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青の魔女  作者: ズウィンズウィン
第三章 魔窟編(下)
136/186

アイリーン・エンド

 私はこの小さな魔女に翻弄されっぱなしだ。

 本当になんて子なのだろう……。


 あの美しい瞳を私はきっと好きでした……。

 貴女の蒼穹のような綺麗な瞳が好きでした……。


 今は精緻な義眼になってはいますが、それが私の罪を緩和することはありません……。

 むしろそれこそが、私の罪を突きつけます。


 愚かです!


 愚か過ぎて言葉になりません!


 私のために大切な瞳を失うなんて……。


「まだ片目が残ってますし……」


 気にしていないように、そんなことを言うソニアに私は少なくない痛みを感じていました。

 宝玉に傷が無いことを完璧と言うそうです。

 完璧を壊してしまった私は……。


 私はどう償えばいいんですか!? どう償えというんですか!?


 ソニアが見ていないところで私は、その罪の重さに怯え、泣き崩れることもありました。

 そんな時、どうして気づくのか、ソニアは決まって現れます。

 私を抱きしめると、囁くように言うのです。


「私のものになってください」

「悪い子ですね……そんなの断れるはずがないじゃないですか!」

「ええ。私は悪い魔女ですから……」


 しれっとそんなことを言う。


「アイリーンを助けるためだ。後悔はない」


 さらにそんなことまで言われては……。

 涙が零れて嬉しいと思ってしまいます……。


 私がそれを奪ってしまったというのに……。

 私が罪悪感を感じているのを知っていながら、ソニアはそれで構わないといいます……。


 それどころか……。


「絶対に放しませんから、しっかり責任を感じてくださいね!」


 などと悪ぶるのです。

 私が間違ってるのかしら? と真剣に悩んだこともあります。


 あの告白は本当に驚かされました。


「私も愛しています。調子に乗るので絶対に言いませんが……」


 どうやら私は幸せ者らしいです……。



 †



 神聖カリス王国の国境辺りの山奥に粗末な魔女の家がある。


 打ち捨てられていた廃屋をがんばって改装したのである。

 今の私は万能とはいかないまでも、それ相応のことは容易い。

 左目を失って以来、魔法で大抵のことは出来てしまう。


 アストリアを離れて、私はここでアイリーンと暮らしている。

 アイリーンと私は責任を取る形でアストリアから国外追放となったためだ。

 近くの村(といっても山一つ越えた先だが……)では悪い魔女が山奥に住み着いてしまったと噂になっているらしい。


 アイリーンは私の目を気にしていた。


「玉に傷が無い事を完璧と言うそうです。私は完璧なものに傷をつけてしまいました」

「わかりましたよ……目玉だからって落ちですね?」

「茶化さないでください! 真剣な話です」

「はい……でも大丈夫ですよ。義眼ですが、ちゃんと見えます」

「それは、良かったのですが……」


 義眼は完璧な性能を備えている。調子も良好で不便さはない。

 ただ……瞳の色が変わってしまっていた。黄味を帯びて光る瞳孔はどこか無機質な印象を与えてしまう。

 その私の目を見て師匠は痛みに耐えるように……告白する……。


「貴女の綺麗な目が好きでした。……でも今はその目を見る度に心が痛みます」

「そこまで気にする必要は……私も最近はオッドアイもありだなと……」


 そう励ますものの、アイリーンは決まって悲し気な顔をする。

 だが、この日はどうやら違ったらしい。


「お詫びに眼帯アイパッチを作ってみました。必要ないかもしれませんが……」


 そう言って彼女から差し出されたのは、私のために青薔薇をあしらった眼帯。

 作者の想いが込められているからか、それはまるでアイリーンの可憐さを表したように美しい。

 一目見て気に入ってしまう。

 私は感激のあまり抱きついて……。


「アイリーン、愛してます!」

「そこまで喜ばなくても……」


 喜びながら愛の告白も兼ねていたのだが、通じなかったらしい。


「……でもそんなクールな師匠が好きです」

「捨てたらゆるしませんよ」


 その返しに私は目を瞠る。

 はたしてそれは冗談なのか、本心なのか……。

 ミステリアスに微笑む彼女はそれを悟らせてはくれなかった。


 大切にしまっておいて、外出時につけるようにしようと思う……。



 †



 アストリアを離れて思うことがある。

 正直に言えば、私は宰相という地位に相応しいわけではない。

 実質、散華ちゃんの補佐としては蓮華姉さんが暗躍している。

 元勇者パーティーとしての実績もあり、華咲の権威も持っている彼女は何かと顔が立つ。


 それでも何故か私が宰相となっていたのは彼女が王妃としての立場を譲らないからだ!

