Vampire
師匠が落ち着いたところを見計らって私は尋ねる。
「師匠、体調は?」
「師匠はやめてください! アイリーンでお願いします!!」
「お、おう……」
何やら心変わりがあったのだろうか……。
私はその勢いに呑まれるように頷く。少し寂しい気もするが、彼女の意向に従うことにする。
彼女はなぜか赤面して。
小声で恥ずかしがりながら、「相思相愛が……」どうとか……何かもにょもにょ言ってるが聞き取れない。
その姿が可愛いのであえて聞かないことにする。
「それで師匠、いえ、アイリーン体調は……」
アイリーンは一度死んだ。私が殺した……。それは間違いなく……。
これは言わば奇跡。このほぼ完全な形での蘇生には条件がある。
黒の書があった、まだ肉体が残っていて茨の聖柩に閉じ込めることに成功した……など、いくつもの条件が整ったうえでの、一度限りの超神話級禁忌魔法。
きっともう肉体の無いベラドンナなどには使えない。
二度目は無いし、二度とやる気は無い。それを行えば、きっと次は左目だけでは済まないだろう……。
ちゃんと確認しておくことが必要だった。
「ええ。ソニア、喉が渇きました。血が欲しいです……」
「んんん??? 大丈夫ですか……貧血?」
ざっくり刺してしまったからな……。
あの衝撃は手に残り、思い出すと震えがくる。
その場所をじっと見つめると私の魔法によって傷は無くなっていた。
「ソニア……あまり、まじまじと見つめないでください」
「お、おう……」
あれー? そう言って赤面するアイリーンはやっぱりいつもと違う気がする。体調のせいか?
だが、体調バランスまでは考慮外だ。
それに血と言われても……。そんなものは持って無い……私の血で良いのだろうか?
「あら? 私は一体、何を口走って……ですが、なぜかソニアからすごくいい匂いが……」
不思議そうにしてアイリーンは困惑していた……。
涎が垂れないように、思わず舌なめずりをしてしまう姿が艶めかしい……。
「は、はじめてなの……優しくして……」
「……イラっとしました。やはり結構です!」
こういう冗談はアイリーンは嫌いである。
良かった。いつもの師匠だ!
とりあえず私は掌と短剣を水で洗い、掌を少し切って「どうぞ」と言って差し出す。
「ありがとうございます……」
思わず喉を鳴らしてしまって、赤面するアイリーン。
それでも躊躇して逡巡した後、耐え切れなくなったようにアイリーンはお礼を言って、そこへ舌を伸ばした……。
髪が垂れないように片手で押さえながら、美女が私の手のひらから血をなめとっている……。
「ふおおお! これは……。ああ、アイリーン……。それ以上は……何かに目覚めてしまうッ!」
「へんな声を出さないでください!?」
こんな世界があったとは!?
「ううっ、悔しいですが、美味しい。なんでこんなことに……これでは吸血鬼です」
「まあ、そういうこともありますよ……」
いい加減なことをいって慰める。
「ソニアのせいですよ!?」
「とても言い難いことですが、それはほぼアイリーンの宿業のせいかと……」
「うう、それを言われると……否定できませんね」
復活したアイリーンは吸血鬼になっていた……。
おそらくだが、彼女に残った呪詛が最後に悪戯しちゃったのだろう……グッジョブ!
「まあ、吸血鬼も、貧血の人も親戚みたいなものですよ!」
「一緒にしないでください!」
私なりの気遣った適当な慰めをよそに、かなりショックを受けていたアイリーン。顔を青ざめさせて……。
「修道女が吸血鬼では廃業です……」
「それは嫌だ!」
それは断固として拒否する!
「アイリーン。やはり重度の貧血の人っていう設定で行きましょう!」
「設定ってなんですか!?」
「私の脳内設定です」
「……」
つまり、彼女は吸血鬼のような重度の貧血の人になっていた!
そんなやりとりをしながらアイリーンは私の手の傷を魔法で癒す。その様子を見て他には変わったところがなさそうだと安心する。
それから、私達は真剣に向き合った。
「師匠、準備はいいですか? 結界の外でアストライアが待ってます……」
「ええ、決着をつけましょう……」
私たちは頷き合うと、周囲に張り巡らせた茨の結界に魔素を流し込む。
自分でも驚くほど効率的にそれが行われる。間違いなく知恵の泉に触れた結果だった……。
「待たせたな!」
私は青薔薇の庭で作った結界を解くと、律儀にもアストライアは瞑想しながら待っていた……。
「これは……なんの冗談かしら?」
瞑想を解き、片目を眇めながら私達を射抜くように見るアストライア。
それは無論、師匠が生き返っていることだろう。
「愛の力だ……」
「答える気は無いようね。いえ、応えなくていいわ……」
「愛の力だ!」
「鬱陶しいわね! わかってるのよ……禁忌を犯したってことくらいね」
「愛の力が奇跡を起こしてしまったのだ!!」
「……」
私の熱弁にアストライアは呆れたようにして、埒が明かないとばかりに矛先をアイリーンへと向けた。
「アイリーン、貴女も貴女です。禁忌を犯してまで現世に留まるとは……。敬虔な貴女がよもやそのような姿になってまで……。本当に嘆かわしい……」
アイリーンの変化に気づいたのか、アストライアは悲し気に続ける。
「悲しいことですが、師として引導を渡さねばなりません……」
対するアイリーンは決然として……。
「そうですね……。私の未熟が招いた結果でしょう。否定はしません。ですがソニアが片目を賭してまで救ってくれたこの命、簡単に投げ出すわけにはいきません!」
