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1-08 肩書きの重さ

「カペル・リューグ……」


 クルムは、リッカから聞いたオリエンスの平和をかき乱す犯人の名前を口に出した。

 そして、口に出してクルムは思う。どこかで一度耳にしたことのある名前だ。記憶の中から外に吐き出そうとしたものの、それがいつどこのタイミングで聞いたのかまでは思い出せなかった。


「政府の調査によると、彼は元々隣国ジンガの出身で、そこでも数多くの罪を犯してきた。たくさんの罪を犯した結果、彼は罪人扱いをされるようになった。そして、七年ほど前、世界政府の尽力によって、一度彼を捕らえることに成功した」

「成功……した?」


 クルムは断定的なリッカの言い方に違和感を覚える。

 成功したはずならば、この町にカペル・リューグがいること自体が矛盾だ。留置所にいなければおかしい。


「そう。彼は一度捕まってから三年ほどの間、サルバシオン大陸にある世界政府最大の牢獄ジェンドで過ごしたの。彼は償い切れないほどの罪を犯したから、一生そこで生きるはずだった。けど、四年前にあの事件が起こったことにより、彼の運命が変わった」


 リッカは忌々し気な表情を見せながら語る。四年前の事件、という単語を聞き、クルムはカペルの名に覚えがあったことに納得がいった。

 四年前の「災厄の解放」は有名な事件だ。今となっては騒ぎが少し静まっているものの、当時は歴史史上最悪の事件としてダオレイス中に広まった。

 この「災厄の解放」はダオレイスで生きるのであれば、全く無関係だと言い切れる人はいない。なぜなら、一度はジェンドに捕らえたはずの罪人が、再び世界中に放たれてしまったのだ。結果、人々の生活が脅かされるのは、必然となる。実際に多くの人が、罪人の被害にあっており、その声が止むことはなかった。

 世界政府だけでは対処しきれず、政府以外に新たな勢力も誕生し、罪人たちを取り押さえるようになった。しかし、それでも、数えきれないほど多くの罪人が現在もダオレイス中に蔓延っている。


 その時の新聞などの情報源に、脱獄した罪人の名前がすべて列挙されていた。その記事を目にしたことがあったから、クルムは憶えていたのだった。


「四年前のあの事件で脱獄した一人が、カペル・リューグなの。脱獄してからは、彼は何の音沙汰も見せず、世界政府もカペルの後を追うことが出来なかった」

「それが、今はこの町にいる……ということですね」

「うん。シエル・クヴントという英雄の名を利用してね」


 そこまで言うと、リッカは椅子から立ち上がり、一度だけ伸びをした。ずっと座ったまま話し込んでいたから、体が固まってしまったのだろう。体を伸ばしたのと同時に、小さな吐息がリッカの口から漏れる。クルムもリッカにつられ、椅子に座りながら小さく腕を伸ばした。

 そして、リッカは体を動かしながら、本棚の方へと近づいた。クルムはリッカの方向へ首だけを傾ける。


「いつの世も彼の名を語る輩は多いはずなのに、騙される人の数は一向に減らない。不思議だよね」


 本棚から適当な本を手に取り、リッカはパラパラとページを捲った。そして、まるでその話題に触れるのは必然かのように自然と新たな話の流れを作る。

 リッカが手にする本の表紙には、シエルを謳う者による被害録と書かれており、その本はシエル・クヴントの偽物たちによって起きた事件について記載されていることが分かる。傍から見ても分厚く、その事件の膨大さがまさしく目に見えてしまった。

 その本を見るリッカの目は、どこか物憂げに彩られていた。


「でも、嘘はいつか絶対暴かれる。どれだけ名前を隠し、英雄の名を借りようとも、行ないの結果が、彼が罪人だという事実を肯定している」


 リッカは断ち切るように、開かれていた本を閉じた。パタンという音が、部屋に響く。


 ――その「彼」という単語には、どれほどの人が含まれているのだろうか。


 唐突に、クルムの頭の中でそのような疑問が浮かんだ。

 リッカの言う通り、シエル・クヴントの名を使った事件は後を絶たない。リッカが手にしている被害録だって、ほんの一部でしかない。シエルが亡くなってから、その被害を正確に計ろうとしても、あまりにも多すぎてもはや不可能なことだ。むしろ、シエル・クヴントの名を語る事件は、最近ますます件数を増やしている。


「嘘は、暴かれる……」


 そのように呟いたクルムの視界には、カップが映っていた。そうして、自分でハッと、無意識に視線を落としていたことに気づいた。声も心なしか、弱々しかった。


「あ、でも、珍しい事例もあるんだよ」


 重くなった雰囲気の中、リッカの頭の中で何かと結びついたのか、思い出したように言葉を発した。


「珍しい事例、ですか?」


 クルムは視線をリッカに向け、リッカが話した言葉を口に出すことで続きを促す。シエルの名を利用して悪用する事例以外に、シエルに関する事件に思い当る節がなかったのだ。だから、クルムは単純に心が惹かれた。

