3-06 その裏に潜むもの
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「君達も知っての通り、現在オーヴでは幼い子供が攫われる事件が起こっている。この事件が起こり始めたのは一週間前――」
ラッツは話を始めるや否や、回想するように目を瞑った。
「一週間前から一日一回、毎日子供が姿を消すようになった。最初はただ子供達が遊びすぎて、家に帰らなかっただけだと思っていたが、オーヴは小さな町だ。隠れる場所なんて、いくらもない。大人が集まってオーヴ中を回れば、一時間もかからずに隅々まで確認できるだろう」
しかし、期待をさせるような言葉に反して、ラッツの表情は曇ったままだ。
「だが、それでも子供は見つからなかった。加えて、次々と子供の姿が消えていけば、事件と割り切るしかないだろう。しかし、誰も人攫いの姿を見た者はいない。奴らが一体何人いるのかも、首謀者の目的も名前さえも分からない状況だ……」
「では、今日は僕達が彼らの行動を阻止したので、今まで六人の子供が攫われてたということですか?」
顔の前で手を組みながら語るラッツの表情は、苦痛を耐え忍ぶような、そんな表情だった。そんな顔を見かねたクルムは、情報を整理する意味も込めて、質問を投げかけた。
しかし、クルムの問いに、ラッツは首を横に振り、
「五人だ」
はっきりと数字を口にした。
その予想しなかった答えに、クルムとリッカは頭を悩ませた。
それでは計算が合わない。一日一人、今日を除いて一週間続けて攫われているのであれば、六人のはずだ。
「実はたった一日だけ誰も攫われることのなかった日があったのだ」
そう言いながら、ラッツは窓の外を見つめた。その瞳は、過去を回想するように遠い空を映し出している。
「それは三日前――」
「――ヴェルルでシエル教団の巡回が行なわれた日、ですね」
ラッツの言葉を先回りしてクルムが言った。ラッツはゆっくりと首を縦に振る。
「そうだ。何故、巡回の日だけ犯行が行なわれなかったのか、詳しい理由は分からない。その間、我々は必死にシエル様に祈った。希望の再来が成され、この現実が打破されるを切に求めた……っ!」
興奮するラッツの姿を見て、クルムは視線を下に移した。まるで自分の非力を悔いるかのようだ。しかし、ラッツの興奮する姿に気を取られ、誰もクルムの微々たる変化に気付く者はいなかった。
やがて、ラッツは空気の抜けた風船のように力を抜き、肩を落とすと、
「――だが、巡回が終わった次の日から再び悪夢のような現実が襲ってきた。親が目を離した隙に、子供はいなくなってしまうのだ。人々は不安と恐怖に苛まれ、必要最低限以外は外に出ることはなくなった。ただでさえ物静かなオーヴは、更に生気を失ったようになってしまった」
リッカはラッツの話を聞いて、このオーヴという町の違和感の理由に納得がいった。
ここまでひどい状況であったならば、確かに町は活気を失っていくのは当然だろう。
「そこで姿を見せ、善意を装って人に近づく罪人。さて、何も知らないオーヴの人達はどのような思考に至るか、分かるだろう」
クルムとリッカは頷いた。その推測は先ほどクルム達で話し合った時にも上げられたものだ。ただ一人、シンクだけは苦虫を噛み締めるような表情を浮かべている。
「君は悪くない。ただタイミングが悪かっただけのことだ」
ラッツは申し訳なさそうに苦笑した。
この町を治める長老として、罪人というだけで濡れ衣を着せられたクルムに、ラッツは謝罪の意識を持っているようだった。
そんなラッツを庇うようにクルムはゆっくりと首を横に振り――、
「――僕にその事件を解決させてください」
その言葉に、誰もがクルムのことを見た。
誰の視線を受けようともお構いなく、クルムは真剣な表情でただひたすらにラッツのことを見つめていた。
