暗殺聖女
茫洋とした闇の中、アイリーンはそれを聞いていた。
呪詛の声は彼女を内側から蝕む。
「貴女も一度は納得したはずでしょう?」
そう、私は一度納得した。納得してしまった……。
事の発端はソニアが神獣を倒してしまったことにある。
わが師、アストライアからの指示書には……。
「神託は降りました。七識の書を回収せよとのことです。アイリーン、これは慈悲です。貴女の手で決着をつけなさい」
直接表現は避けてあるが、それは殺せということだ。
私は療養中の彼女の寝室に忍び込んで……。
そしてソニアの命を……。
でも、できなかった……。
「貴女の部下は斬ったのに? 慕われていたのは同じでしょう?」
そう、私は間違ってしまった……。
多くを犠牲にして、私は一人を選んでしまった……。
かつての仲間に私が刃を突き立てた。
そのときの彼女達のどうして? という顔が忘れられない……。
わからない。
もう、何が正しいのかわからない……。
狂ってしまった私に、残された想いは一つだけ……。
「私がこの手で決着を……」
†
私がその姿を見間違えるはずもなく……。
何度も確認するがそれは間違いなく師匠だった……。
「なんで……。どうして、師匠がアストライアと一緒に!?」
信じられない。確かにアストライアを追っては行ったが……。
何がどうなっているんだ!?
こればかりは、さすがに動揺が隠せない……。
これが、二兎追う者一兎も得ずの正体だとでも言うのか……。
「つまりはバニーガール……」
いや、違う! 動揺するんじゃない!
あらぬことを口走ってしまった!
師匠のバニーガール姿を想像して心を落ち着けるのだ!
うむ。良い!
「? 意味がわかりませんが……。なんだかいやらしい目で見られた気がします……殺します」
「はうっ!? 鋭すぎでしょう……」
うう……だが、殺すと言われると辛い。
意味がわからないのはこちらも同じだ。その叩きつけられる殺気は本物で……。
なんで師匠が敵に回っているんだ!?
そんな私の驚愕をよそにアストライアの方は近場の岩に座ってすっかり観戦モードだ。
そこで暇なのか、欠伸などしている……。
こ、こいつ……。
いや、今はアストライアなどどうでもいい!
どうにか師匠を……。
ゆらりと影が揺れるように、一歩一歩私に近づく師匠。洗練されたその歩法に隙など見当たらない。
「……いっぱい殺しました。いっぱい死にました。私はその罪を背をわねばなりません。私は死ななくてはなりません。ですが、その前に私の幸せを壊せと彼女たちが叫んでいるのです」
その声は懺悔するように悲しみに満ちて響く……。
一体、あれから別れた間に何があったのだろうか……。
ともかく説得を……。
「師匠……。駄目です!」
「ああ、やはり貴女は止めるのですね。ならば私の敵です。殺します」
駄目だ! 道理が繋がっていない!
まるで夢を見ているかのように支離滅裂だ。胡乱気なその視線は私を見ているかすら怪しい……。
「目を覚ましてください!」
「ソニア……私は起きていますよ?」
うぐっ……。言葉では無理か!?
「くっ……。うッ!」
突然、師匠が苦し気に呻く。
私は驚いて、よくよく見ればなにやら呪詛らしきものが師匠の身体に纏わりついている。
呪詛による亡者が彼女を操るように責め立てている。
それが魔素の影となって私の目に映し出された。
「これが原因か!? アストライア! 貴様の仕業か!?」
私は後方のアストライアへ向かって問い質す。
「まさか、違いますよ。アイリーンが自分で行ったのです。その呪詛は上手く操れば力にもなりますからね……。断罪の剣の秘儀の一つです」
「どうして、そこまで……」
「彼女は私と対峙した時にはすでに満身創痍でした。その力に頼らなければならなかったのは悲しいことです……。そして力に呑み込まれて……」
つまりは狂戦士……。狂気によって、人の誰もが持つ制限を解除する荒業。昔話には聞いたことがあったが……。
だが……なぜアストライアの言うことを聞く?
