展開早すぎるわ
アレを退治して記憶整理を終えて、私はまず川に行った。
全身不潔なこの状態には耐えられん。
病み上がりで川に行こうとする私をツツジは止めたが、「今すぐ風呂に入れないなら舌噛み切って死ぬ」と言うと素直に通してくれた。
従順な妹で助かる。
普段からこうなら、リンドウも幸せだったんだろうにね。
集合住宅からちょっと歩いたところに山があり、そこに川も流れているのでそこに行った。
山に入らなくても川は下流まで流れているが、下流の水は生活用水に汚染されてて汚いから避けた。
屎尿垂れ流しだもん。嫌だよそんなところの水。
ちょっとはマシな上流で、服を着たまま水にどぼんした。私の服もツツジのものとまるきり同じで汚かったので、洗濯を兼ねて全身丸洗いだ。
水は冷たかったが、もう昼になっていたので耐えられないほどではなかった。リンドウの記憶から察するに、季節は初夏。冬なら詰んでた助かった。
気が済むまで水につかり、岸に上がる。
超寒い。
でも火なんて起こせないので、せめて日の当たる場所の石の上で寝転んだ。石が熱を吸収してて少しは温かい。本当に、気持ちだけ。
シャンプーとか洗剤がないから頭や体はまだ気持ち悪い。体なんてこすったらこすっただけ垢が出るし、我が体ながらうげぇって思う。お米のとぎ汁とか糠とかもらえないかな。ここの主食お米だし、玄米じゃなくて白米食べてたし、不可能ではないと思うんだけどなあ。
日向ぼっこしてから、家に帰る。
家は台所がある大部屋が一つと、物置が一つ、両親と祖父母の部屋が一つずつある。私と妹は大部屋で眠るので部屋はない。お手洗いやお風呂は集合住宅で共同なので家にはない。
ちなみにどれも吐き気がするほど汚い。山で暮らしてやろうかと思うぐらい不潔な環境だ。山は山で魔物が出るから帰るけど。
「あらリンドウ、服が濡れてるじゃない。どうしたの?」
帰ると、母が私の格好に気付いて近寄ってきた。
まあ、水浴びしたからね。びちょびちょでこそないけど、乾いてもないよね。
母は私をタオルで拭き、「熱は下がったの?もう苦しくない?」と聞いてきた。
だから、「うん、もう大丈夫」と答えて母に拭いてもらうまま甘えた。
売ろうとしている親でも、愛情がないってわけではないんだろう。ちょっとほっこりする。
こういう愛情に気付かなかったリンドウは、改めて可哀想な子だと思う。ツツジばっかりずるい、とか、捨てられる、とか泣いて、最後の時まで絶望にまみれて不幸に死んでいった。
よくある話だ。双子なのに、姉なのに、妹のツツジのほうが出来が良くて容姿が良くて愛想が良くて待遇が良くて、ただそれだけの話だ。
リンドウならぬ竜胆の私は、可哀想なまま死んでいったリンドウのためにも、幸せになってやろうと思う。
幸せとはね、与えられるのを待つものでも奪い盗るものでもなく、自ら作り出すものなのだよ、リンドウくん。
とまあそんなわけで、ひとまずは母に甘え、明日から売られないために行動し始めよう、と思った次第ですが。
「ごめんね、リンドウ…」
今日の夜、売られました。
展開早すぎるわ。
明らかにネズミとかが混入している夕食を「ちょっとまだ食欲なくて」と断り、明日から自分で食事を作ろうと決意していたところで来客。
珍しくきちんとした服を着ている綺麗な身なりの男性がいらっしゃいましたー、と思ったら私を見て「この子が買い取る子か?」と値踏みする視線。全力でNOと言いたい元日本人。しかして父は「はいそうです」とファイナルアンサー。泣いて私を抱きしめる母の後ろで、祖父母が嫌悪の視線で私と母をウォッチング。我が妹ツツジは涙をひねり出すのにお忙しいらしく私のほうを見てくれない。人買いの男は父に幾分かお金を渡し、私についてくるように言う。
お願いだからちょっと待ってくれよ展開。
まだ親孝行してないんだって! このまま連れていかれるわけにはいかない! 私の中のリンドウが黙っちゃいないよ!
「あ、あの…!」
「リンドウ、達者でな…」
五月蠅い父! お前じゃない!
何かないかと頭を回す。
何か、恩返しがしたいんだ。速攻で売られたし、私も山田花子(仮名)も恩なんて感じてないけど、リンドウは違うんだ!
