神童なんて所詮、二十歳過ぎればただの人
翌日、泣くツツジを宥め、「ナナカマドさんの弟さんのところに行くだけだから」と説き伏せて、屋敷を発った。
馬車に三日揺られて、着いたのは都会と田舎の中間のような街。
教えられたとおりの道を進み、着いた家で呼び鈴を鳴らす。
「……」
が、出ない。
誰も来ねえ。
もう一度鳴らす。
来ない。
ドアノブをひねる。開いた。
「すみませーん、ナナカマドさんの紹介で来ました、奴隷ですがー。シモツケさんいらっしゃいますかー?」
私の声は少し木霊して、消えた。
中に入った。
「おじゃましまーす! どちらにいらっしゃいますかー!」
玄関から廊下に進む。よくわからないものや、紙束などが散乱している。掃除もしていないようで埃もごっそり積もっていた。一応通れる道はあったが、こけたら雪崩が起こりそうなぐらい物が積み上げられている。
途中部屋を覗きながら叫んでいると、一番奥の部屋で背中を丸めて何かしている男性がいた。
黒い服を着て、机に向かって何か熱心にやっている。
一応声をかけながら近づく。
「シツモケさんですか?」
「……」
「私はあなたのお兄さんのナナカマドさんの紹介で来たものですが」
「……」
「お腹が減ったのでご飯作ります。シモツケさんも食べますか?」
「食べる」
あ、返事した。
「食材あります?」
「お金、台所の棚の中」
「食べたい物あります?」
「食べれれば何でもいい」
「かしこまりましたー」
振り返りもしない男性に返事をして立ち去る。
台所っぽい部屋を探し当て、米の一粒もないことを確認して、戸棚の財布を持って街に出かけた。
仲間さんのおかげで身なりは整ってるし、みすぼらしいところはない。ちなみに今日はお洋服は水色のエプロンドレス。アリスみたいで気に入ってる服だ。ツツジは色違いでピンクのを持ってる。
この服が仲間さんの趣味なら、容赦なくロリコンと叫べるけど、仲間さんはお金を出しただけで、買って来たのはチガヤくんだ。つまりロリコンはチガヤくんの方だ。
市場相場とかもばっちりだ。教育の成果が出ている。
ただ、さすがに一週間じゃ時間がなくて、そういう実践向けのものしか学べなかったけど、逆に考えれば必要なものから教えてくれたってことだ。仲間さんに感謝。ありがとうクズ人間。
あと、この世界の食材は、大体日本のものと同じだ。ただし明治の文明開化時期みたいな、パンとかカレーとかパスタとか、洋食らしいものは見えない。中華がかろうじてあるぐらいだ。
肉も、牛肉や豚肉は売ってない。ほとんど魚で、あとはボタン肉とか桜肉とか、たぬき、うさぎの肉だ。鶏もあるにはあるが、元々は玉子を取るためみたいで、最近食べ始めたばかりって感じがある。庶民に浸透してないだけかもしれないけど。
そんなことを考えながら、恙なく市場見つけて行って買って、帰って料理してシモツケさんのところに持って行った。ここの台所は仲間さんのとこのより上等そうだったけど、全然使った痕跡がなかった。宝の持ち腐れだもったいない。
「今、ご飯炊いてるんで、とりあえずポテトサラダでも食べといてください。お茶いります?」
「いる」
「はい。ポテトサラダここ置いときますね」
台所に行ってお茶を入れて帰ってくると、空になったお皿が置いてあった。
「おかわり」
「食べすぎると体調崩しますよ」
お茶を置いておかわりを盛って、隣に置いた。そして私も自分の分を食べる。
シモツケさんはその後、二回おかわりして、「もうありません。ご飯が炊けるの待ってください」という羽目になった。
すると「お肉食べたい」と言われたので唐揚げを作ることにした。ご飯はチキンチャーハンにしよう。たぬきやうさぎの肉は食べたことがないし、ボタン肉、桜肉、鹿肉とかは馴染みがない。牛と豚が駄目なら鶏だ。シモツケさんが普通のが良いって言ったら、私だけチャーハンにして、目の前でとり唐食べよう。
