父と娘
あの日、未熟なソニアは独自魔法を試した。
青の書を持ってそれを行ってしまった。
半端に成功したそれは……
知恵の泉への道を開いてしまう。
すぐに気づいたお前の母さんは咄嗟に庇い……
消えていくお前の身代わりに……
そのまま彼女はあの場所に囚われてしまった。
それからお前の祖母、蒼炎の魔女はお前の記憶を封じ、独自魔法を禁じた。
だが、その左目……
お前はもう一度、それを開いた。
記憶を失っていたのだから、仕方のないことなのだろう。
それでも複雑な思いは消えない……
何もかも忘れたまま幸せなら良いのか? 失ったものに価値はないのか?
……あるいは背負った傷には意味があると信じたかったのかもしれない。
何度も自問したが、私には答えが見つからなかった。
我が子を恨みそうになったことさえある……
それが契機となって。
「離れる必要があった……」
それでも家族として、もう一度……
それが私の支えだった……
覆水盆に返らず。
それを覆すには根本から見直さねばならない。
失ったものを取り戻すには相応の代償が必要だった。
ゆえに全てをお前に委ねることにした……
†
数日前、赤薔薇に戻った私は父さんと話し合った。
過去の真実を思い出して、深い悔恨と共に……
そこで逆天倫の詳細を聞き出した。
「新世界計画にはもう一つの要がある……神の世界から脱却し、新たな秩序を打ち立てる真の要だ」
赤薔薇の本部。いつもの父親の私室。
仕事用の片眼鏡をかけて父さんは私に話す。
「それこそ魔導構造体『逆天倫』」
酷く事務的な会話。不器用な親子の姿がそこにはある。
「起動の鍵は無論、赤の書。だが、常人に赤の書は扱えない。そこで先人は考えた。代わりが必要だと」
それでも、これが私達だ。それを私は、私達は理解した。
「そしてそれをお前は持っている。ソニア……」
「はい。父さん……」
†
義眼が起動する。赤く……真っ赤に燃え上がるように魔素が輝く……
大雑把に言えば、古代の魔王を雛形としてその戦いの再現が新世界計画である。
それらは魔王によって創られたという赤の書を鍵として仕組まれていた。
だが、赤の書に限らず、七識の書は選ばれた者しか使えない。
ゆえに先人はそれに対処するため、この義眼を作る必要があった。
つまりこの義眼は赤の書の代替品として造られた。だから初めから赤の書が使えた。
おそらく当時の権力者、あるいは研究者が使う予定だったのだろう。
だが、黒の魔女との戦いで使われることなく封印され、それを発見した教授の手へと流れた。
……というのが父さんの見解だった。
「この一瞬のために私は全てを捧げた……」
父さんは回顧するように言葉にした。
「神々がなぜ強大なのか? 秩序、法理法則、即ち天倫を支配しているからだ。
さらに言えば世界が基からそう設計されている。
管理者たる神を頂点とした構造体として……その基礎を天倫と呼ぶ」
父さんは思い返すようにして私に伝える。
「ならば天倫を壊す。あるいは無力化すれば良い。それが対等へと至る道だ、と遺跡の先人達は考えた。
そうして出来上がったのが、魔導構造体『逆天倫』……それは既存世界を破壊する秘儀」
父さんの意思、意図を正確に汲み取李、引き継ぐ。
人はこんなにも愚かで止まることを知らない。
勇者は死んだ。だというのに戦争は止まらない。
ダンが戻らないのもそのためだ。次の勇者に祀り上げられるからだ。
後の無くなった聖教会が主導している。己の非を認められない者たちが暴走している。
「魔王を討った者が真の勇者である!」
今はそんなお触れが出ているらしい。
勝手なものだ。利用するだけしておいて、居なくなったらすぐに次だ。
「神の塔さえ、押さえれば勝てる!」
そんな対アストリア周辺諸国連合の思惑と絡み合い、暴走は止まらない。
己の利権に目を眩ませた人々は止められない。それをさらに敗戦の恐怖が拍車をかける。
ルールや正義が消えた世界では、これから行う私の行為は犯罪にも当たらない。
それを取り締まる国も崩壊しつつある、各々が悪徳を成し暴利を貪ろうと企む無法地帯。