私の考えを見透かしたようにアストライアは答えた。
「彼女は私の弟子ですよ? 言うことを聞くのは当然でしょう? 少し昔のことを思い出させてあげれば良いのですから……」
条件反射みたいなものなのだろうか……。あるいは刷り込み……。
「アイリーンは頑張りましたよ。私をここまで追い詰めるくらいにはね……。貴女の為にと、何人の仲間を殺したのでしょう? ですが、ここまででした。彼女は己の罪に耐えられなかったのです。仮にも弟子を名乗るなら、彼女の性格くらいは把握しておくべきですね……」
……なんてことだ!? アストライアの言った通りなら……。
己の行った行為が許せない。
それゆえの自戒。自罰。
それは悲しいくらいに純真な心から発露したもの。
彼女が祈る姿を思い出す。
私はそれをそっと見ているのが好きだった……。
綺麗なものを見るのが好きだった……。
師匠が大好きだった。 陽射しが強いほど陰が色濃く残るように……。
だからこそ彼女は己の罪に耐えられなかったのだ……。
「貴女はどうしてそこまで美しいのか!?」
私の言葉に師匠は不思議そうに少し考えるようにして……。
「ありがとうございます? お礼に殺します」
そんなやりとりが戦いの開始の合図となった……。
洗練された動作で短剣を抜いた師匠は私へと向かって来る!
師匠の短剣が走る!
キンッ! っと金属音が鳴り響き火花が散った。
私が咄嗟に自身の短剣で防げたのは、何度も師匠と模擬戦をしたおかげだ。
背筋が凍るように、ドッと冷や汗が流れ落ちる。
本気だった……。本気で私の首筋を狙われていた……。
「あら……? 防がれてしまいましたね」
夢をみるように彼女は続ける。
「ですがそれは素敵です……」
私には見せた事が無い妖艶な笑みを纏い、師匠は感想を漏らすと再び攻撃態勢に入る。
立て続けの師匠の連撃が飛んでくる!
私は必死に躱して、返して、転がるように距離を取る……。
「こんなことしたくないのにッ!」
強制的に私はその死の舞踏に付き合わされる……。
蝶のように華麗に舞うその姿は黒揚羽か……。
まるで弄ぶように、実力差が私に手を抜くことを許さない。
必死に応じるが、それでも次第に傷ついて行くのは私の方だ。
微差で掠めた剣戟によって私は傷つけられていく……。
耐刃性に優れたアラネアの戦闘服でさえ、その技量によって斬られてしまう。
それでも軽症で済んでいるのはやはりアラネアの戦闘服のおかげだった……。
どうにか凌ぎ続けるも、私は斬られた拍子に師匠の纏う呪詛に触れてしまう。
すぐに振りほどくが、狂気が私をも侵食しようと蠢いていた。
どこかで師匠になら殺されてもいいかと思ってしまう……。
あるいは私が師匠の柔肌を貫いて……。
それは甘美な悲劇。
駄目だ!!
「くっ……私まで師匠の呪詛に影響されかかっているんじゃない!」
一瞬触れただけでこれか!? なんて強力な呪詛なんだ!!
それは師匠の罪悪感が形を成したもの。心の清らかさの裏返し……。
まさしく堕ちた聖女の悲嘆だった……。
このまま師匠の戦い方に合わせていては押し切られる!
勝ちの目が見えない。いや、勝ち目が存在しない!
私は殺したく無いのに、師匠は殺す気だからだ。
咄嗟に私は後方へ跳んで距離を取りつつ、ゴーレムさんを呼び出して壁を作る!
そうして、どうにか離れることに成功する。
荒い息を吐く私だったが、師匠は平然としたものだった……。
師匠の本気はこれほどかと驚愕する。
かつての模擬戦から全く差が縮まっていないどころか離されている気さえする……。
「ソニア……私達の真剣勝負にそれは無粋ではないかしら?」
拗ねたようにそう宣う師匠。
ゴーレムさんをもう一人と認めてのことだろうが……。
「それを言うならその呪詛だって怪しいものですが!?」
「あら、そうですね……?」
やはり不思議そうにしながら師匠は応えた。
でも解除はしてくれないらしい。……できないようだ。
ともかく師匠の土俵で戦っては、私に勝ち目など無い。
張りつめた緊張感の中、油断なく私は心を落ち着かせる。警戒したのか、対峙する師匠も不用意には動かない。
落ち着いて思い出す。私には何人もの師が居る。
お婆ちゃん、教授、師匠……。パーティーメンバーに加えてこれまで見てきた戦い……。それは大切でかけがえのないもの。
戦場を私の領域に持ち込まなければならない!
