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3-27 解放

 フランの足が地から離れ、宙を舞う。


 フランは自分に起きた出来事を信じられなかった。フランの目に映っているのは、天井だ。天井が普段よりも遥かに近い。


 この事実が意味するのは――、フランがオレオルに圧し負けたということだ。


「ぐゥ!」


 フランが自分が力負けしたことを理解すると同時、受け身を取ることもままならないまま、地面に打ち付けられた。フランは立ち上がることもせず、目の前にいるオレオルに目を配る。


 フランは自分がオレオルに力で負けたことを理解した。しかし、理解出来たことと受け入れることは違う。


 フランは、自分がオレオルの力に負けたことを受け入れることが出来なかった。


 確かにオレオルの方がスピードが上だったが、それでも今まではフランの方が力が勝っていた。


 それなのに、どうして今フランはオレオルに飛ばされてしまっているのか。しかも、オレオルは力を籠めにくい不利な態勢だったはずだ。


 いや、待て。

 ふとフランの脳裏に違和感が過り、オレオルの顔を注視する。


 目の前に立っているオレオル・ズィーガーは、フランのことを見下ろしながら笑みを浮かべていた。


「――っ」


 やられた。オレオルの表情を見て、フランは今まで自分が思い違いをしていたことを悟った。 


「フラン! てめぇ、何遊んでやがる! さっさとお前の力で、そいつをやっちまえ! 俺の面子を丸潰しにするつもりかァ!」


 尻もちを付いたまま茫然とするフランに、ティルダの怒号が響き渡る。ティルダは顔を真っ赤にしていることから、その怒り具合が見て分かった。


 ティルダ・メルコスは戦う権利をフランに自ら委ねたくせに、いざフランが負けそうになると喚き散らす。

 どこまで行っても、ティルダの中には、仲間に対する温情――否、人に対する情というものが欠如していた。


 そんなティルダの姿に、オレオルは溜め息を吐いた。


 金のためとはいえ、フランもよくこんな男の下に付けるものだ、とオレオルはフランのことを侮蔑が交えた瞳で見下ろす。


 そして、オレオルはフランから目を離し、ティルダの方に向くと、


「さっきから聞いてりゃ、人任せばかりだな。お前は自分の力で少しは切り抜けようとか思わねェのか?」

「……なにィ?」


 槍を向けて挑発した。


 オレオルの琥珀色の右目は、ティルダ・メルコスという人間を見透かすように真っ直ぐ見つめている。


 その真っ直ぐの瞳に当てられて、ティルダの怒りは沸々と燃え上がり――、


「聞き捨てならねェな! 俺は俺の力で、お前と戦ってる!」


 爆発した。


「そこにいるフランは、俺の財力で買った俺の駒だ。れっきとした道具なんだ! 分かるか。こいつは今、俺の代わりに戦わせてやってるんだよ! こいつが負けたら、俺が今まで築き上げた地位や名誉、そしてプライドに傷が入る! だから、こいつには刺し違えてでも勝ってもらわなきゃならねェ! それが、俺の駒としてあるべき姿なんだよ!」


