ヒュムネ
時を遡ること数年前────
某国のとある神殿。
全てが石造りの神聖な神殿は、冷気を帯びて厳粛であれと迫る。
その最奥の一室、現六剣聖筆頭ヒュムネはその当時、教主アストライアとして神座に居た。
壇下を見下ろし、一瞥を投げかける先には一人の修道女。
無言のままヒュムネは神座から立ち上がる。
侍女が手にした長剣を取り、彼女は壇上から降りた。
神座を降りたヒュムネは長剣を構えてその修道女と対峙する。
その凛とした佇まいと最高位を示す白銀の聖衣が相まって、その姿はさながら王のようだ。
対峙したのは若き俊英。
神気を身に纏い一際、異彩を放つ者。
新進気鋭の一人の修道女。
身に着けているのは一般的な修道服でありながら、それと感じさせない雰囲気があった。
対峙した二人は古式に則り、女神アストライアへと祝詞を奏上する。
「尊き女神よ 正しき神判をここに示し給え」
その場にて行われるのは、神の座を懸けた神聖な試合だ。
『相応しき者は相応しき場所へと至る』
それは断罪の剣の信念であり、言い伝えでもあった。
ヒュムネもその教えに従い教主となった。
だが、ヒュムネはその場の長であり王ではあったが、神ではなかった。
その神殿に祀られるのは神座であり、玉座ではない。
それを誰よりも知るのは当人であったためだろうか……
その者と戦い、剣を落としたのはヒュムネだった。
ヒュムネは神座に相応しい者ではなかった……
その日、新たな教主へと神の座は引き継がれた。
より相応しい者へと……
†
現在────
月が中天へとさしかかる夜半。
アストリア王都郊外の森の中、朽ち果てた廃教会はにわかに喧噪に包まれていた。
いつもの瞑想を終えるヒュムネの許に一報が入っていた。
その火急を告げる報告に焦燥を抑えて、すぐに教主へと伝えに向かった。
「アストライア様、お逃げください!」
珍しく慌てるヒュムネに対して、壇上の神座に座った現教主アストライアは余裕を持って悠然と微笑む。
「あら、どうして? アイリーンが来たのかしら? であれば逃げる必要などありませんが……」
「いえ、それが……」
バァン!
その報告を遮るように大きな音がした。
それは扉をぶち破って何かが突き抜けた音だった。
土埃が舞った後、突き抜けた物体は倒された守衛の修道女達だとわかる。
「ハァ、老体には堪えるわい……」
そんなことを言いながらその老人はゆっくりと扉から入って来る。
「嘘でしょう……」
「まさか……こんなに早く!?」
二人は驚愕を隠せなかった。
さしものアストライアも目を見開き、額からも一筋の冷や汗が流れ落ちる。
「これだから本当にこの国は嫌いなのよ……国王代理自ら御足労とはね」
驚く二人と対峙したのは国王代理……華咲翁その人だった。
老齢ながらその鋭い眼光は臨戦態勢を示している。
単身でありながら、その底の見えない鋭い気迫にアストライアたちでさえ畏怖を覚えずにはいられなかった。
息を吞むようにして心を落ち着けると、アストライアはとぼけるように闖入者へ尋ねる。
「それで、何の御用かしら?」
「なに、華咲の因縁に決着をつけてやろうと思ってな……おとなしく縛につけい!」
「因縁ね……。これだから老害と呼ばれるのよ。困ったわね。若者を扇動して間違った方向へ導くのは世の常なのかしら?」
アストライアのその言葉は威嚇そのものだった。牽制しながら現状で打てる手を考える。
対する華咲翁は絶対的な覇気を纏って詰め寄っていく。
「ぬけぬけと……。まるで自分達が正しいと言わんばかりじゃな」
「正しいわ」
「戦争を吹っ掛けてきておいてそれは認められんよ」
その口論は互いに相手の出方を測る通過儀礼。
「……退いてはもらえないのかしら?」
「できんな」
その問答には微塵の譲歩もなく、ただ張りつめた空気だけが両者の間を流れていた。
もはや戦うしかないかと、アストライアはその神座から腰を上げる。
だがそのとき、続くように破られた扉から現れた影がある。
「国王代理! 待ってくださいよ! いくらあなたが強いからって国王代理が護衛も無しで……」
焦りで青くなったグランとクリスティが追いかけるようにそこへ駆け付けたのだった。
