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1-31 悪魔に巣食われた者

 黒い斬撃は放たれてから時間が経過しているというのに、まだ世界に見える形で留まっている。


「ハハハ!」


 カペルは勝利を確信して笑い声を上げた。その笑い声は、聞くに堪えないほど醜い声だった。


「あいつを殺した! 俺の手柄だ! これで俺は、あの方に!」

「誰を……殺したのですか?」


 カペルの笑い声を打ち消すように、静かな声が荒れ果てたこの地に響いた。

 興ざめたように、カペルは声がした方向にゆっくりと目を向ける。もう黒い斬撃は世界から消えており、そこには死体が三つある――、はずだった。

 しかし、カペルの予想は外れ、そこには死体が存在していなかった。代わりに、ぼろい布切れが、そこにはあった。


「勝利を確信するのには、まだ早いですよ」


 布切れ――改め、マントからクルムはその顔を見せた。


 クルムはあの斬撃が迫り来る瞬間、マントを盾代わりにして防御をしていたのだった。

 リッカも、リッカに守られるように抱きかかえらえた少年も傷一つ付いていなかった。


 カペルはその現実に苛立ちを覚え、狂ったように雄叫びを上げながら、剣に力を込めた。


「――」


 目の前にいるクルムの背中をリッカは茫然と見ていると、後ろを振り向くクルムと視線が合った。

 クルムは二人の無事を確認すると、満面の笑みを浮かべた。

 リッカはそのクルムの表情を見ると、自然と顔を下に向けていた。リッカは、満面の笑みを向けてくるクルムに顔を合わせることが出来なかった。

 先ほどまで尋問するように問いかけ、冷たくあしらったはずなのに守ってくれたクルムに、リッカは申し訳ない思いでいっぱいだった。


 もちろん、今でもクルムの正体を完全に分かった訳ではない。


 しかし、それでも世界に流れている情報だけを鵜呑みにして、クルムに接してしまったことだけは悔やまれる。


「……ごめ」


 だから、リッカは謝罪の言葉を紡ごうと口を開こうとした時だった。


 リッカの頭上からふわりと優しく何かが落ちてきた。それによって、リッカの視界は遮られ、暗闇しか見えなくなる。

 頭上にある何かを退けようと、リッカはそれに手を触れ、目の前に持ってきた。


 それは、クルムがカペルの斬撃を防ぐのに使ったマントだった。


 リッカはそのことを理解すると、すぐにそこにいるはずのクルムを確認しようと、顔を上げた。

 しかし、目の前にいるはずだったクルムは、もうそこにはいなかった。

 悪魔のような形相に変わったカペルに向かって、クルムは走っている途中だった。カペルは第二の斬撃を発しようと、再び剣に黒い靄を収束させている。


「あいつ……。誰も傷つけないとか言ってたくせに、自分が傷ついたら意味ねーだろ……」


 リッカに抱きしめられていた少年はそう小さく呟いた。

 

 少年の言う通り、クルムがマントを手放したということは、カペルの攻撃を防ぐ手立てを手放したということと同じだ。


 そのことをいち早く察した少年は、離れるようにリッカの肩を軽く押した。


「ちょっ……! どこ行くの?」


 リッカから離れた少年は、クルムとカペルがいる逆の方向へと足を出そうとしていた。

 リッカの制止する声に、少年は振り向く。


「ここにいても、俺はただ指を咥えて見守ることしか出来ない。だったら、俺はあいつのために出来ることを探す」


 そう言うと、少年は走り出した。


 リッカは少年が走るのを見ると、クルムとカペルがいる方向を見た。

 クルムとカペルは、再びリッカが助太刀の出来ないような次元の高い攻防を繰り広げていた。


 続けて、リッカはクルムが持たしてくれたマントを見つめる。

 クルムのマントはボロボロだった。幾度このような経験を繰り広げてきたのか、想像することも出来ない。


 リッカはクルムのマントを握り締めると、少年の後を追いかけていった。

 何が出来るか分からないが、ひたすらクルムの助けになることを求めて――。


 ***


 黒い靄が渦巻いている。不可解で、不愉快な靄。

 まるで、心を表しているのかのようだ。

 グルグルと、グルグルと、あの時からずっと離れてはくれない。

 そんな中でも、一瞬だけでも靄を解き放つ唯一の方法を知っている。

 それは――。



「オオォォオ!」


 カペルは剣に靄を収束させ、再び斬撃に乗せて解き放とうとしていた。


 標的は、カペルに向かって走っているクルム・アーレントだ。

 クルムの手には銃は握られておらず、先ほど斬撃を防いだマントも羽織っていない。


 絶好の機会だった。

 今カペルが剣を振るえば、確実にクルムを仕留めることが出来、カペルの目的を邪魔する者はいなくなる。

 カペルは手に力を込め、黒い靄を斬撃に乗せて、世界に発散させようとした。


 しかし、それよりも早く――、


「二度も同じことはさせません」


 そう言うクルムの手には、いつの間にか銃が握り締められていた。先ほどの黄色の銃とは違い、白で装飾された銃だった。その銃を見て、カペルは苛立ちを覚える。その白さは、カペルとは無縁なほど綺麗な純白だからだ。


