降臨
天空に開いた孔から次々と有翼人たちが降臨してくる。
黄昏の空から舞い降りた天使達。白銀の剣と鎧で武装し、それが光を受けて反射している。
地上ではその降臨した天使たちが人々を襲っていた。
まるで天使達は最重要目標を見失い、暴走を始めたように……
神々しくも定められた終末の様相に、人々は戦慄し逃げ惑った。
思えば、かつての神獣も暴走した。
なぜか? それは人々を危険視したからだ。
強大すぎる神は直接、下界へ手を出せない。それは世界を崩壊させてしまうからだとされている。
よって、天使やら、神獣やらを遣わす。例外的に、断罪の剣のアストライアのように力を付与する場合もある。
それらは神階規定という掟で定められている。
「神階規定……規定値を大幅に逸脱。全対象を粛清します」
そう宣言して降臨した天使達は見境なく人々を襲い出している。
「どうして……神様の御使いが……」
世界各地で人々は混乱し、驚愕した。それは聖教会の人間も例外ではない。
だが、天使たちは正しい。秩序維持装置として、どこまでも冷酷で正しい。
逆天倫は世界を崩壊させ、新たな世界を打ち立てる礎になるものだ。
ゆえにその排除に乗り出すのは、当然の帰結だった。
ここで留意しておかなくてはならないのは、いわゆる高次元存在たる神や天使達は完全体だということだ。
生きるために他者の命を必要としない。食事を必要としない。
不死ではないものの不老長寿。だが、ほぼ事故など起こりえない天界においてそれは不死と同義だ。
それらの事実は地上の生命達と決定的な差異を生む。
具体的には、死に対しての感覚が麻痺して見えるというように……
それは紛れもなく救済だった……
だが、人にとってはそんなことはわからない。
「どうなってんんだ!? どうして天が敵対する?」
「話が違うじゃねえか!」
辻褄の合わない結果に、聖教会の弁明も限界に来ていた。
あくまで勇者とは神に属するという教義がある。
それは古くは神々の力を授かった勇者と、冥府の神に仕えた魔王を対立させ排除した聖教会成立の過去からの因縁である。
「勇者を死なせたことに天がお怒りなのです! これこそ魔王の謀略ッ!」
そうした弁明も虚しく、矛盾に矛盾を重ねていく結果となっている。
「うるせえ! もう、信用できるか!」
「魔王を倒した者が勇者だって言ってただろうが!」
因果応報のように、逆に司祭たちからは私刑に遭う者も出てくる始末だった。
聖教会は急速にその威光を失墜させていった。
天使たちは混乱を引き起こしながら、その救済を進めていく。
死という結果をもって天界へと送る。
一度世界を閉じて、救われるべき魂を選定し直すために。
天使達にとってその一連の行為は、輪廻転生の円環であり、死というのも通過点に過ぎない。
それはどこまでも、世界の維持装置としては正しい。
ゆえにその円環を壊しかねない逆天倫など許されない。
それは背神であり、背徳である。
そうした想いを秘めて天使は世界を巡る。
人々に恐怖と絶望を振りまきながら、天使達は血眼になってその行方を追っていた……
†
アストリア郊外。戦場を眼下に捉えられる小高い丘の上。
それら一連の事象を遠く見物していた者達がいる。
秘密結社「赤薔薇」に所属する二人の男。薔薇と煽動者の男だった。
「成し遂げられたようですね……まさか逆天倫がゴーレムになって逃走するとは思いませんでしたが……」
「党首の娘だろう? なかなか良い仕事をする……」
「そうですね……」
正直なところを言えば、危なっかしくて見ていられなかったという感想だったが、薔薇の男はそれを口にはしなかった。
「では私は先に去らせてもらうよ。もう会うことも無いだろうが……。一応、楽しかったと言っておく……」
「こちらもですよ。お世話になりました」
それに対して軽く手を振ると、煽動者と呼ばれた男は先にその場から逃げるように去った。
残された薔薇の男の背後へと、近づいたのは占い師姿のダークエルフの女。
「私たちはどうして、こんなことをしたのかしら……?」
「それは……いえ、私に関してはですが……人の決断というものを知りたかったのかもしれません……」
秘密結社、赤薔薇に所属していた二人はその結末を見届けなくてはならないと思っている。
「よくありますよね? 世界の終わりが来たらどうする? ってやつですよ」
思い返すようにして薔薇の男は、天の孔を見る。ダークエルフの女、ゲンドゥルもそれを追うように見上げた。
