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3-10 死屍舞蓮華

 ***


 ――あなたには悪魔がいます。


 時間が止まったと錯覚してしまいそうなほどの静寂が、夜空の下に満ちている。

 クルムとオレオルは互いに向き合ったまま、動こうとしなかった。リッカとシンクは逸る心臓の鼓動を無理やり抑えながら、二人の様子を静かに見守ることしか出来ずにいた。


 一瞬、オレオルの表情に動揺の色が浮かんだが、すぐに平静を取り戻した表情に戻ると、


「悪魔? ハッ、確かにそうだ。俺は強い奴と戦うために、こいつの力を使っている。ただそれだけだ」


 オレオルは漆黒の左目に触れながら、悪ぶれることなく告げた。


「こいつは便利だ。この目を使えば、相手の実力、居場所、潜在能力、過去、少し先の未来――すべてを見通すことが出来る」


 オレオルの左目が気味悪く動いている。その動き方は、普通の人間にはあり得ない動きをしていて、見ている者に嫌悪を抱かせた。


 しかし、そんな瞳を前にしても、クルムは黙ってオレオルを見つめている。


 オレオルはクルムの視線を感じたのか、


「ま、俺が悪魔の能力を使うのは、強ェ奴を探す時だけだ。こんなものに頼って世界最強と呼ばれたってなんの意味もねェ」


 と歯を見せながら言った。


「――でも、それ以外の物を、その左目は何も映さない」


 しかし、クルムはオレオルの態度を受け入れることなく淡々と事実を言い述べた。クルムの一言に、オレオルは琥珀色をした右目を大きく見開いた。


「悪魔の力を使うためには、それなりの代償を払わなければなりません。その黒く沈んだ左目は、もうこの世界の彩りを映していないはずです」

「……」


 続けて語るクルムの言葉に、オレオルは黙っていた。まさか言い当てられるとは想像もしていなかったのか、オレオルの右拳が強く握られる。


「……よく、ご存じで」


 オレオルは堪忍したように琥珀色の右目を閉じ、


「確かにそうだ。もうこの左目には、色なんて見えない」


 闇に染まる左目でクルムを、否、クルムが立っている方角を捉えながら言った。


 悪魔の力を受けた左目で見通す世界が、どのように描かれるのかは分からない。しかし、目としての本来の機能が生きている右目を閉ざしている今、オレオルの視界は暗闇に染まっているはずだ。


「でもよ――、だからどうした? 強くなるためには犠牲が必要だ。だったら、片目くらい俺は喜んで捧げてやるよ」


 悪魔から力を受けた時から覚悟を決めていたのだろう、オレオルは右目を開くと、色違いの双眸でクルムを見据えながら堂々と言った。

 その双眸は、一切揺れることがない。

 世界最強――、オレオルの語る荒唐無稽な言葉が、本気だという証拠だ。


 クルムとオレオルの視線が互いに絡み合う。その瞳からは、互いに譲ることの出来ない意志が感じられる。


 やがて、クルムは息を浅く吐くと、


「その心意気は立派です。しかし――」


 負傷した左肩を抑える右手を離して銃を握る。そのままゆっくりと腕を上げ、


「悪魔の力に頼ることは間違っています。今は悪魔の力を少し利用しているだけだと思っているようですが、いつしか悪魔があなたの心へと狡猾に悪なる思想を流し込みます。悪魔の思想をもって行動するなら、それは見た目は人間だとしても悪魔と変わりません。だから――」


 そして、オレオルに向けて銃を構えた。


「今ここであなたから悪魔を退かせます」

「悪魔に体を乗っ取られるほど、俺はやわじゃねェ!」


 クルムの言葉に反論するオレオルは、怒りを露わにしたような口調だ。周りで様子を窺っているリッカとシンクは、そのオレオルの放つ威圧に押されそうになる。

 一方、オレオルと対峙するクルムは冷静を装ったままだった。冷静な視線をオレオルに送るクルムは、まるで何度も経験して来た百戦錬磨の達人のように動じることはない。


 そんなクルムに興が冷めたように、オレオルは溜め息を吐くと、


「てめェは相当のおしゃべりみてェだな。いい加減、その減らず口叩けなくしてやるよ」


 クルムの前から忽然と姿を消した。


 ここまでクルムとオレオルは死闘を繰り広げて来た。だから、オレオルの姿が消えたとて、この場にいる者は誰もその事実に驚かない。オレオルは目で追うことの出来ない超スピードで移動しているのだ。

