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3-14 不釣り合いな交渉

 ***


 ――時は少し遡る。


「……ここにシンクも子供達もいるはずです」

「そうね。いかにも悪の巣窟って感じがする」


 クルムとリッカは、闇夜に静まるメルコス組のアジトの前に立っていた。


 シンクが連れ去られてしまってから、バルット荒地を探し回っていたクルムとリッカはようやくこの場所に辿り着くことが出来た。バルット荒地は、荒地という名の通り、ほとんど建物など存在しない平然とした地だった。

 道中、他の建物がなかったことから、シンクとオーヴの子供達が囚われているのはここに違いない。

 恐らくこの建物は、バルット荒地を通る時のために交流所として用いられていたのだろう。しかし、その役目も荒地の中では果たされることなく、誰にも手を付けられることのないまま寂れ、悪人に良い様に使われるようになってしまった。


「どうする、クルム?」

「今は時間が惜しいですから、真正面から行きましょう」


 その返答に、リッカは思わずクルムのことを見つめた。


 先ほどオレオル・ズィーガーという悪魔に憑かれていた青年と戦っていたせいで、クルムには多くの傷がついていた。まだ戦いを終えてから時間が経過していないこともあって、クルムの見た目は痛々しいものだった。


「でも、クルムは怪我が――」

「僕の怪我のせいで、到着が遅れてしまいました」


 案じるリッカの言葉を遮って、クルムは言う。


「ならば、回り道をせずに正面から突破して、少しでも遅れた時間を取り戻す方が先決です。――どちらにせよ、この怪我では見つかった時に逃げることも出来ませんから」


 先ほどよりも元気になったように見えたとは言え、まだクルムの体力は戻っていない。世界最強を目指すオレオルという人間の力、それほど強かったということだ。


「……」


 リッカは言葉を発さずに考え込んでいた。


 目の前の建物は何かの倉庫みたいに大きい。それ故、中の構造が全く想像出来なかった。いくつもの部屋があるのか、それとも本当に倉庫みたいに空間が広がっているのか分からない。その中で、裏口を探し、敵の目を盗むのも苦労するだろう。

 それにこうして考えている時間さえ惜しいというものだ。


「分かった。頼りないかもしれないけど、クルムが動けない分は私がサポートする」

「……ありがとうございます。そう言って頂けるだけで、心強いですよ」


 リッカは自分を奮い立たせるように、腰にある鞭を右手で握った。クルムは自分の左肩の負傷を悔いるように触れる。心なしか、クルムの顔が一瞬だけ耐え忍ぶような顔に変わった。


「行くよ、クルム」

「はい」


 しかし、先に扉に触れていたリッカにはクルムの顔は見えなかった。

 リッカはクルムの言葉を聞くと、ドアを大きく開けた。


 その中は広く開けており、奥には二つの扉があった。右、左――どちらを見ても、同じように見える。


「……どっちの扉に入る?」


 リッカはクルムに問いかけた。

 当然ながら選択肢は二つだ。しかし、どちらに何があるかは分からない。

 そう考えている時だった。


「――いえ、どうやら僕達が入る必要はないようですよ」


 クルムの言葉を合図に、右側の扉が開かれた。そこからは六人の男が現れる。その顔を見て、リッカはピンと来た。扉から現れた男達の内の四人は、シンクを攫った人物だ。そして、その男達に守られるように、堂々と歩く男と、そしてその隣に盾のようにつく男がいる。


 この特別扱いを受けている二人が、この悪事の主犯格だ。


 主犯格の内の一人の男は高そうなコートを羽織っており、手には富の象徴のようにたくさんの金のアクセサリーが付いていた。その顔はサングラスに隠れて、深く探ることが出来ない。

 けれど、明らかに異質な存在だと分かる。


 それが平和だったオーヴを乱した元凶――ティルダ・メルコスだ。


 もう一人の主犯格――ティルダの横にいる人物も屈強な体つきで、先ほどクルムと闘ったオレオルよりも見た目はしっかりしている。恐らくこの男こそ、ディートが教えてくれた用心棒に違いなかった。


「堂々と正面から入って来るとは……馬鹿なのか、それとも俺達が相当舐められているのか」


 溜め息交じりに語るティルダの視線は、クルムとリッカを値踏みしているようだった。その視線をクルムとリッカは真正面から受け止める。


「まぁ確かに俺達メルコス組は、総員が両手で数えられるくらい小さな組織だからな。それもあまり日の目に出ることもない。舐められるのも仕方ないってもんだ。だけど、いつかは誰もが驚くくらいの組織に変わって――」

