイリーンは私を信じて待ってくれている。

 その火が灯っている限り、私はまだ戦える……


「奇跡を起こせ赤の書!」


 私の思いが言葉に乗って、最後の力を振り絞る!


 「私は彼女を傷つける。その白い肌に微かな痛みを覚えさせる。刃物が僅かに切り裂くように……

 きっと振り向いてくれるはずだから……」


 素の思いが詠唱を形作る。魔法というよりそれは私の願いだった。

 それでも触れた知恵の泉の知識が、魔法としての機能を構築を可能にする。


 私の声に応えて、最後の力を振り絞るように左目の義眼が鳴動する!

 私自身の青い魔素が左目に集まり、義眼の機能によって集約し、赤い魔素へと変化する。

 左目から発する夥しい赤の書の赤い魔素は、私自身を苦しめる。

 それでも……私の前に、たしかな小さな火が灯った。


「愚弄するなと……言っている!」


 私の最大かつ最後の芽を潰すように、激昂したリリスが闇の手を伸ばし私を絡め取り締め上げた!

 それに伴い小さな炎は弱弱しく揺れる。


「ぐっ……消させはしない!」


 さらに限界まで赤の書の力を引き出した左目が悲鳴を上げる!


 機能限界……機能限界……


 義眼の表示が限界を示す。

 元々、逆天倫の時でギリギリだったのにここまで酷使してしまうと厳しい……


 それでもここで止まれない!


「アアぁぁああああ……!!」


 叫び、なんとか持ってくれと祈るばかりだったが……

 バチっと音がして……義眼の全機能が停止した……


 ああ、だめだ……壊れた……


 最後の命綱だった左目の痛みは、機能停止とともに完全に途絶えた……


 そこに広がるのは静寂と闇だけだった……私の最後の抵抗の炎も消えて……

 諦めに似た感情に支配されながら、闇に堕ちるように……







 そのはずだった……


「え……?」


 驚いたのは私かリリスか……

 見えないはずの闇の中、現出する幻の赤の書……燃えるような鮮明な真紅。

 魔導書の形をした火焔。


 激しく燃え盛る炎が、そこだけ明るく照らし出していた。

 それが私の残った右目に見える。

 思わず手に取り、指を添わせる。

 義眼を捧げたことにより、擬似的に知恵の泉につながったのだろうか……


 ああ、そうか……きっと魔導書の見える実体は、本質では無いのだ。青の書の本質が、知恵の泉を示したように……

 この炎が赤の書の本質のごく僅かな一部に触れたのだろう……それが魔法だから。そう思う。


「リリス……もし私が失敗したら後始末をしてくれないか?」


 ああ……本当に私は卑劣だと思う……

 リリスはこの言葉を絶対に断れないのだから……


 私は思い出させるようにそう告げた。


「!?」


 闇の中、リリスの息をのむ驚きが伝わる……


 もちろんそんな言葉を平静で出したなら、私はブッ飛ばされていただろう……

 互いにギリギリ、崖の淵に両者が立った状態なら……

 それはなにより真摯に響く……そう思いたいだけの私の希望を乗せて。


 闇より実体化したリリスを私は捕らえていた。

 彼女は青薔薇で拘束されて、抵抗せずただ涙を流していた……


「はい。我が王よ。仰せのままに……」


 私を通して、彼女は別人を見ている。赤の書を通して見ている。応えを聞いて私は青薔薇を解除した。

 

 解放されたリリスは私の手の赤の書に触れる……

 それは幻のように消えた……別れを告げるようにして……


 ただただ彼女は涙を流し続けた。

 闇はいつしか晴れていた……







――




 しばらくそうして皆が黙って見つめていた。

 魔族王まで何故か涙を流していて、私とアイリーンは困惑する。

 そうしてリリスが落ち着いた頃、私は切り出す。


「ごめん、リリス。騙すような真似して悪いけど、私は王ではないし、彼にはなれない」


 おっかなびっくりでそう告げたが、リリスはそんなことは当然ですと言うように……


「いえ、確かに赤の書が現出したのです。それは紛れもなく彼の意思……彼が貴女の想いに応えたのでしょう……」

「そっか……」


 確かに今のは出来過ぎなほどの奇跡だった。今、赤の書の本体は散華ちゃんが持っているはずだから……

 それを踏まえてなのか……リリスは私に指を突きつける様にして。


「それに彼にとって代わろうなど、おこがましいにも程があります! 彼は稀代の魔王様なのですから……」


 その言葉のいつも通りのリリスに私はホッと安堵する。


「えー……全くチャンスない?」

「フフ、精進なさってください。そうすればもしかしたらわたくしの心も揺れるかもしれません……」

「わかった。それまで頑張るよ……」


 そんないつものやりとりに、どちらからともなく噴き出し、笑い合う。

 どうやら私の審判は終わったらしい。


 いつかきっとワンチャンある……はず!


