頭のいい子だ
地下室への用事は、私たち(主にクソ生意気な私)を怖がらせるためと、地下室の奥の消毒液を浴びせるためだったらしい。
消毒液を頭から浴びて、そのまま地上に上がってお風呂にぽーいされ、石鹸を発見したのでキューティクルが枯れるほど頭を洗い、肌が擦り切れるほど体を洗った。
ちなみにツツジも同様に洗ってやった。お風呂嫌いとか抜かすから、ばっちりしっかり洗った。おかげで清潔になり、見違えるほど可憐になった。私の妹がこんなに可愛いとか聞いてない。これで双子とか嘘だろレベル。
それで用意されていた簡素なワンピース着て、ナナカマドさんのところに行ったら、二度見された。
その気持ち、わかる。
「ツツジ、可愛いでしょう」
「……そうだな。見違えた」
「上手いこと売り込めば大金に化けますぜ」
「何でも一生懸命頑張ります!」
笑顔でアピールするツツジ。変わり身が早すぎる。こういうところ、リンドウは嫌っていた。私は大好きだけど。ぐしゅぐしゅ泣いてるだけの騒音付き加湿器よりずっと好きだわ。
「美味しいもの食べさせて美容を磨かせたら、さらに愛らしくなると思いません? 五歳でこの可憐さですぜ? 年頃になりゃあもう男どもが放っておきませんよ」
「……そうだな。検討しよう。じゃあ寝ろ」
「その前に、明日会えますか?」
すげなく追い払おうとしてくるが、そうはいかない。
不本意に売買されたとはいえ、私の権利者はナナカマドさんだ。許可を得るならこの人に交渉する必要がある。たとえどんなクズ人間でも、この人と話して許可をもらわないといけない。
ナナカマドさんも、私みたいなクズガキの相手は嫌なのか、若干引いて答える。
「まだここのことを説明していないから、嫌でも会ってもらうが」
「じゃあ明日でいいです。どこで寝たらいいですか。今まで一緒に寝ていたので、出来ればツツジと一緒がいいです」
「ああ。こっちで寝ろ」
ナナカマドさんにベッドが一つあるだけの簡素な部屋に押し込まれ、ツツジと二人でベッドにもぐりこんだ。家ではせんべいみたいな布団だったのに、お金持ちだけありふかふかで清潔なお布団だ。しばらく使われてなかったようで、ややかび臭いが、そのぐらい許容範囲内だ。
「ふかふかで気持ちいいね」
「うん。隔離部屋みたいでちょっと怖いけど…」
が、ツツジは多少不満のようだ。
言われてみれば、ベッドしかないこの部屋は隔離部屋に似ている。
でも、雰囲気が似ているだけだ。その質は全く異なる。
私自身、隔離部屋で一人寂しく死んだわけだし、隔離部屋に良い思いではないが、ここはそれと比べるのもおこがましいぐらい、上等だ。
ここは人間が眠る部屋で、隔離部屋や実家は汚物が横たわる場所だ。
きっと、私たちみたいな高く売れそうな商品を置く場所で、隔離部屋として使ってるわけではないんだろうが、たとえ隔離部屋であっても、私はここを歓迎する。清潔な布団は最高だ。
「大丈夫だよ、きっと」
そう滔々と語るのも面倒なので、何の根拠も安心材料もない、口先だけの慰めで誤魔化したけど。
ツツジは「……うん、そうだね」と言って、私の手を繋いで目を閉じた。
私もツツジの小さな手を握って、眠りに落ちた。
翌朝。
起きてツツジとおしゃべりしてたらナナカマドさんが入ってきた。「ノックは四回ですよ」と言ってやると開け放たれたドアを四回叩いてくれた。どーも。
「ご飯はありますか?」
ちらっと聞くのは我が妹、ツツジ。ちゃっかりしてきた。無下に扱えないとわかったからだろう。頭のいい子だ。
「まだ人の手配が出来ていない」
「普段のお食事は?」
「俺は朝は食わん。朝以外は外で食べる。奴隷どもはそれ用の飯を作るやつがいるが、まだ出勤してきていない」
