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2-14 乖離する理想

「リッカさん! 伏せて――っ!」


 異常事態を察知したクルムは続く言葉を遮り、リッカに対して声を張って勧告を上げた。それと同時、クルムは懐の銃を取り出し、上空に向かって構える。


 しかし、クルムが構えた銃からは弾丸が発砲されることはなかった。


 緊縛としたクルムの態度に、背後から何かが迫っていることを察知したリッカは、クルムが引き金を引くよりも早く、振り返りざまに腰の鞭を空に向かって放ったのだ。

 だが、何も捉える感触を得ないまま、鞭はただ虚しく弧を描く。その代わりに聞こえるのは、何かが地を抉るように着陸した音だった。


「大丈夫ですか!?」


 敵が次の手を打つ前に、クルムはリッカとシンクを守るように先頭に立った。


「……う、うん。私は大丈夫。それより一体何が……?」


 リッカとシンクを守るように正面に立つクルムの先を、リッカは鞭を構えながら見据える。

 すると、そこには人の形をした人ならざる者が四肢を地に付けて、臨戦態勢を取っていた。息を荒げるその人物は、今にも雄叫びを上げ、獣が喰いかかるように攻めて来てもおかしくはなかった。


「こ、こええぇ! あ、相手はあいつ一人か……?」


 シンクはクルムの背に隠れながら、クルムに問いかける。その問いに、クルムは小さく首を横に振った。


「いえ、恐らくは……」

「ッ!」


 クルムの言葉を繋ぐように、三人の背後から足音が響き渡った。後ろを振り返るシンクの前を、リッカは庇うように立つ。鞭を握る手が、自然と強くなるのが自分自身でも分かった。


 リッカとシンクの視線の先――、そこには前方と似た人物が立ち塞がっていた。

 クルム達を挟むように立つ彼らは共通して、明らかに普通の挙動をしていなかった。敵の息は途切れ途切れで、不必要に力強く呼吸が繰り返されていた。目も血走っており、体は小刻みに震えている。

 彼らの姿を、ただの興奮状態で片づけることは到底難しい。


 そして、それだけで終わらず、更には前からも後ろからも敵の援軍が押し寄せて来ていた。武器を持つ者、屈強な体をした者、様々に戦闘に適した人々が次々に姿を見せる。

 敵の数は、総じて十を数えられるまでに増えても尚、留まることを知らなかった。


「――――」


 口元を微かに動かす彼らは、それぞれ何かを呟いているようだった。その言葉を聞き取ることは出来ないが、正常の言葉を発していないことだけは分かる。思わず耳を塞ぎたくなるほど、不快な音だ。


「……ッ! ど、どうするんだ!?」

「話し合いで済ませてくれる……、という態度ではなさそうですね。でも、幸か不幸か、彼らはまだ動く様子がありません」

「なら、今の内に逃げるか!? さすがのクルムでもこんな人数相手だと無茶だろ!?」


 シンクの言葉に、クルムは小さく首を横に振った。クルムは考えあぐねているように、敵の姿を見つめる。


 敵はまだ動く様子はなかった。ペースを緩めてはいるが、未だ続けて敵の援軍がクルム達の前に姿を現していた。無論、みな共通して人の姿をしているが、その言動全てが常軌を逸している。


