星空
────時はしばし遡る。
私達の家が燃えている。
夜天を焦がすように高々と紅焔が燃え上がっている。
炎に巻かれて炭化した木材が、音を立てて崩れ落ちていく。
焦げた匂いが辺りに充満し、炎熱の作り出す気流に煽られた灰が舞っている。
アストリアを離れ、各地を流浪してこの場所に流れ着いた。
そこからアイリーンと共に新たな一歩を踏み出した大切な家が崩れ落ちる……
二人で組み上げた大切な家が……
「私のせいだ……」
傍には血を流し、傷つき倒れるアイリーン。
縋るように彼女を抱き抱える。同じく傷ついた私は、燃える家を呆然と見つめていた。
「うっ……一体、何が……」
そう言いながら、私の膝の上で倒れていたアイリーンの意識が戻る。
彼女は痛みに耐えるように頭を振り、上体を起こす。
「アイリーン、大丈夫ですか!?」
「ええ、ですがこれは一体……?」
アイリーンの無事に安堵するが、説明のために見遣った崩れ落ちる家に再び意気消沈してしまう。
「家が燃えています……私のせいです……」
気落ちして呟く私に叱咤の声が飛ぶ。
「ソニア、しっかりなさい! 延焼を防ぎますよ!」
アイリーンの言う通りで、周囲の森に燃え移ればさらに酷いことになる。失意のために、私はそこまで気が回らなかった。
促されて私は、未練を残しながらも切り替えるように立ち上がるのだった……
†
数日前、私たちはこの家へ帰っていた。アイリーンが黒の魔女から習った転移魔法によって。
アイリーンの才能なのか、よほど黒の魔女とは相性が良いようでアイリーンはすぐにそれを覚えた。
私が少し、嫉妬してしまったくらいだ。
私たちはお礼を言うと、黒の魔女は魔界へと帰った。
エリザベートも赤薔薇の事後処理が残っているとかで、彼女について魔界へ行った。
別れ際、黒の魔女からは警告を受けていた。
「転移魔法があるとはいえ、くれぐれも油断はしないようにな……」
私たち、特にアイリーンは真剣に頷いていた。
家に帰り着いてすぐに、逆天倫の結晶を納屋へと置き、厳重に保管した。
模造女神達も天使達もこれを狙っている。私は疲労困憊の中、アイリーンと協力して隠蔽と封印を行なった。
私の方はそれからも何故か魔力が安定せず、しばらく療養していた。
そのせいで私はまだ転移魔法を習えていない。
無茶をし過ぎたせいだと思っていたが、思えばこのときにはすでに異変は始まっていたのだ。
もしかしたら、そのことに黒の魔女は気づいていたのかもしれない。その警告だったのだろうか……
毎日、寝付きが酷く悪くて、そのせいで体調まで崩していた。
寝ても回復しない。起きていては尚更……という苦しい日々が続いた。
「うう、また悪夢を見た……また戦場の光景……」
「ソニア……」
アイリーンに心配されるが、見てしまうものはどうしようもない。
原因を究明するべきだったが、体調の悪さもあって動く気にならなかった。
魔法で眠らされても、すぐに悪夢で起きてしまう……じりじりと削られていく体力と共に、精神力まで減っていくようだった。
ただ、アイリーンに甘えると癒やされる気配はあった。聖女の癒しは半端ではないのだ!
そうして少しだけ快調の兆しが見え始めた頃。
それは起きた……
その夜。私はいつものように悪夢にうなされていたのだと思う。
戦場で焼かれる者たち。
その悪夢を再現するかのように、気づけば家が燃えていた。
寝ている間に私の魔法が暴走したようだった……
もちろん普段ならありえない。だが、極限まで削られた精神はそれを無意識に行なってしまった。
その中で、逆天倫が私の許可なく勝手に起動して……
巨神が組み上がっていた。封印も隠蔽術式も容易く破壊し、納屋を瓦礫に変えてそれは屹立した。
夜天の森に巨神の像が浮かび上がる。煌々と燃える家を松明にして……
このところの不調で、私の力は弱くなっていた……
それでも力の限り縛り付ける。左目の義眼が紅く燃えて熱く輝く。
私の制御を振り切るように暴れて、巨神は燃える家を破壊した。
そして嘆くように、悲しむように咆哮を上げると、森を破壊しながら逃走していった。
その際、アイリーンは咄嗟に不調の私を庇い、二人して屋外へ弾き出されていた……
突発的に起きた展開に、ただ呆然と前を見つめる。
気づけば家は燃えて崩落している。
私を庇ったアイリーンは傷つき倒れていた。
アイリーンのおかげで軽症で済んだ私は、なけなしの魔力で彼女の手当てをした。
どうしてこうなった?