 そのクルムの疑問に応えるため、「わりと最近の話でね――」と口に出しながら、本棚からそれに関連する書類を出そうとする。しかし、リッカの手は多くの本の中の一冊に届くことはなかった。最近すぎて、その事件についてまだまとめきれていないのだろう。

 リッカは指を口に当てながら、自分の記憶からその事件に関係する情報を探り当てようとした。


「確か、そう。従う人がその人にシエル・クヴントの姿を勝手に抱いて、英雄として祀り上げる事例。でも、理想を求めすぎてしまったために、人々は勝手に落胆して、自然消滅したとか……。確か、その名前は――」


 リッカの思わせぶりな口調に、クルムはごくりと息をのむ。


「……」


 だが、いつまで経っても、リッカの口からその言葉の続きが発せられない。

 クルムはリッカを凝視していると、


「――えっと、ごめんね? 忘れちゃった」


 申し訳なさからか、どこか懇願するような声音で、リッカは謝罪の言葉を口にした。その言葉を聞き、クルムは肩から力が抜けるのを自覚する。緊張した分、その落差も大きかったのだ。


「い、いや。リッカさんが悪いわけではないので、謝る必要なんてどこにもないですよ」


 クルムは手を振ることで、気にしていないことをリッカに示した。リッカは「言い訳じゃないけど」と言葉を挟んでから、


「ほとんどその人たちの間だけで起こったような出来事だったからね。まさか、そんな熱心に興味を抱いてくれるとは思わなかったよ。あはは」


 と説明した。

 確かにクルムも聞いたことがない話だったから、そんな有名な話ではないのだろう。

 クルムは気を取り直す意味も込めて、一度窓の方へと目を向けた。窓から見える景色は、居住区。そして、その先には商業区の光がちらついていた。


「――それで、リッカさんはこれからどうするのですか?」


 クルムは視線を動かさないまま、リッカに質問を投げかける。その問いを受けて、リッカは一瞬ハッとした表情を浮かべているのが窓越しに見えた。

 これから話すのは、大事な未来の話になる。


「奴らがどう動くか分からない。だから、作戦は明日の夜、決行しようと考えてる」


 リッカの言う通り、カペル・リューグがどのように動くか分からない今、じっとしていることでカペルに準備をする時間をわざわざ与える必要はないだろう。明日の夜になれば、状況が変わってしまう恐れがある。

 それに早めに対処をしなければ、その分、オリエンスの人々は長く苦しむことになる。それだけは避けなければならない。


「僕も手伝います」


 だから、クルムは迷うことなく、最初から決めていた言葉を口に出した。


「ううん。それはダメ」


 しかし、その決意は虚しく、リッカに受け入れられることはなかった。


「今回、こうして状況を説明したのだって、クルムが現状をハッキリと把握してオリエンスから避難してもらうためなんだから」


 リッカの言いたいことは十分に分かる。その言葉がすべてクルムを案じているがゆえのものだということは、初めて出会ってから今までの間で、何度も目にしてきた。

 リッカ・ヴェントは、人を想う心が人一倍強いのだ。

けれど、おいそれと簡単に納得することは出来なかった。


「でも――」

「でも、も何もないの」


 クルムは思わず立ち上がって、リッカの言葉を否定しようと口を動かした。しかし、取り付く島もなく、リッカはクルムの言葉を断ち切る。優しく、まるで子供をあやす母親のような声色だった。

 目の前にいるリッカは、穏やかに、それでいて気丈な面持ちでクルムを見つめ、微笑んでいた。


「ここは世界政府である私に任せなさい。それに、隣町へ応援に向かっていた仲間が、そろそろ戻って来るはずだし」

「……もし、来なかったら?」


 クルムは最悪の事態を想定して、そうならないように祈りながら言葉を紡いだ。

 もちろん、そうならないのが一番良い。

 けれど、万が一そうなったとき、リッカ一人で対応できるとは思えなかった。

 相手は四年前の事件で脱獄した罪人であることに加え、オリエンスの男たちもカペルの手足として立ちはだかる可能性だってあり得る。まさに、多勢に無勢という状態に陥ってしまう。

 リッカは暫しの間、俯いていた。その姿は、強く触れたら散ってしまう儚い花を彷彿とさせる。

 しかし、すぐに顔を真っ直ぐに向け、リッカは小さく笑った。


「心配しなくてもいいの。この先は一般人が首を突っ込むようなところじゃないんだから。今日はここで休んで、明日にはこの町を出ていきなさい」


 そう言うリッカの顔つきは、今しがたの姿が嘘のようで、リッカ・ヴェントという人物が世界政府の一員だということを改めて強く実感させた。

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