 今攻撃を仕掛けたとしても、軽くクルム達を討つことが出来そうなのに、彼らはそうしないでいる。恐らく、もっと増援を呼び、完膚なきまでに討つ算段だろう。


 逃走経路を閉ざされてしまった今、クルム達の選択の幅は狭まれている。


「――ッ」


 先ほどから口を閉じていたリッカは、敵の姿を見て青ざめ、自ら気付いたことの衝撃に息を呑んだ。開いた口も塞がらず、手で覆うように口元を隠す。

 一度も会ったことのない立ち塞がる敵の姿を、リッカはどこか見覚えがあった。


「……まさ……か……」


 リッカは自分で気付いたことを否定するための言葉を口にするが、心は益々確信に満ち溢れていく。


 彼らの姿を見る度に、リッカがとある過去を連想していた。


 過去といっても大昔ではない。数日前のこと――すなわち、オリエンスで起こった事件のことだ。

その事件は、カペル・リューグという一人の人間によって引き起こされたものだった。

 人格や性格、言動全てが非人道的だったカペルは、クルムによって露わにされたのだが、実はカペルの中に悪魔が潜んでいた。


 その時のカペルの姿と、道を阻む人々の姿とが、リッカの目には重なって映る。


「……ねぇ、クルム……彼らは……」

「わぷっ」


 声を震わせながら語るリッカの言葉に、クルムからは何の返事もなかった。その代わりに、シンクが驚きの声を漏らす。


 リッカは体の向きは後方の敵に傾けたまま、視線だけでシンクのことを見つめた。

 シンクは頭から覆われた布を外そうと、悪戦苦闘しているところだった。その布はリッカにはよく見覚えのあるものだ。


 そして、そのまま流れるように、リッカはクルムに視線を移す。

 想像通り、クルムはいつも羽織っているマントを外していた。そして、クルムがマントを外しているということは、リッカの予想が正解していることを意味する。


 すなわち、敵はただの人ではなく――、悪魔だ。


「リッカさん、シンク……そのマントで身を覆いながら、僕の言うことを聞いてください」


 クルムは視線を前方に定めたまま、二人だけに聞こえるように囁いた。

 リッカとシンクは言葉を発さずに、小さく頷く。


「彼らの狙いは恐らく――、僕だけです」

「……何で?」


 曖昧な表現に反して断定的な口調で語るクルムに対し、リッカは思わず疑問の言葉を口にした。


 目の前の人々を見るクルムは、すぐにはリッカの疑問に答えない。

 答えることを催促するように、リッカはクルムのことを見つめた。二人の間を板挟みの状態になっているシンクも、クルムを見つめている。


「……あの時あの場所に僕が立ったこと。――それが、始まりの引き金となりました」


 やがて、クルムは言葉一つ一つを慎重に選ぶように、ゆっくりとリッカの問いに答え始めた。


「彼らはあの舞台に、望まぬ存在が立つことを良しとしなかった。自分達の思い描く理想通りに事が進まなかった不満は、やがて怒りへと変わり――、それが悪魔の心に適う器となった。そして、人々の心に入った悪魔は蜜のように甘い誘惑を示し、彼らはその誘惑に従い、悪魔の力を使ってでも僕を討つと決心した。ここで僕という邪魔者を処理することが、双方の願いなのでしょう。」


 滔々と語る中、クルムは一度目を閉じ、


「しかし、悪魔は人のことは道具のようにしか思っていません。結局得をするのは――悪魔だけです」


 希望の未来を彷彿とさせる黄色い瞳を、改めて目の前にいる人物たちに向けた。


 行く道を立ちはばかる敵は、前後合わせて先ほどの倍以上の数になっている。

 そして、その場にいる誰もが、正常な精神を持ち合わせているようには思えなかった。怒り狂ったように、叫びを上げ、抑えきれない興奮を自らの体を自傷することで発散する者もいる。

