3-07 謎の男
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「ディートさんが言うには、ここら辺のはずです」
陽が傾きかけ、周囲が茜色に染まる時間、クルム達はオーヴから離れたバルット荒地を歩いていた。
理由はただ一つ。先ほど訪れたオーヴで多発している人攫いの事件を、一刻も早く解決するためだ。
町長であるラッツと付き人ディートに人攫いの情報を教えてもらった後、クルム達はその情報を基に足を動かし、半日ほど掛けてこの場所まで辿り着いた。
「でも、それっぽいところがねーぞ」
周りを見渡すと一面が荒地と化していて、人攫いの拠点を見つけるどころか、建物一つない状況だった。仮にラッツとディートの情報通り、この周辺に人攫いの拠点があるのなら、もう見つかってもいいはずだ。
「もしかして彼らに嘘の情報を教えられたのかもしれないわね」
リッカは現在の状況を見て、そう直観した。
ラッツ達が人攫いの問題を本気で解決したいということは、彼らの態度から分かった。しかし、その中で垣間見る違和感が、どうもラッツ達を完全に信じるようにはさせなかった。彼らはどこか打算的に動いているような気がしていた。
「いえ、そう断定するのはまだ早いです。僕達は方角しか聞いておらず、距離については聞いていません。もう少し歩いてみましょう」
そう言うと、更に先へとクルムは足を進めようとした。
「待てよ」
その時だった。
クルムともリッカともシンクとも違う第三者の声が、突如背後から響いた。その声にクルム達は足を止め、後ろを振り返った。
けれど、そこには誰もいなかった。人が座るのにちょうど良さそうな形をした岩がぽつんとあるだけだ。
「こっちだ」
再度聞こえた声に振り向くと、先ほどまで誰もいなかった場所に一人の青年が立っていた。
見た感じの年齢はクルムと同じくらいで、目立つ金色の長髪に、男性には相応しくないカチューシャによって額を見せていた。深淵を覗かせるような黒瞳と鮮やかな琥珀色の瞳――、左右違う色を持つ瞳が、彼を只物ではないと思わせる。
そして、その印象を裏付けるのが、彼が手にしている武器――彼の背丈ほどに長い槍だ。
ただの一般人であるのなら、道中にこんな槍を持つことはないだろう。
突然、武器を持って現れた男に、クルム達は最大限の警戒を張り巡らせていた。
「ここは女子供が観光気分で足を踏み入れていいような場所じゃねぇぞ。今は色々と面倒くせぇことになってるから帰っとけ」
しかし、その警戒とは裏腹に目の前にいる男は、快活に助言を与えてくれる。彼は黒い瞳を持つ左目を瞑りながら、この場から離れるように手を何度も仰いだ。
目の前の男は、不思議な男だった。気付けば、心で開けていた距離は限りなく近づかせる――、そんな魅惑を持っていた。
「なぁ、俺達、ここらへんで人攫いのアジトを探してるんだけど、何か知らないか?」
だから、シンクが普段の調子で男に語り掛けるのも仕方がなかった。
「ッ」
しかし、そのシンクの一言で男の雰囲気はあからさまに変わってしまった。
男は目を見開かせると、すぐに左の黒瞳を左手で覆った。まるで瞳から溢れ出る何かを抑え込むように、体全体も曲げ始める。時々苦痛に耐えるような呻き声も、その口から漏れていた。
「な、なに急に?」
その突然の男の変化に、リッカは戸惑いの声を上げた。リッカの声に反応するように、男は少しだけ顔を上げる。琥珀色をした右目に、手に覆い隠された左目――、その隙間から見える黒瞳がシンク、リッカ、クルムと順に捉えていくと、ぎょろぎょろと左眼が不規則な動きを見せた。
リッカとシンクは気味の悪い男に、その場で一歩後退った。彼を見ていると、心の底から不快感が湧き上がってくる――、そんな感じだった。
その一方でクルムだけはたじろぐことなく、男のことを見つめていた。
やがて、男の眼球が動きを止めると、口を歪め、
「クッ――、ハハッ!」
体を真上に向かって反らしながら獣の雄叫びの様な笑い声を張り上げた。
「な、なんなんだ!」
「……」
シンクの問いかけに、男は笑い声を止めた。しかし、肝心の答えは返って来ない。
男は反らしていた体をゆっくりと正すと、
「あー、悪ィ。やっぱ――、気分が変わった」
ただでさえ黒かった男の左眼は、先ほどよりも闇を更に濃くさせていた。
先ほどの慣れ親しむことの出来る口調から一転、容易に近づくことが出来ない口調に変わっている。しかも、口調だけではなく、その眼差しからも殺気が満ち溢れていた。
その殺気溢れる男の視線が捉える先は、ただ一人――、
「お前、相当な実力を隠し持っているな? 俺と戦えよ」
クルムに当てられていた。
クルムは身動きせずに、ただじっとその場に立ち尽していた。その様子を見て、男は一層唇を恍惚と歪ませる。
「俺を見ても全く動じることがねぇとはな。睨んだ通りだ。お前は俺の糧になるのに相応しい強敵……、決闘を申し込むぜ」
男は手にしていた槍をクルムに向けた。クルムが武器を構えることを催促しているようだ。しかし、男の想いとは裏腹に、クルムは考え込むように黙って男のことを見ている。
リッカは男のことを見ながら、ある程度その性格を見出していた。
言動から察するに、目の前にいる男は戦闘狂だ。
ただ強い相手と戦いという願望を持つ相手に関わっても時間の無駄だ。そもそも、今は戦闘狂に構うよりも一刻も早く解決しなければいけない事件もある。
だから、
「……クルム、早く先に行こう」
