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2-16 悠久の問い

「――罪人クルム・アーレント」


 まるで死刑宣告を告げる冷徹な声が、クルムの左隣から唐突に聞こえたのと同時、命を刈る刃の近づく音が鼓膜を貫いた。


「……ッ!」


 だが、奏でられた音色は、肉が削がれ苦痛に喚く声ではなく、金属と金属がぶつかり合うような音だった。


「……ク、クルムッ!」


 リッカはクルムが無事であったことに安堵の息を漏らした。


 クルムは首元に銃を持ってくることで、何とかペテルの聖剣を受け止めていた。先ほどの敵の一人が首を斬られたことから、狙われる的を予め推測しておき、見事初撃を防ぐことが出来たのだった。


 しかし、クルムの行動に対して、あたかも想像通りだと言いたいように、姿を現したペテルは余裕の笑みを浮かべている。


「――」


 クルムは息を吐く間もないまま、聖剣を受け止める銃に目を配る。銃に掛かる重みが先ほどよりも段違いに強くなっていた。


 最初の予測が上手くいったとはいえ、クルムには次の手を読む手立てはなかった。

 数的不利であった敵を倒した時も、ペテルはほぼ一撃で仕留めていた。それに、今ペテルが姿を消した原理も、まだ見極めることが出来ていない。

 次も同じように受け止められるのか、と思うとクルムの頬に一筋の汗が伝う。


 だから――、


「リッカさん、シンク……ここから逃げてください!」


 後ろにいるリッカとシンクに向かって、クルムはペテルの聖剣を受け止めたまま、声を大にして叫んだ。


 その咄嗟の指示に、二人は肩を震わせ、互いに顔を見合う。

 今回のクルムの指示は、先ほどと違って、逃げろという指示一点のみということから、相当に危険な状況だということを察することは容易だった。


「で、でも……」

「そんなこと出来るかよ!」


 世界屈指の実力者を前にして、先ほどと同様に何も出来ないということは分かっていても、クルム一人を置いてこの場を離れることは二人には出来なかった。


 しかし、クルムはペテルから目を離して、リッカとシンクの方を向くと、


「今回の相手は格が違います! それに彼の狙いは――」

「――フッ」


 聖剣を受け止めながら二人に声を張るクルムだったが、余裕そうに吐き捨てる笑い声に言葉を止め、声がする方へ顔を向け直す。


 そこでは、ペテルが口角を上げていた。


「武器を交わし合う中、他人の心配とは――、腕に相当な自信を持っているようだな。……だが」


 言葉の途中、再びペテルはクルムの左隣から姿を消した。銃に掛かっていた重さも同時に消える。


「ま、また!?」

「く、来るなら来い!」


 ペテルが消えたのを見て、リッカは鞭を構え、シンクは身を屈めることですぐに動き出せるように準備する。意味はないと分かっていても、尻を巻いて逃げることも無防備に待ち構えていることも出来ない。


 クルムは目を閉じて、ペテルが次に姿を現す場所を探ろうと、全神経を注ぐ。刹那、僅かに空気が揺れるのを感じ取り、


「――右ッ!」


 クルムはその場で百八度回転して、予測した場所に向けて銃を構えた。

 しかし、そこにはペテルの姿はなかった。


「……っ、リッカさん! シンク! 気を付けてください!」


 再度、次にペテルが姿を見せる場所に直感が働き、クルムは二人の元へ駆け寄ろうとした。しかし、その行為は――、


「――だが、その慢心が己を死へと導く」

「……くっ!?」


 ペテルが姿を現したことで水泡と帰した。


 顕現したのと同時、ペテルはクルムの右手に向かって聖剣を振り上げる。それにより、クルムが手にしていた銃は持ち主を離れ、地を滑っていった。

 クルムは誰もいない場所に転がった銃を目で捉えると、すぐに目の前にいるペテルを見据えた。


 ペテルが姿を見せたのは、クルムがいる場所とリッカとシンクがいる場所の中間だった。


「クルム!」


 眼前に佇むペテルに対し、リッカは鞭を振ろうとし、シンクは銃が落ちている場所へ全力で走ろうとし、自分達にも出来ることを最善尽くして行なおうとしたが、


「動くな」


 たった一つのペテルの命令によって、その未来は動き出す前に完全に封鎖された。


 ペテルを見れば、手に抱く聖剣を、いつの間にかクルムの首元に突き付けていた。

 リッカとシンクが下手に動けば、何も成し遂げられない中途半端なまま、クルムの首が刎ねられてしまうだろう。それどころか、クルムの首を刎ねた後、すぐにリッカとシンクにその歯牙を伸ばすはずだ。

