1-22 戸惑う交流所
「ハワードさん!」
クルムはすぐにハワードの傍に駆け寄った。
「居住区の方で何かが爆発しているようですが、これは一体……ッ!?」
「……私は最後に一つだけ伝えなければいけないことを伝え忘れていたんだ」
「……」
独り言のように呟くハワードに、クルムは口を開かないことで続きを催促する。
「カペルが執り行なう洗礼とは、カペルに従う人々の退路を根本から断ち切ることで、完成する。そして、カペルが洗礼を完成させるためによく用いる手段が――」
「爆弾、ですか」
ハワードが話し終わる前に、クルムは合点が行き、先回りをして答えた。ハワードは黙って頷く。
「そうだ。カペルは洗礼を行なうために、居住区のあらゆる所に爆弾を仕掛けた。人、家、自然、生物、大切な思い出……奴はそれを全て爆破することで、絶対的な力を見せつけ、逆らう意志を人々から奪うつもりだ。そして、ここにいる人々の心を完全に支配する気でいる」
「……それでも逆らう人がいたら?」
クルムの質問に、ハワードは首を振った。首を振った時、ただ否定の意味を込めただけでなく、周りの様子も同時に確認しているようだった。
クルムとハワード以外の人には、まともに動けている人はいなかった。二人の話を聞く者はいなかったし、二人を見ている者もいなかった。
ハワードはクルムを真っ直ぐに見つめると、自分の首元に人差し指でトントントンとリズムを刻むように三度触れた。
「……っ」
クルムは素早くハワードの意図を察したが、口を開くことはしなかった。ハワードが何も言わずに、手で表現した意図が分かる。もし、このことを口に出したら、誰かに聞かれたとでもしたら、この場は更に混乱状態に陥るだろう。
「……一先ず、この場所にまとまっているのは危険ですね。先ほどの予定通り、一旦居住区に戻りましょう」
クルムは少しの間考え込むと、ハワードに一声掛けてから人々に向けて指示を出した。
今戻らないと手遅れになってしまう。
「こ、こんな危険な状況で戻るのか!? 音は居住区の方から聞こえているんだぞ!」
「ええ。……ですが、今はどこにいても同じです。なら、居住区に戻って家族の傍にいてあげた方がいいでしょう」
否定的な言葉を出した人々だったが、クルムの提案を聞いて、次々に言葉を上げなくなった。
居住区で待っている人々は、ここにいる人達以上に恐怖心を抱いているに違いない。
そうと分かったら、ただじっとしている訳にはいかなかった。皆、立ち上がって居住区に戻る意志を示す。
クルムは彼らの決意を受け、力強く頷いた。
後は全員で居住区に戻るだけ――なのだが、ここで問題が一つある。
「だが、一度にこんな人数が動くのは、恰好の的になり得ない……。あまりにも危険だ」
ハワードの言う通りだった。
百人以上もの人間が一斉に動いたなら、居住区へと辿り着く前にカペル達と遭遇した時、全員を守り切ることはなかなか難しいことだった。
それにまとまって動いたら、最悪の事態は防ぐことが出来ないだろう。
「一応念のために聞きますが、洗礼に向かう道中だという言い訳を使うことは……」
クルムは口に指を当てながら、ハワードに質問をする。
可能性が不安定なものは、はっきりさせておきたかった。もしその言い訳をカペルの手下の前で使えるならば、かなり有利かつ安全に、居住区まで戻ることが出来る。
しかし、ハワードが首を横に振ったことで、一縷の望みは消えた。
「カペル自らが彼らを迎えに来ることになっている。カペルの指示なく動いていることがバレたら、命はないだろう」
ハワードは申し訳なさそうに言った。
これで安全に戻るために別の方法を考えるしかなかった。しかし、最善の策が思いつかない。考えているのは数秒に過ぎなかったが、それでも着実に時間がなくなっていく。
今は迷う時間が惜しい。仕方なく、全員で移動しようと決めた時だった。
「なら、俺が送り届ければ解決だね」
扉の方から声が聞こえた。全員がその声に注目をする。
振り返れば、そこにはフィーオ・サルナックがいた。
フィーオのことを唖然と見続けるクルムに、フィーオは片目を閉じて余裕のウインクをする。
「話は聞かせてもらったよ。荷車を使って、俺が彼らを何往復してでも居住区まで無事に送り届けるっていうのはどうだい? 今は荷車の中は空っぽだから、一度に十人くらいは乗れるかな」