 まあ、それは半ば冗談にしても現王の姉だ。王族には違いない。

 さらに散華王に子が無い以上、継承権で言えば第一位だ。


 散華ちゃんの子か……。きっと可愛いに違いない。

 だが、許さん! いかがわしい男など近づけてはならないのだ!


 話がそれた……。

 つまり私が言いたいのは蓮華姉さんの非難ではなくて、「私、要らなくね?」ってことだ……。


 もちろん現状が厳しい事は理解している。


 今回のダンジョン攻略は散華王が打ち立てた最大級の国事と言ってもいい。

 アストリアにとってダンジョンは金のなる木ではあるが、同時に目の上のたん瘤でもある。

 ダンジョン攻略は悲願と言っても過言ではない。


 そして今回の遠征で文字通りアストリアは爆弾の上に居座っていたことが判明した。

 事実、それらは起動して今や街の中心には塔が出来てしまっている。

 さらに最下層には転移門、最上階には模造女神達が護る神殿……。

 よって、遠征は最大級の成果を上げたと言ってもいい。


 だがその一方、大きな被害が出てしまった。

 残された家族への補償も行わなければならない。

 古い書物では「兵は国の大事なり」と言っているらしい。その通りだと思う。


 そうしたものを抜きにしてもやはり人の死というものは堪える。

 恨まれることもあるだろう。

 ただ、それらは実際には噴出することなく、奇妙に沈黙を保っていた。


 というのも、それはやはり双樹氏の死が大きかった。

 私はその場にはいなかったが、伝え聞いたところでは双樹氏は静かに息を引き取ったという。


 悲劇のヒロインとして帰還した華咲の姉妹に、反対勢力は何も言えなかった。

 散華ちゃんはそういうやり方は大嫌いのはずだったが、自然とそう見られていた。

 誰かがそう仕向けたわけでもない。

 強いて言うなら双樹氏の人望がそれほど厚かったということだろう。


 今回の成果報告とともに国をあげての葬儀が行われた。

 犠牲者の追悼碑が建てられ、双樹氏を筆頭に何人もの名前がそこに刻まれている。


 あれ以来、散華ちゃんは変わった。変わってしまった。

 皆はそれを、女王として立派なことだと褒め称える。

 アストリア王国。今では華咲の姉妹が治める地として、繁栄している。


 ただ、私はそれが嫌だった……。変わってしまった散華ちゃんを見るのが辛い……。

 私は逃げるようにアストリアを去った。国外追放なんてのは結局は言い訳だ。

 何もかもを投げ出して私は逃亡してしまったのだ……。


「実質、宰相なんてコネでやらされてただけだしな!」


 本当の宰相は蓮華姉さんだ。あの女、王妃の座を譲らねえから!

 私が余ってた席に着かされたのだ!

 言わば私は可愛そうな子、扱い……。


「うむ。薄幸の美少女だな……」


 そうでも言って、無理矢理気分を盛り上げなくてはやっていられない……。

 簡単には修復できない傷に私は囚われてしまっていた……。


 それはアイリーンも同じなのかもしれない……。

 互いの傷を舐め合うように日々を過ごしている点は否定できなかった……。


「私はただの人殺しです……」


 そう、墓前で懺悔する彼女の言葉を聞くのは何度目だろうか……。

 家の裏に簡易的に作ったお墓だ。遺体はなく、埋まっているのはアストライアとヒュムネの遺品。

 墓石にはアストライアの装飾剣が立てかけられている。


「それを言ったら、ミスト将軍なんて山賊を問答無用で処刑してましたけどね……」

「……彼女達を山賊と一緒にしないでください」

「……すいません」


 励まそうとしたら、怒られたよ! なんで!?