 だから、二人にはこの場を動かないという選択肢以外は存在しなかった。


 動きを止めた二人を見て、ペテルはその蒼き双眸をクルムへと移した。

 この詰みに入った局面の中、クルムがどういう表情をしているか、ペテルには見物だった。大抵の罪人は、歴史ある聖剣を身体の一部に突き付けられると、憐れな姿で狂うほどに命乞いをしていた。


 しかし、ペテルが目にしたクルムの姿は、今まで目にした罪人の姿と全く違っていた。

 クルムは首に聖剣を突き付けられても、尚、微動だに揺れることはなかった。

 そのクルムの動じない姿に、ペテルは敵ながら密かに感心を示す。しかし、だからと言って、英雄を侮辱した罪が赦される訳ではない。


「……一つ、問おう。罪人クルム・アーレント」


 ペテルは荘厳とした声を、クルムにぶつける。

 どんな質問が来たとしても逃げも隠れもしない――、そんな気迫が籠った堂々とした態度を、クルムは見せていた。


 ペテルは聖剣を握る手に力を込めると、蒼い双眸を鋭くし、


「世界が何千年と待ち続けている英雄は、約束通りにこの地に来ると本当に思うか?」


 誰もが一度は疑問に思ったことのある一つの問いを投げかけた。


 多くの人が血の海に伏す中、シエル教団最高指揮官であるペテルは、罪人として見ているクルムの覚悟を見定めるかのように、真剣な表情だ。


 その問いに対する答えを考えるためか、はたまた目の前の現実から目を背けるためか、暫しの間クルムは目を閉じた。しかし、目を閉じようとも、クルムを襲う冷酷な殺気は身を潜めてはくれない。


 ペテルによって突き付けられている聖剣ヴァンゼロからは、異様な雰囲気を感じられる。

 加えてペテルの眼光は、クルム・アーレントという人間を改めてもう一度見極めようと、鋭く尖っていた。その眼光は、素人が出せるものでは全くなく、幾千もの死線を掻い潜って来たことが痛いほど伝わってくる。


 クルムの正面にいるリッカやシンクも言葉を出せないまま、不安そうに二人の行方を見守っていた。この場を占める空気は、部外者が口を出すことを容易に赦すものではなく、二人には大人しく見守ることしか出来なかった。


 そんな状況の中、クルムはまだ目を閉じていた。

 恐らく、言葉一つ表現一つでも間違うものならば、クルムの首はそのまま刎ねられてしまうだろう。

 だから、クルムは慎重にペテルの問いに答えなければならない。


「シエル教団最高指揮官、ペテル・コンヴィクト――」


 クルムは目の前にいるペテルの名前を改めて呼ぶと、希望の未来を彷彿とさせる黄色い双眸をゆっくりと開かせた。

 クルムの世界に、心配そうな表情を浮かべるリッカとシンク、そして眼前に迫る老練としたペテルの姿が映り込む。


 クルムが目を開いた刹那、ペテルの持つ聖剣がほんの僅かに震えた。クルムの声音は、まるで全てを受け入れる慈悲深い聖母のように、ペテルの耳を優しく撫ぜたのだ。まるで立場が逆転しているようだ。


 自分の命が危険な状況にも関わらず、クルムはいつもと変わらない笑みを向けると――、


「僕は、誰も苦しまない世界を――、英雄が約束した、憎しみ争いのない理想の世界をこの手で一緒に築き上げたいです」


 夢見る少年のような――、そんな純粋な声音で語り始めた。


「英雄シエル・クヴントは、生前に約束したことは全て成就して来ました。叶わない約束なんて、彼はしないと僕は思います。だから、希望の再来の日がいつ来ても後悔しないため、英雄の隣で歩けるに相応しく、英雄が願ったように自分自身を作っていきたいんです」