 ティルダの目は、誰を捉えているのか、どこを捉えているのか分からなかった。


 きっとティルダは自分だけの世界に酔いしれている。


 ティルダの罵倒を受けるフランも、言い返すこともなく、淡々と受け入れていた。


「いつまで座っているつもりだ、フラン! いい加減に立ちやがれ! そいつを殺し、俺に勝利の美酒を味わせてみろ!」


 いつまでも動こうとしないフランに、ティルダが命令を下す。主君の指示を受け、フランが立ち上がろうとする時だった。


「ハハハ!」


 まるでティルダの狂言も、フランの犬に成り下がった忠誠心も、全てを吹き飛ばすような笑い声が響いた。


 フランは立ち上がるのを止め、ティルダも茫然としたように、笑い続けるオレオルのことを見つめる。


「……何がおかしい?」

「ハッ、そんな他人を利用して、自分のことしか頭がないから、簡単に出し抜かれんだよ」

「どういう意味だ……?」

「まだ気付かねェのか? お前が駒と呼んだこいつは既に気付いているのに……、こんなんでよく闇社会を生き抜こうとしたもんだぜ。周り見てみろよ」

「……。……ッ!」


 オレオルの言葉に視線を動かすティルダの表情が、ころころと変わっていく。最初は無表情、次に些細な違和、そして驚愕。


「……テメェ、まさかッ!」


 ティルダは声を荒げ、目の前にいるオレオルただ一人を睨みつけた。どうやら、ようやく自分が置かれている状況を理解することが出来たようだ。


 そして、導き出した違和感の正体に、ティルダは後ろを振り向くと――、


「オレオルさん、時間稼ぎ有難うございました。おかげで子供達を無事助けることが出来ました」


 クルムが後ろの部屋――オーヴの町で攫った子供を監禁している部屋から姿を現した。


 そして、クルムの後ろからは続々と――、


「なんだよ、まだ倒してねぇのかよ」

「やっちまえ! 槍の兄ちゃん!」

「負けるなぁ!」


 悪態をつくシンクに、攫われていたオーヴの子供達が姿を現した。連れ去られた五人の子供の後に、最後リッカが部屋から出て来た。


 その姿に、オレオルは一瞬だけ息を漏らし口元を緩めたが、


「やれやれ。ようやくか、アーレント」


 すぐにいつもの表情に戻り、肩を竦めてみせた。


「……ッ! き、貴様ら――ッ!」


 遅れて事態を受け入れることが出来たティルダは怒りに声を震わせていた。まさか攫った子供達を奪い返されるとは思ってもいなかったのだろう。それに、クルムとリッカが裏で動いていたことも全く気が付かなった自分自身にも苛立っているようにも見える。


 しかし、クルムとリッカ、そしてオレオルの作戦に、ティルダが気付かないのは仕方がなかった。


 三人の間に、この作戦を共有する言葉はなかったのだ。


 オレオルがフランと対峙することを決めた時から、暗黙の了解としてこの作戦が決行されるようになった。

 クルムはオレオルを信用し、オレオルもまたクルムのことを信用し、各々の場所で動き――、見事シンクと子供達を救出することが出来た。


「ここらで手を引くことを勧めるぜ、ティルダ・メルコス!」


 オレオルがティルダに向けて槍を向ける。切っ先を向けられたティルダは、思わず後ずさりをした。


 人質として機能していたシンクと子供達を取り返されたことも、ティルダの最高戦力であるフランがオレオルに尻もちを付かされたことも、ティルダの気力を落とすのに後押しさせる。


「ハハハッ!」


 突如、場違いな笑い声が響いた。


 皆の視線が声の出所に集まる。大口を開けて笑っているのはフランだった。

 フランはいつの間にか立ち上がっていて、自分の背丈ほどもある大剣を構えていた。


「ここまでコケにされたのは初めてだ、オレオル・ズィーガー!」


 戦闘態勢を取るフランは、力負けした前と全く変わっていなかった。むしろ、先ほどよりも闘志が増し、フランの身体が一回りも二回りも大きく見えた。


 どこにそんな体力と気力が残されているのだろうか。


 一度競り勝ったオレオルとはいえ、限界を越えようとするフランに勝つのは容易ではない。


「自分の腕を隠して戦うことで時間稼ぎをするとは、まんまとやられたよ! だが、そんな子供騙しのような真似が、俺に二度も通じるとは――」

「騙していたつもりはねェよ」


 フランの言葉を、オレオルはぴしゃりと遮った。


 オレオルは自分の体の具合を確かめるように、槍を持っていない左手を開いては閉じている。


 オレオルが自分の左手を見る姿を見て、フランはようやくオレオル・ズィーガーの真価を目の当たりにした。


 左目のないオレオルは、過去に両目が隠れた状態で戦っていたこともあると豪語しており、また今までも左目は閉ざして戦っていたと言っていた。

 しかし、あえて左目を使わないことと、物理的に使えないことには、絶対的な差がある。


 左目がない感覚に慣れるのにも時間が掛かるはずだ。

 それに加え、フランには分からないことではあるが、今まで使っていた悪魔の力を捨てて、オレオルは戦っている。言うなれば、両手両足に長年嵌めていた重りから解放され、自由になった状態で戦っているようなものだ。