 私にとってはほぼ賊でしかないのだが、師匠には違う。

 それもあって、この山奥で師匠は毎日祈りを捧げている。


 祈りと言えば、アウラとグレイスも今回の働きで恩赦を受けて放免となった。

 彼女達も暮らしていた土地に戻り、墓を建てるらしい。

 そして今度はちゃんとした教会を運営すると、やる気を見せていた。


 此度の断罪の剣の一件はこうして収束を見たのだった。


 まあ、そんな感じで私は師匠とここで暮らしている。

 傷の舐め合いだろうが、今はそれが心地良い。


「傷の舐め合いでいい……。いや、傷の舐め合いがいい……」


 癒しは必要だと思う。



 †



 ここに住み着いてしばらく経つ。

 何もできなかった私は師匠に習っていろんなことを覚えた。

 さらに左目を失って以来、大抵の事は魔法でできてしまう……。


 炊事、洗濯、掃除でさえ今では完璧だ!

 完璧なのだ!


「ソニア……嘘はいけませんよ」

「アイリーン、人の日記を読まないでください!」


 本当は遠目にみればふわっと完璧に見える感じだ!


「何ですか、その表現は……」

「もう、終わらないじゃないですか!?」


 夜、机に向かった私にアイリーンは気になるのか、横から覗き込んでくる。

 普段から礼節を説く彼女にしては珍しいが、まあ二人暮らしなので仕方ない。

 これもラブラブの宿命なのだ!


