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2-21 希望に導かれ

「――ありがとう、ビオス平原で私を助けてくれて。君たちが助けてくれた時、私は一度も出会ったことのない英雄の姿を感じたよ」


 ソマクの言葉に対して、クルムはますます驚き、言葉を失うばかりだ。

 頭を下げ終えたソマクは、双眸にクルムのことを捉える。ソマクの表情には嘘偽りがなく、本当にクルムに対して感謝の想いを抱いているようだった。


「君たちが私を助けてくれなければ、あの広いビオス平原で命を落としていた」


 ソマクは目を閉じて、ビオス平原で倒れた時のことを回想する。


 シエル教団総出でビオス平原を渡っていた時、ソマクはあまりの疲労の故、教団から離れて一人倒れた。

 グリーネ大国の中で最も広く、ダオレイスの中でも有数の広大さを持つビオス平原の真ん中で倒れることは、死と同義である。ビオス平原を渡るためには、それなりの準備が必要であるため、明日は我が身と、どの旅人も倒れる人に構う余裕はない。ビオス平原で助けられることを望むのは、空の星を掴むような夢物語に等しいのだ。


 そんな状況で、クルムはソマクに手を差し伸べた。

 しかも、助けに来たクルム達も、助ける上で余裕があった訳ではない。むしろ、荷は必要最低限で、足手となる乗り物さえない、生身の状態。一歩間違えれば、クルム達までも巻き死にすることだってあり得る話だった。


 それにも関わらず、クルム達はソマクが倒れたことを発見すると、すぐに介抱しに来てくれたのだ。


 ――まるで、そうすることが当然であるかのように。


「倒れている人を助ける、困っている人を助ける。そこに身分や国籍なんて関係ない。……誰もが言葉には出来るが、誰もが行動には出来ないことを、君はやってくれたんだ」


 クルムを認めるようなソマクの言葉に、クルムは首を横に振る。


「――僕はただ……、英雄シエル・クヴントならどう行動するだろうか、といつも考えながら生きているだけです」


 ――だから、自分が褒められるようなことではない。


 そのような想いが潜む言い方だった。


「はは、そう考えながら生きている人が、シエル教団の中で――いや、このダオレイスの中でどれだけいるだろうね。その思想を成すためには、己の犠牲は欠かせないのだから」


 自らの手の平を見つめながら語るソマクは、今も昔も変わらない現実に想いを馳せていた。


 ソマクがシエル教団に入ってから二十年近くの時が流れるが、英雄に待ち焦がれ、憧れる人々をたくさん見て来た。しかし、ソマクが出会った多くの者が、空想上の伝説に酔いしれるような夢心地に浸っていた。


 実際、彼らの行ないも、英雄列書に記されたシエル・クヴントの姿とは掛け離れていた。

 ただシエル教団に入れた事実に自らを高ぶり越権した行為に出る者、人目がある時には迷う人に手を差し伸べるも人の目がないところでは我関せずという者――。結局、我が身可愛さで自分が有名になるために、英雄の名を利用する者が多すぎた。

 そのようにした者たちが栄えた過去を、ソマクは見たことがない。


 人に尽くすことが出来ない人間が、人に尽くされるはずがなかった。


「英雄と同じように生きようと思っても、彼と同じ水準で生きることはとても難しいことだ。誰にでも簡単に出来ることではない。しかし、君は難しいからと言って妥協するのではなく、少しでも英雄に近づけるように、彼と同じ行動をするように努めている。……そのおかげで、私は今ここにいれる」


 生きていることを実感するように、ソマクは開いていた手を強く握り締めた。作った拳は全身を忙しなく流れる血によって温かい。まさに生きている証だ。


 それを感じられているのは、クルムによって命を助けられたからである。


 対して、シエル教団に在籍しているソマクは、どれほど英雄シエル・クヴントと同じ生を歩められただろうか――。

 目の前にいるクルムを鑑にして、自分の過去を見つめ直す。

 過ぎた時の中で、英雄と同じ思想を持って人々に接することで、英雄の存在を身近に実感させることが出来たことは、今振り返るとソマクにとって数少ない。特に長くシエル教団にいればいるほど、凝り固まった思想や立場が、雁字搦めに絡まって、ソマクの行動を、無難に、瑕がつかないようにと潜在的に留まらせていた。


 しかし、シエル教団に長くいるソマクが出来なかったことを、目の前にいる流浪の旅人クルム・アーレントは成し遂げたのだ。


 ――クルムが後先考えずにソマクに手を差し伸べた姿は、ソマクの脳裏に、再び来ると約束された今は亡き英雄の姿を刻んだ。


「……、私はシエル様も同じだったんだと思う。己の身も心も削ってでも人に仕え、尽くし、辛酸を嘗めながらも、命の限り最後まで行なった。結果、その当時は誰も分からなかったとしても、誰もが英雄として認めるようになった」


