過去
独自魔法を発動したソニアの身体が頽れる。
それを支えたのはその手を取った父親だ。
彼は内心を押し殺すようにして、無感動にその身体を地面へと横たえる。
「ソニア!?」
驚き慌てるアイリーンは、引き継ぐようにソニアの膝枕をした。
「これは……貴方は何をしたのですか!?」
敵意が無いにも関わらず、このような仕打ちをする男に対しての混乱があった。
アイリーンには、その意図がわからない。
「私ではない。ソニアがやったのです。アイリーンさん、貴女を蘇生させた魔法です」
「私を……どういうことですか?」
アイリーンがかつてその魔法を自身に受けたとき、彼女は深い闇の中にいた。
おそらく死を経験したのだと思っている。
それゆえにソニアが何をしたのかはわかっていなかった。
「今、ソニアは識界で母に会っています。記憶の封印は解かれ、全てを思い出すはず……」
意図したのか、していなかったのか……それを読み取ることは不可能だった。
「何を……」
「私にも辛い記憶なのでね。これ以上は帰ってきたソニアに聞いて欲しい……」
彼はもうそれ以上は語ろうとしない。
それでもアイリーンは詰め寄るように問い質す。
「ソニアがまた眼を失ったら今度は治りませんよ!?」
左目の魔導具は一つしかない。左目が義眼で機能しているのは本当に偶然で、幸運だっただけだ。
「泉の水を飲まなければ、人体に影響は出ないはず。きっと彼女がそれをさせない。今は静かに帰りを待ちましょう……」
「……わかりました。ですが、その言葉を違えたら私はあなたを許しません!」
ソニアの父親はただ、それには頷くのみだった。
そうするより他はないとばかりに意識を失ったソニアを抱きしめ、アイリーンはその無事を祈る。
彼はそれを見届けると、その場を去って行った……
†
青薔薇の咲き乱れる場所。
星灯が青く澄んだ泉を照らしている。
静かな水面には、走馬灯のように私の記憶が映し出されていた。
それは、思い出したくない忌まわしい記憶……
独自魔法を発動した私は、識界のその場所へと降り立つ。
泉のすぐそばで女神も一人、私を待っていた。
「思い出してしまったのですね……」
「母さん……」
自然と瞳から涙がポロポロと溢れる。
溢れ出る涙は私の意思では止められない。
「覚えていないなら、それが貴女のためだと思っていました」
貴女は私を責めてもいいのに……
私は完全に忘れていたのに……
言葉にならない想いだけが、溢れてくる。
「それでも、あなたから久しぶりにそう呼ばれるのは嬉しく思ってしまいます。ソニア……」
女神は哀しげに微笑む。
そんな私たちの関係を示すように……
湖面に映る記憶は私の大罪を暴き出していた……
「ごめんなさい……」
私は涙を流しながら、ひたすら謝る。
それしかできないように、謝罪の言葉を繰り返す。
そんな私に母は寄り添い、ただ抱きしめてくれた。
「私がそうしたのです。ソニア、貴女は謝らなくて良いのです……」
「でも……」
私は私の独自魔法に母を閉じ込めた。
檻を作り虜囚としてしまった……
その後悔があるのに……
「それにまたこうして会えました。いつでも会えます」
「母さん……」
そう言って母は微笑む。
ああ、この人が私の母親なのだ。
止まらない涙は後悔だけでなく、感涙も混じっていただろうか……
「あなたが向き合うと決めたのなら、その意思を尊重しましょう……」
母さんに誘われて、私は泉と向き合う。
それは悲しくとも、忘れてしまっても良い想い出ではなかった。
絶対に覚えておかなくてはならない想い出だった……
深く悔恨する私は、泉と同調するように過去へと遡って行った……
†
それは幼少時の記憶。封印された過去。
幼い私が野花を集めて、お婆ちゃんとお母さんにプレゼントしている。
大袈裟に喜ぶお母さんとお婆ちゃん。
対してお父さんは物欲しそうに言った。
「ソニア、お父さんには無いのかい?」
「これ……」
なんか、家の庭にいたバッタをあげていた。
「ああ、うん。ありがとう。嬉しいよ……」
そう言う割に、微妙な顔をしていた父親。
しれっとそのバッタを逃している。
「ソニア、お父さんにも優しくしてあげて……」
むう……お母さんにそう言われては仕方ない。
これでも精一杯、気を遣ったのだが……
奴はライバルだ。私たちでお母さんを取り合っている。
そんな心境だったのかもしれない。
私とお母さんは仲良しで、四葉のクローバーを探したり、流れ星を探したりといつも一緒だった。
一緒に歌を歌ったり、本を読んでもらったりもする。
そんな幸せな日々が続く、今度は私が絵を描いていた。
「ソニア、それはなあに?」
「知恵の泉! 青くて綺麗で、周りには青薔薇が咲いてるの!」
母親に聞かれて元気よく答える私。
散華ちゃんとも出会う前で、この頃はまだクールなんて知らなかったし、それほど興味もなかったと思う。
「そんなに綺麗なら、お母さんも見てみたいわ」
「うん! 私が連れてってあげる!」
銀髪幼女が屈託無く笑って、つられるように母さんも笑顔になっていた。
誰だこの天使は……本当に私か!?
