女神アストライア
「則天去私……」
「アイリーン、あれが何か知ってるのですか!?」
「いえ、詳細はわかりません。ですが文字通り私心を捨てて天、即ち神に従うという古詩だったはず……。独自にアレンジされているようですが……」
「……ではやはり独自魔法? だが、この妙な親近感のようなものは一体……」
何というか、どこかで見たような感覚がある……。
「似ている……。何がとは言えないが……」
散華ちゃんと蓮華姉さんに似ている気がする。
アストライアを中心に渦巻く力は神々しい輝きに満ちて、圧力が尋常ではない。
姿を変えるように、アストライアの背中に魔素によって三対六枚の翼が構成される。
模造女神より神性が強い!?
神性を纏ったアストライアはもはや別人だった。いや……。
「これではまるで、神そのもの……」
「ですが、それでは……」
もはや自我など存在できないはず……。私達はその言葉を飲み込む。
模造女神ですら自我が存在するか怪しいというのに……。
「……どっちが禁忌だっての!?」
「ですが、そこまでの覚悟……。見事と言えましょう」
私は毒づき、アイリーンも感嘆するしかなかった。
それは文字通り命を投げ打つ秘儀だ。
故にアストライアの身体はすでに自壊が始まっている……。
「耐えきればこちらの勝ちですが……そう、甘くは行きそうにないですね……」
女神アストライアはこちらに視線を合わせた。
「視認。禁忌を犯した者が二人……。型……吸血鬼、魔女。……神階規定に基づき対象を粛清します」
本当に別人じゃないか!?
驚愕はそれだけでは終わらなかった……。
「七識の書、黄、青を所持。神権によるロック強制解除」
「なんだと……!?」
そんな裏技アリですか!?
亜空間から引き出すようにして女神アストライアはその両手に黄の書と青の書を現出させていた……。
その姿はまるで天秤のごとく……。
「黄、青、各魔法耐性を獲得」
んなッ!?
そう言った通り、女神は青と黄の光を帯びていた。
それが意味するところはわかりきっている。
ゴーレムさんは土属性、黄の書で作ったわけではないが同じだろう。
つまり、私のゴーレムさんと蒼炎が封じられた……。
まずい……。そして、ここにはもう一つ。
「ソニア……。わかってますね?」
「はい……黒の書だけは絶対に渡しません!」
アイリーンも真剣な様子で私に確認してくる。
黒の書を渡してしまえば確実に天秤は向こうへと傾く……。
とはいえ、あれだけの神聖性……一般にそれは光属性と言われている。
であれば闇属性の黒の書は使えないかもしれない。それは楽観的すぎるだろうか……。
女神アストライアは黄の書を使い何体ものゴーレムを創り出した! 魔石核なしで……。
「コアなしで、これか!?」
それはおそらく「黄の書」の力……土属性の力だ。
六枚羽の女神のゴーレムたちはほぼ分身のような姿だった……。
そして準備完了とばかりに……。
女神のゴーレム部隊が迫る!
「アイリーン! 下がって!」
アイリーンは咄嗟に私の指示に従う。
「青薔薇の庭!」
閉じ込められるようにして再び青薔薇の庭がシェルターを作る。
だが……。
「蒼炎か!?」
青薔薇のシェルターが、青の書をかざした女神アストライアの蒼炎によって焼かれていく……。
「何なの!? 私の上位互換か!?」
思わず呻く。こちらの心を折りに来ているかのような攻撃方法。おそらく意図したものではないだろうが……。
「被り過ぎだろう!」
憤っている間に、一体の女神ゴーレムが青薔薇の庭を突破して私達に迫って来た!
私も対抗するようにゴーレムさんをぶつける!
二対はぶつかり、組み合い……。同時に瓦解した。
「くっ……」
私の手がことごとく封じられる……。
「知恵の泉に触れた私はもっとやれるはずなのに……!」
未だに失った左目から頭痛がするようにして、魔導式が浮かんでは消えていく……。処理が追い付いていなかった。
ましてやあれを相手に、付け焼刃の魔法では意味が無いことは明白だ……。
「ソニア……。私が出ます。援護をお願いします」
決意を込めた真剣な表情で私に頷くアイリーン。
私が頷き返すと、アイリーンが飛び出した。
悔しさはあるが、私は一人ではない。
相性が悪い私よりはと、私は彼女の支援へと方針転換した。
青薔薇の庭で女神ゴーレムたちの動きを阻害することに専念する。
いやらしく絡みつくように邪魔をする。
さすがに蒼炎が使えるのはアストライア本体だけらしく、蒼炎で燃やされながらも茨は一時的にゴーレムたちの拘束に成功していた。
ゴーレムたちを封じたことによって、同時にアイリーンの道ができる。
彼女はアストライア本体へと駆け迫った。
「影舞……」
アイリーンの闇の残影を纏う高速移動に女神アストライアも魔法攻撃を捕捉できない!