 クルムが持つ白い銃にカペルは目を奪われていると、いつの間にか弾丸がカペルに襲い掛かるように迫って来ていた。

 発砲する瞬間を見逃していた――わけではない。カペルはクルムの白い銃に目を張っていた。

 しかし、それでも気付くことがなかったということは、クルムの引き金を引く速度があまりにも速いということだ。


「……ッ」


 カペルを襲う弾丸は一発だけだと判断したカペルは、目の前に襲い来る弾丸を黒い靄に染まった剣で斬る。弾丸を斬ったカペルはニヤリと歯を見せた。しかし、その笑みをすぐに奪われる。


 カペルが斬った一発の弾丸の後ろから、続けて三発の弾丸が奇襲を仕掛けるようにカペルに迫っていた。


 剣を振り切った状態なため、カペルには弾丸を防ぐ手立ては存在しなかった。そのままカペルは弾丸に――、


「ウォォアッ!」


 撃ち抜かれる直前に、カペルは鼓舞するように雄叫びを上げる。


 そのカペルの叫びに呼応するように、剣に纏わりついている黒い靄は姿を変えた。靄は自らの意志を持っているかのように、弾丸に襲い掛かり、一発、二発、そして結局は三発とも飲み込んでしまった。

 黒い靄は弾丸を飲み込み終わると、再び剣に纏わりついた。


 カペルは剣を振り切った体勢のまま、息を荒げている。

 クルムはその様子をチャンスと捉えたのか、カペルとの距離を詰めていた。


「――お前ェェ! 俺の邪魔をするなぁぁ!」


 カペルは血走った眼でクルムを睨むと、クルムと同様に距離を詰め始めた。

 クルムとカペルが接近するまで、あと数メートル。

 そのところで、カペルは剣を振るった。もちろん、カペルの剣はクルムには届かない。


 しかし、再びカペルの剣に纏わりついている靄が意志をもったかのように動き出す。

 黒い靄はクルムを食そうとばかりに、人を覆えるほどの大きさに変わっていた。その靄が、クルムを頭上から襲う。

 その速さは、クルムの走る速度を遥かに凌駕していた。

 いち早くそのことを察すると、クルムは走っていた足を止め、頭上に迫り来る靄を見つめ、白い銃で弾丸を放った。


「無駄だァ! こいつは全てを飲み込む! さっきのを見ていなかったのか!?」


 カペルはクルムの動きを見て、笑い声を上げる。カペルの言う通り、黒い靄はクルムが放った弾丸を飲み込み続けていた。

 しかし、クルムは気にすることなく、弾丸を打ち続けていた。


「何度撃っても同じこと! そいつを食らい尽せェ! ハハハ!」

「――見ていましたよ」


 クルムがカペルの笑い声を打ち消す。クルムの言葉は、先ほどのカペルの言葉に対する遅すぎる返事だ。

 クルムの言葉を理解すると、カペルは黒い靄を見つめる。

 何発か飲み込み終わった靄は、目に分かるほど動きが遅くなっていた。

 クルムはその隙を見計らって弾丸を撃つのを止めると、カペルの元へ走り――、カペルの後ろへと回った。


「あの靄は先ほど、僕が放った弾丸を一つ飲み込むたびに、動きが遅くなっていました。三発を同時に飲み込まなかったことが、その証拠です。だから、僕はあの靄を躱せるくらいになるまで弾丸を撃ち込みました」

「くっ! 一度躱したからといって調子に乗るな!」


 そう言うと、カペルは剣を握る手に力を込めた。すると、カペルの意志に応えるように、黒い靄はカペルの後ろにいるクルムを目がけて襲い掛かって来た。

 クルムは先ほどと違い、弾丸を撃ち込む気配もなく、逃げる様子も一切なかった。ずっとカペルの背後の位置を陣取ったままだ。


「今度こそ終いだァ!」


 カペルは勝ち気になったように叫びを上げる。しかし、その叫びは虚しく、黒い靄がクルムを飲み込むことはなかった。

 クルムに触れる寸前のところで、靄は動きを止めた。


「な……っ! 今度は何をした!?」

「あなたは悪魔が使わせている魔技の能力を使いこなすことが出来ていません」


 信じられないといった表情を浮かべるカペルに、クルムはあたかも全て理解しているかのような口調で答えた。


「もしこのままあの靄が僕を飲み込もうとしたら、あなたも一緒に飲み込むでしょう。悪魔の力を現す媒体であるあなたを傷つけることは避けたかったのでしょう。使い物にならなくなった道具は、悪魔には必要ありませんから」

