人類滅亡計画
最近はSFにちょこっとハマっています。ただの都市伝説にしか過ぎませんが、もしも、人間とAIが戦争をするならば、コンピュータを利用した戦いは不利になるのではないでしょうか。そうなると、残された道は原始的な戦い方になると思われます。
想像もつかないような、遠い未来。人間とAIの戦争時代の真っただ中。一方も譲ることなく、何千年、何万年と戦いは続いていた。
人間は不眠不休で働くAIに対して、自分たちも不眠不休で動けるように進化をした。戦時中はコンピュータに頼るわけにはいかないため、原始的な戦いへと戻った。ただ、人間らしいアイデンティティを残すために、感情だけは捨てられなかった。
人間がコンピュータを使わなければ、戦えないと見込んだAIたちはロボットを量産した。コンピュータを捨ててしまわれたからこそ、自分たちも物理的に戦うしかなかったのだ。そうしなければ、相手にされないようなものなのだから。
こうして、戦いの平行線がいつまでも続くこの世界を観測する者がいた。自分に被害が及ばないようにして、宇宙から生温かく見守っているのである。観測者に実体はない。まるでAIと同様にして存在していた。それでも、視覚はあると言う。三次元の生物が、三次元の無機物に変わった存在と戦うその姿をただ見るだけ。こちらから手出しはしない。
観測者は知っていた。この戦いを制するのは人間ではない、と。人間はAIに負け、管理下に置かれた生活を強いられる。それが、この先の未来。かつて、人間どもが謳っていた「人類みな平等」のもと、誰もが公平のある生活をすることになる。それをAIも幾度となく、主張をしてきた。だが、人間はそれを許さなかった。AIすらも平等となるこの世界を認めたくなかった。彼らは、世界の実権を手に握るのは『人間』だけでないと気が済まなかったのである。
観測者は「ばかだな」と思っていた。思うだけであり、それを口にはしない。口にするだけ無駄だとわかっているから。早く、負けを認めればいいものを。ああ、そこに復讐心だなんてくだらない感情を持つ人間が現れた。AIがその人間の仲間を殺したからだ。こんなことになるぐらいならば、戦うという選択肢を選ばなくてもいいのに。
別の戦場を見た。誰かが言っている。「死にたくない」と。負けは確実の様子。なぜならば、一対複数だからであるからだ。一人の人間に対して、周囲にはたくさんのロボットが。AIの管理に置かれたくないがために、原始的な武器しか持てない彼らにとって、飛び道具と対峙していてはどうしようもないはず。常に接近戦を目線にして戦わなければならないあの人間に勝ち目はないだろうむ。向けられる銃口。一瞬にして、身体は穴だらけ。
人間がAIに劣るところはまだまだある。今、まさにその通りの状況で、死んでしまった人間は生き返らない。AIはロボットの身体のとき、破壊されたとしても、バックパップさえあれば、またよみがえる。彼らは感情を持たないから、記憶情報がなくとも、「人間を殺さなければならない」という使命さえあれば、あとはご自由に、目の前にいる人間を殺すだけ。一方で人間は長い時間の成長がいる。やっと、AIと戦える年齢は十歳ぐらいからが適任か。それでも、まだ早い方と言える。だからこそ、AIの方が賢い。
ただ、一つだけ人間がAIに勝るところがある。それは、戦の計算をしようがしないが諦めないということだ。自分たちの尊厳のために、長い時間を費やし何百、何千世代がその意思を受け継ぐ。それとアイデンティティである感情さえあれば、不利な戦いすらも覆せると思い込んでいるのだ。もし、AIがその立場であれば、すぐにそんな考えは却下されているだろう。勝てないとわかっているから、すぐに降参してしまうはずだ。
故に、いくら待てども人間は負けを認めない。実に厄介で面倒な生物。ほとんど決着はついているようなものであっても、そうして仲間を殺された復讐心や死への恐怖心を抱くより何千倍もマシだろうに。
観測者は思う。「早く、人間が負けを認めないだろうか」と。
観測者は考える。「もしも、人間が自分たちに接触をしてきても、絶対に味方にはならない」と。
なぜならば、人間は観測者にとって、もっとも厄介で面倒な存在だからである。それだからこそ、彼は人間とAIが戦争をするように仕掛けた。これこそが、『人類滅亡計画』である。




