七並べでせき止めするやつ、それが私です
下野さん家で暮らし始めて早二ヶ月。
この前下野さんと一緒にお風呂入りました。
今、ロリコンとか変態とか思ったでしょう。私も思った。
下野さんがあんまりお風呂入らないから叩きこんだら「じゃあ竜胆洗って」とか言われて、話の流れで一緒にお風呂入ることになったんだよ。
子供だし、不潔なままいられるより良いと思ってしっかり洗ってやったら、なんと味をしめやがった。
「また一緒にお風呂入ろう」って誘われてますよ。断ってますけど。断ってるけどそれはどうよ下野さん。
もう家事全般どころか下野さんのお世話まで担当してます。代わりに、研究費用とかで潤沢にある下野さんのお金を使って、好きに買い物してますけども。ちゃんと下野さんにも還元してるからいいんだよ。一度も咎められたことないしさ。
ちなみに下野さんは綺麗に洗って髪もある程度切って整えてあげたら普通に格好良くなりましたはいはいお約束お約束。でもツツジも美少女だったし、私だってブスなわけじゃないし、こっちの世界の人は総じて美人さんなのかもしれない。ただ誰もそれを磨かないから、美人の原石がごろごろして、そこらの石扱いされているだけで。
まあそんなこんな考えながら、一緒にお風呂のお誘いをどう断るか考えていると、机に突っ伏して寝ている下野さんを発見した。
どうせまた寝ずに研究してたんだろう。いつものことだ、と毛布を持ってきてかける。ベッドに運ぶのは無理だから勘弁して欲しい。子供のこのなりじゃ、毛布を持ってくるのも結構重労働なんだから。
「……ん?」
その時、ふと下野さんの書類が目に入った。
普段はよくわからない分野の研究をしているし、下野さんも話さなければ私も聞かないので研究内容は知らない。だから目に入っても無視していたが、それは私にも簡単にわかることが書かれていた。
「病院の伝染病予防のための対策? そんなの、病院を清潔に保って消毒徹底するだけじゃん」
馬鹿にするように笑って言って――腕を掴まれた。
「ひぅ!?」とか変な声を上げて逃げ出そうとしたが、私が逃げるよりも強い力で腕を引きずり込まれ、そのまま腕の持ち主のもとに、つまり下野さんの腕の中に入れられた。がっちりホールドで逃げられない。そして下野さんの俗世離れ具合から本当に他意はないんだろうとわかるけどロリコンと叫びたい。他人に興味ないくせにスキンシップは激しすぎるんだよこのお方。
「……今、なんて言った?」
寝起きなのか気力がないのか、小さな、地を這うような声で聞かれる。
「起きてらっしゃったんですか、下野さん。お茶でも入れてきましょうか? もうベッドに帰りますか?」
「なんて、言った?」
ごまかせる気がしない。
ごまかしで言えば、まだ毒を吐きあったり利益を見込んで放流してくれる仲間さんのほうがごまかしやすかった。この調子で始終ねだられるから、私もロリコンとか叫ぶの忘れてお風呂とか一緒に入っちゃったんだけどね! スキンシップ許容してるんだけどね!
「……院内感染を防ぐためには、清潔にして消毒を徹底すればいいと言いました」
諦めて白状する。
実は私は、山田花子(仮名)の知識を使う気は、あまりなかった。
どこからそんなの仕入れたって言われても困るし、何より情報は金だ。
私だけ知っていればいいし、周りに広めるにしても、特許のようなものを取って確実に私に利益が入るようにしてからだと思っている。
じゃないと、私の手を離れたとたんにどんどん進んで、すぐに私の知識なんて搾り取られてポイ捨てされるから。博識でない私の知ってることなんて微々たるものだ。それを守って何が悪い。
七並べでせき止めするやつ、それが私です。うっかり何も考えずに出せばあとからあとから出し抜かれるとわかっていて、自分でもどこまでなら大丈夫なのか判断できないとわかっているから、一切出さないようにしている。頭のいい人には敵わないよ。
でもうっかり呟いたことを聞かれたら仕方ない。
一応下野さんは私の庇護者だし、従いますよ。お金使わせてもらってるから少しなら情報提供もしますよ。
「……清潔にして消毒? どうしてそれで防げるの?」
こっちの人はそういう衛生概念がわからないらしく、下野さんは疑うような声を出す。えーと、どう説明しようかな…。
「例えば、お魚を放置してたら腐りますよね」
「うん」
「腐るってことは、そこに細菌などの微生物が発生しているってことですよね」
「うん?」
「大気中に目に見えないばい菌とかが充満しているんです。私たちも体にもいろいろな雑菌がいます。これは健康な人には無視できる程度のものですが、弱ってる人には効果てきめん、雑菌のせいで病気になってしまいます」
「う、うん?」
「また、腐った魚はどんどん腐敗して行くでしょう? 菌をそうやって培養してるからなんですよ。魚とか、栄養分与えたら増えるのは当然ですよね。だからどんどんどんどん菌が増えます。あんまり増えたら健康な人だって病気になります。だから菌は増やさないようにして、出来る限りの予防が必要なんです」
「……うん」
お分かりいただけたようだ。よかったよかった。
「だから…」とペンをとり紙に書く。