さらに遅れてアンナ、アリス、リリィと今この国を任されているグランブルーの面々が到着していた。
「むう、ゆっくり来いと言ったはずじゃが……」
一瞬、華咲翁の意識がそちらに逸れる。
その機を逃すアストライアではなかった。
アストライアは素早く尖形の投擲武器を懐から抜き出すと、それを投げつけた。狙いは遅れてきた魔法使い達だ。
それと同じ行動をしたのがもう一人、六剣聖筆頭のヒュムネだ。
突然の攻撃に対応できたのは、臨戦態勢だった華咲翁一人だった。
庇うようにして全ての投擲武器を撃ち落とすが……
投擲武器に紛れるようにして煙幕が張られていた。
「チッ……逃がしたか……」
その一瞬で二人は奥の間へと扉を閉ざして逃げていた。
逃走用の通路だろう。調べて見ると、どうやら地下へと続いているらしい。
おそらく罠も仕掛けてあるはずだ。
「この手際、やはり華咲流忍術の流れを受け継いでいたようじゃな……」
華咲翁は、もはや追いつけないだろうとの判断を下す。
「す、すみません」
グランが青くなって謝る。完全に足を引っ張ってしまった形だ。
「ハァ、お前達は中途半端に強いのう……もう少し遅ければワシが全て終わらせていたのじゃが……」
「す、すみません中途半端で……」
「いや、逆に見る目がある。帰ったら修行じゃな」
「えぇ!? ……いえ、光栄です」
グランはまさかこの歳になって修行する破目になるとは思っていなかった……
「じゃが、先ずは残った者達を捕縛じゃ」
「ハッ!」
華咲翁は長年の経歴から独自の情報網を持っている。
それによって、これまで見つからなかった断罪の剣の根城を看破していた。
そして大胆にも数隊のみで敵の根城を急襲したのだ。
そこからは華咲翁の独壇場だった。
教主こそ取り逃がしたものの、これでは再起はほぼ不可能だろう。
アストリア王国の当面の危機は回避されたのである。
一方、地下への逃走通路から逃げ延びたアストライアとヒュムネは、そこから地上へと抜け出ると森に隠れるようにしてひた走る。
「やられたわね。やはり根底が同門では考えも読まれてしまうものなのかしら……?」
「あれは特別な気がしますが……」
「そうかもしれないわね……ついて来ている者達は?」
「いくつかの部隊は逃げられたようですが……散り散りとなっているようです」
アストライアの問いにヒュムネは周囲を探るようにして答えた。
「……合流地点に向かいましょう」
「了解しました」
あらかじめ決めてあった緊急時の合流地点へと二人は向かう。
森の中をしばらく進むと拓けた場所に出た。
だがそこで待っていたのは一つの惨劇だった……。
周囲にはその場に、先に集まったのであろう修道女たちの死体。
そして、その中に佇むのはそれを起こした元凶だ。
「あらあら、ずいぶんと出来上がってますね……アイリーン」
そのアストライアの言葉通り、修道女たちの屍の中に立っていたのはアイリーンだった。
月光を浴びながら静かに佇む彼女の修道服は返り血にまみれ、ある種の異様な美しさを纏う。
「決着をつけに来ました……」
それだけを述べてアイリーンは血濡れの短剣を突きつける。
その目に浮かべているのはまるで血に酔ったような虚ろな瞳。
「フフ。その姿……まるで吸血鬼ね」
そう評して対峙しながらアストライアは考えていた。
正直、華咲を甘く見た感は否定できない。上手く立ち回ればいけると踏んでいたが、地の利は向こうにあった。
このまま逃げ延びて再起を図る……その場合また何年も先となるだろう。
だが、いまここにこの地に七識の書は集まってきているのだ。この機を逃したくはない。
「ヒュムネ……決めました。ダンジョンへ向かいます。追って来なさい」
それは追い詰められたゆえの苦肉の策かもしれなかった。
それでも教主アストライアは悠然として余裕を崩すことは無い。
それに力づけられるように傅いてヒュムネは応える。
「わかりました。アストライア様。ご武運を……」
「貴女もね」
そうしてアストライアはその場を離脱した。ヒュムネを残して。
「待ちなさい!」
「行かせませんよ」
アストライアを追おうとするアイリーン。
それを遮るようにヒュムネが立ち塞がり、腰の鞘から長剣を抜き放つ。