「勇者王は倒れ、我ら赤薔薇一党の悲願は成就されました。党首の願いと共に……」
大願、悲願を達成した赤薔薇は事実上、解散ということになる。
「そうね……」
各地に彫られた落書きのような呪印が共鳴するように、天空の孔を維持している。
はるか前方の天空の孔から、天使たちが続々と舞い降りる。
世界は確かに変わっていた……
「私の戦争は終わりました。ここから先はもう私の出る幕はありません」
薔薇男はそれを見つめながら、背後の気配に声をかける。
「……ゲンドゥル、貴女はどうしますか?」
「後始末くらいは責任を持たないとね……」
「そうですか……友も党首も先立ちました……。私にもう、未練はありません」
その意味を悟り、命を差し出すように膝をつく薔薇の男。
その行為にダークエルフの女は顔を顰めて言った。
「何を勘違いしているのかしら? ここはもう、戦場じゃないわよ?」
その応えに、半ば落胆した想いを示して、やれやれと言うように男は再び立ち上がる。
「またしても死に損ないましたか……」
どうやら、これまでの贖罪を命で贖うことは許されないらしい。
「……でも、逃がさないわ」
「そうですか……監獄生活も悪くないかもしれません」
ならばと罪人として、正しく罰を受けようとした薔薇男だったが……
「いいえ、もっと良いところよ!」
嫌らしいとも取れる笑みを浮かべるダークエルフ。
エルフ達特有の美しい顔立ちを、この時ばかりは呪いそうになった薔薇男だった……
「私は酷く嫌な気がするのですが……」
「私の代わりに馬車馬のように働かせてあげるわ! 高みの見物なんて許さない。ちゃんと後始末はしてもらうわよ!」
「……逃げれば良かったです」
そうは言いながら、苦笑してしまう薔薇男。
満面の笑みを浮かべる美女に対して。
それもいいか、とどこかで納得してしまった薔薇男だった。
そうして男は引っ張られるように連れられて行くのだった……
†
アストリアで戦災からの復興指揮を執っていた散華に起きたことはこうである。
何かが王都の外で輝いた。
それに呼応して天空に孔が開き、突然天使が現れ始めた。それに対応するように模造女神たちが勝手に出撃した。
天使と模造女神たちはその輝く何かを奪い合うように争っていた。
王都のすぐ外。輝く何かを中心に、そこに突如出現した巨大な魔神。
誰もがそれを見上げて驚く中、その巨大な魔神が暴れ出した。しかも、それはどこかソニアの魔法に似て……
魔神は正門から市壁を一部破壊して、天使と模造女神を蹴散らし、そのまま逃走……
皆が唖然として驚きを隠せない中、降臨した天使たちは問答無用で街中の人々を襲い始めた。
それに対してグランたち騎士団を派遣して沈静化を図っているところだった。
突発的に起きたことにより、市民は大混乱に陥っている。さらには魔族が人になったとの報告まで出ていた。
「一体、何が起こっている!?」
その混乱ぶりには散華ですら、悲鳴にも似た激昂の声を上げてしまう。
そこへ丁度、帰還した模造女神たちは一様に怪我をしていた。
その治療をさせながら散華は報告を聞く。
「あれは何だ?」
「あれこそ逆天倫……新世界計画、最後の要です」
「何だと!?」
それを聞いて勝手に模造女神たちが動き出したことに納得はした。
それとは別に、未だ彼女たちを解放できない、自身の不甲斐なさを思う。
この混乱が収まらない限り、みすみす巨大な戦力を手放すことはできない。そうした自分に腹を立てながらも、聞くべきことは聞かねばならない散華だった……
「残念ですが……魔女に奪われてしまいました。強力な結界で行方は追えませんでした……」
「今頃、天使たちも血眼になって探しているでしょう……」
「そうか……ご苦労だった。下がってくれ」
模造女神たちの報告を受けて、嘆息する。
「ソニア……お前は一体何を為そうとしているのだ……」
散華は苦渋して絞り出すように声を上げる。
その先は嫌な予感しかない。
このまま混乱を巻き起こし続けるなら、王として本当に魔女を討たねばならなくなってしまう……
そんな考えが過り、散華は身震いする。
「それを避けるための国外追放だったというのに……お前は……」
両者の想いは錯綜して、混迷へと向かっていた……
†
天空から下を探すようにしながら、天使の一隊が飛び去って行く……
私たちはそれから逃れるために、深い森へと隠れていた。
「まったく……無茶をして……」