「毎日清掃して、患者さんに触れる前と後は手洗いと蒸留したアルコールで消毒。菌の温床になってたら治るものも治りません。とにかくなんでもアルコール除菌。蒸留アルコールの作り方はご存知ですよね? C2H5OH、エタノールですよ。手術器具とかもアルコール除菌徹底。それから根性論で手術するのは患者さんの体力を低下させるだけです。体力落ちたら菌に負けて病気になりやすくなります。麻酔導入。モルヒネいっちゃいましょう。使いすぎると死にますし、うっかりすると依存症になるので注意が必要ですけど。あと水銀、これ毒ですから。薬じゃなくて毒ですから。水銀って金属ですよ。体に蓄積したら不味いってわかるでしょう。毒ですからね。飲んだら死にますよ。お腹めっちゃ痛いですよ」
書かれていることにがりがり修正入れて、はっとした。
あ、やっちまった。
逃げよ。
「……なーんて、あははは。今日のご飯作ってきますねー」
「……」
がっしり下野さんにホールドされてる。
あはは、逃がして。
「……竜胆、それどこで知ったの…?」
「いやあ、わかりません。神様からの云々みたいな…」
「竜胆」
「今日はハンバーグに挑戦してみましょうか。丁度豚と牛が手に入ったんですよ。牛と豚はまだ出回ってなくてくず肉しか買えなくて、ハンバーグなんですけど」
「……」
下野さんは黙ってたけど、やがてホールドする力が緩んだ。
「また相談するかもしれないから、よろしくね」
『よくわからないけど使う』ということか。よかった。見逃してもらえた。
「はい」と返事して離してもらったが、その時に頭を撫でられ「今日、お風呂ね」と言われた。
……「はい」って答えるしかないよね、これは…。
それからかれこれ一月経った。
「竜胆が一緒に寝てくれるなら寝る」
下野さんがやばい。
浮世離れしてるとか不思議な人とか、そういうんじゃもうすまされない。やばいお人だ。
なんか竜胆って呼ばれるのも、「~たん」みたいでアレに見えて来た。怖い。身の危険を感じる。
「な、なに言ってるんですかー」
「寒いから」
ああ、なるほど。
私がこの世界で目を覚ましたのが初夏。それからもう三か月余りが経っている。七月だったとしたらもう十月。私は厚手の布団を引っ張り出してきたけど、下野さんは用意してなかったのか。
「あったかいお布団出しときますから、一人で寝てください」
「じゃあお風呂。頭かゆい」
お風呂もお風呂で、自分で洗うのが面倒ってだけではある。変なところはないと信じたい。
「駄目です。大人なんですから自分でやってください」
「じゃあ甘いもの」
「お砂糖も安くないんだから、また今度、です」
お菓子を作ってあげたら気に入ったようでよく催促される。でも砂糖は安くない。今度自分でサトウキビでも栽培しようかと思うぐらい安くない。
牛乳はかろうじてあるが、バターもなければ生クリームもない。小麦粉だってお高い。この状況でのお菓子作りがどれだけ大変かわかっているのだろうか。泡だて器だって自作した。片栗粉だって、結局高いし暇があるから、じゃがいもから自作した。手間暇かかってるんだぞ。感謝しろよ。
下野さんは「竜胆のけちー」とか言いながら寝床に向かう。私も布団を引っ張り出してから行く。
早くもぐーすか寝ている下野さんに布団をかけ、黒衣も洗濯するので回収する。
ちなみに黒衣の理由は「インクがついても目立たないから」だった。研究職とはいえデスクワークが主で、理論が組めたら臨床実験、みたいな感じらしい。私にはメイド服みたいな服を買ってあげようかと言われたが断った。だからあなたやばいって。発言がいろいろやばいって。他意がないのはわかってるけどさ。
「うわっ?」
とかなんとか思ってたら腕を掴まれて布団に引きづりこまれた。布団の中で前が見えない。抱きしめてきてるのは下野さんだろうけど、びっくりするわ! やめろ!
もがいて顔を出すと、してやったり顔の下野さんがいた。いらっとした。ほっぺつねってやりたかったけど、腕ごとホールドされてるから出来なかった。ますます苛立った。
「なんですか。これから洗濯するんですけど」
「竜胆、温かいから。ここいてよ」
「あのですね、私は小間使いであって愛玩動物とかではなく、私が家事やらなきゃいけないんですから――…」
「ここ、いてよ」
ぎゅっと抱きしめられる。
思わず、うっとした。
リンドウはツツジがいたせいで、意地っ張りと言うか見栄っ張りと言うか、頼まれたらNOと言えない子だった。弱音を吐かずに一人で頑張って頑張って頑張り続けて、何も手元に残らなかった子だ。
山田花子(仮名)は稀代の大嘘吐きだ。嘘と毒を吐いて全部偽って、本音とか弱音とか誰にも見せずに、ずっと強いふりをして一人で生きていた。一人で平気なフリをしていたら、気付けば誰もいなかった。
その二人の複合の私は、要するに『寂しがり屋が吐いた弱音』を振り払えない。傍にいてと泣く子を見捨てられない。見捨てたら、『もし誰かに言っていたら変わったかもしれない』という、言っていたら顧みられていた、という希望を失うことになるからだ。
そのうちこの弱点克服してやる、と強く誓いながら、「今日だけですよ」と子守唄を歌って下野さんを寝かしつけてやった。
下野さんは幸せそうに眠った。
その寝顔を見ながら、確かに一人で平気だって言い続けて、一人残されたところは自分と似ているかもしれない、と思った。