 グッと拳を握る私だったが、強烈な怒りの視線を背中に感じるのは気のせいだろうか……


「なるほど敵でしたか……今は敵わずとも、いずれ倒します」


 ボソッと私の背後でそんな呟きが聞こえた……


 アイリーンさん? やめてあげて!


 怖くてアイリーンの方に向き直れないでいた。


 そんな私をよそにリリスはしばらく感慨に耽るようにした後、しれっとアイリーンの方へ向かい黒の書を返した。

 強者(つわもの)過ぎる……


「アイリーン、貴女にも一つ問いましょう。……いえ、返答次第によっては断じてここを通すわけにはいきませんが……」


 その言葉に緊迫感が再び戻る。リリスは真剣だ。


「はい、何でしょう?」


 それにはアイリーンは真摯に向き合った。


「貴女がついていながら、不幸になると分かりきった道を選ぶのは何故ですか? わたくしとしては少々、失望を禁じ得ませんが……」


 それは私も少し気になっていた。私のやりたいようにさせてくれるのは嬉しいけど、ちょっとは止めて欲しい乙女心のようなものが……あったり、無かったり……


 私に乙女心なんてものがあるのか!? あるといいな……


 じゃなくて……私を肯定するあまり、イエスマンみたいな状態になってはいないかと……

 ぶっちゃけイエスマンなんて会った事ないけど……奴らは人を選ぶからな!

 私みたいな木端には、その存在は都市伝説……思えばノーしか言われない人生だった気がする!

 概ね否定しかされない人生です……くすん。


「イエスマンをください!」


 心の叫びが思わず漏れて……

 その場の全員に一瞬の困惑を与えたものの、私の切実な叫びは当然のように無視されて……


「ソニア様、今は真剣な話をしておりますので」

「ソニア、場を弁えてください……」


 慣れた二人に比べて、魔族王は戸惑っている。


「はい、ごめんなさい。続けて……」


 ……ほらね? 怒られました。


 私が邪魔してしまったが、アイリーンは先の問いに慎重に言葉を選び、応じていた。


「この際、天使のことは置いておくとしても、私はもともとそちら側の人間ですから。アンダーグラウンドな生き方なら多少は心得ております。それに……」

「それに?」


 続きを促すリリスに、アイリーンははっきりと口にした。


「問題ありません。ソニアは私が幸せにしますから……」


 おお、女神は存在した……!!

 勝手に傷ついた私の心に癒しの手が差し伸べられる。

 女神の聖水によって、枯れ落ちた私の乙女心(世界樹)が復活した!


「なるほど、言ってくれますね……」

「それに他の女を排除できるのですから、一石二鳥ではありませんか?」

「……」


 それは紛れもなくリリスへの挑発の言葉だったが……


 そこまでは言わなくて良いのよ? アイリーン……私が冷や汗だよ!

 リリスの問いに誠実に応えようとした結果だが……誠実すぎてアイリーンの黒い部分が出てしまった……惚れる!


「フフ……確かに納得しました。信仰どうのと言い出すのであれば、貴女を許さないところでしたが……なるほど実に人間らしい。であれば、これ以上、止めるのは無粋ですね……」


 大人の余裕を見せつけるようにリリスはその挑発には乗らず、身を引いた。

 臨戦態勢気味だったアイリーンもそれを聞いて警戒を解く……そうしてその場の空気はどうにか緩和されていた。


 おお、私を巡ってよく分からない駆け引きが展開されておる……そんな気がする!

 興奮で悶絶しそうです。やっぱりイエスマンはいらんな!



 そんな茶化すべきではないな……私の未熟を反省する。どうやら私もホッとして気が緩んでいるらしい。

 彼女は彼女で一蓮托生の想いで私についてきてくれたのだから……


 それに納得したリリスは私の方に再び向き直る。


「ソニア様の決戦用の衣装をアラネアから預かっております。魔族王、更衣所を組みなさい」

「御意」 


 ええ……魔族王をそんな扱いで大丈夫なのか!?