もっとも、ここアストリアやアルフヘイムはまだマシな方だ。それでも各地へ波及した影響は避けられない……
金銭の価値はかろうじて商業ギルドと冒険者ギルドが守っているが、盗品や略奪品が闇から市場に流れては、大混乱は必至だった。
無論、宗教がどうのという話では無い。
そうしたものを隠れ蓑にして、裏で暗躍する者達。そしてそれを見て見ぬふりをする者達。
勇者という幻想を主軸に、魔王という絶対悪を成立させたい人々が、信仰を盾に自己矛盾をゴリ押ししている。それに異を唱えれば逆賊扱い……その結果が今の状況だ。
アイリーンが言ったように、いつも間違えるのは人だ。
ならば世界の真実を見せてやろう。
目を覚まさせてやろう。
これはそうした者達への警鐘だ。
きっと私も間違っているのだろう。それでも私は凍てつく心でそれを決めた……
私の呼びかけに応じるように、逆天倫が安定して起動し始める。
ゆっくりと回転するように空に浮かんだ結晶体が起動している。
私がそれを見て一息つくと、父さんから声をかけられた。
「ソニア。お前には何も与えてやれなかったが、これだけは遺そう」
「父さん……」
父さんは片眼鏡を外して、私へと渡した。
正直、眼鏡を渡されても困るんだが……老眼でもないし、レンズだけ変えれば良いのか?
いや、これは魔導具なのか……
受け取って大切に仕舞う。
実用性よりも、きっとそれは形見として渡されたものだから。
「……すまない。後を頼む」
「……わかった。母さんによろしく」
「ああ、もちろんだ」
気丈に振る舞い、私は父さんに抱きつく。
慣れないことをしたからだろう。父さんは驚いていた。
「家族として、別れくらいは惜しむ……」
「ソニア……」
それでも、穏やかにそんな私の頭を撫でる手。
もう童心には還れないけれど……暖かなものは感じ取れる。
私が離れると、父さんは後ろの二人に向き直った。
「エリザベートにも世話になった」
「いえ……こちらこそ。貴方に助けられなければ、今の私はありませんから」
二人に何があったのかは知らない。私と別れてから、おそらく支え合ってきたのだろう。
そこは深入りすることでもない。
父さんは分かっているというように、黙って頷く。
エリザベートも涙を流していた。二人の間のことはあえて聞かない。
ただ、この朴念仁では苦労しただろうなとは思う……
「アイリーンさん。ソニアをよろしくお願いします」
「はい……もちろんです。私はソニアに助けられたのですから」
それに父さんは安堵したような表情を見せて。
別れを告げた父さんは魔導構造体にその身を捧げる。
逆天倫に手を伸ばした父さんの身体から魔素が溢れ出す。
父さんは己の行ったこれまでの責任を全て被るつもりだ。だから止められない。
私の罪も含めて……
「『逆天倫』よ、私を導け!」
宣言するように父さんは言い、魔素の輝きとなって消えていく……願いを叶えるために。
母を解放するために……
私は涙を流して、それでも俯かないようにしっかりと見届ける。
「さよなら……父さん」
こちらをもう一度見た父さんは、笑顔だけを遺して……
逆天倫が、一際激しく輝く。
光が散った。
この先はきっと父さんが母さんを助けるはずだ。
ただ、それを私が見ることはないだろう。
私の父と母はこうして世界の牢獄から解放された……
「母さんに頼まれたのです。父さんを頼むと……少しは家族としてやり直せたのかな……」
「ソニア……」
「ソニア様……」
私がいくらクールを気取っても、割り切れるものでは無かったらしい。
深い喪失感は隠せなかった。
二人に崩れるように抱きつくと、涙が止めどなく溢れてくる。
嗚咽が漏れて、感情が抑えられない。
しばらく、落ち着くまでそうしてもらった。本当に不器用な親子だと思う。
「絵に描いたような円満な親子とはいかなかったけれど、きっと私たちはそれでいい……」
天空に輝く結晶体を見上げながら、心からそれを思った。
起動した逆天倫はゆっくりと呪いを吸い込んでいく。恩恵さえも吸い込んでいく。