リンドウの記憶から、ここの生活環境、情勢を確認する。
近くの山には魔物が住んでいる。子供は行っちゃいけない。でも泣いて家を飛び出した時に魔物が襲ってこなかったから、案外魔物も悪いやつじゃないって知ってる。それ以来、辛いことがあった時には山で一人で泣いていた。
魔物討伐のために偉い人が兵団を派遣した地域があるとか聞いた。でもここの人は魔物なんて見たことがない。山に入らない限り見ない。つまり、ここの魔物は山から出てこない。
山の中では綺麗な水があって、日本の山よりも勾配が穏やかで、魔物ものんびり暮らしていた。魔物同士の争いも見たことがない。普通の動物とは違うから、何を食べて生きているんだろうかと、彼らは本当に生きているんだろうかと不思議に思った。
そのリンドウの知識を、山田花子(仮名)の頭脳で考察する。
魔物は魔法を使える。だから人間は魔物を恐れる。魔物は魔法の使える動物のようなもの。魔物の一部でもあればかなりの金になる。
人里に降りてこないのは里に魅力がないから。山であるもので十分まかなえているから。魔物は危害を加えない限り攻撃はしてこない温厚な性格。昼間にのんびりしているのなら、夜は活発に活動しそうだ。ただ、あくまで魔物の生態は謎であり、憶測の域を出ない。
でも初夏なら、角などの生え代わりの後だ。山に入る人はいない。誰かに根こそぎ拾われている可能性は低い。賭ける価値はある。
言いくるめるためのハッタリ――嘘は大の得意だ。
よし、決まった。
やるか。
「一時間ください。必ず帰って来ます。最後に一時間だけ、時間をください」
山に入って探すなら一時間もあれば余裕だ。リンドウは山でおかしなものが落ちている場所を知っている。拾ったりはしなかったが、ある場所は知っているのだ。
「駄目だ」
しかし人買いの男性は聞かない。これも当然と言えば当然だ。逃げ出すに決まってる。心なし父も私を睨んでいるような気がする。
だから、私は嘘泣きで忙しいツツジの腕を掴んで引っ張りよせた。「きゃっ」とか声をあげながら、ツツジは私の隣に来る。
「もし私が一時間で帰らなかったら、妹を連れて行ってください。私たちは双子です。私でも妹でも、同じ値段のはずです」
「な、なに言ってるのリンドウ!」
ツツジがきゃんきゃん騒ぐが、私はじっと人買いを見ていた。ツツジが腕を掴んでいる私の手を引っかいたり噛みついたりするからすごく痛いけど。
いや本当に、ツツジ何なのよ。
痛いよ。
マジで痛い。
「……はっ」
ツツジちゃんとふれあいパークでツツジちゃんと原始的な交流を楽しんでいると、人買いが薄く笑った。
嫌な、人を見下して嘲笑している、嫌な笑いだった。
「妹を代わりに差し出して逃げるつもりか。いいだろう、俺はそういうクズは好きだ。どこへでも行け」
「いいえ、一時間で戻ります。私が一時以内に戻ることが出来れば、妹は身代わりにしません。あなたが買ったのは私のはずです」
「一時間も待つつもりはない。妹を連れていく」
「もし一時間を一秒でも遅れたら、私も連れて行ってください」
時は金なりとか言うなら、こうだ。
走れメロスなら使えない戦法だけど、私はメロスじゃないし人買いも王様じゃない。
小汚い子供と卑劣な人買いの競りなんだ。
元手がないこの状況で、この人買いから信用だけで一時間を買い取ればいいだけだ。
人買いの時給がいくらかは知らないが、女の子一人よりは安いだろう。
「双子の女の子が、一人分のお金で手に入りますよ。一時間ぐらい、賭ける気になりませんか?」
「逃げたお前を探し出すほうが徒労だ」
「最後にお母さんに贈り物をしたいんです。お願いします」
駄目だ、と断られる前に、言葉を繋げる。
「お願いします、高値で買い取って欲しいものがあるんです」
「……ほう?」
興味をそそられたような声。よし。
「あれがあれば、お母さんはもっと楽になります。ツツジも綺麗な服を着て、お父さんも苦労しなくて、おじいちゃんとおばあちゃんもお腹いっぱい食べられます。でもどこで売ればいいのかわからなかったんです。お願いします、協力してください」
私に、利用されてください。
頭なんか下げずに、目をそらさずに言った。
先に目をそらした方がやられる、なんてわけじゃないけど、山田花子(仮名)の頭脳がそらすなと言っている。
優位にいるのは、私のほうだと、錯覚させろ。
「……確実に高値で売れるものか?」
「子供の私が高値で売れる、と確信できるぐらいには」
「……ふむ」
考える素振りの人買い。私からどれだけ巻き上げられるか、どれぐらい差し出すか考えているようだ。