「うあ……本気で死ぬかと思った。危なかった……」
自爆で済めばまだマシで、世界と心中では笑えない……
どうにかゴーレムを解除して、逆天倫は安定している。
アイリーンに抱かれて倒れながら、しばらく動く気にはなれなかった。
疲れ過ぎて、回復のためにぐったりしている……そんな状態だった。
「ああ。アイリーンに怒られるのが、心地良い……もっと……」
「……変な趣味に目覚めないでください!」
ああ、心が洗われるようだ……
疲れ過ぎて、私が寝ながら恍惚の笑みを浮かべていると、アイリーンはため息をついて黙ってしまった。
私を気遣ったのかもしれない……残念である。
それはそれとして、現状を確認する。逆天倫を見ながら……
「たぶん新世界計画では塔の最上階。神殿の奥に仕舞われるはずだったんだろうけど……」
「散華には渡せませんね……」
天空に開いた孔は未だに消えない。
天使たちも続々と降臨して、私たちの傍に置かれた逆天倫を探している。
しらみ潰しに人々を襲い、彼らの救済を行いながら……
再生のために世界を一度閉じようとしている……
「ソニア、どこまで分かっていたのですか?」
アイリーンにそう聞かれては黙っているわけにもいかない。
「確証はありませんでした。ただ、おそらくそうなるのではないかと……。『神諧規定』……アストライア戦で彼女が神降ろしをした時、その言葉を用いて私たちを排除しようとしました。全て推測ですが……」
いや、それは正確ではない。考え直すように補足説明する。
「いえ、本当は……かなりの確率で知っていました。それゆえの新世界計画だったはずです。昔の人は、そこに気づいたからこその新世界計画の立案だったはずなのです」
古代の想いを汲み取るわけでもないが……
その神の軛から解き放たれようとしたのが、そもそもの始まりなのだろう……
仮にそれが逆天倫でなかったとしても、いずれこうなることがわかっていたからこその新世界計画だったのだと思う。
無論、今では推測にしかならないが……
「つまり、私たちはこれを守らねばならないと……」
「ええ。少なくとも人々がちゃんと真実に向き合うまでは……」
聖教会の言葉に踊らされるのではなく、勇者や魔王などという虚飾に惑わされることもない。
己の行いの結果を、正しく見つめ直す機会を得る。
それまでは……
「ともかく、今は帰りましょう……ソニアもこの状態なのですから、今は休まないと……」
「ええ。そうですね……もう、神聖カリス王都には戻れないですし」
あそこは今や大混乱に陥っているはずだ。
天使の襲撃を考えれば、できれば人里を離れた方が良い。
「ですが……これを運ぶのは骨が折れますね……」
そう言ってアイリーンが見上げるのは逆天倫の結晶体。力を蓄えたせいなのか、かなり大きくなってしまっている。
「エリザベートが移動手段を探しに行ってくれたけど……」
もう、ゴーレムを動かすのは私が持たない。これ以上は逆に操られてしまう可能性が高い。
きっとそうなれば今度こそ世界が終わる。
なのでエリザベートに任せたのだが、天使が暴れ回っているので心配ではあった。
そうして身体を休めながら待っていると、そこに驚きの人物が現れた。
それは相変わらず、黒い衣装を纏っている女性。流石に以前のような襤褸ではなかったが……
「……やれやれ、お前たちは人を馬車か何かと勘違いしてないか?」
「お待たせしました」
愚痴をこぼしながら現れたのは黒の魔女だ。少し遅れてエリザベートがついて来ていた。
さすが、エリザベート……まさか黒の魔女を連れてくるとは……
てっきり荷台か馬車を手配しに行ったとばかり思っていたのだが……
「なんか度々すいません……」
「その節はどうも……」
この前は彼女に魔族軍の移動も手伝ってもらった。挨拶というより、その謝罪だった……
私たちの驚き、慌てた態度に黒の魔女は深々とため息をついて。
「ハア……これも因果なのか……」
彼女はアイリーンの持つ黒の書を見つめて、それから逆天倫をじっと見ている。
一度は自身が潰した新世界計画……思うところがあって当然だろう。
「今の世界を見るに、お前たちに同情するところも確かにある……」
ああ、なんだか呆れられている。説教が続きそうな気配である。
「魔界の魔素も消えて、魔族も人になった。じきに天使たちの捜索の手も魔界へと向かうだろう……」
「すいません……」
「魔族王が居ない今は、アルヴィトとマリーがその対策を取っている……」
