1-27 見当違い
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少年の視線の先には、マントを羽織った人物が立っていた。その人物はカペルに向けて銃を構えており、撃った後のためか、銃からは煙が出ていた。銃は黄を土台にした装飾と所々にやや黒目の赤が混ざった色をしており、ダオレイスではなかなか目にしない形だった。
カペルは地に落ちた剣を拾うと、剣の刃先を確かめるように見つめた。
「……お前、何者だ?」
そして、カペルは剣をマントの男に向けながら尋ねた。切っ先の一部には疵が出来ており、それはマントの男が放った弾丸によって出来たものだ。
「――クルム・アーレント。普段は何でも屋をしている旅人です」
マントを羽織った男――クルム・アーレントは、そう答えた。
クルムを歓迎するかのように、火の手は更に強くなる。
少年はその名を聞くと、目を見開き、やがて期待が外れたかのように伏し目がちになった。
――……シエル、じゃない。
そこにはシエルがいると思ったが、実際はクルムがそこにいた。
しかし、少年の想像通りではなかったとはいえ、驚いたのは事実だ。クルムがこの場所にいることが信じられなかったのだ。
確かに、少年はクルムに一度だけシエルの姿を重ねたが、すぐに割り切った――はずだった。
加えて、少年は助けてもらえるほどクルムと親密になったつもりはなかった。たった一回だけ、会話にもならない会話をしただけの関係だ。
それなのにこうして助けてくれるなんて、まるで――。
「私を呼び求める者がいるならば、西へ東へどこへでも飛び回ろう」
目に穴が開くほど読んだ英雄列書の一節が、少年の頭に浮かんだ。シエルが言い放った言葉――。
実際、シエル・クヴントはその言葉通りに行ない、人々から慕い求められていた。
――まさか。
「……な、なんで、あんたが、ここに……!?」
少年の疑問は、言葉となって外に吐き出される。
クルムは銃をしまうと、少年に近づき、半身を起こしている状態の少年の視線と重なるように片膝をついた。
「助けを呼ぶ声が聞こえたんです。その声を放っておくことは出来ませんから」
少年の世界から音が消えていく。ただ少年の世界に存在しているのは、目の前にいるクルムだけだった。
クルムの微笑む姿が、何千年も前にこの世を離れたはずのシエルの姿と重なる。
少年の心臓は高鳴った。理由は分からないが、恐怖とは真反対の感情が少年の全身を廻っていることは確かだ。
しかし、そこで少年の中で新たな疑問が生まれる。
――俺、口に出して助けなんて求めたか?
少年は言葉にして誰かに助けを求めたつもりはなかった。心の中で、シエルを呼び続けただけで、クルムに聞こえているなんてことはあり得ないはずだ。
――まさか。まさか。本当に……。
クルムとシエルの姿かたちは全然違うのに、少年の心は叫びを上げる。高鳴る鼓動は治まらない。
――ずっと待っていた、その人が。
少年の中で一つの答えが導き出されようとする、その時だった。
「はっ! 困っている人間を助けにわざわざ首を突っ込むなんて、英雄気取りかぁ!?」
少年の思考は、荒々しい声に持っていかれた。
二人きりの世界が閉ざされると、大股を広げながらクルムと少年に近づいて来るカペルがいた。
「それに……だ! 俺の所有物のくせに、勝手にご主人様の許可なく話しかけてんじゃねぇぞ!?」
カペルは叫びながら、二人に向かって剣を振るった。クルムは少年を掴むと、その場で転がることで回避を図った。クルムは上手く躱すことに成功し、見事カペルの剣は空を斬った。
「……所有物?」
少年を庇うように立ち上がったクルムに、カペルは隙を与えないように追撃をする。クルムは攻撃を避けながら、なるべく少年との距離を空けるように動いた。
「あぁ、そうだ! そいつの首元に、俺の所有物である証拠があるだろ?」
