記憶封印
魔族王率いる異形の魔族軍の攻撃に、対策が取れなかった神聖カリス軍だった。
神聖カリスの大軍に比べて、決して魔族の数が多いわけでは無かったが、人体構造を無視したようなトリッキーな攻撃と魔族特有のスキルに翻弄されて国境沿いに縫い付けられてしまう。
勇者王は劣勢を感じて、一度国内まで退却している。
だが、それが功を奏してこれまで様子見だった各国、領主からも支援の軍が届く。
小国アストリアがここまで粘ったことに、本当に魔王かもしれないと疑い始めたからだ。
また、魔族が味方したことも大きい。
神聖カリス軍はさらに大きく膨れ上がり、第二次攻撃をするべく、準備と再編を急いでいる。
魔族軍もこの機に回り込むようにしてアストリア王都へと退却していた。
周辺諸国連合はアストリア王都近辺まで攻め入ったものの、攻めきれずにアルフヘイム軍に追い払われた。
その間にアストリア軍は王都へと帰還を果たしている。
またアストリア軍は周辺諸国連合の介入によって王都を離れられなくなっていた。
次の攻撃はさらに苛烈なものとなることが予想され、追い詰められつつあるアストリアには緊張した空気が漂っている。
両陣営共に次の戦いの準備を進めており、一時的に凪のような休戦状態になっていた。
魔族王の軍団がアストリア王都へと入ると、人々は驚愕と恐怖を持って迎え入れた。
それも当然で、ほぼ魔物と変わらない外見。それが種々雑多に鎧姿で行進していく。
一般都市では魔族が徒党を組むことさえ禁じられていることが多い。
それが軍団を率いてきたとなれば混乱は必至だった。
散華女王の厳命もあって、衝突こそなかったものの歓迎というわけにはいかなかった。
その行列を見た市井では、囁かれるようにして不安が流れている。
「魔族が軍隊を持ってるなんて……」
「次の戦場はどうやらここらしい……」
「いよいよ、この国やばくないか……?」
ただ、そんな否定的な人々ばかりではない。
「逆にあっちの方が魔王だろ? 顔的に……」
「確かに。しかも魔族王って呼ばれているらしい……」
「あのお美しい散華様が魔王なら、魔王様について行ってもいい!」
そんな擁護の声も上がり、ここでも意見は二分するように別れていた。
それがまた対立のようなものを生み始めている。
いかに正しいと信じた道を貫こうと、民衆の動揺は隠せない。
王城で散華女王は臣下からの報告を聞き、対応を求められていた。
「民衆にも不安が広がっています。逃げ出そうとするものも多く……」
「逃してやれ。ここは次の戦場になる。避難できる者にはそうさせる」
「わかりました……」
散華は王として、ちゃんとそれを伝えて個々人に判断させる。
人員不足で窮地に陥ったとしても、強制はしない。
それが散華女王の政治理念であり、統治だった。
だが、それゆえに王都を去る者も多い。
王城の窓からは今も多くの馬車が街を去って行くのが見える。
「散華、大丈夫です。この苦難を乗り越えれば皆帰ってきます」
「そうですね……姉様」
その後、二人は重要な会見へと向かう。魔族王との会見だ。
魔族王との対面はアストリア王都王城、会議室にて行われた。
「戦時中ゆえ、形式張ったやり方はご容赦ください」
散華はそう言って話を切り出した。
臣下たちも緊張で、ひりつく様な空気が流れている。
どちらも物々しい装備で互いに牽制する形になっている。
非礼と言われても仕方がないが、臣下たちが納得しなかったためだ。
「わかっております。このような外見なので怖がられることは慣れておりますので……」
「いえ、そういうわけでは……すみません」
言い訳をしようとして意味がないことを悟り、散華は素直に謝る。それを魔族王は頷き了承した。
「ご助力とても感謝しています。魔族王殿」
「いえ、戦場でのご活躍には心を奪われました。アストリア女王、本来であれば赤の書を継承された貴女こそ、魔族王、いえ魔王様とお呼びするべきなのです。つまり我らは貴女へお仕えするべき立場……」