世界中で魔族は魔族としての特徴を失い、常人へと還る。魔獣が動物に変わる。魔物が本来の姿に戻る。
後を任された私は慎重に制御して奇跡を起こす……
それが良いか悪いかはわからない。だが世界は確実に変わって行った……
私や、アイリーン、エリザベートにも影響が出始める。
私が逆天倫を上手く制御して、必要以上に影響を受けないようにする。アイリーンとエリザベートも結界を張って備えた。
……天空に孔が空いていた。
巨大な孔から眩い光と共に、天界の一部が覗いている。
実に説明が難しいが、天界は識界と一部、異相空間を共有している。お婆ちゃんは聖域と呼んでいたが、ほぼ同じと思って構わない。
そしてあの孔は転移門、転移魔法の応用技術だ。識界まで繋がっている。父さんはそこを通ってさらに深くまで向かって行ったはずだ。
孔は地上や天界の呪詛と呼応して、維持されている。呪詛とは以前アルフヘイムで一度見た落書きのようなものだ。
そう説明を受けた。あの頃には、すでにこの計画は準備されていたらしい。
だが、その異常事態に、孔から天使たちが降臨していた。
黄昏の空に天使たちの羽が舞い落ちる……
天空では魔導構造体『逆天倫』が起動している。
天使たちがそれを破壊しようと、その結界へと突入して、焼かれ、墜落していく……
さらにそれに合わせるように、転移して現れた模造女神たち。
彼女らと、天使たちによって逆天倫の争奪戦が繰り広げられることとなった。
新世界計画において、模造女神たちは逆天倫の守護のために創られたためである。
「まだ破壊されるわけにはいかない。とはいえ、今の散華ちゃんに渡すわけにもいかない……」
模造女神は散華ちゃんの味方だ。私の偽物ではなく、本物の赤の書を手に入れてしまったためだ。
ただでさえ、アストリアは戦力過多なのにアレまで渡してしまっては魔王どころか、魔神扱いである。
そうなっては本末転倒。是が非でも私が持ち去らねばならない。
幸い多数の天使たちと模造女神たちはどうやら戦力的に均衡している様子だ。
どちら側も牽制し合い、強力な結界もあるため近づけないでいた。
「結界があるからしばらくは大丈夫のはずだが……どうしたものか……」
制御しているのは私なので、逆天倫と私の間には義眼を通じてパスが繋がっている。
父さんに後を任されたのだ。先ずは逆天倫を巡る混乱を終息させなくてはならない。
一つまずいことがあるとすれば、散華ちゃん自身が出てきてしまうことだったが、今のところそれは無い。
私の義眼の赤の書は所詮、偽物。本物の赤の書には、やはり制御の主導権を奪われてしまう。
ならば早々に決断しなくてはならない……
「やるか……。やってしまうか……」
「ソニア、何か良からぬことを企んでませんか?」
アイリーンに心配された。私にとってもこれは賭けだ。
凄まじく嫌な予感しかないが、天空の争いを見るに、やるしかない。
これだけの騒ぎになれば、きっと散華ちゃんには、もう気づかれている。
ここは勇者軍とアストリア軍が最後に戦った戦場。アストリア王都が目と鼻の先となれば、尚更だった。
「逆天倫を持ち去る。多分動けなくなるから、アイリーン私を守って……」
「……仕方ありませんね。貴女はこうと決めたら譲らないのですから」
「そうなのかな……?」
わりと譲りっぱなしの気もするが……アイリーンにはそう見えるということだろう。
もしかしたら、残してきたゴーレム姉妹にも影響が出てしまうかもしれないが、ここが正念場なのだから手は抜けない。
……帰ったら謝ろう。
天空の逆天倫の結晶体を巨大な魔石核に見立てる。
私は慎重に集中する。精神を研ぎ澄ます。静かに詠唱を開始した。
「汝なんじ、土の塵をもって人を造りたまへり。
汝、わが臓をつくり、母の胎にてわれを組み成したまひたり。
汝の御目は未だ成らざる我が形を見たまひ、そのことごとくを汝の書に記されたり……」
溢れ出る魔素によってその周囲に手足、身体が創生されていく……
「現れ出でよ! ゴーレム!!」
詠唱に従い巨神が降誕した!