クルムは数々の斬撃を躱しながら、少年の首元に横目を向けた。
カペルの言う通り、心配そうな目をしている少年の首には黒い首輪がついていた。このような状況だというのに、黒い首輪だけはいまだに綺麗な状態を保っていた。
その首輪の実体を知っているクルムは、唇を噛み締めた。
悔しそうな表情をするクルムを見ると、カペルは口角を上げ、剣を振るのを止めた。それに合わせ、クルムも動きを止め、呼吸を整える。
クルムとカペルの間には一定の距離があった。そして、クルムと少年も少し距離が空いている。
カペルは狂ったような笑みを浮かべると、体はクルムに向けたまま、少年の方向に剣を突きつけた。
「そいつは俺が拾った所有物だ。自分の物が壊れたら、捨てて、新しくするのは当然だろ?」
そう言い終わると、カペルは素早く体の向きを完全に少年に向け、剣を振り下ろした。クルムの隙をついた動きだった。
剣が近づいて来るというのにも関わらず、少年は身動きを取ることが出来なかった。体が竦んでいたのだ。仮に少年が動いたとしても、剣の振るわれる速さは、少年の動きを遥かに凌駕していた。
カペルの一連の動きには躊躇も、同情も、一切存在しなかった。カペルの言葉の通り、人の命ではなく、まさに物を捨てるような感覚だった。
一瞬クルムに目を配ると、少年は死を覚悟して、目を閉じた。クルムとカペルの距離は、助けを期待するのを諦めてしまうほどに遠かったのだ。
しかし、死を覚悟した少年の頭上で、金属と金属がぶつかるような音が鳴り響いた。
「……この子は、命です。あなたの都合のいい道具なんかじゃありません、……絶対に」
クルムはカペルの剣の速さを超越した速さで少年の前に立ち、銃でカペルの斬撃を受け止めている。
それにより、クルムの銃と接触した箇所にだけ、カペルの剣に再び疵が入った。
カペルは剣に疵が入ったことを確認すると、すぐにクルムの銃に目を配った。クルムの銃は黄色の装飾が綺麗にされており、どこにも疵は入っていなかった。
カペルは癇癪を起したような顔を浮かべ、ちィと舌打ちをした。しかし、すぐに頭を冷やすように息を吐くと、カペルはクルムと距離を取った。
そして、カペルは思いついたように手を鳴らす。
「ああ! なんだ、お前……そいつのことが欲しいのか! 最初からそう言えばいいのによォ。お下がりでよければ、くれてやるよ」
安い挑発だ。カペルはこれでクルムの怒りを買おうとしているのだ。そうして怒り狂ったクルムを、真っ二つに斬る算段だろう。
ちなみに、カペルは少年を手放すつもりは微塵もない。裏切り者は、自分の手で始末しないと気が晴れない。
肩を震わせる少年を背にして、クルムは何も言わずに立ち尽くしていた。
そのクルムの姿を見て、カペルは口が裂けんばかりに口角を上げる。
「――」
クルムが動きを見せた。
その先のクルムの言動は、この場にいる者の予想を遥かに超えたものになる――。
「ありがとうございます! では、早くここから離れましょう!」
驚き戸惑う少年の腰を片腕で掴むと、クルムは颯爽とその場から逃げ出すように駆け出した。
カペルは自分の想像とは違った展開に、すぐに反応を見せることが出来なかった。黙って、クルムが少年を連れ出すのを見つめている。
クルムと少年が見えなくなるのを確認すると、
「おぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
策に溺れた策士は声にならない怒りを全面に露わにした。
――純粋なクルムには、皮肉などは全く効き目がなかった。
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一定の間隔で上下に揺れる視界。何もしないでも、体が前へと運ばれていく。
「……おい」
少年は不機嫌な声を出したが、少年の状況――クルムの脇に挟まれながら移動させられるという周りから見たら恥ずかしい状況――は変わらない。