 ――今は亡き英雄シエル・クヴントを、生きているように感じること。


 それは、長い歳月、誰もが答えを求めても得ることの出来ない問題である。


 しかし、今、その答えの片鱗を、ソマクは掴んだ気がした。今まで頭では分かっていたことが、すとんと腑に落ちた、と云うべきだろうか。勿論、全容を理解するには程遠いのだけれど――……。


 ソマクは見つめていた手を、力強く握り締める。まるで手に入れた宝物を、取りこぼさないように包み込むようだ。


「誰かの隣に寄り添い、まるで自分のことのように誰かを助けてあげること――、それこそが英雄の生だ」


 ソマクは言い切ると、握り拳を胸の太陽の印に強く当てた。


 シエル教団の中で規則に従って行動を取っていたソマクが、今日のように巡回を最優先とせずに、他人に力を貸すことに注力したのは初めてだった。自分でも分からないが、目の前で困っていた恩人達の助けになりたいと思った。

 その理由はきっとクルムに感化されたからだろう。

 そして、そのクルムを前にすると、助けられる範囲をもっと広げて、繋がっている全てを助けたいという思いが胸を占めていく。


 ソマクの話を聞き終えたクルムは、何も言わず、ただ全てを受け止めたような笑顔を浮かべていた。


 クルムの表情を見て、ソマクは緊張を解くように溜め息を吐くと、


「私は一個人として、今このことを伝えたくて、クルム君をこの場に呼んだんだ。シエル教団という立場を持っては、この言葉は口に出すことさえ躊躇われるからね」


 無邪気で茶目っ気のある笑顔を見せた。

 それもそのはずだ。シエル教団の一員である人間が、冗談でもシエル・クヴント以外の人間に英雄の雰囲気を感じたことは絶対にあってはならないことなのだ。


「まぁ、私より先に君が頭を下げた時は、どうしようかと焦ったけど」


 ソマクが肩を竦める素振りを見せると、クルムは申し訳なさを覚えた。しかし、その感覚も、ソマクが笑い声を軽快に出すことで、霧散していく。その笑い声には、嫌な雰囲気は感じられず、むしろ心地の良い笑い方だ。ソマクの声につられ、いつしかクルムもつられて声を出して笑っていた。


 二人の笑い声が、静まったヴェルルに響く。

 遠く離れているリッカとシンクが何事かと顔を見合わせ首を傾げているのを、二人が気付くことはなかった。


 そして、頬が痛くなるまで一しきり笑うと、ソマクは真剣な顔に戻り、


「……改めて、本当にありがとう。もし君たちが旅の途中で困ったときは、私個人の力でよければ、喜んで力を貸すよ。恩を仇で返すような真似は、シエル様の名に誓って絶対にしない」


 クルムに向かって手を伸ばした。


 もちろん執拗に力を貸すことは出来ないが、それでも助けを求められたら、ソマクに出来ることを出来る限りやろうと決めている。


 クルムは考えあぐねるようにソマクの手を見つめていたが、ソマクの覚悟がクルムに届いたのか、目の前に伸ばされているソマクの手を強く握った。


 これで約束は交わされた。

 クルムに助けを求められたら、ソマクは命を賭してでも、彼の力になろう――。


 そう決心すると、ソマクの体に電撃に近い衝撃が伝った。想いに比例して、力が満ち溢れて来る感覚といえばいいのだろうか。


 しかし、そんなソマクの意図に反して、クルムは首を横に振った。


「いえ、その力は僕たちにではなく、本当に助けを必要としている人たちに分け与えてください」


 真っ直ぐにソマクを向いて、一切惜しみなくクルムは告げる。


 シエル教団の団員であるソマクの力を借りることが出来れば、クルムの旅は大いに楽になる機会が存在するはずだ。シエル教団における世界への影響はそれほどまでに大きい。

 そうであるはずなのに、その権利をクルムは躊躇いもなく撥ね退けた。


 クルム達の助けに向かうよりも、ソマクの身近で困っている人に力を注いで欲しいとクルムは本心から願っている。

 真っ直ぐ煌めくクルムの瞳が、利己心で打算的に人助けをしていない証拠だ。


 その姿が、ソマクには眩しく、大きく見えて、心を震わせるから――、


「――、君の黄色い双眸は、まるで希望を象徴しているようだ」


 ソマクは率直な感想を言葉にしていた。


 きっと人のために自身を捧げることの出来るクルムは、これからもっと大きな人間になるだろう。それ故、クルムが英雄と同じ行動を取ることによって、英雄を愚弄していると誤解され、反感を買うことになるかもしれない。