その自問に、今更ながら答えが浮かぶ。
こうなったからこそわかる。わかってしまう。
「ああ……そうか、私のせいだ……」
私はそれを痛感していた。
戦場で産まれてしまった魂は、顕著にその歪みの影響を受けていた。
「私がゴーレム化してしまったから……」
その大失態に私はようやく気づいた……
……そうして今に至る。
気がついたアイリーンに促されて、森への延焼を防ぐ。
どうにかそれを終えると、燃え落ちた家の傍で小さな焚き火だけを囲む。
野ざらしの天井は綺麗な星空を映していた。
ここからは森の樹々に遮られて、怪しく輝く審判の太陽は見えない。それが救いだった。
二人で寝ながら、疲労した身体を癒す。私はただぼんやりと星々を見つめていた。
「ふふ……そんなに落ち込まないでください。これはこれで綺麗ですよ」
アイリーンは星空を見上げながらそんなことを言う。
小さな焚き火が映し出す彼女の姿は、星空に良く似合って見えた。
「アイリーン……でも……」
申し訳なさで一杯だ。何故なら私のせいなのだから……
それでもアイリーンは落ち込まずに微笑む。
「思い出しませんか? ここに来るまでは、こうした生活が当たり前でした……」
「そう、だった……大変だったけど、アイリーンと一緒なら楽しかった」
「私もです」
彼女は私を励ましてくれる。思えばいつもそうだった。
アストリアを追われて、ここに来るまで私たちは方々を旅をした。
冒険者らしいと言えば、聞こえは良いのかも知れないが、実際は良いことばかりではなかった。
どこの村でも基本的に他者は拒絶する。これはまだ良い。得体の知れない者が来たら私だってそうする。
逆に近づいてくる者は、騙し、脅し……お金、食料、身体、命など私たちの持てる何かを奪い取ろうとした。
アストリアの家で私がどれだけ護られていたのか痛感するほどに、世界は汚く醜い姿を晒した。
無論、私だって山賊に会ったりしたことはあるので、ある程度は想定していた。
だが、想像以上にそれが当たり前のように行われている世界に、私は愕然とせざるを得なかった。
生活のために仕方なく……なんて決まり事のように言う言葉は詭弁に過ぎず、大抵はそれで同情を引けることを知っている。
それゆえの悪党である。
(人はこうも欲望に負けるのか……他人を貶めて平然としていられるほどに……)
それを知ったとき、私は酷く落ち込んだ。
それでもめげずにいられたのは、やはりアイリーンのお陰だった。
彼女は断罪の剣にいたために、より悪い世界があることを知っていたのだ。そのための断罪の剣である。
何度も助けられて、救われた。そして今も……
「ソニア、また始めましょう。ここから……」
「そう、だね……」
星空を掴むように手を伸ばしてみる。
私はもう、何より大切なものを手にしていたらしい。
「アイリーン、聞いて……」
「はい。言ってください」
私は修道女へ懺悔する。己の失敗を告白する。
「私が戦場でゴーレム化してしまったから、逆天倫は自意識を持ってしまった。ゴーレムの自動制御。それが働いて勝手に私から逆に知識を盗み取り、逃走した……きっと私の力が弱るのを待っていたのだと思う」
「なるほど、それでは彼女たちも……?」
アイリーンが見遣ったように、私達の周囲はゴーレム姉妹が警戒して守っている。
ここへ帰ってきたとき、逆天倫をゴーレム化した影響で二体は崩れてしまっていた。それでも簡易な罠も仕掛けてあり、こんな場所へ来る人も稀なので荒らされる事はなかった。
今はそれを再構築している。延焼を防ぐために必要だったからだ。
皮肉にも逆天倫と切り離されたおかげで、私の魔力は回復しつつあった。もちろん二体のゴーレムさんには謝罪しておいた。
暴走する危険性があるのか? とアイリーンは聞きたいのだろう。
「いや、逆天倫は特別、力が強いから……それに戦場の歪んだ怨念の意識の影響と、産まれたとき天使や模造女神に襲われて……私も強制的に縛ったから……」
反感や反発のようなものを持ったのかも知れない。
「なるほど。そうした事柄が積もり積ってこうなってしまったと……」
夜毎、夢でうなされたのはそのせいだった。体調の悪さばかりに気が向いて、滅入ってしまい、そこまで考えが至らなかった。