何発もの蒼炎の連弾が、闇影へ吸い込まれるように消えていく……。
戦いは接近戦へと移っていた。
あんな技教えてもらってないのだが……。吸血鬼になったからだろうか……。
アイリーンが両手に持つ短剣が走る!
それに対応して女神アストライアは細剣で防いでいた。
先ほど私の見ることができなかった攻防が、繰り返されるように続き……。
だが、今度はアイリーンの方が押されていた。
「くっ……読みづらいッ!」
アイリーンが呻いたように、無表情の女神アストライアは感情を表に出す事も無く淡々と対処していた。
その上、意外な所からの攻撃も狙ってではなく自然に出してくる。
人格が変わったように見えても、その身体に根付いた剣技は健在だった……。
アイリーンは懸命に食らい下がるが、劣勢を覆せない。援護したいところだが、超接近戦では誤爆しかねず私も手が出せない……。
「ですが……このままいけば……」
そう、女神アストライアは崩壊し続けている。アストライアをしても神の力に肉体が耐えきれていないのだ。
「やめろ! アストライア! これ以上は……」
思わず私は叫んでいた。
それは……かつて見た散華ちゃんと蓮華姉さんの苦しみに似て見えたからだ。
だが、やはりそんなことでは止まらない。
通じてさえいないように、無表情のまま……。
それでも苛立ちはあったのだろうか……。
「詩女神よ 唄え 謳え 詠え 滅びの讃美歌 怒りの日……」
女神アストライアは光魔法を詠唱していた……。
短文詠唱だというのに異常な魔素の集約が起こる!
「光あれ────」
それらは収束して、女神アストライアの頭上に巨大な光球が輝いていた……。
「くっ……!? 地力の違いで決めにくるか!?」
神とは基本性能が違いすぎる。短文詠唱や無詠唱ですら、こちらの長文詠唱クラス、あるいはそれ以上……。
驚愕しながらも私は反射的に反応していた。
「!?」
「アイリーン!!」
私は強引に咄嗟に飛び退いたアイリーンへ茨を巻き付けて引き戻す!
同時にゴーレムさんを組み上げて壁にする。
青薔薇の庭でさらに補強。
その上で、戻って来たアイリーンと共に魔素で結界を張る!
あらゆる手を尽くして……。
私達は夥しい光に包まれた!
「ぐッ……!?」
「ああぁぁアアアアア!!」
ゴーレムさんが崩壊していく……。
青薔薇の庭が焼き尽くされる……同時に捕まっていた女神のゴーレムたちも崩壊した。
私の結界が破られて、最後に残ったのはアイリーンの結界。
アイリーンの結界が闇を纏い、強烈な光から私達を護る!
それを支えるように私の全魔力を注ぎ込む。
それは光と闇の攻防。
どれだけ必死に耐え忍んだだろう……。
先に限界が来ていたのはアストライアの方だった……。
光が止みながらも、眩しさで薄目を開けて見ればアストライアの両腕が消失して沈黙していた……。
それ以上の動きは無い様子だった。
「勝ったのか……?」
それを勝ちと言うべきなのか疑問に思っていると……。
その時────。
私達の周囲に奇妙な魔素の流れがあった……。
「何だ!?」
私とアイリーンは驚きながら警戒する。
それは転移魔法だった────。
「神の塔への女神の侵入を検知。強制排除を執行します」
私達の眼前に現れたのは十一体の模造女神……。擬似神槍を構えて女神アストライアと対峙していた!
「どういうこと!?」
いきなりの急展開に私は驚くことしかできない。それはアイリーンも同じだった……。
その十一体の模造女神は見た事がある。黒の魔女とともに封印されていたはずだったが……。
封印が解けたのか!?