 しかし、問題は先ほどの大技「崩牙葬鋼戟」で武器を投げ飛ばしたオレオルがどこに向かっているのかだ。槍を回収しに行ったのか、それとも素手でクルムに仕掛けるか――、オレオルが取れる選択肢は二つに一つだろう。


 クルムは負傷した左肩を下げたまま、右手で銃を構え、何もない空間に向けて撃った。その方角には、先ほどオレオルが投げた槍が刺さっている岩があった。クルムはオレオルに槍を持たせる前に、槍を弾丸で壊す作戦に出たのだ。


 弾丸は空を切って、槍に向かう。今なお目にも止まらぬ速さで移動しているオレオルに、目立った動きは見当たらない。このままいけば、オレオルの槍を壊すことが出来るだろう。


 リッカとシンクは勝利を確信したように拳を握った。


 ――弾丸が槍を破壊し、クルムとオレオルの戦いに終止符が打たれる時が来た。


 しかし、二人の反応とは対照的に、クルムの顔は浮かない色をしている。まるで間に合わなかったと言いたいような、悔し気な表情だ。


 そして、クルムの予想を裏付けるように、


「ッ!?」


 槍が刺さっていた岩が音を立てて、突如崩れ落ちたのだ。クルムの弾丸はまだ槍まで届いていなかった。つまり、クルムの弾丸によって起こったことではない。

 ならば、他に考えられる原因はたった一つしかなかった。


「――」


 目標物を失った弾丸は止まる術を知らずに、砂塵の中に飛び込んで行く。しかし、その弾丸はあっという間に、人の手が加えられない限り物理的におかしな方向へと弾かれた。


「ッ」


 クルムは全神経を砂塵へと集中させる。右手を上げ、銃を構えた。クルムの黄色い双眸は、一瞬も見逃すことがないようにと鋭く光っている。


 そして、闇が深まる荒野に風を切るような轟音が鳴り渡ると、それと同時に砂塵が消えた。


 そこには槍を手にしたオレオルが立っていた。オレオルは余裕を見せることなく、今までの中で一番真剣な面構えだ。


 オレオルは一度だけ息を吸い込むと、体を沈め、クルムに向かって駆け出した。

 もうオレオルは声を荒げることもなく、叫ぶこともない。ただひたすら、目の前にいるクルム・アーレントという敵に勝利することだけに集中しているようだった。


 クルムはオレオルを迎え撃つように、態勢を動かすことなく銃を構えている。左肩に傷を負っているクルムでは、たとえ動いたとしても、オレオルのスピードについていくことは難しいだろう。だから、正確さを重視することにした。


 迫り来るオレオルに向けて、クルムは弾丸を放った。もちろん、狙うはオレオルの足だ。しかし、走るオレオルには弾丸が見切られているのか、難なく躱されてしまった。


 オレオルは更にスピードに乗り、クルムに近づく。


 それでもクルムは続けて弾丸を撃ち続けた。ここで止めてしまえば、オレオルの足を止める可能性はゼロになる。クルム・アーレントはどんな状況だとしても諦めることを知らない――、暗闇の中に光を見出すような人間だ。


 だが、それでも負傷しているクルムに分が悪いのは、明らかだった。

 襲い掛かる弾丸を、オレオルは軽々しく避ける。何度も攻防を繰り広げていく内、いつの間にか、クルムとオレオルの距離は限りなく近づいていた。


 オレオルはこの距離を好機と判断したのか、急ブレーキを掛け、滑り込むようにクルムとの距離を詰めていく。


 クルムもオレオルがブレーキを掛けたことを捉え、もう一度弾丸を放った。

 オレオルの足を狙う軌道だ。スピードを落としたオレオルには、躱すことは困難だろう。


 これがクルムにとって最後のチャンスだと言っても、過言ではない。


 しかし、オレオルはクルムの弾丸をまるで気にしないように、


「必殺・死屍舞蓮華――」


 一言だけ囁くように言うと、槍を下から上に振るった。


「――円の型」


 オレオルの言葉通り、槍の軌跡がはっきりと弧を描いているのが目に見えた。それによりオレオルを捉えていた弾丸は、上空へと弾かれる。

 そして、「死屍舞蓮華・円の型」は弾丸を弾くだけに留まらず、その歯牙を容赦なくクルムに向けていた。


「っ!」


 クルムは弾丸を放った衝撃で後ろに下がっていたため、何とかオレオルの技「死屍舞蓮華・円の型」の直撃を避けていた。槍の切っ先がクルムの目の前を過り、その風圧で前髪が浮かび上がった。