その結果がこれだった……
「だとしたら、危険ですね……まだ天使たちも探し回っているでしょうから」
「うん。急いで追わないと……」
巨神「逆天倫」は強力すぎる。世界が危ない状況だ。
「ですが、ソニアの魔力が回復しなくてはアレを相手にはできません。今はしっかり休みましょう」
「うん。わかった……」
村や街を襲っていないか……気は逸るが、今向かっても返り討ちに遭うだけだ。
そうした冷静な判断をアイリーンは下してくれる。
幸いと言って良いのかわからないが、天使たちや模造女神もアレを狙っている。
結果として、足止めにはなるはずだった。
「天使たちに破壊されたらされたで仕方ないが……」
「争奪戦となると心配ですね……先日はどうにか凌ぎましたが、大きな被害が出てもおかしくはありませんでした」
アストリアの大門と市壁を破壊したのを思い出す。尋常ではない被害ではあったが、あの程度で幸いだったと言わざるを得ない。
「心配なのはわかりますが……だからこそ、今は休みましょう」
「うん……」
アイリーンに促されて、肩を寄せ合うようにして私は眠りにつく……
逆天倫から離れたせいなのか、あるいはアイリーンの癒しの力か、悪夢にうなされる事はなくなっていた……
そうして一夜の明けた、翌朝。
アイリーンのおかげもあって、野ざらしではあったが、久しぶりに安眠できた。寝過ぎたくらいには。
二人で遅すぎる朝食を済ませて、喪失感に苛まれながらも焼け落ちた家から装備品を回収する。
「うお……さすがアラネア製……服が燃えてない」
「凄いですね」
そこには感動すら覚える。なんだか救われる想いだ。
調度品はほぼダメになっていたが、そうした魔法防御がかかっているものは、いくつか燃え残っていた。
無論、私の青の書や、アイリーンの黒の書も大丈夫だった。
そうして準備を整えると、私は集中する。
逆天倫の制御からは完全に離れてしまったが、繋がりが断絶したわけではないらしい。
それが義眼の赤の書を通して微かに伝わってくる。
その方向へ意識を向ける。微かに残った繋がりから巨神の状態を知ることができる。
どうやら天使たちと戦っているらしい。
ここからでは森の樹々もあって見えないが、ずっと先の方にそれを感じる。
「まずいな……神聖カリス王都方面に向かっている。まるで家に帰りたがっているように……」
「戦場の意識と言っていましたね……」
戦場で散った命はほぼカリスの兵士たちだ。私に見せた悪夢もそれだった。
その影響を受けているのかもしれない……
しっかり休んで調子が戻ったのか、思考はクリアになっている。
昨日まではどうにか制御して取り戻す考えでいたが……
だが、それが通じる相手だろうか?
既に私の制御は効かない。魔力が回復しても同じだろう。
さらに私の知識まで得てしまっている。
つまり、成す術がない。
「……もう逆天倫は破壊するしかないのかも知れない」
父親の偉業、それを壊す。
それは協力してくれた魔族たちの想いも踏みにじる事になるかもしれない。恐らくまた魔族へと戻ってしまうだろう。
一夜の夢と消えるのかもしれない。
もっと言えば、利用するだけしておいて、危なくなったので破壊する……それはあまり良いことではない。
「良いのですか?」
アイリーンはそれらを心配して、そう尋ねたのだろう。
それでも炎上して瓦礫となった廃墟を見て私は決断する。
服にしまった片眼鏡を取り出して思う。
後を託されたことを……
「これは私の失態です。私が止めなくてはなりません」
「……わかりました」
目的をはっきりさせてから私はアイリーンに頼む。
「アイリーンお願い……」
彼女はそれに頷き、詠唱を始めた。次第に転移魔法が組み上がっていく。
地面に魔素の光を伴い、魔法陣が浮かび上がる。
気を引き締めるように、二人で見つめ合い頷き合う。
向かう先はきっと激しい戦場になっている。それでも父さんに後を託された私は行かなくてはならない。
己の失態であれば尚更、無責任に放置することなど許されないのだから……
決意をして魔法陣に乗ると、私たちはカリス王都方面へ転移したのだった……