「あなたの御託に構っている暇はないの。シンクと子供たちは無事なんでしょうね?」

「やれやれ。せっかく人が説明をしているというのに、せっかちな女だ」


 饒舌に語っていたティルダは、明らかに不機嫌に変わってしまったのか、サングラスの縁に触れる。


「心配するな、ガキ達はあっちの部屋にいる」

「そう。ありがと」


 リッカが一歩足を踏み出そうとすると、ティルダの手下となる男達も行動を見せる。ここから先は通さないということだろう。リッカは動かずに足を止めた。何も考えずにあの部屋まで行くのは、状況的に不利というものだ。


 統率の取れた手下達に、ティルダはニヤリと歯を見せる。


「ははっ、やっぱりせっかちな女だ。そう簡単にガキ共に会わせると思っているのか? 大切な商品を手放す訳がねーだろ」

「彼らには、彼らのことを心配している大切な人がいます。どうしたら、彼らを帰してもらうことが出来ますか?」

「……あぁ?」


 ティルダの笑い声を遮るように、クルムが言葉を紡いだ。


 その声にティルダは怒りを隠すことなく表面に出す。しかし、すぐにティルダは我を取り戻し、短く息を吐くと、


「――お前、クルム・アーレントだな」


 まだ名乗っていないクルムの名前を正確に言った。


「はい、そうです」

「くく、そうか。俺達を邪魔しているというのは、お前だったのか。ああ、あの罪人が目の前に……」


 すると、ティルダは一人だけ納得したようにぶつぶつと何かを呟いていた。

 クルムとリッカは不思議そうにティルダのことを見つめている。


 その視線を感じ取ったティルダは、


「ああ、そういえば自己紹介がまだだったな。俺の名前はティルダ・メルコス。このメルコス組のボスをやっている。隣にいるこいつはフラン。相当の腕を持っていて、俺も一目を置いている存在だ」


 隣に立つフランは、ティルダの評価を受けても顔色一つ変えずにいる。


 確かに他の男達とは明らかに雰囲気が異なっていた。

 シンクや子供達を助けるためには、フランとティルダ、更には四人の男達を退けなければならない。そして、それを成すことは、負傷しているクルムと戦闘が得意ではないリッカの二人にとって容易ではないだろう。


 しかし、だからと言って、ここで立ち止まる訳にはいかない。いくら不利な状況だとしても、結局シンク達を助けるためには、突破しなければならない関門なのだ。


「――いいぜ、人質は解放してやる。まだ売りつけていないガキ達も合わせてな」


 だが、覚悟を決めたクルムとリッカの前に、甘い言の葉が舞った。


 ティルダはニッコリと微笑んでおり、何を企んでいるのか全く分からない。よくない事だけを企んでいるのは確かだ。


「それは……本当ですか?」


 しかし、クルムはティルダの思惑などまるで気にしないように、素直に純粋にティルダの言葉を受け取っている。


 ティルダは一瞬呆気に取られたような表情を浮かべたが、すぐに吐き捨てるように笑うと、


「ああ、もちろんだ。――ただし、お前の首と引き換えに……、な」

「なッ!?」


 ティルダの言葉に驚きの声を上げたのはリッカだ。


 ある程度交換条件を出すことは予想していたが、まさかクルムの命を要求して来るとは思わなかった。リッカは隣にいるクルムに振り向いた。動じることなく、クルムの双眸は真っ直ぐにティルダを捉えている。


「お前の首は、先日の事件で高くなっている。一生遊んで暮らせていられるほどにな。だから、お前の首を渡してくれりゃあ、金輪際オーヴの町に手を出さないと誓おうじゃねぇか」


 ティルダの言う通り、ヴェルルで起こした事件により罪人扱いを受けているクルムには、類を見ないほど高額の賞金が懸けられている。シエル教団と世界政府の上層部が、クルム・アーレントという人物は世界にとって危険だと判断しているのだ。