「お褒めいただいて恐縮ですが、この状況下でそれは困ります……」
「でしょうな……。我らもいきなり人の心を変えようとは思いませぬ。変えられるとも……」
人と魔族には根深い溝がある。この一連の戦争もそれに根ざしたものだ。
この厳重な警備の一端も結局はそこにある。
そのことにに理解があるのはさすがは魔界を統べると言われる魔族王だと、散華も感心していた。
「ご理解、痛み入ります。つきましては同盟という形なら双方ともに理解されやすいかと思うのですが……」
階段は一歩ずつ登らねばならない。急激な変化は混乱と余計な反発を生む。
そうした提案だった。
「そのようですな……この街を見て思いました。他の街や国なら文字通り門前払いだったことでしょう。だが、ここには希望がある。少なくとも受け入れるべきかどうかを考えてくれる……そんな小さな希望が」
「魔族王殿……」
「同盟の件、こちらからもよろしくお願いいたします」
絶世の美しい女王と三面六臂の大男が硬い握手を交わす。
奇妙で不思議な光景ではあった。
†
対してまるで正反対に向かうように、神聖カリス王都は空気が悪くなっていた。
魔族は締め出され、場合によっては私刑まで行われている。
勇者王の助力を得て、勢いに乗った聖教会と民衆の独断専行だった。
騎士団は一応は止めには入るが、焼け石に水の有様である。
これもまた魔族軍がアストリアに味方した弊害だった。
王は遠征中でそれに対して何も手を打てない。
赤薔薇はそうした魔族たちを脱出させるのに手一杯になっていた。
ただ、一応は留守を預かる騎士団のトップが優秀なためギリギリで防いではいた。
騎士団のトップというのは以前、リーヴ大森林の戦いで審判団、ダンの副官を務めていた女性だ。
こちらの魔族側にも情報を流して上手く逃している。かなりのやり手だ。
そうして魔族の脱出を手伝いながら、赤薔薇の抜け道を使って、私は今アイリーンとともに神聖カリス郊外まで出てきていた。
「打てる手は全部打っておかないとな……」
正直、私には持て余しているものがある。
白の書だ。
この窮地に使われなくて、どうするというのか!?
「使えるとしたら、蓮華姉さんか聖女リリィってところか?」
蓮華姉さんは言わずと知れた雪月花である。リリィは以前、白百合会というパーティを作っていた。
そう思ってカリス郊外にアリシアとエリスを呼び出したら驚くほど早く来た。
「今、戦争中だよね? どうやって……」
「風に乗って飛べるようになったから……」
「私は雷ね……」
雷って乗れるの!? それもう、ほぼ転移じゃねーか!!
エリスの負けん気の強さには驚く。大方アリシアが、飛べるようになったのを見てのことだろう。
常人離れしてしまった二人を見て、もうアストリアが負けることはない気はする。
なんて、それほど甘くはないか……
「これなんですが、私が持っていても意味ないですし、蓮華姉さんかリリィのどちらかが使えるかと思って……渡してもらえませんか?」
「これって……!?」
「白の書ね……ソニア、隠してたの?」
それを見てアリシアもエリスも驚いている。
「ええ、まあ。これを巡って争いが起きましたから……」
「きっと蓮華ね……散華が赤の書を手に入れたから」
「その話本当だったんですか!?」
そのアリシアの言葉には私も驚く、いわく付きの魔導書だったはずだ。
父さんから聞いてはいたが、正直、半信半疑だった。
「ええ。確かに力強くなって見違えたけど……ちゃんと散華だったわ」
「ってことは噂に過ぎなかったということでしょうか……? なら、良かったですが……」
私が安心したのも束の間、なぜか二人は表情を曇らせている。
「ソニア、ちゃんと散華だったのだけど……赤の書が強力すぎたのよ」
「それってどういう……?」
言い淀むアリシアを助けるようにエリスが事実を告げる。
「神聖カリス軍を広範囲殲滅魔法で一撃で葬ったらしいわ……」
「それは……」
……何も言えなかった。