 世間的には私は大怪我で療養中ということになっているらしい。

 嘘ではない。左目を失った私は療養中だ。

 不祥事を嫌ったのか、私への配慮なのか、国外追放という件は伏せられたらしい。


 だが、実際にはもうアストリアに私の帰る場所は無い。

 帰還した兵士たちによる悪霊に取り憑かれていたという噂は消えなかった。

 黒の書を持って逃亡した事も知られている。


 なにより散華ちゃんに合わせる顔が無い。そんな状況だった……。


 だが、依然としてアストリアには問題は多い。

 ダンジョンの代わりに突如現れた巨塔。

 アストリアは周辺諸国からは古代の力を蘇らせた国として恐れらつつあった。

 それに伴って商人たちの噂では、また戦争が起こりそうだとの話で持ちきりだそうだ。


 戦争が起こってしまえば、今度は当事国だ。

 アストリアがどうであろうと、仕掛けられたら迎え撃つしかなくなる。


 そしてアストリアにはそれを容易に起こすに相応しいお宝がある。

 転移門……。その古代の力の一端はもはや隠し切れず、公表に踏み切るしかなかった。

 あんな塔が一夜にしてできてしまったのだから当然である。

 どの国もその力を虎視眈々と狙っているのは明白だった……。


 ただ、それが逆に足踏みをさせている状況でもある。

 補給路という概念を完全に破壊し、一夜にして軍隊を他都市に突入させることができてしまうのが転移門だ。

 喉から手が出るほど欲しい。だが、絶対的な防御の準備が整わねば手が出せない。

 そうした世界情勢となってしまっている……。



 時折、手紙が届く。フレイアからだ。私の家は彼女と、力を取り戻した三魔族によって守られている。


 その手紙をツヴェルフさんが直接持って来てくれたのには驚いた。

 ツヴェルフさんの怪我はすっかり良くなっていた。

「近衛騎士団は?」と聞くと、ノインなど姉妹たちが代わりを務めてくれるので大丈夫だそうだ。

 彼女達は交代で遺跡を護りながら、近衛騎士団の仕事をこなしているらしい。


 それからツヴェルフさんはたまに会いに来るようになった。

「私も療養中です」と言って二、三日泊まっては、「仕事がありますので……」と帰って行く。

 ここまで結構な道のりのはずなのだが……。


 その時、手紙と一緒に「黄の書」まで持って来てくれた。私が放置したままだったので、クロがどうするべきか困っていたらしい。

 そういえば、何も言ってなかった……。

 これのせいでオッドアイになってしまったので複雑な気持ちになる。

 なのでツヴェルフさんへのお礼としてあげた。ゴーレムさんと仲の良い彼女には合うはずだ。

 ロックも解除されたままなので問題無く使えるだろう。


「ふはははは。 これでさいきょー、です」


 と謎のポーズをとって喜んでくれた。

 私は可愛いと思ったが、アイリーンには不評だったらしく困った顔をしていた。


 修道院は彼女とアイリスが守っている。

 別れ際アイリスはアイリーンに「修道院は自分が守る」と言ってくれたそうだ。

 責任者として教授もいるのでそこは心配ない。


 手紙には、私が居なくなったことでアリシア先輩が暴走気味だったそうだが、エリスがどうにか押しとどめてくれたと書いてある。

 少し寂しい気はするが、どうにか上手く回っている様子だ。



 ただ、今は返事を書く気にはなれなかった。

 なのでこうして日記をつけることで、後で出す時のためのメモにしている。


 今でもあの一連の事件は何だったのか? と思う。

 散々振り回された挙句、結末があのような形になるとは……。

 決してアストライアを始末したかったわけではないが、なんともやりきれない思いだけが残るのだった……。



 全てが上手くいくわけではない。

 知ってはいたが、思い知らされた……。


 きっと私は高望みしすぎで。

 アイリーンが隣にいる。本当はそれだけで十分なのだ……。


「ソニア……後悔してますか?」

「少しはね……。もちろん全てが叶うっていう前提があったらの話だけど」

「それは……」

「あのとき、私が逃げなければ双樹氏は助かったかもしれない。それで散華ちゃんが変わることはなかったかもしれない。その一方でアイリーンを助けられなかったかもしれない」

「……かもしれないばかりですね」


 本当に何が正しいのかわからない。どこかの逸話で「塞翁が馬」って言うんだっけ?


 アイリーンの胸元にロザリオが輝いている。剣と天秤。彼女の信仰する女神の象徴。

 戦った女神アストライアがその女神様なのかどうかは未だに不明だ……。

 神はいくつもの顔を持つという、のはアイリーンからの受け売りだ。

 つまり、そうかもしれないしそうでないかもしれないということだ。


「天秤の女神様は意地悪だね」

「そうかもしれませんね……」

「でも嫌いではないですよ。私だって全部が叶うなんて思ってません。もちろん理想は全部が叶うことですけどね」

「そうですね……」


 アイリーンはそう言って私の左目をじっと見つめる。失くした左目の義眼が輝く。

 無機質に黄金色(こがねいろ)に輝く瞳は稀に私でもゾッとする時がある。

 そこに彼女は罪悪感を覚えているらしい。


 そっと隠すように触れて……。


「あまり、気にしないでください。それに今、私は幸せですから」

「ソニア……」


 それに感極まったのか彼女は私を抱きしめてくれる。


「うへへ……」

「ソニア……その笑い方はやめましょう。気持ち悪いです」


 むう。この家ではアイリーンの言う事は絶対だ!


「おほほ? うひひ?」

「いえ、やっぱり最初のでいいです」


 どういうこと!?