「わかりました。食材があるなら自分たちで作ります」
言うと、ツツジに袖を引かれ、「リンドウ、ご飯なんて作れないよ。危ないから台所は入っちゃ駄目って言われてたし…」と言われた。甘い。
「ツツジ」
「な、なあに?」
「ご飯食べたい?」
「う、うん」
「じゃあ作るしかないんだよ。ナナカマドさん、台所の場所は? 食材はありますか?」
「……こっちだ」
ナナカマドさんに着いて行き、台所に行く。
台所はレンガ造りで、ヨーロッパの田舎町みたいな感じだった。
コンロっぽいものもあり、ボタン一つで火が付いた。そういえば時計も印刷技術もあったし、無駄なところで無駄にテクノロジーが発展している。
とはいえ、さすがに火加減を調節する機能はなかったので、アナログ的に『どれだけ火から遠ざけるか』で対応した。キャンプで飯盒炊飯したことを思い出すわー。
なんて飯盒炊飯を思い出したところ生憎だが、お米を炊く時間はなかった。
仕方なく、ご飯の代わりの炭水化物のじゃがいもに、目玉焼きとみそ汁を付けることにした。メニュー滅茶苦茶だけど許してね。文句があるなら自分で作ってね。
じゃがいもの加工も面倒くさくて、簡単に粉吹きいもにしたら、後ろで見張ってたナナカマドさんに凝視された。何見てんだ金取るぞ。
リンドウは今まで料理をしたことがなかったけど、味見してみたら、普通に美味しく出来ていた。日本と食材が同じでよかった。未知の食材なら華々しく失敗していただろう。
「ツツジー、出来たの運んでー」
「うん! リンドウも、降りるとき滑っちゃだめだよ」
「わかってるよー」
五歳児の背では調理台に届かないので椅子に立って料理していたが、危ないから絶対に真似しないように、とツツジにはきちんと言っておいた。そのうち「どうして危ないの?」とか聞かれそうな気がするけど、きちんと答えたらやらないだろう。頭のいい子だから。
ナナカマドさんに椅子を戻してもらい、これまたヨーロッパの田舎にありそうな木製の机に三人分のご飯に並べて、いただきます。
ナナカマドさんの分も作ったのはあれだ、媚びだ。ツツジに持っていかせたから、さぞ愛らしかろう。そのまま情を移して入れこんじまえ。
後でツツジを褒めてやろう、と思いつつ食事をする。
「……おいクズガキ」
「クズ野郎さん、いかがしましたか?」
「この粉はなんだ?」
「お芋のでんぷんですけど、ひょっとして知らないんですか?」
「知らん。これはなんだ?」
「お芋です。健康に害は一切ございませんのでどうぞ」
ツツジは「美味しいよリンドウ」と言ってくれたので、「ありがとう」と返しておいた。可愛いな、もっと媚びろ。
食事をしながら、ナナカマドさんに粉吹きいもを知らないとかどういうことなんだと聞くと、芋なんかまともに食べないから知らなくても当然だと言われた。
なんでも芋は最近入ってきたばかりの野菜で、主に湯がいて奴隷に与えているだけらしい。じゃがいも美味しいのにもったいない。ドイツ人に殴られちまえ。
さて食後。ナナカマドさんには話がある。
「ナナカマドさん、外に出たいです」
「却下だ」
切り出せば、すげない返事。
交渉の第一声がこれとは、良い始まりだ。
「ツツジを置いて行きます。私が逃げても、ツツジにあの値段なら十分儲けものでしょう? ぼったくった分から私の身買い料を取ったとしても十分です。必ず戻ってくるので、外に行かせてください」
「…一度戻ってきたから、それはまあ信用してやる。帰らなければ妹の方をどうにでもするだけだ。だが、外には行かせられない」
「危ないんですか?」
私が逃げ出す心配じゃないなら、外に出れば商品が汚損する可能性があるってことか?
