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1-02 伝説の始まり

 ***


 時は夕刻に差し掛かろうとしていた。鮮やかな夕焼けが、オリエンスの町を染めている。


「じゃあ、またね」


 町で元気よく遊んでいた子供たちは、満足した表情で別れを告げて、互いに別の帰路を踏む。その時、子供たちの表情には憂いの色が一瞬垣間見えた。それは、楽しい時間が終わってしまったことへの嘆きだろうか。

 しかし、これから彼らは、母親が作ってくれたご飯を囲いながら、家族と今日あった出来事を満面の笑みで話し、暖かい布団で幸せな夢を見るだろう。

 そんな中、


「……」


 クルムは眉に皺を寄せながら、オリエンスの町を歩いていた。その理由は、思ったよりも有益な情報を得ることが出来なかったからだ。

 無意識か、クルムの手にある看板はクルクルと回されていた。


 ――なぜ、あの女性はオリエンスを離れるよう言ったのか。

 ――なぜ、あの少年は抱いている苦痛を話せなかったのか。


 目を閉じると、今日の出来事が浮かぶ。その中でも特に、女性と少年の姿が、クルムの頭を過ぎっては消え、過ぎっては消えていた。


 ――なぜ、シエル・クヴントの名が少年の口から出たのか。


 また、少年が最後にして、唯一出したその単語も、クルムの胸に突き刺さって離れることはなかった。



 シエル・クヴント――。

 ダオレイスという名のこの世界で住む人々にとって、正しく知る知らないは別として、彼の名を聞いたことのない者は誰一人いないだろう。


 その理由は、二つある。

 一つは、世界に影響を与えた人物について書かれている英雄列書という歴史の文献の中にも記されており、また童話、教育書など、多様な分野の書物に記録されているからだ。

 もう一つは、ダオレイスには「世界の中心が光染まる時、再びシエル・クヴントが来て、この世界で苦しまずに生きられるように救ってくれる」というシエルに関する伝説が広まっているのだ。


 シエル・クヴントという人物が生きていたのは、現代から幾千年以上も前の話になる。

 彼は多くの知識を持ち、誰に対しても平等に接し、心に患いを抱いている人を癒し、無償で体の治療も施していた。また、それだけでなく、彼はまるで先を知っているかのように、的確な答えと方向を、彷徨い迷う人々に示していた。

 どんな状況でも変わらない彼の姿に人々は安堵し、親しみを感じていた。そのため、多くの人が彼を慕い、遠い異国の地からもわざわざ彼の元を訪れるほどであった。

 まさしく、その姿は人々から英雄として認められていたのだった。彼の姿に希望を見出し、生きる喜びを感じていた。


 その一方で、シエル・クヴントに反する勢力もあった。人を惹いて止まない彼の魅力に対して嫉妬する人が、たくさんいたのだ。しかし、その勢力も表立って動くことはなく、水面下でコソコソとしていただけだったので、大きな影響はなかった。

 しかし、ある日、シエル・クヴントの世界を変える転機があった。

何の理由かは明確に記されていないが、彼は光るほどに鋭利な剣で、とある国の王を貫いた。その行為をキッカケに、当時シエルに相反していた勢力が声を上げた。

 彼らの勢いは、森の中に火が投じられたように、どんどんと広がっていった。

 次第にシエルを排斥する人は無視する出来ないほどの数になり、終には彼を刑に処することを求めた。

その声は誰にも止めることが出来ず、シエル・クヴントは処刑台の上に立たされた。

 彼はその命を失う直前、ある言葉を残した。


「世界の中心であるエテルノ大陸から、世に希望をもたらすものが再び現れるだろう。その時、全ての大陸が露わになり、憎しみ争いのない理想の世界が生まれる」


 そうして、シエル・クヴントは罪人として名を刻み、その生涯に幕を閉じた。

 だが、そこで終わるだけなら、彼はこの世界で英雄として名を残していないだろう。


 シエルの死後、彼を慕っていた人々がその死を嘆き、後悔した。なぜ、何もしなかったのだろうと。なぜ、傍にいれなかったのかと。

 その想いが溢れ、爆発し、いつしかたくさんの人がシエルの生き様を伝え始めた。自分が見て、触れて、知った彼について、最初から最後まで、包み隠さず話した。

 彼らの願いは、たった一つだった。


 ――罪人という汚名を負わせるのではなく、英雄という栄光を与える。そして、いつか来る彼を、正しく迎えられる世界を作る。


 それだけが、何もしてあげられなかった師への、せめてもの恩返しだと思い、彼らは世界を駆け巡って伝え始めた。

 勿論、簡単にはいかなかった。

 人々の認識を覆すということは容易ではないし、世界中の人に認めさせることが出来たならばまさに奇跡とでも呼べるだろう。


 ――いつしか、彼を反する声は枯れ、彼を語る声が芽吹き始めた。


 けれど、長い時をかけて、人々の心は確かに覆されていった。


 ――いつしか、多くの人々が会いたいと願い、会えると確信した。


 やがて、シエル・クヴントという人物を、世界が英雄として認めるようになった。


 ――いつしか、彼の言葉は希望となり、彼は生きる伝説となった。


 それが、現代にも伝わっている。



「……」


 どれほどシエル・クヴントについて考えていたのだろうか、いつの間にかクルムは、暗く、狭い路地裏に迷い込んでいた。屋根と屋根の隙間から、この町の特徴でもある風車が小さく顔を出していた。