戦争だ。仕方の無い面は確かにある。
窮鼠猫を噛むとは言うが、それをさせたくは無かった。
信じたくは無かったというのが本音だろうか……
私の知っている散華ちゃんであれば、一対一。正々堂々を旨としている。
それが広範囲殲滅魔法……しかも相手は人だ。
確かに卑怯ではないし、防げなかった奴らが悪いと言えなくも無い……
戦場に立った以上、どちらにも非がある。
そう、わかってはいるが……
運命に翻弄されるように、嫌な感じで事態は急変している。
嫌な考えに入り込みそうになったところへ、アリシアから遮るように伝えられる。
「ああ、ごめんソニア。私たちすぐに戻らないと……」
「すいません。大変な時に呼び出して……」
「いいえ、会えた方が嬉しいわ。じゃあ、またね!」
「ええ。頑張ってください」
アリシアはふわりと風に乗って上昇した。エリスは雷が鳴って一瞬で消えた。
「私も空を飛ぶ練習するか……」
それは便利そうでいいなと思った。
私はアイリーンと共に戦場へと向かう。
アリシアとエリスから聞いた話が頭から離れない。
アストリア王都までは入れなくとも、現地のことは知っておきたかった。
その道中、木陰に大火傷で倒れ込む死体を見つける。
「死体か……戦場ってまだかなり先だったよね?」
疑問に思って、同行するアイリーンに聞いた。
「ええ。おそらく戦場からここまで逃げてきたのでしょう。ソニア、本当に向かうのですか? あの通り、戦場は本当に悲惨な場所ですよ?」
「はい。どうにかしないと……諦めてはいけないと思うのです」
全身大火傷の死体を見ながら哀れに思う。
戦争は起きてしまった。解決策は見つからない。
それでも何かしなくてはと思う。
責任の一端は私の父親にあるのだから……
そんな話をしていると……
「うぐっ……」
木陰に倒れる死体が呻いたように見えた。
「!? 死体が動いた?」
「いえ、この男、生きてます!」
驚いて私たちはすぐに二人で治癒魔法に入る。
大火傷で死体にしか見えない。と言うより、これで生きている方が不思議だ……
大火傷が癒やされていくと……その顔になぜか見覚えがある。
全身の大火傷で肌は爛れ、見る影もなかったが、二人の力で徐々に回復していく……
治りはしたが、それでも全身煤だらけで真っ黒だった。
「こいつは……どうしてこんな場所に一人で……」
疑問に思っていると、火傷男が気づいた。
「んぐッ……」
水の入った革袋を取り出して与える。男は勢いよくそれを飲み、むせる。
「ゲホッ、ゲホッ……俺は助かったのか?」
それは信じられないと言うように……
「おかげで生き返った。ありがとう……」
男はそう言って私たちを見て、目を見開いて驚く。
「ってソニアか……どうしてこんな場所へ……」
「やっぱり、ダンか……何があった?」
その問いにダンは悪夢を思い出すように震えながら言う。
「散華女王の魔法だ。あんな大魔法、見たことねえ……」
「!?」
ダンからその話を詳しく聞く。
自ら体験しただけあって、アリシアよりもその話は正確で生々しい。
私の想像以上にそれは最悪の結果だった。
「やはり赤の書の力なのか……」
警告は何度も受けていた。だというのに一向に姿を現さない赤の書に何も手を打てなかった。
絶対に止めなくてはならなかったのに!
私はそれを許してしまった……
そんな悔恨する私に、ダンは言った。
「ソニア……約束はまだ有効か?」
「約束? そんなもの、お前とした覚えはないが……」
なんのことを言ってるのだろう? 大火傷でおかしくなったのだろうか……?
「……俺が勇者王、ローレンを止めれば、お前が散華女王を止めるって話だ」
ああ、と私は思い出す。あの時、こいつは逃げたのだが……
しかし、この状態で散華ちゃんを恨まず、味方の死をも乗り越えるか……
やはり、こいつも勇者だったらしい……
同志を得たように胸が熱くなる。
断じて恋ではない! そこだけは明言しておく!
私の妻はアイリーンだ!! 相思相愛だ!
