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1-26 待ち続けた英雄

 ***


 オリエンスの居住区は、もぬけの殻と化していた。人っ子一人いないのは、リッカが居住区に残る人々を全員、オリエンス支部へと導いたからだ。

 そんな居住区を、一人の少年が走っていた。

 服はボロボロで、足取りもどこか覚束なく、首元の黒い首輪が嫌に目立っていた。少年の走り方は、まるで何かに捕まらないように逃げているかのようだった。

 しかし、走る少年には、どこへ行く当てもない。ただ――、


「おい、どこへ行くつもりだ……?」


 居住区を走る少年の耳に、低く重い声が届いた。聞き慣れた声だ。

 少年は足を止めて、声がする方に顔を向けた。体力がないためか、少年は肩で息をしている。

 少年が声の聞こえた方向を見続けていると、ついに声の持ち主は、家と家の間の路地裏から姿を現した。


「――シエル様……」


 少年は息を切らしながら、その人物――カペル・リューグという本名を持つシエルの名を呼んだ。カペルはその言葉を聞くと、満足そうに歪んだ笑みを浮かべる。

 

 ちなみに、少年は目の前の人間がシエル・クヴント本人ではないことを知っている。なのに、少年がカペルのことを本名で呼ばないのは、少年なりの処世術だ。


「さすが、俺が手を掛けて育てた駒だけはあるな。それで……? そんなに急いで、どこへ行くつもりだったんだよ」


 カペルは少年が走って来た方向を見ながら、そう問いかけた。本当は少年なんかには関心がないように見える。

 少年は一度言葉を詰まらせたが、すぐに息を整えて、カペルに向き合った。


「さっき世界政府のクレイ・ストルフが帰って来た。それで、クレイによってザイークは倒された。それを、シエル様に報告しようと思った」


 少年は先ほどの一連の出来事を掻い摘んで、カペルに報告をした。

 クレイがザイークと呼ばれる人物を倒した時、少年はその現場にいたのだった。人ごみの中で少年は見ていたのだが、雄叫びを上げたクレイが空を跳躍してザイークを地に落としたのはまさに圧巻だった。


「ハッ! ザイークが落とされたか……。本当に役に立たない人間だ。せっかく、手柄を上げられるチャンスを与えてやったのに」


 カペルは味方が敵の手に下ったというのに、興味もなさそうに笑い飛ばした。その瞳には、英雄シエル・クヴントの特徴でもある慈愛という感情が一切混ざっていなかった。むしろ、正反対のものしか宿されていないように見える。


「しかし、クレイが戻って来たということは、ビルカで煽動するように指示したジェッタは失敗したということか……。それにハワードもトバスも、全然連絡をしてこねぇ……。どいつもこいつも使えねぇ人間ばかりだな」


 ブツブツと呟きながら考えを整理しているカペルは、目に見えるように怒りが積もりあがってきている。自分の思い通りにいかないことが、気に食わないようだ。


「爆弾で人々の心を煽って、直接手を加えようと思ったのだが、駒不足だな。ちっ、洗礼の方向性を変えるか……」


 人を人とも思わないその態度を見て、少年はカペルに対し、嫌気を差していた。


 このシエル・クヴントの名を使ったカペルを慕う人物はたくさんいる。

 それは、カペル・リューグが英雄列書に記載されているシエル・クヴントの行動になぞらえて人々をまとめ、シエル・クヴントの再臨を謳ってきたからだ。多くの人が、カペルを本物のシエルと信じて疑っていない。

 そのことを本人が良しとし、誇りとしてしまっている。


 しかし、今では化けの皮が剥がれ、本物とは全く掛け離れている。

 シエルを信じる人がこの姿を見たら、どう考えるだろうか。そのことを思うと、少年は溜め息しか出なかった。


 その少年の雰囲気を察したのか、カペルは少年のことを睨みつけた。


「んだよ、その反抗的な目は!?」


 噛みつくカペルに、少年は面倒くさいことになったと思った。しかし、なるべく顔には出さないように努力する。


「……悪かった」


 少年はそう淡々と答えた。しかし、その少年の物言いが気に食わなかったのか、カペルは怒りを露わにした。


「おい、待てよ。随分と舐めた言い方をしてくれるじゃねぇか……。行く当てもなかったお前を拾ってやったのは誰だ!? お前は俺がいなかったら、今こうして生きることは出来ていない!」


 少年は口を出さなかった。


 確かに少年は目の前にいるカペルに助けられた。

 少年がカペルに会った時、記憶をなくし、家族をなくし、生き場所もなかった時だった。雨が降る冷たい日だった。

 どうしてそうなったのか全く分からないが、何故かシエル・クヴントの名前を呼んでいたことだけは憶えている。恐らく、根本的に希望を与えてくれる存在を追い求めていたのだろう。その当時は、シエル・クヴントについて何も知らなかったくせに、意味も分からずその単語だけを狂ったように叫び続けていた。