「人攫いがいる限り、町の人々は怯えながら暮らして行かなくてはいけませんよね。そのような状態は正常とは言えません。だから、僕が解決します」
ラッツとディートは驚きの表情でクルムのことを見ているが、リッカとシンクからしたら当然のことだった。
きっとクルムの頭の中では、他人の不幸を見なかったことには出来ないのだ。
「……まさか私たちが言おうとしていたことを先に言われるとはな」
口を開けて唖然としていたラッツだったが、落ち着きを取り戻すように溜め息を吐くと、
「この町は見ての通り、人口も少なく、本来は平穏とした場所だ。争いとは無縁な我々には、人攫いに対抗する術はない。だから、外部から来た人間に頼むことしか出来ないのだ。……改めて、恥を承知で依頼をしてもいいだろうか」
丁寧に深く頭を下げた。
ラッツの態度を見て、リッカは本気だと感じた。ラッツは本気でオーヴに住む子供達が攫われることを懸念し、藁にも縋る思いで一刻も早くこの事件を解決しようとしている。
本気でなければ、どうして長老という立場のある人が、見ず知らずの旅人――それも罪人として名を馳せている人間に頭を下げるだろうか。
「いえ」
しかし、クルムはラッツの言葉に首を横に振る。
下げていた頭を上げたラッツの顔は、何を言われたのか理解出来ないといったものだった。肯定的だった意見を急に百八十度変えられてしまったのだ、ラッツの反応は当然だとも言えるだろう。ラッツの傍にいるディートも同じ表情になっている。
その顔を見たクルムは微笑みを浮かべると、
「これは依頼とは関係なく、僕がやりたくて自らすることです。お礼も何も入りません」
「っ、ははは。人が頭を下げているというのに、本当にいけ好かない若者だ」
ラッツは僅かに口を緩めると、隣にいるディートに向けて目で合図を送った。その合図を正確に読み取ったディートは小さく頷くと、
「現在、人攫いはオーヴから離れた荒地――通称バルット荒地に拠点を置いている。スーデル街道とは反対の方角だ。噂では、奴らは腕利きの雇っているというが――」
「――我々には、これ以上の詳しい情報は分かっていないのだ」
途中、ディートの言葉を遮り、ラッツが言葉を挟んだ。ラッツは申し訳なさそうに顔をしかめている。
「……いえ、ありがとうございます。それだけ分かれば十分です」
クルムは丁寧に頭を下げ、応接室から飛び出していった。リッカは一瞬どう動くべきか決めあぐねるように、ラッツとディートの顔を見た。ラッツはリッカと目が合うと微笑みを浮かべ、視線を逸らすディートは口をごもらせていた。それぞれの反応は、どこか裏があるようにも取れた。
「――それでは失礼します。シンクも行こう」
「……っ、お、おう」
しかし、二人の真意を読み解くことが出来なかったリッカは、これ以上言及することなく、クルムの後を追うことにした。シンクも一拍遅れながらも、応接室から出ていく。
応接室にディートと屋主であるラッツだけが残された。静寂が部屋を包み込む中、どちらも言葉を発することなく、誰もいなくなった扉を見つめていた。
しかし、張り詰めた空気を換えるように、ディートが溜め息を吐くと、
「長老も人が悪いですね」
隣に座っているラッツを見つめた。ディートの視線を受けたラッツは、悪戯を仕掛ける子供のように歯を出している。
「なに、あの罪人も察していた。これは、双方合意の上で、あの罪人が一人勝手に行なうものだ。解決するもよし、奴らの前で散ってもよし。どちらに転んでも、不安要素の一つは解消される。我々オーヴには、好条件しかない話だ」
ラッツの話し方は明らかに先ほどまでクルム達と話していた時とは変わっていた。まるで化けの皮が剥がれたように、言葉の節々からラッツ・ヒルントという人間の狡猾さが垣間見えている。