「でも、フィーオさんはもう身元がバレているから、危ないのでは……」
「大丈夫さ。俺がどの荷車を所有しているかは、そこの彼にしか知られていないからね」
フィーオに指されたハワードは、その通りだと言うように頷いた。
「しかし……」
それならば、フィーオの荷車で多くの人数が一斉に移動しても簡単にはバレないかもしれない。だが、それでもまだまだ問題は山積みだ。
「一つだけ」
なかなかフィーオの提案に承諾を渋るクルムに、ジジが一声入れた。
「……一つだけ、この町に住む人間しか知らない道がある。その道を使えば、目と鼻の先まで居住区に近づくことが出来るんだ。少し遠回りになるかもしれないが、そこなら荷車でも行けるはずだ」
「さすが交流所……、良い情報が集まっているよ。それじゃあ、決まり――だね」
フィーオは口笛を吹くと、ジジに向かってそう言った。
先ほどまでフィーオの提案に即座に否定の言葉を言い続けてきたクルムだったが、今回は何の言葉も発さなかった。
クルムは考え続けたが、ついにアイディアが出されることはなかった。
つまり、フィーオの提案は現状で考え得る限り、最も現実味があり、尚且つ、最も安全である最善策ともいえる方法だということだ。
「……いいんですか? フィーオさんは商売をしにオリエンスに来ただけで、その……本来なら関係ないのに……」
クルムは心配そうな表情を浮かべている。
無関係な人を巻き込みたくないということを、クルムの言動全てからフィーオは感じ取ると、
「ここまで来たら、乗りかかった船さ」
その整えられた容姿を活かして、爽やかに笑った。そして、フィーオは更に言葉を続けて出そうとする。
「それに――」
――ここにいる時点で、もう無関係じゃない。
フィーオ・サルナックという人間は、ここまでの経緯を全て知って、見捨ててしまうような腐った性格をしていなかった。
「それに、これは俺にとっても不都合なことばかりじゃないからね。じゃあ、俺は外で荷車の準備をしているよ」
しかし、フィーオは最初に思ったことは敢えて言わず、企むような表情を見せながら、この部屋を出ていった。
クルムは小さく礼を言いながら、フィーオを見送ると、
「お待たせしました。では、十人一組に固まって、この交流所を出ましょう」
そう人々に言った。
人々は争うこともなく、クルムの指示にすぐ従った。そして、十組の固まりが出来上がると、リーダー格であるジジを先頭にして次々とこの部屋を出ていった。
「ハワードさん」
クルムの声を聞き、ハワードは足を止めて顔を向ける。クルムは真剣な表情を見せていた。
「僕はフィーオさんの荷車に乗らず、真っ直ぐに居住区に向かおうと思います」
「……なるほど。それで、私について来てほしいということか」
「あ、いえ。そうではなく、むしろ……逆です」
「逆?」
ハワードはクルムの言葉を繰り返した。クルムは静かに頷くと、真っ直ぐにハワードのことを見つめた。
「フィーオさんの荷車に先に乗って、最後の一人が合流するまで、下車する場所で待っていてほしいんです。そして、全員集まったら、皆を安全に居住区まで連れてきてもらいたいです」
その言葉を聞いて、ハワードの目は大きく開かれた。
負けを認めたとはいえ、ハワードは元々カペルの右腕として活動していた――所謂、敵なのだ。
今までは、クルムが傍にいて目を配っていたからある程度自由に出来ていた、とハワードは考えていた。そして、これからハワードが変な行動をしないよう、一緒に連れていくのではないかと推測した。
しかし、クルムの言葉は違っていた。
「……いいのか? もし私がまだカペルに忠誠を誓っていたら――」
試すような口調で、ハワードはクルムに語り掛ける。
そのつもりはハワードには一切ないのだが、ハワードが裏切るかもしれないと、クルムは想像もしていないのだろうか。
クルムの言い方。それは、まるでハワードのことを――
「僕はハワードさんのことを信頼しています」
ハワードのことを信頼できる、とクルムは言った。クルムは、ハワードのことを全面的に信じていたのだった。
「……ッ。し、しかし……私、は、カペルの……」
ハワードは心が歓喜に震える一方、また必要とされずに捨てられてしまうのではないかという恐怖に震えた。