ナナカマドさんは首肯する。
「ここは田舎だからな。近くに川がある。その川の上流の林に、魔物が住んでいる。下流付近にも来ることがある。危険だから出歩くな」
「それだけですか?」
「あと、お前らには文字を覚えてもらうから、出歩くような時間はない。精々勉強して高く買ってもらえ」
「今日だけ、お願いします」
外出を禁止する理由がそのぐらいなら、商品の汚損を嫌がっているとか商品に付加価値を付けるためというより、特に外出させる利点と理由がないだけだ。あとクソ生意気な私への嫌がらせが入ってるぐらい?
それなら、昨日魔物の角を持ち帰った実績と、クソ生意気なほどの賢しさが反保になって、覆せる。
とどめに、しおらしく頭を下げて頼み込んでやると、「……今日だけだからな」と了承をもらえた。よっしゃ。ついでにお小遣いも貰ってお買い物もすることにした。
お小遣いまでくれるなんてナナカマドさん優しい、って思っただろ? これ、私を放流して利益釣り上げてこないか計算してるだけなんだぜ? 人間の屑だわホント。
まあとりあえず、外に出れたのはよかった。
まだ少し不安げなツツジを見捨てて、朝ごはんの後片付けを終わらせたらすぐに外出。あのクズ野郎が気を変えたら面倒だからね。
お屋敷を出た時点で、もう10時頃だった。時は金なり、さっそく川の上流にレッツラゴー。地理わからないけど、川っていうわかりやすすぎる目印があるから、ちょっと歩いたらすぐに着いた。
下流だからか、川には何もいなかったから、川に沿って上流へ遡る。徐々に木々が出てきて、林の様相に変わっていく。
「あ」
するとさっそくいますよね、魔物さん。
お辞儀しますよね、とりあえず。
「お邪魔してます」
『うむ』
魔物は去った。
これでええんかい!
やっぱり魔物っていうのは特に危害を加えない限り紳士的なようだ。日本の野獣より全然平和だ。イノシシとかサルのほうが話が通じない分、怖いぐらいだ。
林の中も、穏やかな山って感じで怖くない。たまに魔物とすれ違うので会釈すれば、あちらも軽く会釈してくれる。紳士だ。
まあ一日林を駆けて市場で買い物して帰った。相場がわからないから、他の買い物客の反応を観察して、このぐらいだろうって値段で買った。ナナカマドさんはそれなりにお小遣い持たせてくれたんだな、と思った。
日暮れごろに帰ってきたら、玄関の前に知らない男性が立っていた。
物陰に隠れて偵察するかぎり、誰かを待っているようだ。小奇麗にはしているが、ちょっとそわそわしているし、あまり慣れていない。
知らない人がいるが、私かこの男性が家を間違ったわけでもないだろう。こんなお屋敷、ここらには二、三軒しかなかった。
こそりと出て、男性に話しかける。
「すみません、どなたですか?」
「あれ、お嬢ちゃん、迷子かな?」
目線の高さにしゃがんでくれた。顔が近くなったからわかったが、結構若いようだ。少年と青年の間――いや、まだ少年ぐらいだな。大人びてるようだけど、竜胆さんの目はごまかせないよ。
「ううん。お兄ちゃんこそ迷子?」
「お兄ちゃんはこのお屋敷の人なんだよ。もしかして、お嬢ちゃんがリンドウちゃんなのかな?」
「竜胆なら私だよ。お兄ちゃんのお名前は?」
「わあよかった! 旦那様がお待ちだよ! 急いで行こうか!」
名前を教えてくれる前に抱っこされて屋敷の中へ連れていかれた。おおう…。
「っこんな時間までどこほっつきあるいてたクズガキ!」
しかも開口一番ナナカマドさんに怒鳴られた。お、おう…。
少年に降ろしてもらい、まずは可愛く微笑む。