だがご飯が炊けるまでまだ猶予があるようなので、折角だし綺麗な油で野菜を挙げた。片栗粉を付けての素揚げだから油が散るけど、おいしそうだ。片栗粉高かったけど買ってよかった。その片栗粉が不要のフライドポテトは私の大好物。じゃがいもは、ここはドイツかってぐらいの値段で捨て売りされていたので、大量に買い込んである。楽しみだ。
仲間さんは油なんてたくさん使わせてくれなかったからなあ。ここにはたくさんあったから使わせてもらおう、なんてご機嫌で揚げていると、背後に人の気配。
俺の後ろに立つなとばかりに視線をやると、シモツケさんだった。ですよねー。
「良い匂い。なに?」
「揚げ物です。そこ、揚がったやつです。お肉は鶏ですけど、大丈夫ですよね? 最後に揚げるので嫌なら避けてください。揚がってるやつ食べるなら、熱いですから気を付けて。私の分も残してくださいね」
「わかった」
シモツケさんはいい子でもそもそと食べている。
と、ご飯が炊けたのでちょっと蒸してかき混ぜ、お茶碗によそってシモツケさんに渡した。
「お箸」
「どーぞ」
流しで死んでいたところを救出したお箸を渡し、食べさせる。ちゃんと洗ったから問題ない、はず。私は自分用に新しい箸買って来たけど。
フライドポテトに塩振って食べながら唐揚げを揚げ、出来たらシモツケさんに渡して私もご飯をよそい、食べる。
うん、美味しい。
食べ終わってから、チャーハンを忘れていたことを思い出した。いいや、明日にしよう。
「ごちそうさまでした。美味しかった」
「お粗末様でした。お口に合ってよかったです」
お手てを合わせて言ってから、お片付けの前に頭を下げる。なお、台所の床に正座して二人で向かい合って食べていたので、三つ指ついてって感じになってる。
「初めまして、ナナカマドさんの紹介で来ました、竜胆と言います」
「兄さんの…ああ、実験用に子供を頼んだっけ」
シモツケさんはぽりぽりと頭をかく。
シモツケさんは黒い白衣、つまり黒衣を着ていた。変なの、とは思うが言及しない。顔を見た感じでは仲間さんとの類似点を見つけられない。仲間さんは神経質で厳しそうな感じだったけど、シモツケさんはのほほんとマイペースな感じだ。まあ、私とツツジみたいな双子もいるから何とも言えないけど。
シモツケさんは私をじーっと見て、困ったような顔をした。
「君、何歳?」
「五歳です」
「だよね。若すぎるよ」
「では実験用ではなく小間使いとしてお使いください。家の掃除しますよ」
「そう?じゃあそうするよ。よろしく」
「下野さんと下津家さん、どっちがいいですか?」
「じゃあ下野で」
「わかりました」
「じゃあ僕は竜胆って呼ぶね」
「どうぞどうぞ」
「起こしに来たりはしなくていいから。ご飯は作っておいといてくれたら食べるよ」
「では御用のときはお呼びください」
「うん」
お互いお辞儀して解散。お金お金言ってる仲間さんとはとことん対照的で、なんだか俗世離れした、不思議な人だった。
とりあえず家を掃除して、書類とか用途のわからないものはまとめて置いておいた。ご飯はおにぎりを必ず置いておくようにしている。時間がある時は焼きおにぎりとかチャーハンとかにして温めてあげるけど、ない時はそのままだ。
下野さんは昼夜逆転、というか熱中したら止まらない性質の人だった。だから昼夜なしになんかしてる。研究職みたいで、たまに「博士」とか呼ぶ人が来る。下野さんの指示によっては追い返すけど。
私は物置を一部屋貰って自室にしてる。自由に時間を使えるし、悠々自適な生活だ。
「ねえ、竜胆」
とか思ってたけどそんなことはなかった。
「どうかなさいましたか?」
「ちょっとこっち来て」
言われるままに行くと、膝に座るように指示された。
下野さんに限ってロリとかなわけがないという謎の信頼で、私は下野さんの膝に座った。
下野さんはぎゅっと私を抱きしめて、頭に頬擦りしてきた。下野さんへの謎の信頼が薄れた。