 そして、少年の目の前にシエルを名乗る者が現れた。少年は目の前にいる人間がシエルではないと直感していたが、ついて行った。

 このままだと確実に死を免れないからだ。


「俺はお前のことを最高の駒だと思って面倒を見てやった……。けど、まさかそんなお前が俺を裏切るなんて残念でならないなぁ!」


 カペルは誰の言葉を聞くのでもなく、ただ独りよがりに論理付けて、少年に敵意を向ける。


 カペルから駒扱いをされている事実を聞きながらも、少年は動じることはなかった。

 自分がカペルの言う通りに見られているだろうと、少年は出会った時から理解していた。

 ひとまず生きるためにシエルと名乗ったカペルに従った。少年は必要最低限のことはカペルにしてもらった。

 カペルに従っていく内に、英雄列書を見て、本物の英雄シエル・クヴントについて少年は学んだ。名前だけを知っていた状態から、シエルの性格、言動などを知るようになった。

 その結果、カペルはシエルの偽物だということをハッキリと分かった。英雄列書を参考にして行動してはいるが、全てが当てはまっているわけではなかった。


 そして、少年はより一層シエル・クヴントを求めるようになった。

 本物のシエルがいつ再臨するのか分からないが、一目見るまでは死にたくなかった。死ぬわけにはいかなかった。抱き始めた想いは、少年に課せられた使命のように感じた。

 だから、少年は食い繋ぐために、カペルの反感を買わないように従順する姿をふるまい、生きてシエルに会うために、カペルのどんな言葉も耐えてきた。


「今日に限らず、お前がコソコソと町の連中にずっと会い続けていたことは知っているんだ。俺は言ったよな!? 絶対に俺の言うことを聞けって。俺の傍を離れるなって! だが、お前は俺との約束を破った!」


 言いながら、カペルの怒りは熱を上げていく。カペル・リューグは裏切られることがこの世で一番嫌いなのだ。


 カペルの言葉に反発しないようにしてきた少年だったが、それでも積もり積もるものは存在する。その積もったものを解消するために、カペルの目を盗んで、少年は様々な場所に行くようになった。