 クルムは黙ってティルダを見ていた。ティルダもサングラスの下から、羨望するようにクルムのことを睨みつけている。


 お互いの視線が重なる時間が、暫し続いた。


 その静寂の時間を先に破ったのは、


「本当ですね」

「ああ」


 ティルダが頷いたことを確認すると、クルムは一歩前に踏み出した。


 クルムは自分の命よりも、シンクや子供達の命を救うことを優先した。それはいかにもクルムらしい行動だ。


 しかし――、


「クルム、こんな薄っぺらい言葉信じちゃダメだよ。この人達が大人しく約束を守るとは到底思えない」


 リッカはクルムの前に腕を伸ばし制止させた。


「はっ、バレたか。あわよくばお前の首もガキ共の命も頂こうとしたが……、まぁ当然だよな」


 リッカの言葉に、ティルダは悪びれることもなく約束を反故にしようとしていたことを認めた。その口調はどこまでも軽い。

 そんな軽い口ぶりに、リッカは自分の心が燃え上がるのを感じていた。


「さて、お遊びの時間はここまでだ。お前達には、俺の仕事を邪魔した罪を清算してもらわないとな」


 ティルダは指を鳴らすと、手下達に視線で合図を送った。すると、手下達はその意図を汲み取り、一歩一歩とクルム達の距離を詰め始めた。余裕を持ってじりじりと重圧を掛けるような、そんな追い詰め方だった。


「……どうして子供達を攫うのですか?」


 しかし、手下達が近づく前に、クルムはティルダに疑問を投げた。


 判断に迷った手下達は振り返り、ティルダに指示を仰いだ。ティルダは仕方ないと言いたいように肩を落とすと、手下達に待機をするように命令する。


「ガキは金になる。それにこれはゲームだ。一日一人攫う。連続して十人攫うことが出来たら、そいつらを売り飛ばし、次の町に行く。やっぱ商売は楽しくやらないとな」


 ティルダは陰湿な笑みを浮かべながら語る。


 ティルダ・メルコスが町の子供達を攫うのには特別な理由なんてなかった。簡単に高額の金を稼げること、スリルを味わえて退屈しのぎになること――、この二つの条件を満たすことが、ティルダにとって人攫いということだけだったのだ。


「もう一ついい?」


 だが、ティルダの話の中で一つだけ腑に落ちない点がある。

 押し黙るティルダを、リッカは無言の肯定として受け取る。


「どうして一日だけ――ヴェルルでシエル教団の巡回が行なわれた日だけ犯行を行なわなかったの?」

「ああ、そんなことか」


 ティルダの声は関心がないように冷めていた。つまらなそうに広げた自分の手を見つめる。


「オーヴで起こる連続失踪事件、そして犯人の狙いも何も分からない状況、次は自分かもしれないという恐怖。精神的に追い詰められるオーヴの連中にも希望に縋る時間を与えてやりたかったんだ。そして、シエル教団によって与えられた希望を、俺達が再び絶望へと塗り替える! その瞬間の人間の顔が見たくて見たくて仕方なかった」


 ティルダはぎゅっと空気を掴むと、狂った笑顔を浮かべた。しかし、それも束の間で、すぐに真顔に戻ると、クルムのことを指差し、


「一つ誤算だったのは、そこにいる罪人が派手に暴れて巡回をぶち壊したことか。まぁ、それが今は面白い方向に動いているから、俺的には良いけどな」


 肩を抑えるクルムの手が、強くなった。そして、その隣にいるリッカも自然と握り拳を作っていた。


「おかげで良いものが見れた。……これで満足か? なら、とっとその命を――」

「――あなた、最低ね」


 そう怒りに震わせながら声を上げたのは、リッカだ。鞭を持つ手に自然と力が籠っているのが、目に見えて分かる。


「そんな理由で子供達を攫っているの?」


 もちろん、人を攫っていい理由なんてどこにも存在しない。しかし、ティルダの言い分はどこまでも自己中心的で、人の命の尊さを蔑ろにしている。


 リッカは強く鞭を振り下ろし、床を鳴らすと、


「ここで捕まえて、あなた達が犯した過ちの重さを気付かせてあげる!」


 ティルダ達に対して熱く吼えた。興奮しているのか、肩で息をしている。


「……リッカさん」


 クルムは隣にいるリッカに視線を当てる。


 今まで短い間ながらもリッカと旅をしてきて、ここまで激昂するリッカをクルムは見たことがなかった。いつもリッカは、――していて、あまり負の感情を露わにする方ではなかった。よほどティルダの悪事が、リッカの心を刺激したのだろう。