とはいえ……
「ダン……もちろんだ。約束しよう」
「へっ、その言葉忘れんなよ……なら、行かねえとな……」
ダンは立ち上がるとフラフラとしながら、私たちから離れて行った。
「大丈夫でしょうか……?」
アイリーンが心配気に見つめる。
治療はしたので、疲労が残っているだけだと思うが……
その証拠に、その瞳には力が宿っていた。
「ですが、足がかりの無かった神聖カリス側に協力者が現れましたね……」
私たちは一筋の光明を見た気分だった。
アレに期待するのは非常に癪ではあったが……
そうしてダンと別れた後、私たちは戦場跡に向かった。
ダンに聞いた場所。初戦の地、ウィオラ大平原だ。
戦時中とあっては国外追放の私たちに構ってなどいられないのだろう。難なくアストリアへと侵入できた。
黒々とした火炎の跡が大地に広がって、今なお燻っている。
人の焼ける匂いが生々しく漂っていた。
人体の跡だろうか……黒炭のように焼け跡が、たくさん人の形に大地にできている。
まるでダンジョン最下層で黒竜と戦った時のようだ……
「ソニア……?」
アイリーンに心配気に見られても、私の動揺は止められなかった。
「私が……私が導いてしまった」
愕然としてしまう……
まざまざとその事実を突きつけられる。
散華ちゃんを魔王にしたのは聖教会だが、王にしたのは私だ。
正直、王の負の面は見ていなかった。
いや、散華ちゃんならそうしたことに無縁でいられると盲信していた。
だが、世界はそれを許さなかった。
天上の聖天使は貶められて堕天する……
これをやったのは散華ちゃんだ……
確信的にそれが分かってしまう。周囲の魔素がそれを示している。
そのことに血の気が引いていく……
「私に人は殺せない……」
アイリーンにしても散華ちゃんにしても、私の代わりにそれをさせてしまう……
その場に跪いてそれを痛感する。
黒くなった土を握りしめる。
まだ熱を持って熱く、手が火傷するのも構わずに握りしめる……
「ソニア、しっかりなさい!」
アイリーンに抱きしめられて、手から黒土がこぼれていった。
私が人を不幸にしている……
「ああ、私にはその理由がある……」
私は記憶がフラッシュバックするように、何かを思い出そうとしていた……
映像が頭の中を流れて、断片的にかつての大罪が暴かれる。
涙が溢れて止まらない。
「ソニア……!? いえ、まずは手当を……」
アイリーンに手の火傷を治療される。
呆然とそれを見ていると、誰かが近づいてきた。
「父さん……」
「思い出してしまったか……いや、まだ封印は残っているか? だが、そのままでは辛いだろう」
この男も戦場を見に来たのだろうか……いや、私を監視していたのか……
それには触れずに父親は話を続けた。
「蒼炎の魔女はお前に記憶の封印を施した。だが、お前は一度それを突破し彼女と会ったはずだ」
「……つまりあの泉の女神が母だと?」
私の問いに父親は黙って頷く。
あの時はアイリーンを助けることに必死で、その後も泉に触れたことで左目を失い、さらには急激に魔導知識が流れ込んだため朧げにしか覚えていない。
「でも、どうして……あんな場所に一人で……?」
断片的な記憶がつながらずに苦しむ私に、父さんは冷徹とも取れる態度で向き合う。
「それはお前が知っている」
「私が……」
私たちの間に異様な空気が流れ始めていた。
「私は何もしない。なぜなら、お前が全て記憶しているからだ」
片眼鏡を着けた父親の眼光が鋭く私を射抜くように光る……
「さあ、ソニア。決断の時だ。お前の独自魔法を見せなさい。今のお前なら、制御できよう……それでお前の記憶は解放される」
父さんは導くように私に手を差し出した。
「その案内役くらいは私にできるだろう……」
この手を取ってはまずい……尋常ではない冷や汗と震えが私を襲っていた。
「無論、どうするかはお前が決めるのだ」
その瞳はどこか哀愁を帯びて、私に決断を促す……
急速に怪しくなった雲行きをアイリーンも察知したのか、その間に割って入ろうとする。
「ソニア! ダメです!!」
アイリーンの悲痛な叫び声が聞こえる。
それでも私は、後悔して、懺悔する……
それを知らなくてはならない。それだけが明白にわかる。
父親の手を取り、言われるままに……
「私が決めて……私が創る……」
助けを求めるように、私はその言葉を口にしていた。
青の書、青の書外典が異常な輝きを示す。周囲の魔素が青い光を帯びて輝きだした。
「心が象る光景……
その泉は青く澄み渡る。天上の星空は湖面に反射して明るく神気を帯びている。
畔には青薔薇が咲き乱れていた。
知恵の泉で女神は一人、佇む……」
かつて見た光景が自然に詠唱として言葉に乗る。
「独自魔法 『青の禁書』……」
その瞬間、私の記憶封印は弾けるように解放された……