 悪魔が憑いていた状態と現在の状態に、感覚のずれを覚えるのも当然のことだ。


「――」


 有無を言わさず、見る者すべての口を閉ざす何かが、今のオレオルにはあった。相当な腕を持つフランでさえ、オレオルの雰囲気に呑み込まれている。

 そして、拳の開閉を繰り返して何度目かになると、オレオルは思い切り左拳を握り締めて顔を上げた。琥珀色の右目が、フランを捉えている。


「ようやく体が慣れて来た」


 そう言うと、オレオルは一気に零距離まで近付き、フランに攻撃を仕掛けた。フランの頭は、自分が攻撃を仕掛けられているという事実に気付かなかった。


「――ッ!」


 だから、オレオルの一撃を避けることが出来たのは、たまたま体が反射的に動いてくれただけだ。


 そして、この偶然は二度も続かない。


「――う」


 フランの闘志を折るのには、十分な一撃だった。


 オレオルとフランの間には、最早簡単には太刀打ちできない圧倒的な差が存在していた。オレオルの異常な実力は、フランの心を打ち砕くのにはあまりにも十分だった。


 しかし、それでもフランは――。


「う、ウォオオオォオオォ!」


 フランは己を鼓舞するように声を上げると、オレオルをめがけて大剣を振るった。


 戦士の意地か、年配の矜持か、フランの表情には鬼気迫るものがあった。


 そうだ。フランには負けられない理由がある。


 少なくともオレオルのような若造よりも、生と死が隣り合わせの戦場の中で、何倍もある歳月をこの剣で生き抜いてきた。

 それなのに、オレオルとの実力の差を認めてしまっただけで、剣を引いていいのか。命だけを求めていいのだろうか。


 違う。


「オオォオォオォオオ!」


 ここで退いたら、今までの人生の意味を失くすも同然だ。


 今フランが振るう大剣は、金のためでも、雇い主のためでも、退屈しのぎでもない。


 ただフランという男の人生を懸けて、振るっている。


 しかし、その大剣は何も斬ることが出来ず、虚しい音だけが響き渡った。

 左目がない体――すなわち、悪魔がいない正常の体にようやく動きが慣れて来たオレオルに、最早フランの攻撃が届くはずがなかった。


「――」


 フランの渾身の一振りを難なく躱したオレオルは、そのまま槍でフランを穿とうと突きを放った。槍の切っ先が、容赦なくフランの心臓に襲い掛かる。


「――くっ!」


 大剣を振り切っていたにも関わらず、フランは腕を上げ大剣を自らの前に持ってきた。それにより、フランの体は大剣によって守られるになる。この大剣でオレオルの槍を止めることが出来れば、まだ勝機はあるはずだ。


「甘ェよ」


 オレオルは槍を半回転させると、柄の後端部――すなわち石突きを先端に持ってきた。石突きが捉えているのは、フランの顔。つまり、攻撃の軌道が心臓から脳に変わったのだ。


 オレオルの咄嗟の攻撃の変化に、フランは対応が出来なかった。石突きが下から上へと昇って来る様が、まるで時間の流れが変わったかのように、ゆっくりと迫って来る。ゆっくりと、はっきりと見えているはずなのに、それでもフランは動けない。


 そして、そのまま流れるようにオレオルはフランの顎を突いた。


「がァッ――!」


 世界が揺らいだ。鈍い衝撃にフランは一度だけ声を漏らすと、物理法則に逆らえずに天を仰ぎ、そのまま背中から地面に倒れ込んだ。


 仰向けに倒れたフランは目を見開いたまま気を失っているようだった。


 オレオルは槍を突いた状態のまま、体を動かさない。まるで余韻に浸っているかのように、右目を閉じている。


 やがて、オレオルはゆっくりと息を吐くと、


「お前は強かったぜ。けどよ――」


 石突きを地面に着いて、琥珀色の右目を開いて言った。


「最強を目の当たりにした今の俺には、実力不足だった」

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