逃げるようにカペルの元を離れたクルムと少年は、依然として逃亡中だった。
「おい、聞いてるのか!?」
反応を見せないままカペルとの距離を空けるクルムに、しびれを切らした少年は、大声を上げながら、クルムの背中を叩いた。
「聞いていますよ」
クルムの顔は見えないが、熱を持った少年とは正反対の声のトーンだ。少年が叩くことなんて、まるで気にしていないようである。
「なら、なんであいつのこと放っておくんだよ! その銃であいつを倒せるだろ!? じゃないと、あいつのせいでオリエンスが!」
強制的に逃げの行動をさせられる中で、少年はオリエンスの現状を目に焼き付けていた。
現在、クルムと少年は居住区から商業区の方に向かって走っていた。まだ全ての場所を見たわけではないが、クルムが通った道の建物はすべて瓦解していた。また、火の手が静まっている場所は一か所もなかった。
加えて、頻度は多くないものの、まだ爆発は続いている。
そんな状況の中、わき目も振らずに逃げ出すなんて――、そんな真似は少年には出来なかった。
クルムの背中を叩いていた手は止まり、いつの間にか、クルムのマントをギュッと掴んでいた。
「……」
少年の手に込められた思いを感じたのか、クルムは歩みを止めた。そして、抱えていた少年を丁寧に地面に戻すと、少年に見えるように銃を取り出した。
「僕は人を傷つけるために、この銃を手にしたわけではありません。守る――、ただそのためにこの銃を握っています」
クルムは真っ直ぐに少年のことを見つめながら、そう答えた。
クルムの言葉に嘘は一つもない。
そのことを分かったからこそ、少年は「なん、だよ……それ」と振り絞るように言葉を出すしかなかった。
真っ直ぐに見つめてくれるクルムのことを、今の少年には見つめ返す勇気はなかった。
「――傷つけなかったとしても、逃げたら意味がないだろ……」
少年は力強く拳を握り締めながら、誰にも聞こえないくらいに小さな声を出した。
確かに逃げたなら、敵のことは傷つけずにその場を終息出来る。けど、それは一時しのぎであって、結局は別の誰かが尻拭いをしなければならない。しかも、それまでの間は多くの犠牲者が出ることになる。
少年は誰かを犠牲にしてまで生き残りたいとは思わなかった。
クルムはその少年の姿を見ると、薄く微笑みながら、少年の頭に触れた。
「君は、良い子ですね」
「なっ!?」
クルムに頭を触れられながら褒められた少年は顔を真っ赤にした。そして、すぐにクルムの手を払い除けて、「意味がわかんねぇ」と言いながら一歩後ずさった。
少年の反応があまりにも素直だったため、クルムは笑い声を漏らした。
「誤解させてしまい、すみません。僕はカペルから逃げたわけではありません」
その言葉が聞こえたと同時に、少年はクルムに顔を合わせていた。その言葉の真意を問いただしたかった。
「君の言う通り、逃げていたら誰一人救うことは出来ません。でも、あの時あの場所を離れなかったら、カペルと対峙し続け、そして――カペルを救うことが出来ませんでした」
クルムは黄色い銃を見つめながら、言葉を紡いでいく。
「――それに、仮に弾丸を撃ち続けたとしても、恐らくカペルには響きません。この銃口に明かりが灯らないということは、まだ足りていない何かが……」
「……明かり? 銃が光るってことか?」
クルムは少年に向けて話していたはずだったが、いつの間にか独り言に変わっていたことに、少年が疑問を口にしたことによって気付いた。
傍から見ても分かるほど、クルムの顔には失敗したと書かれていた。クルムのそんな表情を、少年は初めて見た。
「……今の言葉は忘れてくだ――」
クルムが言葉を言い切る前だった。
今までの中で一番クルムと少年と近い距離で、爆発が起こった。どこで爆発が起こったのか、目視で分かってしまうほどの距離だ。
その爆発に対し、少年は頭を抱え、クルムはその少年を守るように腕を前に出した。




