爪痕
散華の広範囲殲滅魔法の直撃を受けたのは、功を焦り突出した神聖カリス軍左翼部隊だった。
盾になる形で左翼の九割壊滅。残りは大火傷を負って逃げ出していた。
左翼が盾になったおかげで、中央主力と右翼は一部被害に留まったが、撤退して態勢を再編せざるを得ない事態となっている。
「うッ、ぐっ……生きてるのは俺だけか……」
左翼の中で後方で、炎耐性の高いダンは炎の中で生き延びていた。
咄嗟に魔法防御の組み込まれた大盾を構えたのが功を奏したためだ。炎の勇者と言うだけはある。
ただ、大盾は砕けて残骸となっており、その威力の凄まじさを物語っていた……
アストリア軍の猛追を受けて、味方が後退して行くのが見える。
周囲は誰も近寄れない炎熱地獄。アストリア軍さえ、そこを避けて行く。
もはや生きている者などいないと思われているのだろう……
戦場は既に移り、一人残されたダンは呆然と辺りを見回す。
味方の焼死体は塵芥となって、黒々と見る影もなく崩壊していく。
「俺のせいだ……俺のッ!」
大地に拳を叩きつけ、その熱に顔を顰める。
決して指揮に手を抜いたわけではないが、負い目からの怯みはあってその暴走を止めることもできなかった。
「ぐっ……」
一言、呻いて立ち上がる。周囲の惨状を見て深く悔恨する。
自身も大火傷を負いながら、歩きだす。
どこに向かっているのかわからぬまま……
身体を引きずるようにして、ダンは炎にその姿を消して行った……
†
粉砕された左翼の立て直しに、国境線まで押し戻された神聖カリス軍。
遠くではいまだに炎は燃え盛り、味方を恐怖に陥れている。
周囲の兵士たちからは「やはり魔王……」、「これが魔王……」と絶句する声が相次いで囁かれていた。
にも関わらず……
「ククッ、盛り上がって来たじゃねえかよ……」
その全体を見渡せる幕営で、勇者王はそれを歓迎するように見つめている。
「ダンは死んだか……」
「どうでしょう? 彼は意外としぶといですよ?」
「違いねえな……」
帰ってこないダンに多少、心配を見せる二人。
ダンに限らず今の戦いで多くの将兵を失った。それでも戦いは終わらない。
「魔王、討つべし!」と神聖カリス国民が、世界がそれを望んでいる。
動き出した歯車はもはや誰にも止められない。どちらかが倒れるまでは……
「一応、目論み通りですかね?」
「お前が戦場にいることが目論み通りとは言えないな……」
「私も不思議ですよ。なぜここにいるのか……。今頃は散華女王に仕えて悠々自適の引退生活のはずだったのですがね。あまりに感動的だったので格好をつけてしまいました……」
「ふん、言ってろ……」
思い出すようにしみじみと語る薔薇の男。
赤の書を献上したとき、それを願い出ればきっと叶えてもらえただろう。
事実、その姿に感動して感銘を受けた。
それでも選んだのはこちら側だったことに、男自身、驚いている。
惜しいことをしたと嘆く薔薇男に、勇者王は胡乱気な目を向けていた。
「ところで複製聖剣の調子はどうです?」
「こんなもの隠し持ってたのかよ? 怖いくらい相性が良い」
「ですが相性が良いほど命を削るスピードを早めます。くれぐれもお気を付けを……」
それには手を振るだけで了承を伝える勇者王。
本物の聖剣など失われて久しく、帰還者に伝わっていた複製品だ。強力だが、代償に使えば使うほど命を削る。
まさしく最後に相応しい剣。
「あちら側に贈り物をしておいて、こちらに何も無しでは不公平ですからね……」
「まるで死の商人だな……」
「ふふ、似たようなものですね……」
本当は渡したくなかったと、自嘲を込めて苦笑する赤薔薇の男。
それには触れずに、勇者王は自身の行動を顧みる。
「案外、俺が魔王ってのは当たりかもな……」
「つまりお似合いの二人ってわけですか……」
「やめろよ、気色悪い……」
自身の命など省みない。いかに華々しく散るか……
この戦争は、そのための舞台演出のようにしか思っていない。
もちろんそれで生き残ってしまえば、それはそれとして甘受しよう。
二人はその思惑を隠して狂騒に身を委ねる。