 正直、見るのも絶えられないほどだ。


 クルムは耐えるように唇を噛み締めながらも、その双眸は揺らさない。


「――それって……」


 クルムの説明を聞いて、言葉を発しようとしている口を、リッカは途中で止めた。


 ここまで断定的に言えるということは、クルムはこの事態を予期していたことになる。リッカが予想していた事態よりも、遥かに事は大きい。


 ――どうしても逢いたかったんです。


 リッカの脳裏にクルムが先ほど語った言葉が甦る。

 こうなることを分かっていて、リッカとシンクたった二人を、そこまでのリスクを冒して探す理由がリッカには分からなかった。


「余計なことに巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」


 リッカの思考を断ち切るように、謝罪の声が鼓膜を貫く。静寂とした空間に、二人の返事はなく、気味悪く敵の奇声が響くだけだ。


 クルムは前に警戒を払いながらも、リッカとシンクに目を配ると、二人を安心させるように微笑み、


「でも、心配しないでください。二人には絶対に傷一つ負わせません」


 決意の込められた力強い言葉を紡いだ。


「……どう、するんだ?」


 ようやく口を開くことが出来たシンクは、クルムに現状の打開策を訊ねた。

 クルムは前を阻む敵を見つめる。クルムを討とうとする敵達は、変わらずに数を増やしている最中だ。


「最終手段だったのですが……、僕が前方の道を開けます。その隙に、二人はひたすら真っ直ぐ駆け抜けてください」

「……! 俺は足手まといじゃ――」

「ク、クルムは……?」


 シンクの言葉を遮り、リッカは逸る思いを殺しながら、冷静にクルムに問いかけた。


 リッカの問いに答えるようにクルムが懐から無言で取り出したのは、黄色い銃だ。


「……! それは……」


 リッカはその銃を見て、言葉を詰まらせてしまった。

 シンクも黄色い銃を見ながら、クルムが前に話してくれた言葉を思い出した。


 ――この銃口に明かりが灯らないということは、まだ足りていない何かが……。


 この銃の能力を最大限発揮して撃つことが出来るタイミングがある――、クルムはシンクにそう告げていた。そして、その言葉通りに、銃が光った状態で弾丸を放った時、カペルの中から悪魔を退けることが出来たのも覚えている。

 リッカにとっても、光る黄色い銃のことは記憶に新しかった。


 しかし、今は光を放つことはなく、眠っているように静かだった。


 リッカの胸中に不安が募る。

 少なくとも、条件なしに黄色い銃を使うことが出来るのであれば、カペルと対峙した時もクルムは最初から使っていただろう。


 リッカとシンクは、ほぼ同時にクルムの顔を見つめた。

 その予感を裏付けるように、クルムは覚悟を決めた笑みを浮かべている。その頬に、一筋の汗が伝った。


「クル――」

「――来ます!」


 リッカがクルムに言葉を掛けようとした時だった。均衡を貫いていた状況が一変する。

 クルムの言葉に、リッカとシンクは敵がいる方角を見つめた。敵の数は、先ほどの更に倍は増えていて、今もなお増え続けている。

 しかし、敵たちはこの人数でも勝てると確信したのだろう――、彼らは聞くに堪えない奇声を上げ、クルムに対して前後から一斉に攻撃を仕掛ける。


「僕を信じて走ってください!」


 クルムは声を張り上げると、前方に向かって一人駆け出した。


「ッ! ああ、もう! 何とかなるって信じてるぜ!」

「――、後で説明してよ!」


 シンクとリッカも迷いを振り切るように、クルムの後に従うように走り出した。

 どちらにせよ賽は投げられたのだ。立ち止まっていたら、確実に殺される。その証拠に、後方の敵が凄まじい速さで追いかけて来る。


「――ォ!」


 クルムが足を踏み出したことをきっかけにしてか、前方で先頭を切っている一人の敵が奇声を上げながら跳躍をし、一気に距離を詰めて来た。その後ろには、前しか進めない闘牛のように、敵たちが走り詰めている。


 そんな中、クルムは走りながらも、一度目を瞑った。その所作は、まるで手向けの祈りを捧げるかのように、優しく、柔らかい。


 そして、クルムは双眸を開くと、迫り来る敵に対して銃を構えた。標準を定め、クルムは引き金を引く指に力を込めようとするが――、


「待て」


 その時、突如として一人の老練とした声が、切迫した舞台に響き渡る。


 威厳の籠った声は、敵が攻めることによってもぬけの殻となった前方から聞こえて来た。声の持ち主の姿は、暗闇に潜んでまだ見えない。


 深く力強く響く声に、前後双方の敵は降伏するようにその場に足を止めた。跳躍をしていた敵も、自然の法則を無視するように、急降下して地に足を着ける。

 クルムも空に向けて構えていた銃を下ろし、状況の行く末を様子見る。だからといって、警戒を解いている訳ではない。どんな局面に向かったとしても、対応出来る準備は怠ることはしない。