逆天倫の潜在能力が影響して、意図せずこれまでで一番の大きさになってしまう。
見るものを畏怖させるような凶相。一応人型ではあるものの、巨大な魔獣のような刺々しい体躯。
それらは強大すぎる力に、私の制御が行き届いていないためだった。
「あ、ヤバイかも……」
さらに戦場の魔素が邪念となって、ゴーレムとそれに繋がる私を蝕み始めていた。
怨念、怨嗟の声が、絡みつくように邪魔をする。
……どころかさらに力を与えるように暴走させてくる。
気を抜けば、私自身が乗っ取られそうなほどに……
「グッ、うっ……鎮まれ! 私に従え!」
その制御で縛るように赤の義眼が燃えるように輝く。
それでも暴れ出す巨神「逆天倫」。
首輪をつけられるのを嫌がり、暴れるように振り回すその拳は巨大な鉄槌。
アストリア王都の正門から市壁の一部を大きく破壊した。
さらには天空の天使と模造女神を、弾き飛ばすように蹴散らして……
「まさか……あの模造女神たちがあれほど容易く……」
隣でアイリーンもエリザベートも驚愕していた。
私も焦りを隠せない。
本当に尋常ではなく、まずい状態だった……
「オオォォオオオオーー!!」
私の押さえつけるような意思に反抗するように……
異常な魔素の高まり……言葉にならない何かを吼えるように、詠唱を開始していた。
「!? それだけは駄目だッ!!」
繋がりから、全てを破壊する意思が伝わってくる……
血の気が引く……
だが、引いてはいられない!
知恵の泉で得た知識を総動員する。
挑むように私は本気で縛る。義眼から血の涙が流れた。
「それは束縛の青き庭 身体を縛れ 精神を掴め 青薔薇よ 咲き乱れよ!」
青の書を開いて、私の全ての力を注ぎ込む。
「『青薔薇の庭園』!!」
青薔薇の庭で物理的にも縛る。
青薔薇の茨が巨神の身体から生えるように広がっていく。
巨大すぎる身体を利用するように広げるしか方法はなかった。
アイリーンとエリザベートもそれを手伝うように、私の魔素に合わせて魔力を供給する。
三位一体となって……
「従えッ!!」
巨神の身体を、赤の縛りと青の縛りが交差する!
それら本気の私たちの制御に……
あわや大惨事……というところで巨神は詠唱を中断して、どうにか逃走を始めた。
追ってくる天使たちを跳ね飛ばしながら、姿を消して行く……
「危なかった……ごめん、アイリーン。気を抜けない。このまま私を運んで……」
冷や汗が尋常ではなく溢れ出る中、精一杯でそれだけを伝える。
私の意識が飛べば終わりだ。……世界が終わるという意味で。
「わかりました。エリザベートさん、援護をお願いします」
エリザベートがそれに頷き、周囲を警戒しながら並走する。
アイリーンに抱き抱えられながら、逃亡した巨神を追って私達はその場を離脱した……