 ペテルの質問は、是か非かを問う単純な質問だったはずだ。

 それにも関わらず、クルムは長々と嬉しそうに語る。終いには、無防備にも再び目を瞑って、思い描く夢に浸る始末だ。

 しかし、その言葉を誰にも遮ることは出来ない。


「なので、先ほどの質問の答えは――」


 そして、ようやくクルムは目を開き、ペテルを見据えると、


「英雄は必ずこの地に来ます」


 何千年も世界が答えを待ち続ける問題に対して、はっきりと断言した。


 クルムの輝く瞳に映るペテルは、理解に苦しむ表情を浮かべている。


「……死が、怖くないのか?」


 だから、ペテルの口から感情が咄嗟に溢れてしまっていた。


 ペテルの言葉に、クルムは臆することなく、再び笑みを浮かべてみせた。


 歴史上たった一人を除いて、誰も確信を得ることが出来ない答えを堂々と断言出来るのは、よほど純粋な子供か、単なる馬鹿か、はたまた当事者でしか出来ないだろう。


「……そうか。貴様の意見は、なかなかに面白い」


 ペテルはそう言うと、クルムの首元から切っ先を引いた。クルムを襲っていた冷酷な殺気も、遠退いていく。

 その様子に、事の成り行きを見守っていたリッカとシンクは、声も上げずに笑みを見せた。


 ――これでクルムは助かる!


 しかし、当のクルム本人は全く喜ぶ様子もなく、むしろ顔をしかめていた。


「だが」


 そして、ペテルが反語を用いることをきっかけに、クルムの表情は――、正解となる。


「希望の再来を目の当たりにすることなく、貴様はここで生を終えるのだ」


 ペテルが聖剣を首元から引いた理由は、構えを変えるためだった。自らの顔の横までに聖剣を持って来たペテルは、その位置で剣先をクルムに向ける。

 その態勢を保ったまま、ペテルは聖剣に力を集め始めた。夜を忘れてしまうほどの光が、聖剣を満たしていく。


 この日、三回目となる聖剣への光の収束は、今まで一番強かった。


 リッカとシンクは、あまりの眩しさのゆえに、腕で光を隠しながら目を閉ざす。


「貴様の言葉は机上の空論――、誰も英雄の隣に立つことは叶わん。英雄が歩まれる道を作るのは、我々シエル教団の役目だ」

「僕たちは同じ人物を、英雄としています。争うのではなく、他者を受け入れる寛容な心をもって手を取り合うことも出来ると思います」

「それこそ戯言だ。人の心は、いつ変質するか分からない。多くの人に裏切られた貴様も、痛いほど実感しているだろう?」


 ペテルの言葉に反応して――、否、ペテルの心情に呼応して、更に光の強度は増し加わる。


 あまりの光の強さに、しっかりと地に足を着けていられているのか、それさえもペテルと距離が開いているリッカとシンクは分からなくなる。

 この光を目の前で受けているクルムは、どれほどだろうか。


 しかし、それでもクルムは、シエル教団最高指揮官が放つ眩い光を前にしても、一歩も後を退くことはない。


「……そう、ですね。人の心は不確かで、流されやすいものです。目に映るものに従い、甘美に見える悪魔の謀略にすぐ騙されもします。けれど、それでも――……!」


 クルムの言葉を断ち切るように、ペテルの聖剣の剣先が今宵最高潮の光を放ち、


「もう終わりだ。破邪――……」

「ペテル様――ッ!」


 窮迫を迎える舞台に、突如、聞き慣れた人物の声が響いた。その声をきっかけにして、辺りに規律を持って解き放たれていた光に、乱れが生じる。


 後ろを向いているクルムには分からないが、リッカとシンク、何よりペテルには瞬間にして、声の持ち主が誰かが分かった。


 そこにいるのはシエル教団の団員ソマク・ロビットだ。


「……っ、ペテル様! こんな大勢の一般人がいる前でその力を振るってはいけません!」


 ペテルが意識を僅かにでも傾けたことに、一瞬安堵したのも束の間、ソマクはすぐにペテルに対して注意喚起を上げる。

 ソマクの背後には、巡回の後にペテルを一目でも見ようとして、押し寄せる群衆の姿があった。そして、何やら面白そうな状況にあるペテルとクルムを見て、興奮を抑えきれない人々は異様な盛り上がりを見せていた。