途切れ途切れに出す言葉は、自らを卑下するような言葉だった。
完全に心を委ねて傷つく前に、クルムに見限って欲しかったのかもしれない。
「誰だって過ちを犯します。でも、あなたはその過ちを認め、人々の前でその罪を告白した」
クルムは目を瞑ると、まるですべてを知っているかのように、断言的な口調で言った。ハワードはその姿に、恐れすら感じる。まるで全てを判決する裁判官を前にしているかのような威圧感だ。
しかし、クルムが目を開けた次の瞬間――
「正しい道に立ち返ることが出来ているじゃないですか。その行動を見て、どこに疑う余地があるのですか? だから、僕はあなたのことを信じています」
クルムは優しく、安心させるような笑顔を見せた。先ほどの威圧感は消え、全てを受け入れる海のような印象を与えてくる。
ハワードの胸に熱いものが込み上げて来た。
「それでは、よろしくお願いします。僕はこのまま居住区に向かいますので」
何も言わずにいるハワードにクルムは頭を下げると、窓に足を掛けた。そして、そのまま勢いを殺さずに、クルムは窓の外へ飛び出した。
ハワードは当然のようにクルムの行動を見ていたが、重大な事実に気付く。
――ここは三階だ。
そう考えている内に、クルムの姿は落ちて消えていった。
「え、あ――!」
ハワードは急いで窓に近寄り、体を出して下に視線を移した。
クルムは既に地面に着いていて、何事もなかったように走り出していた。その背中は、あっという間に遠くなってゆく。
目が奪われたように外を見続けているハワードだったが、ふと、いつの間にか口から息が漏れ続けているのに気付いた。完全に無意識だった。なぜか、呼吸もし辛い。
何だろう、と思って、ハワードは自分自身に意識を集中させた。
声も出ている。でも、それはただの声ではなくて――
「ハハハ!」
笑い声だった。
目からも熱いものが溢れ流れている。
笑っている。私が。一体、いつぶりだろうか。
何がそこまで可笑しいのだろうか――、ハワード自身も訳が分からなかった。
心の奥底から笑うという体験はハワードにとって数少ない。自分を律しようとして、命令を忠実に行なうことだけを目的として、今まで感情という感情を殺してきたつもりだ。特に、喜びといった感情に対しては、一層そうして来た。
しかし、クルムによってタガが外れてしまった。クルムの行動、言葉、一つ一つがハワードの心を解かしていった。
そして、ハワードの予想を遥かに上回るクルムの行動を見て、ついには瓦解するようになった。
ハワードは心にあるもの全てが曝け出されていくような感覚を得ていた。
止められそうになかった。止めたくなかった。
時間がないというのに困ったものだ。そう思いながらも、止めるつもりは微塵もなかった。
――誰かに見られたら、どう思われるだろうか。
今まで溜めた分、まるで時間を取り戻すように腹を抱えて笑いながら、ハワードはそんなことを考えていた。
今までのハワードからは想像も出来ないほど、変わった姿。
見られたくないと思う反面、誰かに自身の新たな一面を見て欲しいという思いがあった。どちらかといえば、後者の方が強い。
もし見られるなら、たとえば――カペルの次に長く、近く接していた、力だけが自慢のあいつはどうだろう。
そう考えた途端、あることに思い至って、更に笑いが込み上げてくる。
――あの力任せの人間が大人しく人のことを認めるようになったら、それこそ奇跡だ。
そもそもクルムに負けたあいつとは、もう出会う余地もないだろう。今頃はきっと、武者修行にでも出ているはずだ。
ハワードが頭の中で一人の人物を思い浮かべていると、扉を開く音が聞こえた。
「忘れ物を取りに戻って来てみたら……お前が腹抱えて笑うなんて珍しいじゃねぇか。ついに狂ったか?」
聞き覚えのある声が響く。それは、変わった姿を見せたいと思っていた人物の声だ。力だけが自慢の奴が、自ら他者に関心を持つなんて、なんて珍しいことだろうか。
「いやいや、聞いてくれよ。実はだな――」
ハワードは目に溢れる涙を拭うと、かつて共に過ごし、かつてとは違った姿を見せる仲間の元に近づきながら、語り掛けた。
二人の笑い声は、フィーオの荷車の前に着くまで止まることはなかった。