余力が尽きたアストライアにもはや勝機などない。
それでも敵意に反応したのか、わずかに残った力でアストライアはゴーレム部隊を再構築した。
だが、模造女神達はアストライアのゴーレム部隊を容易く駆逐していく……。
「狙ってたのか!?」
明らかにタイミングが良すぎた。
私とアイリーンは何もできず、ただそれを見ているしかなかった……。
ゴーレム部隊を突破した模造女神たちは擬似神槍を構えてアストライアへ迫る。
アストライアはまるで黒の魔女を見た時のように擬似神槍に貫かれていた……。
「伝導率、限界ラインを突破……端末を放棄……」
痛みも何も訴えず、接続が切れるようにして女神アストライアは沈黙した……。
「女神の排除を完了」
「次対象……。魔女。吸血鬼。指示を請う」
「……セントラルからの応答なし。次段階への計画移行に伴い、魔女討伐の任務は解除されたと判断」
「再転移……待機に戻ります」
口々に伝達するように模造女神たちはそう言い残すと、再び転移に入った。
魔法陣が輝き、展開してそこへ消えるように帰っていく……。
私達は茫然とそして唖然として、再転移する模造女神たちを見送るしかなかった……。
どうやら私達は見逃されたらしい。
だがそれにしても、後味の悪さは拭いされなかった……。
「これだから転移魔法って奴は……」
「あれが、転移……。あんなものが広まれば……」
それは悪辣なデモンストレーション。無慈悲な強制終了。
だが、もうそれを隠し通すことができるのだろうか? いや、きっとできない……。
「それにしても女神ってみんなあんな、なのだろうか……?」
「模造って言うぐらいですからね……」
アイリーンの言う通りかもしれないと思った。
オリジナルを真似したらああなったってことなのだろうか……。
だが、それではまるで劣化複製品、あるいは量産品……。
その時、ゴホッ、と血を吐く音がして……。
「ふふ、参ったわね。まさか……こんな結末だなんてね。これだからアストリアは嫌いなのよ」
「アストライア……まだ、息が!?」
「ですが……」
私達は驚きながら駆け寄る。
擬似神槍で貫かれた身体からは夥しい血が流れている。そのうえ、崩壊も止まらない。
もはや戦える状態ではない。というより生きているのが不思議なくらいだ。
アイリーンが、倒れるアストライアを抱き起して座る。
「ええ、私の負け。もう身体も持たない……いえ、女神の力でここまで持ったと言うべきかしら……」
擬似神槍で貫かれた彼女は人であれば即死レベルの傷。どうにか女神の残り香で持ちこたえていた。
だが、このままではいずれ……。
「アストライア……生きたいか?」
私は傍らに立ってそれを尋ねていた。
「あら? 生かしてくれるというの?」
「……お前次第だ」
「ソニア!?」
アイリーンが驚愕したように、きっとそれをすれば私は右目も失うだろう……。
いや、右目どころでは済まないかもしれない。だが……。
「フフ。残酷ね。でも、お断りよ……。見たでしょう? 私とアイリーンとは属性が真逆。だから惹かれたというのはあるけれど。そんな私が吸血鬼になんかにされては、たまらないもの……」
「そうか……」
聞いておきながら、私はほっと胸を撫で下ろす。やはり、そこまで聖人にはなれないらしい。
だが、それは……アストライアの死を意味している。
アストライアの崩壊は止まらない。
いわゆる、神降ろし……模造女神とも違い、本物の神を降ろす技。
なによりアストライア本人が言っていた。神は強大すぎて下界に直接手を下せない。
そんなものを降ろせば、人の身には耐えられない。
数舜で決着をつけるつもりだったのだろうが……。
「ああ……白の書さえあれば、結果は変わったのかしらね……」
もうアストライアは終わりだった……。
「白の書は家にある」
不憫に思ったのかもしれない。私はそう、応えていた。
「……!? フフ、なんてこと……。とんだ無駄足をさせられたものね……」
目を丸くして驚きながらも、アストライアは自嘲するように笑みをこぼした。
「どうして、そこまで白の書を欲する?」
「あら、青の魔女がそれを言う? 相応しい物は相応しい場所にあるべきでは?」
「白の書には自分が相応しいと?」
「そうよ……」
これも因果なのか……。断罪の剣は華咲の流れを汲むという……。
さらに神降ろしまでやってのけたアストライアは紛れもなく……蓮華姉さんや、散華ちゃんと同じ神の血筋……。顔立ちから直接の血縁ではないのだろうが……。
きっと私はそれを垣間見たのだ。
確かに彼女には白の書が相応しかったのかもしれない。
だが、それゆえに道を踏み外してしまった……。
「白の書とはそれほどか……」
「それも禁忌を犯した貴女が言う言葉ではないわね……」
持つ者次第ではとても危険なことになる。だからお婆ちゃんは隠すように封印して……。
「ではなぜ、他の七識の書まで奪う必要がある?」
「言ったでしょう? 神託だって。でもあえて答えるなら脅威は手元に置いておくのが一番安全ではないかしら? もっとも黒の書は別だけど……」
「どういうことだ?」
「白の書と黒の書は対になってる。補色って言えばわかるかしら? あるいは相克。黒の書を見つければ白の書も見つかる予定だったのだけれど……」
「……」
「そうね……こうなってしまってはあまり意味はなかったかしら……」
それは懺悔でも後悔でもないように聞こえた。
「青の魔女、ソニアと言ったかしら……私の孫弟子」
「なんだ? 大師匠」
「フフ、皮肉? まあ、いいわ……。最後に忠告よ。青の補色……赤の書に気をつけなさい。きっとそれはあなたの宿命……」
また、赤の書か!? 関わる気は全く無いのだが……。
「それは予言か……?」
笑みをこぼすのみでそれには答えず、目を閉じたアストライアはすでに限界だった……。
「アイリーン。冥府で見守ってるわ」
「そうですね……。師よ、先に待っていなさい」
「フフ……」
アイリーンの膝上で、どこか満足げな微笑みだけを残してアストライアは崩れるように自壊した。
その塵が魔素となって散って行く……。
アイリーンは悲し気にそれを見送る。
「彼女は突出したカリスマでした……それ故に、断罪の剣は自浄能力が働かなかったとも言えます。残念な事です……」
「わかる気がします……」
彼女はそのもとで祈りを捧げる。
私もその隣で形だけを真似て、それに倣うのだった……。