 いや、決戦用の衣装か……巡礼途中で急いで来たから修道服のままだし……しかも今の戦いで、結構破れてるし……


 リリスの指示で魔族王は周囲の木々をいくつか切り倒して、器用に組み上げ簡易的な更衣所を作っていた。

 用意していたらしい布張りの天幕だ。

 リリスが私を止めようとしたのは本気だったが、また一方で私を止められなかった場合のことも考えていてくれたのだ。

 その配慮に感謝しながら、お願いをする。


「リリス、悪いけど家の方を頼む。クロに引き継がせてやって……アラネアとフレイアのことも。きっともう帰れないし、会いに行けないだろうから……」

「ええ。後始末にはなれておりますので……」

「ごめん……」


 そちらはリリスに任せておけば大丈夫だ。

 私はリリスから包みを受け取り、出来上がった更衣所へ入った。

 修道服を脱ぎ、受け取った包みから服を手にとって広げる……


「これは……」


 私のいつもの衣装。私らしく、とてもしっくりくる物。それをアラネアなりに決戦用に仕上げてくれた。

 見違えるほどの綺麗な青衣。


「うくっ……」


 見惚れていると左目が痛み、思わず服を落としそうになった。


「ああ……完全に壊れてしまったな……擬似魔眼バロールだっけ」


 もう左目は見えない。それにちょっと頭が痛み、ガンガンする。痛覚が繋がったままだからだろうか……


 残る痛みに左目を押さえていると幕が開き、誰かが入って来た。入って来たのはリリスだ。


「いやん……」


 下着姿で隠す仕草をして、痛みを誤魔化すように……

 そんな私の言葉を完全無視するとリリスは心配気に尋ねてきた。


「ソニア様。痛みますか? 申し訳ございません……」

「謝らなくていいよ。無茶をしたのは私だから……」


 やはりリリスに隠すのは無理があった……


「貴女はその眼で知恵の泉にまたも触れてしまいました。限界まで、いえ、それ以上に酷使して。もう治すことはできませんが……痛みを取ることはできます」


 その申し出を素直を受ける。改めて知恵の泉は人の身には危険だと認識しながら。


「助かる。お願い、ちょっと我慢できないかも……」

「失礼します……右目は閉じてください」


 私は言われた通り右目を閉じると、リリスの柔らかい手が左目に触れた。


「もう、結構ですよ」

「え、もう?」


 恐る恐る右目を開けると左目が確かに楽になっている。夢を見るように一瞬の出来事だった。

 ついでに身体の傷まで治してくれたようだ。左目以外は完全回復だった。

 改めてすごいなと感心している私に、リリスは申し訳なさそうにして。


「これはもう使えませんね……代替品は探しておきますが……これほどのものとなると見つかるかどうか……」


 リリスの手に私の義眼が乗っている。なんだか不思議な気分だ。


「いいよ……ごめん、供養してやって? 私にはこれがあるし」


 アイリーンから貰った青薔薇の眼帯を着ける。

 リリスとの戦いで、見えずとも感覚的に知る方法は幾つもあることを知れたのは収穫だったと思う。


「分かりました……ですが、片目で……それでも本当に行くのですか?」

「うん……心配かけてごめん」

「いえ、分かりました。これ以上は止めませんので……」


 一瞬、悲しげにして、そうしてリリスは出て行った。

 私も青衣に袖を通し、修道服を大切にたたむと更衣所を出る。


「なるほど……悔しいですが、ソニアにはその姿が一番似合いますね」


 見慣れているかと思ったが、そうアイリーンも感心する見栄えのようだ。私の傷を心配していた彼女だったが、私が回復しているのを見て安心したようだった。


「アラネアがお別れになるかもしれないことを見越して作ったのですから当然です」


 リリスも満足そうにして、それに相槌を打つように「うむ。良い」と魔族王も呟いていた。

 褒められると照れる……いや、服が良いのだけれど。


「修道服もお預かりしましょう。アラネアに修繕させて後でお送りします……」

「え、いいの? 助かるけどリリス、修道服嫌いなのでは……」


 正直、とても助かる。これもアイリーンたちが用意してくれた大切な物だ。聖地巡礼も途中だったし……いつか行けることがあったら、続きをと思う。

 だが、リリスは内心複雑だろう……良いのだろうか?


