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1-25 走って走ったその果てに

 その一連の様子を見つめながら、リッカはクレイの認識を改めていた。


 リッカは、クレイ・ストルフという人物に対して、声が大きく、ルールを順守するあまり、細かいところまで気を遣えない人物だという印象を抱いていた。また、世界政府でも重鎮と呼ばれるほど長く在籍していることに加え、国境付近に位置するオリエンスの支部長を務めていることから、何かしらの力は持っているのだろうということは感づいていた。

 だが、クレイにどれほどの実力が隠されているのか、リッカは実際に接してみても分からなかった。


 しかし、クレイの現場での行動を初めて目の当たりにして、自分の考えはあまりに足りなかったとリッカは気付いた。


 カリスマ性、力、判断力……その全てが桁違いだったのだ。


 特に、クレイは人々の好感を買うために、わざと派手に敵を倒すという行動を狙って取っていた。思い切り地面に叩きつけられているように見えた敵だったが、実は地面に当たる直前、クレイが絶妙に勢いを殺しているのをリッカは見逃していなかった。


 ――これは、クレイに相当な実力がなければ出来ない業だ。


 もしあの時、クレイが勢いを殺すこともなかったなら、敵は本当に命を落としていたに違いない。とはいえ、クレイがそのような処置を取ったとしても、敵にとっては耐え難い傷を負うことになったわけではあるのだが――。


「――カ様。リッカ・ヴェント様」

「は、はいっ!」


 誰かから声を掛けられ、リッカは背筋をピンと伸ばした。

 気付くと、目の前にはクレイがいた。リッカの反応が面白かったのか、クレイはどこか楽しそうだった。恥ずかしくなって、リッカは顔を赤くする。


「す、すみません。お見苦しいところを……」

「いえ、そのようなことはありません」


 首を横に振るクレイの声は、先ほどのような町中に響くような大声ではなく、リッカだけにしか聞こえない声だった。

 クレイ・ストルフは、しっかりと時と場合を弁えている男だ。


「ありがとうございます。リッカ様のおかげで、この町にいる人々を助けることが出来ました」


 クレイは先ほど人々の前で頭を下げたように、リッカ一人に向けて頭を下げた。

 今度はリッカが首を横に振る。リッカの表情には、嘲笑も混ざっていた。


「い、いや、まだ終わったわけでは……。……それに、私は何もしていません。勝手に行動して――、余計に人々を惑わせてしまった」


 吐き捨てるように、リッカは冷たく呟いた。


 居住区で爆発が起こってから、現在に至るまで、リッカはクレイのように人々の心を安心させてあげることが出来なかった。むしろ、人々の不安を増幅させてしまい、負の感情を波立たせてしまった。


 何か考えているのか、クレイから返事はなく、暫く沈黙が続いた。その沈黙が、その通りだと肯定されているようで、余計にリッカの胸を疼かせる。

 後ろめたさからか、リッカはクレイに目を合わせることが出来なかった。だから、現在クレイがどのような表情をしているのか、リッカには分からない。


 やがて、クレイが口を動かし始める。僅かな動きだというのに、リッカは怒られるのを待つ子供のように、肩を震わせた。


「そんなことはありません。私は、あなたのことを少々低く見てしまっていたようです」

「……え」


 しかし、クレイの言葉はリッカの予想とは違っていた。思わずリッカは間の抜けた声を出しながら、前にいるクレイに顔を向けた。

 クレイは、満足するように自らの顎に生えている髭に触れている。先ほどと変わらず、楽しそうな顔をしたままだった。

 顎髭に触れながら、クレイは言葉の続きを、なかなか切り出さずにいた。まるで、勿体ぶっているかのようだ。その時間がリッカには、長く、じれったく感じる。

 クレイの言葉を待ち侘びているリッカを見て、クレイは本題に入るための前準備として咳払いをした。

 そして――、


「私は、リッカ様をが大陸支部の人間であるということを評価しています。しかし、大陸支部の人間とはいえ、あなたはまだ新人。心のどこかで、あなたには何も力がないと判断していました」


