1-19 重なる姿
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交流所のある一室には、百を超える人々が集まっていた。いや、集められていた、という表現の方が正しいだろう。
ここにいる人々は全員、ハワードに召集を掛けられた人――つまり、カペル・リューグをシエル・クヴントとして信じ切っている人たちだ。
彼らは不審することなくハワードの言葉に従ってこの場所に来たが、さすがに丸一日をこの場所に過ごすことには抵抗があった。
だが、そんな抵抗心を抱きながらも、彼らがこの場所に留まっているのには理由がある。
――とっておきのプレゼントをあげよう。いつも頑張っている君たちに対する、私のほんの少しの気持ちだ。その準備に丸一日は掛かるから、この場所で待っていてほしい。これを受け取ったら、君たちは喜んで、もっと私と近くなるだろう。
――なぜ待つのか、と聞くのか? 君たちをびっくりさせたい私の粋な計らいだよ。
一同が集まった時、カペルが語った言葉だ。
彼らはその言葉に対し、期待に期待を掛けていた。
あの英雄が一日を掛けるほど準備してくれるなんて、どれほど大きなものをもらえるのだろう。――退屈な待つ時間も、そのような話が人々の間で飛び交えば、苦痛に感じることはなかった。多少の抵抗があったとしても、喜んで受け入れることが出来る。
ただ、いつになったらもらえるのだろうという、期待と焦燥が、この場にいる誰からも発せられていた。だから、カペルのその言葉が、自分たちを呪いのように縛り付けているとは誰も考えにさえ浮かばなかった。
そんな時だった。
人々の期待に応えるように、軋むような扉の開く音がこの部屋に響き渡る。
「シエル様……っ!」
その音が聞こえるのと同時に、人々は一斉に扉の方に顔を向けた。もちろん、その眼差しは、期待に狂ったものである。
「……あ」
しかし、そこに姿を現したのは、人々が待ち望んでいたシエル・クヴントではなかった。扉の前にいる人物に対して、この部屋にいる全員から嘆息の息が漏れた。
扉を開けたその人物は人々の姿を見て、申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「私ですまなかった」
「あ、いえ。そういうつもりではないんです。……でも、ハワード様が来られたということは、シエル様の準備が終わる頃なのですか?」
人々はシエルではなかったものの、再び期待を込めて、扉を開けた人物――ハワードに言葉を掛けた。
ハワードはシエルの右腕となる人物なので、人々からの信頼も篤かった。
人々はきっと良い知らせをもらえるに違いない、と思っていた。
しかし、ハワードは決まりの悪い表情を浮かべたまま、なかなか言葉を紡ぐことはなかった。時折、助けを求めるかのように視線を後ろに向けている。
そんな今まで一度も見たことのないハワードの姿を見て、人々の心に不安が募り始めた。
部屋に人々のざわめきが積もり始める。
その様子を見たハワードはハッとした表情を見せた。そして、すぐさま覚悟を決めたような表情に変え、口を開く。
「……もう終わりの時間だ」
その言葉を聞いて、人々の頬は綻んだ。ついに、シエルからプレゼントをもらえる時が来たのだ。
嬉しさを抑えきれずに、歓声を上げる者もいた。
「で、では――っ!」
人々は期待の眼差しを惜しみなくハワードに向けた。だが、ハワードはその期待を裏切るように小さく首を横に振ると、
「幸せな夢に浸る時間は終わりだ。私も、君たちも」
冷めた顔つきをしながら、そう言った。
人々は理解できずに、お互いの顔を見合った。ハワード以外の人々は、皆同じ表情だ。
ハワードが冗談を言っているように見えないのが、更に人々に疑惑を増長させる。
「ど、どういうことですか!?」
「隠し事をしても意味がないな。……私たち――いや、シエル・クヴントは君たちを騙していたんだ。すまない」
疑問の答えを一切隠すことなく言い切ったハワードは、その場で頭を下げた。
そのハワードの言葉は、完全に人々の理解の範疇を超えるものだった。いや、言葉としては理解出来るのだが、心がその言葉を受け入れようとはしなかった。
人々の声が大きくなる。中には、立ち上がって否定しようとする者までいた。
ハワードは下げていた頭を、再び上げた。
その姿は、あくまでも動揺を見せない、落ち着きのある姿だった。
「どれだけ謝っても謝り切れないことをしたと分かっている。だから、せめてもの償いとして、包み隠すことなく、私が知る限りの、真実の彼を教えよう」
ハワードは事前に決めていたかのように、はっきりと人々に告げた。騒がしかった人々も、そのハワードの言葉によって静まり返る。
「彼はシエル・クヴントではない。彼の本当の名は――」
こうして、ハワードによる懺悔の時間が始まった。
***
リッカは居住区へと繋がる道を、可能な限り早く走っていた。しかし、それでも普段より確実に足は遅い。背中にララを背負っているため、思い切り走ることが出来ないのだ。一人で走るよりも、目的地に着くまでは、恐らく倍近くの時間が掛かっているだろう。
猶予は一刻も争う状況ではあるが、リッカはそれでもララの安全を優先したかった。