 この路地裏には人の気配が全くなく、つい今しがた通って来た道の後ろの方から談笑する声が響く。

 クルムが踵を返して大通りに戻ろうとした、その時だった。


「君、何でも屋なんだって?」


 クルムの背後から、一人の男性の声が聞こえた。こんな路地裏で、わざわざ声をかけるとは珍しいと思ったが、人がいるところでは話せない相談もあるだろう。

 そう考え、クルムは男性の声が聞こえた方へ振り向いた。


「はい。困っていることがあれば、僕に――」


 言葉の途中だった。急に地を離れる感覚を味わったかと思うと、クルムは気付かない内に、地面に尻もちをついていた。手に持っていた看板も、クルムの手を離れ、カランと乾いた音を立てて、地面に落ちた。


「い、いてて……」


 何が起きたのか、どうして地面に手をついているのか、クルムは理解が追い付かなかった。


「いいか、この町でその行動をするのは止めろ」


 しかし、それも目の前の光景を見た時、現状に至っている理由がようやく分かった。

 クルムの視界を埋めるのは、四人の屈強な男だった。真ん中に立って一人だけ前に出ている男がリーダー格だろうか――、彼は手を前に出していた。そのポーズから、彼がクルムを突き飛ばしたということが窺える。


「僕を独り占めしたい――わけではないですよね。こうする理由があるなら、お伺いしても?」


 彼らの眼差しからは、憎悪みたいなものが感じられ、それはただクルムだけに向けられていた。

 この時、クルムの頭には、昼間の出来事が浮かんでいた。


 ――あなた……何でも屋として活動したいなら、ここじゃない場所に移った方がいいと思う。


 クルムの中で彼女の声が響く。彼女はこうなることを先に読んでいて、わざわざクルムに教えてくれていたのだ。


「親切心からそういう行動をしているかもしれないが、それはただオリエンスの町をかき乱すだけだ」

「俺たちの問題を解けるのは、シエル・クヴント様ただ一人のみ」

「シエル様の邪魔をするのは許さない」


 目の前の男たちから発せられたのは、またしてもシエル・クヴントという単語だった。

 クルムは目を凝らして、彼らの首を見る。綺麗に繕われた黒い首輪があった。それはまさしく、昼間出会った少年が付けていたものと全く同じだった。


「……あのシエル・クヴントなら、きっとこうはしないと思いますよ。どんな人にも寛容で、優しく接していましたから」

「無駄口を叩くな。私たちが穏便に動いている内に、大人しく頷いた方が身のためだ」


 柔らかい口調で話したクルムに対し、男たちは強い口調で答える。彼らの目は、更に憎悪に染まったように見えた。それは、自分が信じるシエル・クヴントを否定されたからだろう。

 彼らは威圧するように、クルムを睨みつけた。しかし、クルムはその視線に全く動じることなく、彼らに屈する素振りを一切見せることはなかった。


「ちっ」


 彼らは明らかに舌打ちをすると、クルムの前に物を投げつけた。いつの間にそうしたのだろう、彼らの手でボロボロになってしまったクルムの看板だった。


「いいか、警告はしてやった。また同じ行動をしていたら、お前もこうなるからな」


 リーダー格の男は、クルムに人差し指を向けると、そう言い放った。

 そして、ボロボロになった看板を一人ずつ踏みつけ始めた。四人全員が踏みつけ終わると、彼らは大きな笑い声を上げながら路地裏を離れ、居住区の大通りへと出た。


 暫しの間、クルムはその場所で座りっぱなしでいて、動く気配を見せなかった。彼らに突き飛ばされてから、指一つも動かしていない。

 彼らがいなくなった路地裏は、先ほどよりも薄暗く感じる。まるで、クルムがオリエンスの町に留まることを拒んでいるかのようだ。

 クルムは自分の体に一通り、視線を通した。大きな傷は特になく、服の汚れはしっかりと見ていないが、気にすることはない。先ほど押された胸の真ん中辺りだけが、少し疼く。


 今の彼らとのやり取りのおかげで、クルムはこのオリエンスの町で起きていることが少し分かった気がした。でも、それは本当に少しだけだ。クルムが持っている情報だけでは、正解に、いや問題にさえ、まだまだ辿り着くことは出来ない。

 クルムは自分の手の平を見つめる。その手には、何もない。クルムは力強く拳を握った。そして、その勢いで足にも力を入れる。


 ――立ち止まっている時じゃない。


 そう思った時だった。


「誰か倒れてると思って来てみたら……あなた、まだいたの?」


 クルムの頭上から、女性の声が降りかかった。優しく、透き通った声。前にも一度聞いた覚えのある声だ。

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