しかし、ディートにとってはこれが普通のラッツ・ヒルントだ。むしろ、先ほどまでの話し方の方がディートには背筋に寒気が走るほど違和感のあるものだった。
ディートは呆れるようにもう一度溜め息を吐くと、
「それもですが……奴らの用心棒の詳細について話さないところが意地が悪いというか」
「ハハハ。彼は私のことを信用すると言っていたが、私は罪人の言うことを完全には信じることは出来ない」
ラッツは人の良さそうな笑みを浮かべながら、今までのクルムとのやり取りを根幹から覆すような発言を口にした。
そう、ラッツはクルムのことを全く信じていなかったのだ。いや、正確に言うのであれば、罪人という存在にラッツは心を開いていない。
ラッツはクルム達が出て行った扉を睨みつけると、
「奴らは自分の立場をよくするためなら、平気で人を利用する生き物だ」
だから、お互い様だろう? そのような続きの言葉が、今にも続きそうな口調だった。
しかし、それが続かなかったのは、
「――一つだけ頼みたいことがある」
ラッツが睨みつけていた扉から、金髪の少年――シンクが部屋に入ってきたからだ。
予想だにしていなかった来訪者に、ラッツとディートは驚きの表情を浮かべた。クルム達は人攫いの元に足を運んだと思い込んでいたし、まさかシンク一人でこの部屋を訪れてくるとは予想だにしていなかったのだ。
「……し、少年、まだ行っていなかったのか」
そうシンクに問いかけるラッツの声は、少しだけ動揺に震えていた。
「ああ、俺だけちょっと抜け出して来たんだ」
しかし、シンクはラッツの動揺に気付いていない素振りで受け答える。
どうやらシンクの耳にラッツとディートの話は届いていなかったようだ。そのことを確信したラッツは内心で安堵すると、佇まいを直した。
「……頼みとは?」
シンクは言葉を決めあぐねるように下を向いた。その幼い頭で、どのように説明すべきか、上手く言葉が出せないようだ。
だが、それも一瞬だけで、シンクは顔を上げると、
「もしクルムがこの事件を解決したら、あんたからオーヴに住む人にクルムのことをちゃんと話してほしいんだ」
紅い瞳を真っ直ぐにラッツ達に突き刺した。今抱いている思いを、シンクは嘘偽りなくラッツ達にぶつける。
「……?」
しかし、シンクの思いは正確にラッツに伝わることはなかった。ラッツは首を傾げている。
シンクはもどかしさを体現するように拳を握り締めると、
「クルムは罪人なんかじゃねー。でも、子供である俺がそう言ったところで、誰も聞かないと思う。だから、この町で一番偉いあんたの口から言ってもらえれば……っ!」
「分かった。解決した暁には、その願い聞き入れようではないか」
半ば悲痛の叫びに近くなっていたシンクの言葉を、ラッツは深く頷くことで止めた。
一瞬目を見開かせて静止していたシンクだったが、ラッツの言葉を噛み締めると、
「っ、ありがとう」
大袈裟に体ごと折ると、ラッツの家から飛び出していった。大きな音を立てて、扉が閉まる。
「――いいんですか? あんな約束して」
ディートは溜め息交じりに、どこか貫録を感じさせる落ち着いた声音でラッツに問いかけた。
しかし、ラッツは肯定も否定もすることなく、ディートを見つめた。まるでディートの全てを見透かすかのような目つきだ。長年仕えている相手とはいえ、後退したくなるような思いがディートを襲う。
けれど、すぐにラッツはディートを安心させるかのように顔全体に皺を刻むと、
「私が言ったところで、人の心に生まれた誤解は簡単には消えない。仮に消えたとしても、罪人に加担していたと思われたら、私が参ってしまう」
「つまり、長老は彼の誤解を解くつもりはない……と?」
「ははは、言葉が悪いな。少年との約束通り、話すだけは話すぞ?」
まるで結果には関心がないと言いたいような冷酷な表情を浮かべていた。