 しかし、クルムには確固たる意志がある。

 己も周りも突き動かせる夢を、心に抱いている。

 世界がくすませている希望を、瞳に燃やしている。


 それは、巡回の舞台に立った時も、ペテルと対面した時も、顕在していた。


 だから、クルムはどんな絶望の中でも希望を瞳に映し、最後まで英雄が歩んだ道を辿り続ける――、ソマクはそんな未来予想図を描いた。


 それがたった数日しか過ごしていないクルムに対するソマクの評価だ。


 傍から見れば大袈裟かもしれない。しかし、クルムからはそう感じさせる何かがあった。


「――」


 クルムが言葉を紡ぐ前に、ソマクはクルムと交わしていた手を解き、


「君が、希望の再来に巡り逢いますように」


 そのまま鎧の胸部に位置する太陽の印に手を当て、クルムに祝詞を送った。


 英雄が再び来る時を五体満足に迎えられるための祈りとして用いられるこの祝詞は、よく人との別れ際に使われることが多い。つまり、この言葉をソマクが使ったということは、もう一通り話が終わったという意味で――、


「リッカちゃん! シンク君!」


 そして、まさに推測通り、ソマクは手を上に伸ばし、二人の名前を呼んだ。待ちくたびれていたリッカとシンクは、その声に引かれ、クルムとソマクがいる方に駆け足で近づいて来る。


 しかし、リッカとシンクが合流する前に、


「私はここで失礼するよ。機会があれば、また会おう!」


 ソマクは手を振ると、クルム達に背を向けてヴェルルの町を離れ始めた。その去り行く背中を、クルムは止めることをしなかった。もう話したいことは、十分話したからだ。


「あ、行っちゃった……。ソマクさん、大丈夫かな」

「ええ、きっと僕達が心配することではないですよ。さて……と、これで全てが終わって、ようやく無事に合流することも出来ました。今度こそ宿屋で休みましょうか」


 クルムはそう言うと、笑顔を向けた。


「――ぁ」


 クルムの言葉に、リッカは掠れてしまうくらいに小さな声を漏らした。


 今のクルムの言葉は、リッカがヴェルル支部に向かって走った時、クルム達に言った言葉でもある。

 軽く当然のような思いで告げた一言を成すために、随分と遠回りした気がするが、これにて三人で交わした約束を果たすことが出来た。


 リッカは今までの徒労を思い返すと、口角を微かに上げ、


「あーあ、とんだ一日を過ごしちゃったよ。もうこんな一日は懲り懲りだからね」


 クルムに一言言った。クルムは戸惑うような笑みを浮かべる一方、シンクはリッカの一言に同意するように頷いていた。しかし、そんなシンクに対して、リッカは問い詰めるような視線を向ける。


「言っとくけど、シンクが勝手に走り出したのが原因だからね?」

「それ、さっきも聞いたぞ!」

「あはは、ヴェルルで二人はもっと仲良しになったみたいですね」

「仲良くない!」


 二人揃う声を聞き、クルムはますます確信に満ちると、宿屋に向けて歩き始めた。


 クルムに置いて行かれたリッカとシンクは二人で顔を見合わせると、ふいと同じタイミングでそっぽを向き、クルムの後について行った。


 リッカはクルムの右隣に、シンクはクルムの左隣に並列して歩き出す。


「あ、そうだ。ソマクさんと何話してたの?」

「秘密です」

「えー、教えてくれてもいいじゃないか」


 クルムはリッカとシンクに挟まれながら、歩き続ける。ふと、クルムは夜空に浮かぶ満月に視線を送った。


 満月は先ほど見たよりも高く昇っていたが、その美しさが損なわれることはなかった。


 思い返せば、色々なことがあった一日だった。これから、どんな明日が待ち構えているのかは分からない。

 けれど、とにかく今はしっかりと体を休めて、明日に備えよう。もう宿屋は目の前だ。


 クルムが先に宿屋の扉に手を触れると、リッカとシンクを優しい眼差しで見つめ、


「二人とも、宿屋にはもう休んでいる方もいらっしゃるから、なるべく静かにしましょうね」

「へーい、分かってるよ」

「な、なんか私まで子供扱いされてない!?」


 クルム達は宿屋の扉を静かに開けて、中に入っていった。


 ――この日から、クルム達の旅の運命が大きく動き始めたことを、今はまだ誰も知る由はなかった。

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