「見せてやろう。魔女の戦い方を……」
私は自身へと発奮するように気合を入れ直す……。
「……なんですかそれは? 格好つけているのですか? そんなことを教えた覚えはありませんが……」
さすが私の認めたクール美女。こちらの発奮を即座に叩き潰しにきてくれる……。
だが、そこが素敵だ!
そう、私の愛をぶつけるのだ……。
「師匠……。私の愛を受け止めてくださいね」
「……いいでしょう。見せてみなさい」
私は私の絶対領域を作る。
青薔薇の庭……私の狙った修道女は決して外さない。
その意思を込めて。
私の意思に応じて周囲一帯に茨が広がっていく……。
それとともにゴーレムさんを私の前へと退かせる。
そうして茨が広がり終えると蕾から青薔薇が咲き乱れた。
その最奥で私は待ち構える。
「……準備はいいのかしら?」
「……いつでもどうぞ」
その言葉を聞いて師匠は再度向かって来た!
「正面突破とか!?」
驚きながらも私は茨を操り鞭のように師匠へと巻き付ける!
だが、師匠を取り巻く呪詛の亡者の腕が茨の道を切り開いていく……。
何重もの罠が突破される!
「くっ……ゴーレム!」
立ち塞がったゴーレムさんにはさすがの師匠も止まらざるを得ない。
そこを今度は私が押し切る!
ゴーレムさんによる連撃と茨による集中砲火!
さらには呪詛だけに的を絞って、後方から私が蒼炎で狙い撃つ!
「おおおおおおおッ!!」
過剰使用に白熱して焼き切れそうになる魔導回路。
それをグッとこらえて吼えた。
そして私は次第に手数で圧倒していく……。
強引に茨で呪詛を引き剝がし、ゴーレムさんで師匠を組み伏せる!
気付けば茨に磔にされた師匠がいた……。
「本当に強くなりましたね……」
師匠が正気に戻る……。瞳に光が戻っていた。
かなり傷つけてしまったが、どうにかなったらしい。
雁字搦めにされた師匠にもはや抵抗の様子はない。
「ハァッ、ハァっ……。や、やった……!」
酸欠状態のような朦朧とした意識の中、安堵した私は喜んで近づく……。
「ソニア……貴女の手で私を貫いてください」
その言葉の意味を理解する前に、バッっと師匠の影から呪詛が飛び出す!
「!?」
完全に油断していた私は、それに腕を掴まれてしまっていた。
呪詛が私の手を侵食していく……。
「嫌だ! やめろ! やめてくれ!」
「気にする必要はありません。貴女の手で私の罪を祓ってください。それが私の望みです……」
侵食された私の手は腰の鞘から短剣を取り出していた。
亡者の腕たちが私の手を取り、師匠へ突き立てろと叫んでいる!
必死に抵抗するが、私はそれを止められない……。
完全に近づき過ぎていた……。
残った茨で引き剝がそうとするも、逆に呪詛の腕に討ち掃われる。
「ゴーレムッ……! 私の腕ごと潰せっ!」
一縷の望みをかけてゴーレムさんに命令する!
だが、ゴーレムさんは私の命令を完全に拒絶した。それは自立稼働による弊害だった。
精霊の確固たる意思が、それを私に実行しない。
私はじりじりと引き寄せられていく……。
「ソニア、ありがとう。貴女のお陰で私は幸せでした」
そんなことを言わないでくれ……!!
私の目から涙がこぼれる。
「ごめんなさい……」
私の抵抗をよそに、一言謝ると師匠は私に優しく微笑んで……。
「あッ、あああああアアアアア!!」
号泣し、絶叫しながら……。
私はその胸に刃を突き立てた……。
周囲に咲く青薔薇は彼女の鮮血で紅く染まっていた……。