「さあ、もっと盛り上げていこうか……」
数を恃みに、何重もの魔法防御を張らせる。
怪物がその息を吹き返す……
†
攻勢に出たアストリア軍は国境近辺まで戦線を押し戻していた。
だが、それ以上進めない。
散華の力に、味方からも「やはり魔王だったのでは……?」との疑心もあって少数だが離脱者が現れている。
それが士気にも響いて足を重くする。
散華も大魔法の連発に疲労の色を隠せない。
一時は壊滅状態にまで追い込んだものの、ここにきて粘られている。
警戒され、亀のように防御を厚くした神聖カリス軍に魔法の効果も微妙になってきていた。
また、無理をして国境を越えてしまえば、侵略と捉えられてもおかしくは無い。
それは本当に自身を魔王と認めてしまうに等しい。散華にも躊躇いはあった。
だが、悪の根源のようなものを打ち破らねば勝機が無いのも事実。それは勇者王か、聖教会か……
「まだ、やれます……」
それでも散華は戦場に立つ。
だが、姉はそれを止めた。
「これ以上は駄目です! 王が倒れては指揮に関わります!」
「しかし……」
言われた通り、大魔法の連発に疲労の限界も見えてきている。
「貴女が今するべきは勝つことではなく、決して倒れないことです」
「……そうですね」
姉の懸命な訴えに、散華も冷静さを取り戻した。
倒れてしまっては全てが水泡に帰す。散華の大魔法は止まる。
両陣営それまでの被害もあって、戦場は膠着状態に陥っていた。
だが、そこへ急報が入る。
「アストリア王都が狙われているとの報告です!」
伝令兵の言葉に、散華は悔しさを隠せない。
「!? くッ……やはり動いたか……」
周辺諸国がきな臭い動きをしていることはアリシアとエリスの報告で知っていた。
だが、神聖カリス軍に全軍を向けなければならず、僅かな兵しか残していない。
そしてアリシアとエリスは今、アルフヘイムに援軍を頼みに行っている。
「やむをえません。退却しましょう……王都だけは絶対に守らねばなりません」
蓮華の言う通り、アストリア王都には神の塔がある。そこには古代兵器も眠っている。
あえて魔王と呼ばれる散華の方ではなくアストリア王都を狙ったということは、今度の敵の狙いはそちらだ。
それだけは絶対に阻止しなくてはならない。
「全軍撤退! 王都まで後退しろ!」
連戦による疲労を皆が耐える中、アストリア軍は急遽戻らなければならなくなった。
これによって息を吹き返した神聖カリス軍はそれを猛追するように再び迫る。
「敵が逃げたぞ!」
「追え! 追え! 追え!」
神聖カリス軍は勝機を見てとり勢いに乗る。
だが、そうしたところへ……
神聖カリス軍内に動揺が走る。
「魔族だ! 魔族が現れたぞ!」
「馬鹿な!? いつの間に?」
それは魔界からの軍団だった。
逃げるアストリア軍。それを追う神聖カリス軍。
さらにそれを後ろから追う形で、異形の軍団が背後から神聖カリス軍に迫っていた。
挟撃される形になりかけては神聖カリス軍も後方の魔族軍に対処せざるを得ない。
それ以上アストリア軍を追うことはできなかった……
遠い魔界の地からこれほど早く移動できたのにはやはり秘密結社、赤薔薇の尽力が大きい。
中でもソニア・ロンドは内情を探りながらも、彼女なりに戦争の早期終結へ向けて筋道を立てていた。
魔族王の参戦は既に決まっており、エリザベートを通じて赤薔薇へその連絡は来ている。
であればあとは移動手段なのだが、ソニアは魔界にいるはずの黒の魔女を探してもらい、お願いした。
もっとも金輪際戦争には関わらないと誓った彼女だったので、それを説き伏せるために一緒にいたアルフヘイム前女王とアルヴィトに協力してもらう必要があった。
二人はアストリアに恩義がある。そのアストリアが戦場となったことに心を痛めていた。
二人の説得に、黒の魔女は移動だけという条件で折れてくれた。
転移魔法で戦場近くまで移動。背後を突く形で魔族王は軍を展開した。
後方に現れた魔族軍を見て、勇者王は隣に立つ男に不審気な目を向ける。
「お前……知ってただろ?」
「盛り上がってこそでしょう? それに詳しくは聞いてませんよ。魔族が増援に来るくらいしか……」