でもこれ以上渡してたまるもんか。これ以上お前に渡すものはない。
「私みたいなクズは好きなんでしょう? これからあなたのものになるんですから、仲良くしましょうよ」
にこりと完璧な作り笑顔で媚びを売る。よく見てろ妹、これが雌犬の生き様だ。
それに誘惑されたわけではないだろうが、人買いは「一時間だけだ」と言って了承してくれた。
契約成立。
ツツジをお父さんに渡し、お母さんに「待っててね」と笑って、私は夜の帳に駆け出した。
夜の山は寒くて、暗くて、怖かった。
月明かりのおかげでかろうじて道は見えるが、普段きらきらと光っている川の水は真っ黒で、タールのようで、底なし沼のようだった。
ここに入ったら死ぬ。そうわかったので川の傍は特に注意して歩いた。
さくさくと私の足音だけが夜の山に響く。
その静けさが逆に怖かった。
今にも魔物が闇の中から飛び出して来るんじゃないかと思えて、何度も逃げ出したくなった。
でも一時間以内という約束がある。立ち止まっているわけにはいかない。
一歩進むたび、山の奥に入るたびに背筋がぞわぞわとする。わけもなく叫び出したい。怖い。魔物はよく見かけていたし、一度も襲われたこともないのに、怖くて仕方がない。
今、あんなにいた魔物を見かけないことも恐怖を倍増させる。隠れて私の隙を窺い、そのうちに襲って来るんじゃないか、などと思ってしまう。動物の狩りの仕方なんてことまで思い出して、また恐怖を膨らませていた。
でも何事もなく、変なものが落ちている場所までたどり着いた。
変なものを拾う時が一番どきどきしたが、その時も何もなくて、普通に拾えた。
変なものは、魔物の角。ビンゴだ。
枯れ木と間違ってないか指先で軽くはじくと、キーン…と澄んだ金属のような音がした。間違いない、これは魔物の角だ。魔物の骨や角は綺麗な高い音がする、と近所のお年寄りに聞いたことがあるのだ。
無事目的のものを手に入れ、すっかり気も抜けて、普通に山を下りていると、道を遮っている何かがあることがわかった。
それは立派な角を持つ牡鹿だった。
思わず持っている角を見た。これはこの牡鹿の角なのか。生え代わったにしては早すぎるが、魔物だからか。これを持って行こうとしているから怒っているのか。
牡鹿は私をじっと見て、動かない。
私も道を塞がれ、動けない。
しばしお見合い。埒が明かん。
「あの、この角貰って行っていいですか?」
動物に話しかける少女、竜胆の誕生。
『うむ、許可する』
話す動物牡鹿、爆誕。
って、ええんかい! それでええんかい!
牡鹿は一つ頷いて、そのまま去って行った。えええええー。良いのかよー。それでいいのかよー。
背中に「あ、ありがとうございます!」とお辞儀すると、『良いってことよ』とばかりに振り向かないまま頷かれた。やだ、この牡鹿格好良い。けどなんだこの茶番。
もう一度頭を下げて、山を下りて家に向かった。この後は本当に何もなかったし、私ももう完全に気が抜けてた。
家に「ただいまー」と普通に入って、ちゃんといてくれた人買いさんに「これ、いくらで買ってくれますか?」と聞いて、「え、そんな値段? 嘘でしょ?」とか「見る目ありますねー。じゃあもっと高価だってわかってますよねー」とか煽って値段釣り上げて、適度に高価な額で買い取らせた。子供だから実は相場とか全然わからなかったけど、父の顔で判断した。父が「え!? そんなに!?」っていう驚愕の表情になってからもう一度釣り上げた値で売った。それでも人買いさんもぼったくったんだろう。じゃないと買い取らないと思う。
というわけでお金をお母さんに渡して「元気でね」と挨拶して、三人でいざ行かん!
……三人?
私と、人買いと、……ツツジ?
人買いを見る。
「買った」と短いお言葉。
父を見る。
「売った」とばかりに首肯。
ツツジを見る。
「売られた」と涙声。
「人買いさん、質問です」
「ご主人様と呼べ。なんだ」
「何故ツツジを購入されたのでしょうか」
「双子はセットでよく売れる」
「ぐうの音もでない完璧な回答ありがとうございます。お父さん、ツツジ買い戻して。今のうちに契約取り消してお金返して。今、私をぼったくって利益出したから、多分応じてくれるはず」
「あ、あなた、だったら二人とも買い戻して…」
お母さんが言ってくれる。優しい。
祖父母も反対しない。やはり孫は可愛いか。
父は返事をしない。ただの屍のようだ。
おい、父。
「……すまない、母さんの腹にはお前たちの妹か弟がいるんだ…」
だから追い出すのか、おい。
さらに交渉しようと思ったけど、人買いに首根っこ掴まれて連れていかれた。残念さようなら。
ま、恩返しは出来たからいっか。