 このオリエンスに来てからは、一日に一回、居住区か商業区を渡り歩くようにしていた。

オリエンスはフラウムの国境付近に位置する町で、人の出入りが激しい町だ。

 もしかしたら本物のシエル・クヴントに会えるかもしれないと希望を持ちながら、少年はオリエンスの町を歩き続けた。


 しかし、そう簡単に会えることはない。

 ダオレイス中が何千年と待ち続けたシエルにそう簡単に出会えるわけがなかった。


 オリエンスでシエル・クヴントに会うことを待ち望んでから一か月が経とうとする頃、少年の心は少しばかり弱っていた。

 そんな時、少年は何でも屋をしているクルムに出会った。

 町中でクルムが大声を出した時から、少年はクルムのことが気にかかっていた。どこか普通の人とは違うように感じた。

 本物のシエルが現れたなら、きっとクルムのように多くの問題を解いてくれる。

 少年は、クルムの言動にシエル・クヴントの姿を重ねた。

 一度クルムに接触をし、自分の悩みを打ち明けようかと思ったが、少年は思いとどまった。


 ――そんな都合よく事が進むわけがない。それに、目の前にシエルが現れても、自分みたいに何もない人間は相手にはしない。


 そう思うと、少年は急に恥ずかしさが込みあがり、その場を逃げ出したのだった。

 それから、クルムの後を何度かつけてみたりもしたが、少年は結局何も行動を起こさなかった。


「いつまでもだんまりか! なら、教えてやるよ!」


 何の言葉も発しない少年にしびれを切らしたのか、カペルは少年を突き飛ばした。それにより、少年の臀部に電流のような痛みが走った。

 少年は地面に手を着いたまま、赤い双眸でカペルのことを見つめる。


 カペルの手には、何かの装置のようなものが握られていた。何の装置かは分からないが、カペルは今すぐにその装置を押し出しても不思議ではなかった。

 それほどまでに、カペルは周りが見えないくらいに激昂していたのだった。


「言っておくがな! 俺のことを待ち続けている馬鹿どものためにだけ、洗礼があるわけじゃない! お前のための洗礼でもあるんだよ!」


 そうカペルが言うと、手元にある装置を押した。

 それに連動するように、遠くから、そして近くからも爆発する音が響く。

 爆発音が鳴る度に、居住区の家々は音を立てて崩れていき、火の手に包まれていった。


「――う」


 その景色は、少年にとってどこか懐かしいものだった。


「うわぁぁ!」


 その懐かしさが、少年の心に恐れを生む。

 本能的に恐怖で体が震える。止めたくても、震えを止めることは叶わない。

 その絶望に抗おうと、叫びを上げるが、少年の心に巣食う恐怖は一切消えることはなかった。


「ハハハ!」


 少年の恐怖に打ちひしがれる様子を見て、町が壊れていく様子を見つめて、カペルは大声を上げて笑った。

 この現象を自らの力だと示すように、カペルは腕を大きく広げた。


「これが洗礼! これこそシエル・クヴントの力! これで誰も俺に逆らう意志なんて持てない! ハハハ!」


 カペルが言う洗礼とは、その人の持つ大事なものを奪うと同時に、誰もがカペルに従わざるを得なくさせるほどの力を見せつける儀式のようなものだった。


 今回の洗礼では、町の至る所に爆弾を設置し、それを爆破させることで人々の家を破壊し、精神的な支えを奪い、そこでカペルは甘い言葉を使って人々を誘導しようとしていた。

 その時、逆らう者がいれば、人々の首についている首輪型の爆弾で命を奪う算段だった。

 そうすることによって、カペルに絶対服従を誓う集団を作り上げる目論見である。絶対に誰も裏切らない、カペルにとって都合のいい集団だ。


 少年の悲鳴を背後に、カペルは声を高らかに上げ続けた。少年の声はこの場を盛り上げるための火付け役くらいにしか、カペルは思っていないのだろう。

 カペルの笑い声に合わせるように、火の手も盛んになってくる。


 まるで地獄絵図だ。


「――」


 いつしか少年の叫びは消えていた。カペルの笑い声にかき消されたのではない。

 少年の絶叫がなくなった代わりに、ある人物の名前をまるで呪文のように唱え続けていた。


「シエル……。シエル……」


 名前だけしか分からなかった昔のように、少年はシエルの名を呼んでいた。もちろん、目の前にいるカペルに対して言ったのではなく、本物のシエル・クヴントを求めて、だ。

 少年は、カペルに焦点を合わせることはなかった。


 それは暗にカペル・リューグはシエル・クヴントではないと主張しているようだった。


 その少年の言動が更にカペルの反感を生んだ。カペルはあまりにも分かり易い舌打ちを奏でる。


「ちィ……ッ! いいか!? シエル・クヴントは何千年も前の、過去に死んだ人物だ! 一度死んだ人間が再び蘇るわけねぇだろうが!」


 カペルは大袈裟な動きを付けながら、大声を張っている。


 考えてみれば、カペルの言うことは正しい。

 一度死んだ人間は二度と生き返らない。それが――、命の法則だ。


 しかし、それでも――……。


「この世界には英雄なんていないんだよ!」


 カペルは地を震わすほどの声を張って、自分の主張を押し通すかのように宣言する。少年の心には、そのように響いた。


 弱っていたはずの少年は、カペルの言葉に対して力強く首を振った。


「……ちが、う! 本、物のシエ……ルは、いる! お前みたいな、偽物なん、かじゃない! ちゃん、とした本物、が……!」


 それだけは否定できなかったし、否定されたくなかった。


 絶望しかない世界で、少年に希望を与え続けたのは、まさにシエル・クヴントという存在があったからだ。

 この憎悪に満ちた世界が変わるためには、過去に人々に希望を与え、未来に希望を残した英雄が必要だ。

 そうでなければ、何のために、この苦しい世界で生きていくことが出来るだろうか。


「……ちっ! ガキがいつまでも夢ばかり見やがって! お前を救ってくれる奴なんて、どこにも存在しない!」


 カペルの怒りは、少年の言葉によってついに頂点に達した。カペルは腰に下げていた鞘から剣を抜き、少年に一歩一歩と歩みを寄せる。

 カペルは少年の息の根を止めるつもりなのだ。

 面倒を見てきた相手に対しても、裏切り、自分の邪魔をするのなら、カペルはその剣を振るのに躊躇はなかった。


 死地に追い込まれた少年は地面にある砂利を、力強く握った。


 燃え盛る炎。瓦解していく町。思い出の詰まった家が火に包まれる。遠くから聞こえる悲鳴。焦げた臭い。近づく死神の足音。


 こんな絶望の中でも、少年は希望を捨てることはしなかった。

 どうしようもない状況だからこそ、生き残るために、全てを救ってくれる英雄の名を切実に呼ぶ。


 ――助けて、シエル様! どこにいますか!? シエル様……っ!


 少年は心の中で叫んだ。この世界にまた来るはずの英雄に、祈りを込めて。


 その時、全てを切り裂くような一発の銃声が轟いた。


 銃声と同時に、カペルの手に収められていた剣は、カペルの手元から離れた。そして、そのまま剣は音を立てて、地面に落ちる。カペルは剣を目で追うよりも先に、弾丸を放った人間を見極めるために前を睨みつける。


 だが、そこには誰もいない。ただ先ほどの銃声が嘘のような無音と共に、仄かな闇が存在しているだけだ。


 しかし、静寂も束の間、ゆっくりと希望の足音が一歩一歩と近づいて来る。粛然に包まれているからこそ、その足音は目立つ。


 その音に反応して、少年はゆっくりと天高く顔を向ける――、待ち続けた英雄がそこにいることを確信しながら。


「ここに、います」


 少年の心に確かに応えるように、救いとなる言葉がこの地に降り注がれた。

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