「考えてみれば私が嫌いなのは聖教会でした。これでも昔はよく袖を通したものです……」

「アイリーンの超大先輩だしな……『超先輩』と呼んでも過言ではない」

「ソニア様、それ以上は怒りますよ?」

「はい……」


 眉をつり上げ、リリスに睨まれる私。それを見てアイリーンは困惑していた……後でこっそり説明しよう。


 本当は半ば封印状態だった黒の魔女でさえ驚いたのにそれ以上……リリスほどの長寿? となると訳が分からない。

 常人にとってはエルフでさえおかしいと思うくらいだし……

 いや、不死者だからか? 魔族王ははっきりそうだとわかるが……


「リリスは不死者なの?」

「大枠で言えばそうなのでしょうが、どちらかというと私は夢や影に近い存在。魔族で言うところの、夢魔(サキュバス)になった時点で世界の理からは外れました……我々はそうした理外存在を「逸脱者」と呼んでいます」

「逸脱者……でもそれって……」

「はい。天使にとっては良い気はしないでしょう。彼らが世界の理を守る存在であるならば……」

「魔法や魔族はこの世界にとってのイレギュラーってこと?」


 長い時を生き続けるリリスの言葉には、興味が自然と湧いてつい立て続けに質問してしまう。


「それについてはわたくしでは答えかねます。天使たちですら知っているかどうか……創世にまつわる伝承は多くありますが、そこから真実を見つけ出すのは困難かと」

「そっか……」

「ただ、創世の神がいるとして、あるいは女神か……それはそれほど人に干渉する気はないのではないでしょうか……互いに足枷になりかねませんし……」

「素材は用意した。あとは自由に料理しろ、みたいな?」


 私なりに噛み砕いて聞いていたのだが、例えが悪かったのか変な顔をされた。


「ええ。もちろん個人的な感想でしかありませんし、その例えが適切かどうかは分かりかねますが……ただし、大枠を外れたものにはペナルティーが課せられてその結果が、魔族や逸脱者、それに伴う天使による粛清なのかと」


 リリスの感覚としてはそうなのだろう。

 だから逆天倫は明確にその大枠を外れたということらしい。

 それはそれでわかる気もするが、一方で女神を目の敵にしたようなダンジョンと古代都市……ただの人間の独り相撲でしかなかったのだろうか……


 関連して逆天倫のことをより詳しく知れるかと思ったが、もうそれはただの興味本位でしかない。

 ただ、やはり天使は魔族を快くは思っていないようだと知ることはできた。

 それと私ももう、それ(逸脱者)に片足を突っ込んでいる感覚はある……左目を失って知恵の泉に触れてから……

 それによって同時に復活したアイリーンもまた同じだろう。


 であれば天使たちを助けに行って、天使たちから拒否されては立つ瀬がない……それがちょっと不安だ。


「むむむ……いざとなれば天使共を拉致監禁して……愛のある説教で、説得っぽく洗脳を……」


 ともかく散華ちゃんに天使たちを処刑させないことが絶対条件だ。……おそらく流れとして間違ってはいない。

 そのためには鬼になる覚悟です。


「ソニア……ともかく行ってみましょう。先ずはそこからです」

「そうだね……」


 そんな私の非情な覚悟は、アイリーンに半ば呆れられながらスルーされる。

 リリスからできる限りの状況を聞いたとしても、やはり現場に行ってみなくては対応のしようがない。


「元に戻ってしまった魔族の方の問題はわたくしたちがなんとかしましょう。無論、全てとはいきませんが多くの問題は避けられるでしょう……ですね? 魔族王?」

「勿論です! 我にも責任がありますゆえ……すでに配下の者が各地に散って問題の処理に当たっています」

「よろしい……」


 そこからさらに踏み込んでリリスたちは助けてくれるらしい。

 おお……何から何まで、すごく助かる! おそらくエリザベートを通じてすでに話が行っていたのだろう……

 私の失態は否定できないが、それをカバーしてくれるのは非常にありがたい。

 これで当面、魔族の心配は無くなったと言っていいだろう。おかげで天使の方へ集中できる。



「ソニア様。重ね重ねになってはしまいますが、貴女がこれから向かわれるのは茨の道です。……どうか、ご武運を」

「……リリス。ありがとう。本当に感謝してる」


 リリスの少し悲しげに心配するような表情が、私の気を引き締める。

 止めに来てくれたのはやはり感謝するしかない。おそらくきっと、ここがもう後戻りできない最終地点。

 考え直すならここしかなく、進めば私は世界中で追われる大罪人、反逆者として汚名を残す。

 それでも魔女であるなら……


「アイリーン、お願い」

「分かりました」


 アイリーンが大地に転移の魔法陣を開く。その上に私は足を踏み入れる……

 リリスと魔族王に見送られて、私とアイリーンは今度こそアストリア王都へと転移した……



しばらく止まって、すみませんでした。コロナ禍などで精神的な影響が出てしまった感じです。

待ってくださった方には、本当にありがとうございます!

ゆっくりですが、完結に向けてまた一歩一歩進めていきますので引き続きよろしくお願いいたします。

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