 クレイは一度言葉を区切ると、微笑みながら後ろの方に視線を送った。リッカに後ろを見るようにと示唆したのだ。クレイの思惑通り、リッカはその視線を追う。


 そこには、互いに話して、笑い合っている人々の姿があった。その姿が瞼に焼き付かれると、リッカは胸に熱い思いが込み上げてくるのを感じ、思わず息を飲んだ。


「ですが、私の予想は外れた。リッカ様はしっかりと世界政府として人々を守り、私が戻るまでの間、率先して生き残れる道へと導いてくださった。それは、誰が見ても否定することの出来ない事実です」

「……」


 そう語るクレイに対し、リッカは上手い反応を返すことが出来なかった。どう話せばいいか分からず、複雑な表情を浮かべる。

 クレイは一度苦笑をすると、再び言葉を紡ぎ始めた。


「もし、リッカ様が私の帰りを待つだけだったら、この町の人々は守れなかったでしょう。ただ呆然と敵が来るまでその場に立ち尽くし、今頃は命を無残に奪われていました。けれど、リッカ様が冷静な判断を下し、自らの足を動かして人々を集めてくださったからこそ、被害が今以上に広がることはなかったんです」

「……そんな褒められるようなことではありませんよ。どうしていいか分からないから、ただがむしゃらにやってみただけです」


 リッカははにかみながら、自分の服の汚れを示すような素振りを見せる。顔も、手も、服も、靴も、汗と泥と土と血で汚れていない部分がないほどだった。

 しかし、リッカの仕草とは違い、クレイは一度驚くように目を見開かせたが、すぐに真剣な表情を見せた。


「ご存知ですか? 一流の世界政府のコートは、白とはかけ離れているんです。……その汚れは、リッカ様の努力と結果が見合っているという動かぬ証拠です」


 クレイの口調は優しく、穏やかな表情を見せていた。そう言うクレイ自身も汚れが目立っており、コートの色は元々が何色をしているのか、最早分からなかった。


 リッカは改めて、自分に付いてしまった汚れに目を通した。


 汚れてしまったのではなく、勲章として付いたものだ――、とクレイは言った。その言葉にリッカは自信をもらうことが出来た。


 もちろん認められるために行なったわけではないが、それでも自分の努力が誰にも理解されず、水泡に帰すのは堪え切れないものがある。実際、人々に責められた時、リッカは自分が何もしていないのではないかと錯覚してしまうほど自信を失ってしまった。


 ララにコートを羽織わせているために、リッカの世界政府のコートに汚れが付くことがなかったのは残念でもあるが、高慢にならないという意味では良かったかもしれない。


「……余程、上の人物もあなたのことを買っているのでしょうな。今ならその気持ち、私も分かります」


 その言葉を聞き、リッカの顔は更に紅潮する。

 クレイの言葉は、止まる様子がなかった。これ以上続けられては、リッカの心は耐えられなくなってしまう。そんな風に認めてくれるのは嬉しいが、さすがにこれ以上は褒め過ぎというものだろう。


「そ、それより! ……クレイさんが戻って来たということは、ビルカの方は解決したのですか?」


 だから、話題を早急に変えるため、続けて話しているクレイに対して、リッカは質問をぶつけた。


 実際に気になっていたことでもある。クレイが戻って来たということは、恐らくリッカの言葉通りのはずなのだが、今朝の時点ではまだ時間が掛かる見込みだったはずだ。

 ……このことはクレイが戻ってきてから最初に聞くべきことであって、今更であることは否めないのだが。


 小さく頷くことによって、クレイは肯定する。

 リッカはクレイの仕草を見て、心が軽くなるのを感じた。


「つい先ほど。まだ事後処理が残ってはいるのですが、それはビルカ支部の仕事なので任せて来ました。……しかし、この一件――、世界政府が考えるよりも厄介なものが関わっているかもしれない」