 再三変わる状況で、現在何が起こっているのか理解が追い付かないリッカとシンクは、クルムに従って大人しく立ち止まる。


「――」


 誰も言葉を発することのない膠着とした雰囲気だった。まるで言葉が抱く圧力に、無条件押さえつけられているようだ。

 それほどまでに彼の放った、たった二文字の言葉には力があった。


 静まった状況を良しとしたのか、老練とした声の持ち主はゆっくりと歩き始めた。その振舞いは、まるで我が城を悠々自適に歩く王のようだ。否、その表現は決して誇張しているのではなく、事実その通りだとしか言いようがなかった。


 闇に紛れていたその姿が、だんだんと浮かび上がってくる。その人物の輪郭は――、


「……ッ!? え、うそ、でしょ……まさか……いや、でも……」


 リッカは目の前の現実に驚愕し、無意識に声を漏らす。


 放たれた自問自答のリッカの言葉に、クルムは静かにリッカのことを見つめる。圧倒されるように前方を見つめていたシンクも、リッカの言葉に我に返り、縋るようにリッカの方へと振り向いた。


「なんで……ここにシエル教団の……」


 リッカは二人の視線を集めていることを気にも留めず、こちらに近づく人物の情報を整理するように、口に出す。そうすることで、この現実味の欠けた現実を受け入れるためだ。


 もし、本物だとすれば、目の前にいる人物はここにいてはならない人物だ。


「リッカさん、知っているのですか?」

「……え、う、うん。もし私の考えが当たってたら、知らない方がおかしいよ……」


 リッカは戸惑いつつ、クルムの質問に答える。


「――いったい誰なんですか?」

「……。私の推測が正しいなら……、シエル教団最高指揮官である彼の名前は、英雄列書にも記されている由緒正しき名前」

「――英雄列書」


 リッカの口から紡がれた慣れ親しんだ名前を、シンクは口の中で反芻した。


 英雄列書とは、ダオレイスに生きる人にとって身近で馴染み深い書物の名前だ。

 その書物の中には、世界に影響を与えた人物について記されているのだが、その実はシエル・クヴントが英雄として生きた半生と英雄に関する伝承が半数を占められている。


 そんな英雄列書の中には、シエルと同じ時代を生きた人物達の名前が数か所刻まれている部分がある。

 その中で最も名高いのは、英雄の側近として生きた人物で、シエル教団を立ち上げた人物だ。

 彼の名前はシエル教団の最高指揮官に君する者へ代々受け継がれており、今でも名前を聞く機会がある。人々にとってはシエル・クヴントに次いで、生きた伝説の名前かもしれない。


「……もしかして」


 クルムは合点を得たような声を漏らした。リッカは正解だと言いたいように小さく頷く。


 クルムが段々と歩みを寄せる来訪者の方へ視線を移すと、その人物の姿が完全に月下の元に露わになっていた。

 彼の顔には皺があり白色の髪をしているのだが、その屈強な肉体と醸し出す雰囲気から全く初老のようには感じさせず、また腰に自分の背丈ほどのある剣を背負っていた。服装も格式が高い質のよい服を着ていた。


 その姿を見て、リッカは自分の予想が正しかったことを悟る。


「――彼は」


 月下に立つ人物の姿を見て、来訪者の正体を確信したリッカは、息を呑んで説明を続ける。


「シエル教団最高指揮官、ペテル・コンヴィクト」


 リッカに名前を呼ばれた初老――ペテル・コンヴィクトは肯定するように無言で立ち止まった。


 英雄列書にも登場したペテル・コンヴィクトという英雄の側近の名前を名乗るということは、すなわち――、


「彼は英雄を失っているダオレイスという世界で――、現在最も英雄に近い人物」


 こうして、本日の巡回の主役であるペテル・コンヴィクトが、多くの人に見守られた舞台とは違い、ただ月だけが見守る侘しい舞台に参入した。

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