背中にいるララに一瞬気を向ける。
寝息を立てているララに、リッカは自然と頬を緩めた。
リッカの背中で安らかに眠るララは軽かった。本当に食べているのか、と心配になるほどである。
――いや。
きっとその通りだろう。
ララの父親がカペルの元に半軟禁状態で仕えるようになってから、一か月が経とうとしている。その間、この幼い少女は心配で夜も眠れず、ご飯も喉を通らないほどだったはずだ。
恐らく、他の子供も同じだ。
リッカは三日もの間、オリエンスで過ごしていた。しかし、こんなにも状況が悪くなっていることに、オリエンスで暮らす子供を背負ってようやく気付いたことに、リッカは自分自身に嫌悪を感じた。
しかし、嘆いても時は戻らない。
それよりもリッカが優先すべきことは、カペルの粗暴を阻止することだ。
そのためにまずは、オリエンス支部に戻ってビルカにいるクレイに――もしくは、世界政府に連絡を取り、一刻も早くこの状況を伝えることだ。それにより、援軍を送ってもらえたら、尚良しだ。
今一人で戦っているクルムに、これ以上負担を掛ける訳にはいかない。
クルムがいくら力を持っているとはいえ、彼が一般人であることには変わりない。今回は特例で協力をお願いしてしまったが、本来であればご法度だ。
そう考えている内に、見覚えのある景色が目の前に浮かんできた。
――もう居住区だ。
リッカは、ララを背負う手に力を込めた。足にも力を入れ、走る速度を上げる。
そして、リッカは念願の居住区に足を踏み入れたが、居住区に対してふと違和感を覚えた。何が変なのか分からないが、とにかく嫌な予感がした。
オリエンス支部は、居住区の奥の方にある。
リッカは焦燥感に駆られながら、足を前へ踏み出した。
そして眩い閃光が、夜のオリエンスを唐突に照らす――。
***
「――以上が、このオリエンスの町でカペル・リューグが行なってきたことだ」
この言葉をきっかけに、ハワードは今までのカペルの行ないについての話を終息させた。
ハワードが説明を終えたにも関わらず、百人以上いるはずのこの場所に誰の声も上がることはなかった。
ここにいる男たちの中には、動揺している者、拒絶している者、素直に認める者、後悔している者など、それぞれに合った反応を示していた。
ただ、どう動いていいのか分からないのか、大きな動きを見せる者は一人もいなかった。
ハワードは人々の姿を見て、当然の結果だと認めるように、静かに目を閉じていた。
「これは、許されざることだ。だから、私はどんな罰をも受けるつもりでいる」
ハワードは人々を真っ直ぐ見つめながら、ハッキリと宣言した。その瞳には、嘘偽りは一切存在していない。
「そして、最後に一つだけ伝えなければいけないことがあるのだが――」
「嘘だぁ!」
ハワードの言葉は悲痛の叫びに遮られた。
その声を出したのは、一番前にいた男性――シエルを慕う人の間でも、またオリエンスの町でも、リーダー格として動いていたジジという人物だった。
周りの視線は、一気にジジに集まった。
ハワードは一瞬目を見開いたが、すぐに平静を装って、何食わぬ顔でその場に立ち続けていた。
「俺は騙されたなんて……認めないっ! あの方は英雄シエル・クヴントだ! 皆もシエル様の姿を見ただろう!?」
ジジの言葉に対し、周りの反応は疎らだった。頷く者もいれば、哀れむような目で見つめている者もいた。
しかし、ジジは彼らに応じる訳でもなく、更に熱を上げていく。
「実際、シエル様が来られてから、この町は平和になって来た。そうだろう!? これこそが、彼が本物である証! でなければ……」
ジジの言葉は、そこで一旦途絶えた。肩を震わせながら、拳を握り締めている。その視線も、耐え忍ぶように下を見つめていた。
どこか達観しているハワードは、その先の言葉を催促することはなかった。
――なるほど。私もあのような姿だったのか。
目の前で怒り狂うジジの姿が、つい先ほどまでのハワードと重なった。
受け入れることの出来ないジジの気持ちが、ハワードにはよく分かっていた。受け入れたら過去にシエルに仕えてきたことが無駄になる――自分の人生を否定されてしまうその恐怖が、ハワードには痛いほど分かるのだ。
「でなければ、どうなるっ! 俺たちが信じてきた時間はどうなるんだ!」
ジジは顔を上げて叫ぶと、すぐさま発狂したようにハワードに向かってきた。拳は固く握り締められており、それを思い切りハワードに向けて振りかぶった。
自分の感情を何かにぶつけて爆発させたい思いも理解できた。事実を受け入れたくないのだ。
自分の思いを最優先にさせて傷つかない方が、本人にとってその瞬間は楽だろう。
迫り来るジジを前にして、ハワードは抵抗も何もせず、ただ目を瞑る。
――私が彼に助言してはならない。彼の思いに口を出してはいけない。
ハワードはそう考えていた。ジジの神経を逆なでしたのはハワード自身なのだから、当然の報いとしてジジの行動を受け入れる覚悟は出来ていた。
――そもそも、私の言葉よりもっと響く言葉がある。
そう思いながら、ハワードはジジの拳を前にして微笑みを浮かべた。
肉と肉がぶつかる渇いた音が、この一室に冷たく響いた。