「道具……だと……?」


 カペルは背後にいるクルムを睨みつける。クルムの目は、カペルの内面まで見透かしているようだった。対して、カペルの目は弱く揺れ動いている。


「そうです。悪魔は、人間のことを自分の目的を成すために利用する道具にしか見ていません。利用価値がなくなれば、捨てるのは当然です」


 クルムははっきりと言った。しかし、そう言うクルムの顔は、言いたくないことを言うような顔だった。


 ――お前の体をくれ。そうしたら、私がお前を守ろう。


 カペルの脳裏に、昔誰かに言われた一言が思い返された。甘く、優しい言葉だ。続けて、カペルはその言葉に対して返した言葉を思い出そうとする。

 脳で一度思い浮かんだなら、別の要因で塗り返さない限り、それを断ち切ることはなかなかに難しい。

 カペルは拒むことなく、記憶の波に乗る。


 ――この声は……?

 ――私はシエルだ。


 過去、カペルはその言葉に一縷の希望を抱いた。誰もがカペルを裏切る中、ただシエルだけが手を差し伸べてくれた。

 だから、カペルもそのようにシエルの名を使って、人々の傍に寄り添おうと思った。


「……お前の言葉は理解できないっ!」


 カペルはクルムの方を振り向きながら、大声を上げた。

 あの時の守るという言葉はカペルの胸に刻まれている。だから、道具のように使われているというクルムの言葉は、カペルにとって受け入れ難いものだった。

 カペルの剣を包んでいる靄は、忙しなくゆらゆらと形を変えている。まるで、カペルの心の揺れ動きを、そのまま目に見える形にしているかのようだ。


「――今の言葉は」


 カペルの荒々しい息だけが聞こえる中、クルムは小さく口を開いた。クルムの双眸は、はっきりとカペルのことを捉えている。


「気付きませんか? 今の言葉は……あなたが先ほど言った言葉と同じですよ」


 ――そいつは俺が拾った所有物だ。自分の物が壊れたら、捨てて、新しくするのは当然だろ?


 カペルは少年に向かって放った言葉を思い出す。その言い方は、まさにクルムが語る悪魔の姿と酷似していた。


「あなたが悪魔と同じ言葉を語る理由……。それは、あなたに悪魔の精神が注がれていたからです」


 茫然と立ち尽くすカペルに、クルムは畳み掛けるように言葉の雨を降らしていく。

 その一つ一つが、小さくはあるが、確実にカペルの心に沁み込んでいる。


 しかし、カペルは自分の中に悪魔がいることを認めたくなかった。

 裏切られて、生きるために縋りついたものが、甘い悪魔の言葉で、悪魔に好き勝手に使われているとは思いたくなかった。


 ――違う。私はシエルだ。私を認めれば、お前はもっと力を得る。


 心の中で、そうハッキリと否定する声が聞こえる。その声は、裏切られた果てで自暴自棄に陥っていたカペルを救ってくれた声だ。


 ――そうだ。悪魔なんかじゃない。


 カペルの唯一の味方は、心の中に生きるシエル・クヴントだけだ。それ以外、もうカペルには信じられるものは存在しない。

 だから、自分を守るために――。


「悪魔の精神……?」


 下を向いていたカペルは、クルムの言葉を反芻した。


「俺が持ち合わせているのは、ただ英雄シエルの思想だけだァ!」


 カペルは前を向くと、クルムに向かって靄を纏う剣を振るった。怒るカペルの瞳には、熱く熱い業火が宿っているようだった。


 しかし、カペルの怒りの猛撃は虚しく、クルムはカペルの剣を軽く避けた。怒り狂ったカペルの剣は、直線的で、避けるのは容易かった。黒い靄も、今度は自発的にクルムを襲うことはなかった。

 クルムを捉えきれなかったカペルの剣は、地面を斬り裂いた。カペルの剣によって地面が裂かれると、その隙間に黒い靄が入り込んでいった。


 靄が地面の中に入り込んでいく動きを見て、カペルは口角を上げる。


「お前に本当の英雄の力を見せてやるよォ!」


 そして、カペルは地面の隙間に入ったままの剣に、念を送り込んだ。すると、地面から不穏な空気が昇って来るかのように、大地が震えた。何かが噴出される前兆だ。


 警戒心を張り巡らせるクルムに、カペルは不敵な笑みを見せる。そして――、


 ――魔技カプネ・モルテ。

「魔技! カプネ・モルテェ!」


 カペルは脳内に響く通りに、魔技の名前を叫んだ。カペルが叫ぶのと同時に、裂かれた地面から黒い煙が溢れ出した。

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