 群衆を見て、ペテルは不服そうに口を歪めたが、


「人が集まりすぎたな。私の力は、大道芸のように人前で見せびらかすようなものではない」


 聖剣を背中にある鞘に納めた。


 それにより、昼のように明るかった舞台が、本来の姿である夜の暗さに戻る。


 そして、ペテルは先ほどのように姿を消さずに、王が威厳を持って民の元へ姿を赴くように、群衆の元へと歩き始めた。

 この世で最も英雄に近い人物が近づくのを見て、人々は喜々なる声を上げた。異常に統率の取れた歓喜の声は、ファンファーレに近い。

 ソマクはシエルのことを迎える姿勢を持ちながらも、多くの人が我先にとペテルに飛びつかないよう、門番の如く立ちふさがっていた。


「見逃してくれる――、ということですか?」


 クルムはペテルが隣をすれ違う時を見計らって、当人達にしか聞こえないような声量で訊ねる。


 ペテルはクルムの声を聞くと、立ち止まり、思い上がりも甚だしいと言いたいように、


「貴様の思い描く道は、茨の道そのものだ。苦痛の道の中、貴様が己の妄言をどこまで貫けるか、見物させてもらおう」

「茨の道だって、手を加え続ければ、いつかは誰もが目を止める綺麗な道になります」

「――面白い。ならば、次に貴様に出逢うその時こそ、英雄の道を妨害する者として、必ず私の手で貴様を裁こう。いや、シエル様の権威を地に堕とすような真似をする輩は、私が皆裁く。それが、シエル教団最高指揮官として、成し遂げなければならない使命だ」


 そう言うと、ペテルは胸を張って、クルムの隣から離れ去った。


「誰が止めようと、僕は最後まで諦めません」


 クルムは去り行くペテルの背中を見つめながら、改めて一人静かに覚悟を決めるように小さく呟いた。


 しかし、クルムの言葉を聞こえたのか、はたまた偶然か、ペテルはもう一度クルムの方に振り向いた。


 クルム・アーレントとペテル・コンヴィクト――、罪人とされる人物と英雄に近いとされる人物の視線が交差する。


 けれど、その時間も刹那、ペテルはすぐに自らの歩むべき道へと進み出す。

 群衆の元へと行ったペテルは、すぐに人々に囲まれたが、足を止めることはない。

 もうこの場所で、ペテルが後ろを振り向くことは二度となかった。そのままペテルとソマク、そして人々はこの場所から去っていった。


 こうして、命を削り取られるような筋書きのない舞台は終わりを迎え――、


「クルム!」


 シンクは元気そうに走り出し、緊縛した空気から解放されたリッカは安堵の息を漏らしながらクルムに近づいた。


 その足音に、クルムは後ろを振り向き、


「……リッカさん、シンク。無事で、本当によかったです」


 クルムが今浮かべられる最高の笑みを浮かべた。しかし、その笑みには、見て分かるほど疲労が交えられている。


 それもそのはずだ。

 シエル教団最高指揮官という、滅多にお目にかかることのない雲の上のような存在の人間とずっと向き合っていたのだ。それも、ずっと神経を極限まですり減らしながら、だ。

 疲れを見せない方がおかしいだろう。


 それでも、クルムの第一声は、二人の無事を確認する言葉であった。


「それはこっちの台詞だよ。いつも無茶ばっかりして……、怪我はない?」

「ええ、大丈夫です」


 リッカはクルムの体に異変がないか、一通りクルムの体を見通す。

 クルムの言葉通り、クルムの体には、カペルと戦った時のような目立った外傷はなかった。


「本当によかった。心臓が止まるかと思ったよ。じゃあ、今日はもう宿屋に戻って――」

「安心するには、少し早いな」


 もう事態が収束したと思っていたリッカが宿屋に戻ることを提案した時、希望を打ち砕くような声が空を割った。


 ――否、筋書きのない舞台に、まだ幕は下ろされてはいなかった。


 クルムとリッカ、そしてシンクはその声に振り返るが、そこには誰もいない。


 しかし、先ほどのペテルのように気配そのものを感じられない訳ではなかった。感じようと神経を研ぎ澄ませば、微弱ながら感じることが出来る。

 問題は、その人物の移動する速度が尋常ではない、ということだ。

 結果、声の持ち主の居場所を把握することは叶わない。


 三人は周りを万遍なく見ることで、対応できるように警戒を張り巡らせる。けれど、それも気休め程度にしかならない。


 そして、気配がピタリと止まったと思った瞬間――、


「クルム・アーレント――、と言ったか。……あのペテルを前にしても動じないとはな」


 クルムの背には、剣が突き付けられていた。


 突如現れた人物に、リッカとシンクは本能的に瞬間後退し、少しの間合いを取る。


 剣を突き付ける人物の正体を掴もうと、クルムは顔だけ背後に向けた。その人物は、クルムと似た黒髪を持っており、ペテルよりも鮮やかな青い瞳が印象的だった。


 リッカとシンクには、その人物に思い当る節があった。


 そこにいる人物は――、


「シ、シオンさん!?」


 剣影という異名を持つ世界政府の戦士――、シオン・ユーステリアだった。

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