微動だにしないクルムに、リッカは言葉を掛ける。リッカの隣では、シンクも何度も首を縦に動かしていた。
「クルム? ハハハ! やっぱりな、道理で納得だ!」
リッカが言ったクルムという単語に、再び男は笑い声を上げた。高らかに笑う男の表情は、満足に満ち溢れていた。
その男の表情を見て、リッカは自分が口を滑らせたことを悟った。
「……あんな奴に付き合う必要ないわ」
リッカは失態を取り戻すように、今度はクルムの名前を呼ぶことなく話し掛ける。
しかし、クルムが言葉を返すよりも早く、
「――女は関係ねぇ。俺はそいつに話しかけてるんだ。なァ、罪人クルム・アーレント」
男はまだ名乗っていないクルムのフルネームをはっきりと言った。
やっぱり――、そう思いながらリッカは唇を嚙み締めた。
今のクルムの状況を考えれば、仕方ないことだ。少なくともグリーネ大国にいる限り、クルムの名前とその名に付随する恐怖について知らない者はいない。
だから、罪人クルム・アーレントの名を聞いて、その命を狙おうとする者がいても不思議な話ではないのだ。
しかし、
「俺は誰よりも強くならなければいけねぇんだ。そのために、世間を騒がせるテメーの存在は、世界最強になる上で邪魔だ。ここでお前を消して、俺はまた一歩最強に近づく」
男の言い分は違った。
目の前にいる男は、罪人であるクルムを強者と判断して、己の闘争心を満たすためにクルムを利用するようだった。富や名誉ではなく、ただ己の誇りに懸けて戦いを吹っ掛けている。
クルムは男の言葉に目を閉じると、
「……僕にはあなたの言う目的に応える理由がありません」
ここに来て、クルムがようやく言葉を発した。男を捉えるクルムの双眸は、男の妄言を憐れむようだった。
「リッカさん、シンク。お待たせしました。今は彼よりも先に解決すべきことがあります」
クルムが男に背を向け、歩き出そうとした時だった。
「待てよ」
去ろうとするクルムの背中に、男は言葉を投げかけた。クルムは足を止めて、男を振り返る。目の前にいる男は、琥珀色の目と漆黒に染まる目を真っ直ぐにクルムに当てていた。全てを見透かされているようで、寒気がよだつ。
やがて、男はふっと笑みを零すと、
「理由があればいいんだよな?」
その声は、強かに、卑しく、クルム達に響いた。
「い、いでっ!」
そして、クルム達に反応する隙を与えることなく一瞬で移動すると、男はシンクの右腕を左手で掴み、そのまま軽々しく上げた。足が地面から離れて宙に浮くシンクは、じたばたと足を動かすが、そのもがきは男には一切影響がなかった。
男は変わらない表情で、右手に収めている槍をシンクの首元へと当然のように近づけると、
「俺は今オーヴを賑わしている人攫いの一味――その矛、だぜ?」
「……ッ!」
「ハッ、この場所に来た時点で、お前らの目的は見え透いてるんだよ! さぁ、こいつを酷い目に遭わせたくなければ、武器を取れ! そして、俺と戦え!」
吠えるようにクルムに言いつけた。
槍を突き付けられているシンクは瞳を濡らしながら、クルムのことを見つめている。何も言わないが、その瞳は明らかに助けを求めていた。
クルムはどうすべきか迷いあぐねているように、目を閉じている。
今クルム達が最優先にすべきことは、オーヴの町を人攫いの手から助けることだ。そのために人攫いの拠点を見つけ、彼らの悪事を止め、攫われた子供を解放しなければならない。そして、その腕となる男が目の前にいる。しかも、シンクを人質にしてクルムに戦うことを強いている。
ならば、やるべきことは決まっているだろう。
しかし、それでもクルムはなかなか動くことはしなかった。
クルム・アーレントという人間は武力で物事を解決することを良しとしないのだ。更には決闘という形で、銃を手にするのはクルムの信条に反するだろう。
だが、男の要望に応えなければ、シンクの命は危うい。
その瞼の裏ではどれだけの思考が巡り巡っているのだろうか――、目を閉じるクルムを見ながら、リッカはクルムのことを案じていた。
「クルム……」
そして、リッカは無意識にクルムの名前を呟いた。
リッカの声と同じタイミングで、クルムは決意を固めたのか、
「すみません、リッカさん。事情が変わりました。……少しの間だけ、離れてください」
瞼を開けると、男に向けて銃を構えた。
「まずは彼を止めて、シンクを助ける。そして、三人で人攫いの拠点に乗り込み、子供を救い出し、彼らの悪事を止めてオーヴの町を不安から解放する。これが、今僕達がしなければならないことです!」
「ハハッ、物分かりが良くていいねェ!」
すると、男は満足したようにシンクを自らの背後へと投げた。シンクは尻から地面に着いたが、体に異常はないようだった。クルムと男の行く末を見届けるために、すぐに体を起こした。
二人の間に、異様な空気が流れる。どちらかが動くということはなく、ただ見つめ合い、互いに牽制し合っているようだ。
やがて、そんな時間に終止符を打つように、男は唇を舌で舐めると、
「――オレオル・ズィーガーだ」
「?」
脈絡のない一言に、クルムは反応を示すことは出来なかった。ただただ疑問符を浮かべるだけだ。
「オレオル・ズィーガー、これが世界最強を目指す男の名前だ。俺だけ名乗らないってのは公平じゃねぇだろ? それによォ、名前の知らない奴に倒されるって――」
途中で言葉を区切ると、大きく息を吸い、
「あまりにも滑稽だもんなァ!」
オレオル・ズィーガーと名乗る男が地面を蹴り出すことで、クルムとオレオルによる戦いの火蓋が切って落とされた。