「アイリーン、大好きです」

「ソニア……」


 私達は見つめ合う。そして……。


「それ、みんなに言ってませんか?」

「うぐっ……。み、みんなには言ってないよぉ。まだこれからだし……」

「まったく、逆に私がついていないと心配ですね……」

「それって……」


 彼女はそれ以上何も言わずに、美しく微笑む。


 私達はここで手を取り合って暮らす。それがきっと幸せなことだから……。



 ~あるいはひとつの結末。アイリーンエンド~



 †



 それは某所での、いつかのできごと。

 断罪の剣は教主アストライア以下、六剣聖ヒュムネ、ヴィアベル、アイリーン、アウラ、グレイス。

 そしてもう一人。

 六剣聖の一人シュテルンは自身がまさか、断罪の剣が崩壊状態にあることなど露知らず。


 任務として赤の書の捜索を任された彼女は方々を探し回る破目になり、ようやく在処を見つけたのだった。

 おかげで自身が行方不明扱いとなっていることなど知りはしない。


「なんで私がこんな目に……」


 彼女は悪態をつきながら、単身、山奥のとある小屋を目指す。

 いろんな場所を回らされて、困難な目に遭い部下はもう居なくなっていた。

 詐欺、偽情報、山賊、魔物……。

 まるで赤の書を探す事で呪われていくかのようだった……。


 そうしてようやくのことで、情報屋を介して取引の場へと持ち込めたのだった。

 なんと赤の書の所有者が手放してもいいと申し出たのだ。


 山道を登り、どうにか目的の山小屋を見つける。

 中に入ると、そこには一人の男が待っていた。

 型通りの挨拶を済ませて席に着く。

 小屋に入った時からやけに鼻につくのは薔薇の香水だろうか……。


「わざわざこんな山奥まで御足労いただいて申し訳ないです。私も怪我の療養中でして……。近くに良い温泉があるのですよ」


 あら、そうなの? と言いそうになるのを堪えたシュテルン。

 男の得体の知れない何かを察して、話の主導権を取られるわけにはいかないと瞬時に判断した結果だ。

 ただ、せっかくこんな僻地まできたのだ。帰りには寄ろうと内心で決意する。

 早速、本題に入ろうとして……。


「ちょっと待って、貴方の香水どうにかならないかしら?」


 早いところ話を進めたかったのだが、どうにも気になって仕方がない。

 気分まで悪くなっては話し合いどころではない。


「おや、それほど気になりますか?」

「こんな小屋だと籠るのよ……」

「あらら、確かに気分が悪そうですね。では外に出ましょう。近くに良い場所があります」


 男に連れられて向かった場所は確かに良い場所だった。

 拓けた場所で下草も短く、樹々の葉が(ひさし)となって、柔らかい陽光が降り注いでいる。

 深呼吸するようにして、おかげで悪くなっていた気分は回復したシュテルンだった。


「どうです? 良い場所でしょう?」


 自慢するように聞こえたそれに、シュテルンは素直に返答する気にはなれなかった。


「そんなことより本題に入ってくれないかしら……」

「ええ。そうですね……」


 男は持って来た鞄から一つの包みを取り出した。

 取り出したそれは封印されるように布でくるまれている。

 そして男は慎重な手つきで包みを広げた。


「くれぐれも取り扱いにはご注意ください」


 そこに現れたのは一冊の本。

 禍々しいほど鮮烈なその赤にシュテルンも息を呑む。

 一目で危険なものだとわかるが、装丁も美しく、魅了されそうになる。

 思わず手を出しそうになって、ハッとして引き戻すシュテルンだった……。


「……ですが本当にタダでよろしいのですか?」

「もちろんですよ。こんな恐ろしいもの……。むしろ、貴女の方が本当によろしいのですか? 噂はご存知でしょう? 責任は取れませんよ?」


 その言葉に思わずゾクっとしてしまうシュテルン。

 その自称商人は怪しげな眼鏡で顔を隠している。表情は読み取れない。


 だが、男は平然としてそれを手にしている。

 ならば大丈夫なはずだと言い聞かせるようにして……。

 早めに退散しようとシュテルンはそれを手に取り、確認した。




「……」

「ん、ふふーん。貴女が譲って欲しいと仰るから譲りましたが……」

「……」

「どうやら、貴女では認められなかったようですねえ。六剣聖の一人でもやはり駄目でしたか」

「……」

「おや、すでに意識も破壊されてしまいましたか……お悔やみ申し上げます」


 男は祈るような仕草をした後……。


「では残念ですが、赤の書は返していただきますね」


 それを手に取り、再び包みへと戻すのだった。


「たまげたって言葉がありますが……魂が消えるほどの驚きらしいですね。本当に魂が消えてはこうなりますか……」


 取引場所の森の中を、男は薔薇の匂いを残しながら悠然とその場を立ち去る。

 あとに残ったのは石像の様に固まった修道女の立ち姿。

 そしてその墓前に捧げられた一輪の毒々しいほどの真紅の薔薇のみだった……。




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