それから諭すように続けた。
「ですが……アストライア。もう貴女に勝ち目はありませんよ……投降をお勧めしますが?」
師匠は勝利宣言のように勧告する。
現状を説明するなら二対一、私のゴーレムさんを合わせれば三対一だ。しかもアストライアとは一度、牢獄で戦っている。
アストライアは強い。だが私の真贋が確かなら、師匠も負けてはいない。
つまりは、現状ほぼ勝利は確定している。それこそ、奥の手でもない限りは……。
いや、たとえ奥の手があったとしても今の私なら対処できる。できてしまう。
片目を失ったとはいえ、知恵の泉に触れた私は今やおそらく黒の魔女に匹敵している。
知恵熱でも帯びているかのように、頭の中でいくつもの魔導式が浮かんでは消えていく……。脳はフル回転して懸命に記憶の情報処理が行われていた。
お陰で体調が優れない。片目を失ったせいもあって、気を抜けば吐き気までする……。
「やれやれ、私達に投降の選択はありませんと教えたはずですが……ぬるま湯につかって忘れてしまったのでしょうか?」
断罪の剣は別名、暗殺者ギルドと呼ばれている。
いくら高尚な大義名分を持っていても国家の側からしてみれば犯罪者集団に変わりなく、捕まれば極刑は免れない者たちの集まりだ。その隠れ蓑としている教団もトカゲの尻尾切りのように、知らぬ存ぜぬを通すことだろう……。
その頭目ともなれば投降などという選択肢は存在しない。
「それにここにはヴィアベルが来ているはずですが……。おかしいですね。連絡がありません」
不思議そうにするアストライア。アイリーンも初耳だったらしく、どういうことかと疑問の視線が私に向かう。
「そいつはおそらく今頃アウラとグレイスが片付けている。煮え湯を飲まされたがな……」
「なるほど魔笛を使ったのですね……どおりで魔物がいないわけです。……ちゃんと仕事はしたようですね。しかし本当にアウラとグレイスまで裏切りましたか……」
「自業自得だろう……」
私の感想にアストライアは皮肉気に笑みを深めて応える。
「否定はしませんが……。あの村の件はヴィアベルの忖度のようなもの。全ての責任を私に押し付けられるのは、いささか腑に落ちませんね……」
「そうなることを見越していたのだろう? 言い訳にはならんな……」
「嫌な娘ですね……」
言いながらアストライアは細剣を構える。
「もっとも……まだ勝ちを確信するには早すぎると思いますが……」
そして……戦いに……。
「ちょ……、ちょっとタイム!」
その緊迫した状況を私はぶち壊していた……。
アイリーンは驚き、アストライアには睨まれるが……。
なぜなら私が限界だったのだ!
うう……気持ち悪い。目が回る……片目だけど。いや、片目だからか?
私の頭の中は、完全に過負荷状態だった……。
ぶっちゃけ、休みたい……。
「すいません。アイリーン、ちょっと吐いて来ていいですか……?」
「ええっ!? 今? ……いえ、だいじょうぶですか? ごめんなさい。気づかなくて……」
アイリーンは申し訳なさそうにしていが、生き返った事でアイリーンも混乱していた。それに私が言わなかったのでこれは仕方がない。
「はい、大丈夫です。すぐ戻ってきます……たぶん」
「ソニア、ここは私に任せてください」
「ありがとうございます……」
お礼を言ってよろよろと二人から離れて、邪魔にならないように奥の暗がりへと向かう。用心の為にゴーレムさんを護衛に出す。
おえええぇぇ……。
アイリーンが帰って来た喜びの勢いでどうにかなるかと思ったのだが……そうは甘くなかったらしい。
ゴーレムさんも心配してくれたのか、背中をさすってくれる。
「うう……。辛い……」
その場でしばらく懸命に耐える。
冷や汗を流しながら耐え続けていると、けっこうな時間が経ってしまっていた……。
どうにか持ち直して、戻って見るとすでに決着はついていた。
「吸血……。そんな外法、教えた覚えはないのですがね……」
膝をつき苦し気に呻く満身創痍のアストライア。今やその豪奢な衣装は見る影もない……。
対してアイリーンの方はこちらも多くの傷を負っていたが、どこか恍惚として陶酔したようにしている。
吸血……昔読んだ魔族図鑑では、血を浴びるほど動きが活発化し、長期戦になるほど有利になっていくという吸血鬼の固有技だったはず……。
家の三魔族のクロの変化、リリスの魔眼、アラネアの蜘蛛の糸と同じだ。アイリーンはどうやら本当に魔族化してしまったらしい。
いや、あれだけの奇跡だ。その程度で済んだのなら幸いだろう。
師匠は油断なく構え……。
「愛の力だったようです……」
それだけ答えていた。
うむ。愛の力は偉大だ!
「なるほど……。ならばこちらも手段はえらべませんか……」
アストライアは瞑目して、告げる。
まだ、やる気か!? ほぼ決着だというのに……。私はもう休みたいのに!!
私のその想いは届かず、アストライアは何かを唱えた。
「それは……!?」
師匠の顔が驚愕に歪む……。
独自魔法なのだろうか……?
それは知恵の泉に触れた私でさえ、読み取れない詠唱だった……。
「私欲無く、私恨無し。私情無く、私怨無し。我が手に宿るは神の御業。我が意思は神の御意思……」
「我が身体は天の代行……正義の執行者にして審判の女神」
「在るべきものを在るべき場所に……在るべきものを在るべき姿に……」
────『則天去私』
長文詠唱を終えたアストライアの身体から壮絶な力が渦巻いていた……。