 世界政府に所属するリッカ・ヴェントが正義に厚い人間なのだと、クルムは改めて認識した。


 熱を上げるリッカを、対照的な冷めた目で見つめているティルダは溜め息を吐くと、


「馬鹿な女だ。アンガス、相手をしてやれ」

「はい」


 ティルダの指示に従い、クルムとリッカに距離を詰めていた四人のうち一人が前に進み出た。アンガスと呼ばれた男は自信に満ちた笑みを浮かべながら、指を鳴らしている。

 アンガスという男の顔は、リッカの中で一番印象に残っていた。


「俺は女子供であろうと手加減はしない。覚悟しろ」

「こいつの名前はアンガス。俺達メルコス組の中で、ナンバースリーとなる男だ。聞けば、さっきこいつと対峙して、まんまとあの生意気な金髪のガキを守り損ねたんだって?」


 ティルダは含み笑いを浮かべながら語っている。彼の意図が正確にリッカに伝わるから、思わず唇を噛む力が強くなる。


「良かったなぁ。これでリベンジを果たせるじゃないか」


 ティルダの言葉は、やはりリッカが予想していたものと同じだった。なんて下種な人間だろうか。


 ティルダが頭の中で描いている絵は、復讐に燃えるリッカがその野望虚しくアンガスに返り討ちに合い、誰も救えない己の無力さに嘆く姿だ。ティルダは人が崩れゆく様を、見届けたいのだ。


 リッカはよりティルダの性格に嫌気を覚えた。


「ククク、女一人に動くこともろくに出来ない怪我人一人。可哀想過ぎて同情しちまうぜ。だからよ……、心優しい俺が慈悲をやろう!」


 悦に浸るティルダは両腕を大きく広げる。一挙手一投足全てが大袈裟で、まるで芝居がかった役者のようだ。


「もしお前がこいつに勝ったら、ガキ達を返してやる」


 リッカはアンガスを越えてティルダを睨みつけた。ティルダはリッカの視線に動じることはない。


「――、その言葉、本当でしょうね?」

「ああ、お前が本当に勝てたらな」

「その余裕……、後悔しても知らないから」


 クルムとリッカにとって都合のいい条件を、ティルダが提示し約束したことを確認すると、リッカは集中するように深く息を吐いた。


 メルコス組がこちらを舐めている、この時がチャンスだ。


 ティルダ達はアンガスを除いて、後ろに下がっていた。部屋の真ん中にはアンガスが立っており、二人が戦うには丁度いいくらいのスペースが出来ている。


 アンガスを見つめるティルダは、狂ったような笑みを浮かべていた。きっとこれから起こる残虐な光景を予想して、喜んでいるのだろう。


 その鼻っ柱を折ってやろうと、そうリッカが決意した時、


「……リッカさん」


 配慮が籠った声音に振り向けば、クルムが心配そうな表情を浮かべていた。きっと自分が肝心なところで何も出来ないことを、不甲斐なく感じているのだろう。


 リッカはクルムを安心させるように笑いかけると、


「心配しないで。私、この人達には負けないから」


 リッカは心配するクルムを置いて、一歩を踏み出した。その歩く様は堂々としていて、頼もしさを感じられる。クルムは喉まで出かかっていた言葉を呑み込み、リッカの勝利を祈るように見守ることにした。


「本当に俺に勝てるつもりでいるのか? さっき俺に出し抜かれたこと、忘れた訳じゃねぇよな?」

「……」


 リッカはアンガスの言葉に取り合わず、ティルダのこと――、更にはシンクや子供達がいる部屋を見つめていた。


「はっ、俺も舐められたもんだな。お前みたいな女、俺が本気を出すまででもないんだよ!」


 怒りに震えるアンガスは高らかに声を張ると、リッカに向けて一歩踏み出した。そして、その勢い、アンガスは思い切り右拳を振りかざし――、


「――その台詞、そのまま返してあげる」

「なにッ!?」


 リッカはアンガスの拳の軌道を見切ると、体を左に反らして、アンガスの攻撃を躱した。アンガスは攻撃を避けられたことに、目を見開く。


 しかし、アンガスの驚きはこれだけでは終わらない。

 アンガスの右拳を避けたリッカは、そのままアンガスの右腕を掴み、勢いが止まらないアンガスの足を払った。バランスを崩したアンガスは、そのまま正面から床に転んでしまった。


 流れるようなリッカの反撃に、状況を読み込めなかったアンガスはうつ伏せになったままリッカを見上げた。


 そこには真っ直ぐにアンガスのことを見下ろすリッカがいて、


「私は世界政府のリッカ・ヴェント。あなた達みたいな悪人は、必ずここで止めてあげる!」

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