「ご心配ありがとうございます。でも、外出の許可はいただいていたはずですが」
「夜出歩いたら魔物に遭うだろう! 死ぬなら金になってからにしろ!」
すがすがしいほどゲス。だがそこがいい。
「あ、お小遣いありがとうございました。おかげさまで豪遊出来ました」
「あれはやったわけじゃない、貸しだ。戦利品は?」
ナナカマドさんは苛々としている。血管切れろ。
まあ代価ぐらい要求されると思っていたので、用意はある。そのあたりの道理がわからない私ではない。安心してくれたまえ。
ごそごそポケットを探り、じゃじゃーん、とばかりにつやつやの石を出してどや顔で掲げる。
「綺麗な石です!」
「このクズ…!」
本気で殴られそうだったので、「冗談ですよ」と素直にひっこめた。この問答のためだけに、わざわざ石を拾ってきたのは悪かったと思っている。
今度は真面目に出す。
「即物的な物としては、これぐらいです。後はまだ材料を買っただけなので」
手っ取り早く価値のある物、といえば魔物の一部しか浮かばなかったので、芸も捻りもなくまたそれだ。ただ今度は魔物に話しかけて、「魚を取ってきたら、爪と交換してくれますか?」とか交渉してもらったものだ。
なお、魔物には魚より木の上の果物を取って欲しいと言われ、木登りして取ってあげた。しっかり爪も貰えた上、とても感謝されて、良い気分だった。
「また見つけたのか!? ということは、林に入ったな!?」
あ、しまった止められてたんだった。
弁明する前に、拳骨が落ちた。
目の前が真っ白になるぐらい痛かった。
床にうずくまって「ぐおおお…」とかもだえてしまった。ぼ、暴力反対!
「クズガキ、しばらく外出はない。明日からは勉強に励むように」
「はい…。これで、小遣い分と、置いてもらう代金の前払いは出来ましたよね?」
確認すると、渋い顔をされた。貸し借りは作らない。恩を売らせてたまるか。だから早いとこ資金を確保して反保に入れたかったんだ。売られないように。
「……今のところはな」
「足りなくなったらまた調達に行きますので、いつでもお申し出ください」
「調子に乗るな、商品」
「商品は大事にしてくださいね、ご主人様」
お互い唾を吐くように微笑んで(実際に吐きはしない)、私は昨日の物置に帰ろうとしたら「待て」と止められた。
「こいつはお前らの世話係だ。言いつけには従え」
「チガヤです。よろしくお願いします」
少年が微笑んでくれる。
歳としては、私とツツジよりも五つ六つ上、ぐらいだろうか。ナナカマドさんの商品になりそうな年齢だけど、言葉遣いとか、振る舞いとかがそれらしくないから、多分ちゃんとしたところのお子さんをちゃんと奉公人として雇ったんだろう。仕事が早くて結構だ。
仕事が早いのは、結構なんだが…。
「……仲間さん、質問です」
「それはもしかしなくても俺のことか?」
「ナナカマド仲間さん、質問です。この世話係さんと私たちの立場は?」
「その呼び方を変えるなら、お前らのほうが上だ。だがこいつの指導には従え」
「ナナカマさん」
「ご主人様」
「ナナカマドさん、この茅さんですが」
「発音。チガヤだ」
「チガやんですが、わざわざ雇われたんですよね?」
「チガヤだ。そうだ」
「何のために?」
「お前らに文字やらを教えるためだ」
「ナナカマドさんが教える時間はないと?」
「あるわけないだろうが」
「経費削減のため、ナナカマドさんが直接教えたほうが良いと、具申します」
世話係って、いらないんだよ。
だって。
「私が置いて行かれても、ツツジに教えてください。ツツジは教わったことは一度で覚えます」
ツツジは、天才だもん。