 しかし、安堵をするにはまだまだ早い。むしろ、先ほどよりも強い悪寒がクルムを襲っていた。


 オレオルが発した技の名前――その意味を言葉通りに捉えるならば、これだけで終わることがないのははっきりしていたからだ。


 クルムの推測を裏付けるように、オレオルは強くはっきりと色違いの双眸でクルムを睨みつけると、


「穿の型ッ!」


 クルムに反応を許すことなく、流れるように槍を突き出した。しかも、その突きは一度ではない。常人の目では数えることも許さない速度で、何度も何度も突いている。

 無数の槍がクルムを襲った。オレオルがお手並み拝見とばかりに空中で放った「裂空閃雨」よりも攻撃の手数は明らかに多い。しかも、その一つ一つの突きが、致命傷になりかねない威力を備えている。


 全てを無傷で躱すことは不可能だと判断したクルムは、その場で体を丸めて身を守る態勢を取った。先ほど「崩牙葬鋼戟」によって負傷した左肩に激痛が走るが、泣き言を言っている場合ではない。痛みを我慢してでも身を守らなければ、オレオルは僅かな隙を嗅ぎ取ってクルムの命を奪いに来る。


「死屍舞蓮華・穿の型」によって無数の突きが繰り広げられると同時、クルムの血飛沫が宙を舞う。しかし、身を縮こまらせているクルムは倒れることなく、上手いこと致命傷を避けていた。


「――ちィ」


 このままでは平行線だと判断したのか、オレオルは最後にもう一度槍を突き出した。槍の切っ先が横っ腹を掠め、クルムは痛みに顔をしかめた。


 オレオルはそのまま滑らかに槍を手元に戻した。突きの威力を最大限に発揮させるため、柄の後端部を握っていたことで、槍がオレオルのところに戻り切るまで少々時間を要した。しかし、それでも反撃が出来るほどの余裕も、距離を開けるほどの余裕もない。クルムは息を整え、次のオレオルの攻撃に備えることしか出来なかった。


 そして、オレオルは槍を手元に戻すと、目を閉ざしながら自身の前に槍を掲げ、


「――錬の型」


 柄の後端から切っ先に向かって左手でなぞり始めた。まるで槍全体に力を注いでいるかのようだ。


 明らかにオレオルが放つ空気が変わっていく。それに伴って、槍が纏う空気も変わった。どす黒く禍々しい気が槍を覆っている。

 今までにない雰囲気に、クルムは息を呑んだ。今すぐここから逃げなければならない。今のオレオルなら、逃げる隙はある。しかし、頭では分かっていても、体に傷が入っていることに加えてオレオルが発する禍々しい気に呑まれ、動くことは出来なかった。まるで地面に足がくっついてしまったような感覚だ。


 やがて槍に力を溜め終えたのか、オレオルは槍を後ろに引くと、


「死屍舞蓮華――」


 その時、オレオルと対峙するクルムの目に、一匹の獣の姿が映った。その獣は、虎視眈々とクルムを狙う孤高の王のようだった。

 しかし、このような獣は、現実には存在しない。オレオルから発せられる気配が、この獣のような容貌をしているのだ。


 本来ならば他人の目に見えないはずの気を、ここまではっきりと他人に視認させることは、改めてオレオルの実力が高いという証拠だ。


 そして、オレオルは地を蹴ると、姿を消し、


「点の型ァ!」


 槍を突くオレオルの雄叫びに呼応して、獣も咆哮を上げた。


 突風がクルムを吹き付ける。画竜点睛、まさにこの戦いに終止符を打つかのように、オレオルの槍は迷いなくクルムの心臓を狙っていた。


 そして、その切っ先がクルムの心臓を捉え――。

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