月光を受けてその長剣は銀色に煌めいた。
「くっ……!」
その鋭い剣閃にアイリーンは飛び退き距離を取らされる。
アストライアが無事に離脱するのを見送ると、対するヒュムネは長剣を構えながら静かに告げた。
「問おう……貴様も一度は納得したはずだ。我等の正義に……なぜ裏切った?」
「私が間違っていたからです。貴女方が間違っているからです」
「……それが間違いだとなぜ気付かない。我等が護るのは秩序。壊れかけの歯車は直さねばならない」
「別の道を模索しないで、壊れかけと決めつけるのですか……」
「平行線か……」
「そのようですね……」
その隔絶した現状認識の違いを認めると、静かに二人は対峙する。
「アストライア様はダンジョンへと向かわれた」
「何を……」
「お前にとって大事なものがそこにあるのだろう?」
そこに思い至りアイリーンは焦る。
「しばらく時間を稼がせてもらう……」
ヒュムネは教主アストライアがアイリーンに執着していることを知っている。それ故の時間稼ぎだった。
だが、アイリーンはそんな都合に振り回される気は無いというように決意を示す。
「いいえ、ここで決着です」
言い放つとアイリーンはヒュムネへ向かい駆けだした。それに応対するように構えるヒュムネ。
六剣聖筆頭ヒュムネと六剣聖アイリーンがここに激突した。
アイリーンの華麗な双剣が的確に急所を狙って舞う。
それを長剣一本で捌ききるヒュムネは相当な手練れだった。
幾度も剣と剣がぶつかり合い火花を散らす。
果敢に攻めるアイリーンだったが、その短剣が届くことは無い。
長剣の間合いと短剣の間合いは違う。ヒュムネは流れるように円を描き後退しながら一定の長剣の間合いで捌き続けている。
アイリーンはその懐に飛び込もうと躍起になるが、それをさせないヒュムネだった。
さらにはアイリーンには連戦による疲労があった。しかもこの数日は戦いの連続だった。
それでも凄まじい集中力で一歩も引かない。
だが、長い打ち合いが続いた後、ついには隙を見せてしまう。
それを見逃さないヒュムネの長剣の一閃。それはアイリーンの短剣の片方を弾き飛ばしていた。
勝利を確信したのか……ヒュムネは語り出す。
「女神を見たことがあるか?」
「何を……」
「あの方は光だ」
†
いつも思い出すのはあのときの光景。
かつて私は神の座に居た。神ではない私がその座にいる。
その矛盾。滑稽。重圧。そして苦痛。
代わる強者がその座を登ってきたのは必然だったのだろう。
先代は皮肉気に言ったことがある。私達はただの繋ぎかもしれないな、と。
『相応しき者は相応しき場所へと至る』
敗北に対しての悔しさはあったが、そんなものはそれこそ神の座には相応しくないと切り捨てた。
だが、そのとき私は思ってしまったのだ。
肩の荷が下りた、と。
それはとても罪深く思えた。
「汚らわしい……」
言葉にはあまり出さなかったが、いつからかそんな言葉が付きまとうようになっていた。
何より、己自身が汚らわしい……
†
「私は出会った。女神に」
「私は彼女を女神とは認めません」
酔うように語るヒュムネにアイリーンは苦い顔が出てしまう。
「見ていない者にはわかるまい……」
「何を……」
「お前はまだあの方の本質を見ていないということだ」
「……だとしても倒します。私に倒されるくらいなら本物ではなかったということでしょう?」
「……なるほど、道理だ。ならばお前は私がここで倒そう」
その言葉にヒュムネは決意した。
時間稼ぎだけするつもりだったが、気が変わった。
「私が決めて 私が創る……」
「汚らわしきもの 穢れ 朽ちよ 貴き御方のため 討ち掃え」
呪文に伴ってヒュムネの周囲で変化が起こる。
生気が奪われるように周囲の樹々、草、死体などが萎れ朽ちていく……
それは確殺の魔法。
死神の大鎌は生者を許さない。
「死神」
アイリーンは距離をとって回避するが、それは下草を枯れさせてゆっくりと次第に迫って来る。
「独自魔法……どうやら本気になったようですね」
「ああ。神の理に反する魔法。それは我等、断罪の剣にとっては禁忌。だが、お前がそうさせたのだ……よもやこの期に及んで、まだダンジョンが気になるとは言うまいな」