 しかし、クレイが最後に呟くように言った言葉を聞いて、リッカの心に再び負担が圧し掛かった。

 自分で現状を把握するために呟いたつもりだったかもしれないが、その言葉はしっかりとリッカの耳に届いてしまった。

 今のクレイの口ぶりでは、ビルカの事件が完全に解決したように聞こえなくて、何やら雲行きが怪しかった。


「……あの、ビルカで何があったのか聞いてもいいですか? 結局、詳細に聞くことが出来ていなかったので……」


 ビルカで起こっていた事件について、何一つ知らずにいたリッカは、クレイの顔色を窺うように訊ねた。


 クレイにビルカの事件について言及する機会は、二回あった。初めてリッカがクレイと会った時と、エインセルでクレイと対話した時だ。

 しかし、初めて会った時は聞く暇もないほど話の主導権をクレイが握っており、エインセルで話した時は聞くタイミングを失ったのだった。


 クレイは顎髭に触れながら、考え込んでいた。迷いあぐねているようだ。

 しかし、やがてクレイは意を決した表情を見せ、口を開こうとした。


「――っ! 君は!」


 その時だった。


 リッカの目は人波の中に見知った顔の少年を射止め、反射的に声を出した。

 この少年は、初めてクルムと会った時に見つけ少年だ。古くなった服装に黒い首輪という姿から、リッカは少年がカペルから奴隷のような扱いを受けていると判断し、保護をしようとしたが、叶わなかったことがあった。


 少年はリッカの声にびくりと肩を震わせると、逃げるように人波の中に消えた。


 少年の姿を見失ったリッカは、クレイの顔と少年が消えていった先を順番に見つめた。どちらを優先すべきか、判断がつかなかった。


 クレイに話を振ったのはリッカだ。それを置いて、この場を離れるのは失礼だろう。

 しかし、そのように迷っている内に、少年との距離は確実に離れていく。あと少しすれば、少年の足取りを掴むことは完全に難しくなるだろう。


 ここで追いかけなければいけない。そうしなければ取り返しのつかないことになる。


 そのような想いが、リッカの心を占めていた。


「……私との話は、この件が完全に解決されてからでも出来ますよ」


 クレイはため息交じりの声で、リッカに話しかけた。

 驚いたリッカはクレイの方に顔を向ける。まるで心の中を読まれたかのようだ。


「で、でも――」

「リッカ様は分かり易い方ですね。一目見れば、すぐに分かります」


 クレイは微笑みながら、自分の目を指さした。

 リッカはそのクレイの動きで気付いた。「……あ」と小さく声を漏らす。


 少年とクレイのことを交互に見ていたはずのリッカの目は、いつしか少年が消えた方向だけしか捉えていなかった。

 リッカの心は、もう少年のことを追いかけていたのだった。


 本心にリッカが気付いたことを確認すると、クレイの顔は真剣なものに変わった。


「……何を迷う必要がありますか。世界政府の使命――、それは人々を守ることです。もう、あなたも立派な世界政府の一員でしょう? 優先順位を間違ってはいけません」


 リッカの胸に、クレイの言葉が響く。世界政府の重鎮と呼ばれるだけあって、その言葉の重さは違った。

 クレイは思い切り空気を吸うと、


「――ご武運を!」


 地を割らんばかりの大きな声を出した。その声に、それぞれに話し合っていた人々は、何事かとクレイとリッカの方に視線を向けた。


 クレイの力強い声に、リッカは力強く頷く。

 そして、クレイの言葉が導火線となって、リッカは少年が消えた方向へと駆け出した。


 人々はリッカが走り出したのを見ると、何も言わずにリッカが通る道を開けてくれた。リッカは一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐにその道を走り抜けた。

 その出来上がった道をリッカが走る度、「ありがとう」「頑張れ」「さっきはごめんなさい」などとリッカに向けて声援が送られていた。


 こんな時だというのに……、不謹慎だと分かっていながらも、リッカは上がる口角を止めることが出来なかった。


 リッカは人々から――リッカが守り抜いた人々から力を受けて、少年の後を追った。


 クレイはそのリッカの姿を、愛娘を見つめる親の視線で見送ると、年老いた体を伸ばして、何が起こってもいいようにと準備を始めた。

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