「ご迷惑をおかけします……」
迷惑をかけてばかりで謝るしかない私とアイリーン。
「魔族の悲願であれば、仕方のないことなのだろうが……我らにも少なからず影響があった」
「あの、ベラドンナは……」
「不死の力を失い、人に戻っている。本当に恐るべき力だ」
それを聞いて私は安堵する。正直、全てに手は回らなかった。
どうなっているか、わからないことも多い。家に残した三魔族に関してもそうだ。
天使が降臨したように、その辺りの境界線が曖昧になっている。
それは全て逆天倫の力のせいだった。
「お前達がこれからどうしたいのかは聞かぬ。ただ、ゆめゆめ注意は怠らぬことだ」
「はい……」
警告を受けて私たちは素直に頷く。勢いに任せて危ない橋を渡り過ぎていたとは思う。
やり過ぎればそれこそ目の前の黒の魔女さえ、敵に回しかねないのだから。
素直に反省する私とアイリーン。特にアイリーンは私が巻き込んだだけなので、本当に申し訳なく思う。
それを見かねたのだろうか……
「だが、事あるごとに、こう何度も呼び出されては敵わん。転移魔法を教えるからしっかり覚えるように……」
うおっ、マジか……だが、今の私は疲れ切って無理そうだ。残念だが、魔力すら扱えそうにない。
それにアイリーンが私を気遣って。
「ならば私が覚えます。それから後でソニアに伝えます」
アイリーンの申し出に黒の魔女は頷き、了承した。
こうして黒の魔女によって、アイリーンは転移魔法を覚えることになった……
†
逆天倫が起動して、魔獣は獣へと還り、魔族は人となった……
だが、その世界を全ての魔族が歓迎したわけでもない。
アストリア王都。魔道書店『知恵の泉』の応接間には、そうした魔族が集まっていた。
「リリス様……こちらに居られたのですね」
「やはり魔族王ですか……その姿ではわかりにくいですわね。逆天倫が起動して、人になった感想はどうです?」
浅黒い肌のスキンヘッドの三つ子。そのいずれも巨躯が跪いている。
その話相手は黒猫を膝に抱えて座る、絶世の美女だ。
問われて三つ子の一人が喋る。
「便利ではありますよ。まさか三人に分かれるとは思いませんでしたが……」
「そう……」
「ただ……失ったものは思ったより大きかったのかもしれません」
大願は成就した。だが、それが何だったのかと問われれば……魔族王でさえ、答えは見つからずにいた。
あれほど激しかった思いは消えて、ややもすれば喪失感すら覚えている。
「隣の芝は青く見えるというものだったのでしょうか……」
「どんな姿になろうと私たちは魔族です。そこに誇りを持てる世を……昔の魔王様の遺言ですわ」
膝の上で眠るようにしていた黒猫の耳がピクリと跳ねた。
そんな気がしただけで、相変わらず気持ち良さそうに寝ている。
「貴女様が反対なされていたことは分かっています。それゆえに魔界を離れたことも……」
「私はどんな姿になろうとも、と言いましたよ? 姿は関係ないのです」
対外的にその方が都合の良いことは明白である。ある程度は人に合わせることも重要だからだ。
リリスはそれでもと思う……
「そうでしたね……皇后陛下」
「未だにそんなことを覚えているのは貴方くらいですよ……」
「そうですね……」
昔を懐かしむように二人は、想いを馳せる。
「姿にとらわれず本当の意味で分かり合えたなら、それがどんなに素晴らしいことか……」
外では翼を持った天使たちが人々を襲っている。騎士団がそれを追い払うように、懸命に戦っている。
嘆くように呟いたリリスには、その道はさらに遠のいて見えるのだった……
†
ソニアは先に休み、アイリーンが転移魔法の修行に疲れて寝静まった頃。
ゆっくりと逆転倫は起動する。
まるでその主人に知られないようにと、その結晶体はひっそりと輝きを増した。
酷く警戒するようにゆっくりと、僅かずつ、その主人の知識を吸収していく……
その時。
その光が怯えるようにパッと消えた。
「とてつもなく嫌な気配がしたが……」
それに近づき、そう言ったのは黒の魔女だ。
沈黙した逆天倫を見上げて、一人呟く。
「警告はすでにしてある。ならば、吉兆だろうが、凶兆だろうが、生まれ出るものに罪はないか……」
結晶体に手を当てて、何かに納得したように呟くと、黒の魔女はその場を後にした。
昔の失敗を繰り返すまいと、それに手を下すことはしなかった。
ソニアはそれをまだ知らない。自身の犯した大失態に気付いてすらいなかった……