「その方が面白いって? いいじゃねえか……楽しくなってきたな!」
とは言うものの、これほど早く来るとは思っていなかった薔薇男。
ソニア・ロンドが最近赤薔薇と合流したとは聞いていたが、その手際には驚かされていた。
同時に確かに面白いと思う……
魔族軍と戦う神聖カリス軍。この機に乗じて王都へと急ぎ逃げ帰るアストリア軍。
アストリア王都を狙う周辺諸国連合。
戦争は混迷を極めつつあった……
†
対アストリア周辺諸国連合。
アストリアを脅威に感じている小国の王たちは報告を受けて、今が好機と話合う。
「勇者王というのも存外、不甲斐ない」
「だが、戦線は伸びきりましたな……アストリアは神聖カリスまで攻め入る余力はありますまい」
「ならば今が好機かと……」
「ふむ。全て予定通りとは行かぬものよな。だが、神の塔さえ手に入れてしまえば同じことか……」
「はい。ではそのように……」
対アストリア周辺諸国連合は十全に準備していた軍を吐き出すように進軍した。
大国神聖カリスとの戦にどうしても全軍を派遣しなくてはならなかったアストリアは、その進撃を許してしまう。
小さい街や村に残っているのは常設の駐屯兵くらいで、王都付近まで快進撃を続ける連合だった。
誰もが確信を持って目前の勝利に酔いしれていた。
だが、しかし……
アストリア王都 街を守る市壁前。
展開した周辺諸国連合の軍隊はその場に釘付けにされていた。
「くそっ! なぜだ!? もう目の前に神の塔は見えているのだぞ!」
「おそらく、その神の塔のせいかと……」
「噂が本当なのは喜ばしいことだがな……手に入らなければ邪魔なだけだ!」
快進撃を続けた連合軍だったが、王都を前にして突破できない。
アストリア王都守備隊を任されているのはツヴェルフとグラン率いる騎士団の面々だ。
特にツヴェルフはその姉妹たちと共に王都市壁上から、修復された魔導連弩を浴びせて近寄らせない。
その修復にはもちろん教授と、鍛冶屋のドヴァンが手を組んでいた。
「こっちは都市防衛のエキスパートだっての!」
「戦歴が違うのだよ。戦歴が!」
「しかも、なんだかすごく調子が良いです!」
「魔導連弩も全然壊れねえしな!」
市壁の上で魔導連弩を構えて、調子に乗る自動人形の姉妹たち。
ツヴェルフも黄の書を駆使して戦場の地形を変化させる。
防御壁を作り、堀を作る。攻めづらく守りやすくしている。
「つまり私たちが最強なのです!」
連合はそれ以上、近寄ることすら許されなかった。
魔導連弩の一撃が地表を抉るだけで兵たちは恐怖し逃走してしまう始末だ。
地表を抉った礫により怪我人は多く出る。言うなればそれは散弾だった。
死者こそ出ていないが、戦いにすらならない。それはそのまま力の差を示している。
強引に攻めれば狙い撃ちだ。
「くそ! 時間がないんだぞ!」
「こうしてる間にもアストリア軍本隊が帰って来てしまう!」
「ですが、あれこそ古代兵器。こちらの弓兵、魔法部隊では届きません」
「迂闊には近寄れませぬ。撤退も視野に入れるべきかと……」
そこへ丁度、到着した軍団がある。
「馬鹿な!? 早すぎる! もう、帰ってきただと!?」
「いえ、あれはアストリア軍ではありません! アルフヘイム軍です!!」
エルフたちの弓と魔法が飛んで来ると、驚き慌てる小国の連合軍はそれぞれが潰走していく。
さらに乗じるようにアストリア王都からも狙われては勝ち目は無い。
「エルフどもめ! 動けないと踏んでいたが……」
「勇者どもは何をしている!?」
「勇者たちの方には魔族が現れたとか……」
「ええい! 一旦、退却だ! 退却!」
情勢が不利と見て連合軍は再度態勢を整えるべく国境まで後退していった……
アルフヘイム軍は歓声を持って、アストリア王都の大門から迎え入れられていった。
それから三日ほど経ち、アストリア軍本隊が帰り着いた。
「杞憂だったか……ツヴェルフ、グラン、そして皆よく守ってくれた。アルフヘイムの方々にも感謝する」
ふんす、と息を荒くするツヴェルフ以下自動人形の姉妹たち。