そんな別人疑惑が出始めたころ……
事態は急変へと向かって行く。
その日、私はいつもの日課をこなしていた。
お婆ちゃんが寝ている隙に、青の書を持ち出すのはいつものことだ。
借りるのだ。盗んでいるわけじゃない、と罪悪感を誤魔化しながら……
でもきっと見て見ぬふりをしてくれている。それくらいはわかる。
「これが無いと格好がつかないしな……」
庭でいつも通りの魔法の詠唱を行う。
今日はとても調子がいい。
地面に小さな蒼炎が踊っている。
前に延焼しかけて怒られた時に比べたら格段の進歩だ!
「でも、いつも同じことをしていてもつまらないな……」
ああ、もっといろんなことを試したい。
できれば、独自魔法と呼ばれるものをやってみたい。
でもそれはお婆ちゃんだけでなく、お母さんからも駄目だと言われていた。
だけど、お婆ちゃんもお母さんも使えるのだ。
私にとって二人は憧れの魔女だ。
とくにお母さんは、お婆ちゃんのおかげで名こそその陰に隠れてしまっているが、実力的には匹敵する。
「今日は調子がいいのに……」
お婆ちゃんは寝ている。お母さんはお昼ごはんの支度だろう……
「大人は狡い。どうして私は駄目なんだ……」
それにお母さんと約束した。
いつか知恵の泉を見せてあげると……
「魔法はそれを叶えるためにあるのに……」
幼い私には好奇心と功名心だけは人一倍あったらしい。
ただ、それはお母さんとお婆ちゃんに褒められたい、幸せにしたい、という至極真っ当なものではあった。
ちなみに、お父さんはついでだ。
禁断の実に手を伸ばしてしまうように……
その日、私はそれを行ってしまった。
それは未熟な原型だった……
「独自魔法『知恵の泉』!」
幼い私は禁を破り……悲劇は起こる。
独自魔法は己の心、魂と結びついている。
それは諸刃の剣で、場合によっては己を傷つける。
ましてや未熟な者が行えば、死に至ることも少なくない。
禁止されるものには必ず相応の理由がある。
そのことが幼少の私にはわかっていなかった……
中途半端に発現した独自魔法は私の内面へと向かう。
私はいつしか深い霧に包まれた場所に居た……
誰も居ない寂しい場所。
青薔薇が咲いて想像通りで理想的な場所ではあったが……
「お父さん、お母さん、お婆ちゃん!! どこにいるの!」
誰も居ないことに私は恐怖して、迷子になったように叫んでいた。
その深い霧を抜けるようにすると美しい泉があった。
思わず私はそれを手に取ってしまう……
泉の中で身体が消えていく……
気付いたときには魔法が暴走して私の身体は、指先から蒼い光となって消え始めていた。
「ああ……アアッ!!」
私は助けを求めて絶叫した!
絶叫がきっかけとなり、私は現実へと戻っていた。
ただ、身体が消えていくのは収まらない。
絶体絶命の窮地……
幼い私は何もできずに震えて、涙する……
その悲鳴を聞きつけたのか、家の中からお母さんが飛び出してきた。
「ソニア!?」
慌てて母さんが私を抱きしめる。
そんな母に必死にしがみつこうとした。だが、もう腕がない……
どこかで私は諦めていた……
母さんから美しい声が聞こえる。
謳うように魔法の聖句が流れて……
「独自魔法……『青の継承』」
母の魔法が発動して、私の蒼い光が母へと移る。
ああ、だめ!! そんなことをしてはだめ!
泣きながらそう訴える。
「……大丈夫。落ち着いて。いい? 冷静に、クールに、よ」
暴れる私を宥めるために、母はそんな言葉を私に遺す。
それは母の最期の言葉となった。
私の身体は落ち着きを取り戻すように再生していく。
反対に魔法の全てを吸収するようにして、母の身体は青い魔素と共に消えていった……
そこには喪失感だけが残った。
私は茫然自失だったのだと思う。
「ああ、いつも冷静でクールで居なくちゃ……」
こんな過ちを犯してはいけない……
それだけが言葉として出ていた。
気付くと、いつの間にか私はベッドで寝ていた。
何があったのか思い出せない……
父さんと、お婆ちゃんが言い争っているような声が聞こえる。
「義母さんがついて居ながらどうしてこんな……!?」
「私は万能の神ではないよ……」
「……いえ、すいません」
それは自分の責任を棚上げした言葉だ。それでも出てしまうのは仕方ないことだろう。
「子供の成長は早い。あの子は特に……だが、今は私が記憶を封印しておこう」
ベッドに寝かされた私はそんな言葉を聞いていた……
なんだか酷く疲れたように怠い……もう少し寝よう。
うなされるように夢を見る。
それは夢なのか現実なのか、もうわからない。
「ソニア、魔女はいつでもクールにね……」
「やだ……やだよ……」
母は微笑みながら魔素となって消えていく。
私の身代わりとなって……
その日、私は魔女になった……