「何の用でしょうか…?」
「竜胆、部屋で何か作ってるよね。何?」
あ、違うこれ。幼女云々じゃなくて尋問だ。逃亡防止だ。
「お絵かきとかですよ。私もまだ子供なので」
「僕さ、今まで竜胆ぐらい賢い五歳って、自分以外知らないんだけど」
「私の妹はもっと賢いですよ。今はまだ仲間さんのお屋敷でお世話になってると思いますが」
「仲間さん?」
「あ、クズ野郎、じゃなくてナナカマドさんです」
「……兄さん、どうだった?」
下野さんの声がちょっと沈んだ。
よくわからないけど話題そらせたチャンス。
「私のことをクズガキって呼んでました。奴隷を何人も所有してました。私と妹は運よく利益を提供できたので良い待遇でしたが、そうでなかったら今頃脱走してたかもしれません。本当に、人間の屑です」
「兄さん元気そうだね、よかった」
ぽんぽんと頭を撫でられた。私の悪口、ちゃんと聞いてたのだろうか。
「私に、たぶん気に入られるから、実験台じゃなくて小間使いになれって言って、下野さんのところに売りました。妹はとても可愛い上に天才なので、さすがの仲間さんも情を移してましたね。ちゃんと売る時に売れるのか心配なので、そのうち私がお金を貯めて買いに行ってあげようと思います」
「そっか、お気に入りの子が出来たんだ」
「妹の魅力には誰もが夢中ですよ」
「でも、竜胆は売られたんだね」
「手元に置く理由がないからとか言ってましたね」
「それはさ、多分、今のうちしか価値がないからだと思うよ?」
今のうちしか価値がない。
つまり、ツツジは天才だが、私は凡才だからってことだろう。
今の間は私も天才だとか言われるかもしれない。でも、大人になれば周りと均されて『ただの人』となる。
『大人』の経験をしている故の賢さを、私以外も手に入れ、差がなくなる。
神童なんて所詮、二十歳過ぎればただの人。
天才は、ツツジは、老いてもずっと天才なのに。
だから私は出来るだけ早く売り払う必要があった。時間経過で価値が落ちるから。私が賢いと言われるのは、今のうちだけだから。
「でしょうね」
「じゃ、早く教えてくれるかな。君の利用価値を見せて。利益を搾り取らせて」
だから、今のうちにこの弟さんのところに送った。
しっかり利用するために。知識を奪うために。
「まだまだ完成してませんよ。出来てたら、さっさと逃げ出してます」
「……竜胆逃げるの?」
きょとん、と心底不思議そうにのぞき込まれた。
その鼻をつまんでやる。
「逃げますよ。だってここにいる理由なくなりますし」
「……兄さんと似てるね」
手を払われた。嫌われちゃったかね?
――いや、これは嫌悪より、拒絶、かな。
「クズで要領だけが良いところは、似てなくもないと思いますね。でも、なんか私は下野さんにも似てるとか言われましたけど」
「僕に? 兄さんが?」
またも不思議そうな声。
――そう、あなたたち兄弟は、そういう関係なのね。
「兄さんがそう言ったの?僕に似てるって?」
「言いましたよ。自分に似てると思ったけど、今は弟さんに似てると思うって。クズ脱却です」
「僕、ずっと兄さんみたいって思ってたのに…」
「まあじゃあ、それだけです」
逃げようとしたけど、しっかり掴まれていて無理だった。チッ。下手なことしてこのまま実験台にされても困る。大人しくしよう。
「……自由になりたいなら逃げだしてもいいよ。もう実験台にする気ないし、兄さんから別の買ったから」
「いてもいいですか?」
「いいよ」
「じゃあいます」
ここなら建物の中で自由に暮らせるし。家事はしないといけないけど、代わりに自由に遊びに行けるから、仲間さんのところより待遇がいいぐらいだ。近くに山とかがなくて魔物に遭えないのだけが残念だけど。
「じゃあいて。君がいてくれたら、助かる」
きゅうっと一度抱きしめられて、降ろしてもらった。
……悪い人じゃなさそうだし、このぐらいのスキンシップなら許してあげましょう!