「そうですね……気にしてはいられませんか……」
独自魔法は限定的に世界の法則を変える。世界へ深く干渉すればするほど、その場限りにおいて神に最も近い者となる。
故に強力ではあるが膨大な魔力を必要とする。
先天的に魔力が豊富と言われる、エルフや魔族ですらその扱いには慎重になると言われるほどだ。
それを戦いの中で可能にするなどというのは、鋼のような精神力と深い集中力も必要となる。
そこまで至れるのは多くは居ない。
加えて深く集中しすぎると、発現した独自魔法を自身で扱いきれずに自滅する者まで居る。
いわば諸刃の剣だ。使いどころを誤れば即、自滅。
だが、それは覚悟の表れでもあり、見過ごすことはできない。
アイリーンもまた対抗するべく、その覚悟を決める。
「私が決めて 私が創る……」
「銀月よ その加護を我等に 女神の銀矢よ その業を撃ち砕け」
アイリーンの祈りのような仕草に従い、天空の月を中心に、張られた魔法陣から銀の光が降り注ぐ。
「月女神」
女神の矢の狙いはヒュムネではない。
「むッ……これは!」
驚くヒュムネをよそに天空からの矢はヒュムネの迫る魔法を打ち砕く。
魔素が光に還るように周囲に銀光が輝いた。
アイリーンの独自魔法がヒュムネの独自魔法を散らしているのだ。
だが、ヒュムネもまた負けじとその集中を切らさない。
それは死神の鎌と女神の矢の撃ち合いだった。
拮抗したそのせめぎ合いは、どちらにもその天秤を傾けない。
打ち合う度に二人の周囲は、銀の光に輝きを散らした。
結果、どちらともなく膝をつく。魔力の欠乏で二人は喘ぎ、睨み合う。
もはや二人に独自魔法を放つ余力は無かった。
「流石に簡単にはいかぬか……だがあの方はこんなものではなかった」
ヒュムネは切り替えるように気合を入れ立ち上がると、長剣を振るい攻める。
その勢いにアイリーンは短剣一本で防戦一方となってしまう。
「くっ……」
かろうじて躱しているものの、ヒュムネの研ぎ澄まされた気迫と剣技にアイリーンは傷ついて行く。
連戦に加えて独自魔法まで放ったつけは確実にアイリーンを苛んでいた。
「所詮は口だけか……失望した。これ以上あの方を煩わせることは許さぬ。やはり今、ここで死んでおけ」
勝機を的確に捉えたヒュムネは、アイリーンのもう一方の短剣までも弾き飛ばしていた。
「くっ……」
苦痛に顔を歪めながら、飛び退くアイリーン。
それをさせるヒュムネではない。追撃するようにヒュムネは迫る。
「連戦の疲れでも出たか?」
「言い訳はしません」
「ふん。ならば終わりだ」
ヒュムネの長剣が銀光を纏い閃く。
勝利を確信したヒュムネからとどめの一撃が放たれた!
キィン!
だが、そのヒュムネの一撃は何か金属質のもので弾かれていた。
「何ッ!?」
驚くヒュムネの視線の先、アイリーンの手には短剣が握られていた。
「短期戦なら創造魔法も役にたちますね……」
アイリーンがそう言ったように、それは即席で創られた魔法の短剣だった。
残った魔力の全てを集めて金属として固めただけのお粗末な代物。だが、それで充分だった。
意表を突かれて驚愕しているヒュムネに、魔法で形作られたアイリーンの短剣が走る。
それは見事にヒュムネを捉え脇腹から斜めへ斬り上げていた。
「ぐっ、どうして……どうしてお前なんだ!!」
大量の血を撒き散らしながらもヒュムネは叫ぶ。
致命傷だ。決着はついた。
そう認識したアイリーンの手元から短剣は魔素へと還っていく。
手にした長剣を落とし、後ろへと倒れるヒュムネは天を仰いだ。その目に映るのは夜空に輝く星か月か……
「そうか……お前は真逆だからか……。あの方が光ならお前は闇だ……」
その悲哀を帯びた声音にアイリーンも動揺してしまう。
隠していた何かを言い当てられたように酷く動揺してしまう。
耐えていたものが決壊するように……
張っていた気は急速に冷めていく……
アイリーンは周りを見渡すと周囲には見慣れた屍の山……
「私は……私の途はいつも……」
アイリーンもまた天を仰ぐ。
そこに勝利の喜びなどはない。
その目に星々の光が映る事はなかった……