対してアルフヘイムの代表、ミスト将軍は申し訳なさそうにしていた。
「すまない。戴冠したてのブリュンヒルデ女王は来るわけにはいかなかった。陛下は来るつもりだったのだが、我らも一枚岩とは行かなくてな……許して欲しい」
「いえ、充分助かりました」
謝罪するミスト将軍に対して、散華は感謝する。
それでも精鋭を送ってくれたアルフヘイム。
ミスト将軍がエルフ騎士団を、ゲンドゥルが魔法師団をそれぞれ率いている。
それをアリシアとエリスが補佐していた。
申し訳ないようにしていたのはグランたち騎士団の面々も同じだった。彼らも王都防衛のために残されていた。
「俺たちは弾運びしてただけだけどな……だが、それで悪い知らせもある。魔導連弩の弾が尽きかけている」
「そうか……今のアストリアでは量産は難しいのだったな……」
そのほとんどが千年前の魔導王国によって作られたものだ。遺跡の弾薬庫から引っ張り出してきた。
他にも武器はあったが、全てに調整を加えるのは難しく技師も圧倒的に足りない。
黒竜によって壊された転移門の制御システムの復旧も未だ完了していない。
こうなっては次の戦いはアストリア王都での決戦となるだろう……
「いよいよとなれば出さねばならぬか……」
「散華……」
アストリアには文字通りの最終兵器がある。だが、その決断には迷いもある。
蓮華ですらそれには何も言えない。
そこへ神聖カリス軍と魔族軍も撤退したとの報告が入る。
神聖カリスは国境へ留まり、軍を再編しているという。魔族軍はこちらの王都へ向かっている。
「魔族軍が到着したら丁重に迎え入れるように……」
得体が知れないとして、臣下やエルフの中には反発する者もいたが、厳命して徹底させる。
助けられておいて追い返したとあってはそれこそアストリアの名折れだ。
さらに言うなら、神聖カリスと戦争中の今、魔族軍と揉めるわけにはいかない。
そんな余力があるはずもなく、それを皆わかっている。
「散華、ともかく今は兵を休めましょう」
「ええ姉様。どういうわけか、魔族も味方してくれたようですから……」
そうしてひと時の休息を得る。兵たちは皆疲れきっていた……
そんな中、散華は不自然に撤退を助けられたことを思う。
「ソニア、やはりお前なのか……? だが、だとしても……」
今はまだ許せそうにない……散華はその言葉を飲み込む。
「散華。今は詮索している余裕はありません。貴女も休まないと……あれほどの力、貴女の身体にどんな負担を強いているか……」
「……ええ、そうですね」
姉の本気の心配に返す言葉もない。
奇妙に鎮まり返った精神は己が犯した大罪を振り返る。
身体は震え、心は軋みを上げている。
暗殺を実行した蓮華はもとより、散華もまた多くの者を葬った。
間違った道を糺さずに居れば、未来永劫同じことが続く。そのための犠牲ではある。
それでも心身は磨耗して心は凍っていく……
後を任せて、蓮華と支え合うようにして王の私室へと戻る。
寝台の上に疲労した身体を横たえ、二人は……
「……ところで姉様。いつから私たちは共に寝ることに?」
「これが夫婦の営みというものです」
臆面もなく言ってのける姉だった。
「色々とおかしい気がしますが……どこから指摘すれば良いのですか!?」
そうは言っても、散華は心配をかけた姉を気遣い共に眠る。
近寄ると自然とわかってしまう。
蓮華の身体が震えていることに。散華と同じように……
きっと二人の運命は一蓮托生で、この戦争に負ければ共に悲惨なものとなる。
良くて魔王として処刑、火炙り。悪くて傀儡として、尊厳などない奴隷のような生活だろう……
世界は当たり前のように、それを望むはずだ。
魍魎の箱の中で人が生きるのは難しい。そうなれば必然、自刃を選ぶことになる。
それを二人はわかっている。
わかっていても身体は震え、心は軋む。
普段は動じない姉でさえ、それは同じだった。
疼き、怯え、苦しむ姿は互いに爪痕を残すように……
恐怖か、興奮か……
快楽か、逃避か……
二人は震える手を取り合うようにして、決して離れまいと抱き合い、ひとときの眠りにつく……




