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1-01 邂逅

 死地に追い込まれた少年は地面にある砂利を、力強く握った。

 燃え盛る炎。瓦解していく町。思い出の詰まった家が火に包まれる。遠くから聞こえる悲鳴。焦げた臭い。近づく死神の足音。目の前に迫る、悪魔の手。

 こんな絶望の中でも、少年は希望を捨てることはしなかった。

 どうしようもない状況だからこそ、生き残るために、切実に英雄の名を呼んだ。


 ――助けて、シエル様! どこにいますか!? シエル様……っ!


 少年は心の中で叫ぶ。この世界にまた来るはずの英雄に、祈りを込めて。

 その時、全てを切り裂くような音が轟いた。

 希望の足音が一歩一歩と近づいて来る。

 その音に反応して、少年はゆっくりと天高く顔を向ける――、待ち続けた英雄がそこにいることを確信しながら。


「ここに、います」


 少年の心に確かに応えるように、救いとなる言葉がこの地に降り注がれた。


 ***


 星の数ほど多い人の中――、一人の人が歩みを止め、空を見上げた。



 ここにオリエンスと呼ばれる町がある。小さな町ではあるが、フラウム王国の中でも数多くの人から親しまれている。それは、フラウム国の国境に隣接する商業地だからであり、一種の観光地としても有名となっているからだ。

 オリエンスは隣国に接していることから、この国では簡単に手に入らない物や情報が、数十の店が並ぶ商店街において当たり前のように流通しており、誰でも容易に手に入れることが可能だ。加えて、商人たちにとってこの立地は利用しやすいため、いつも新たな商人たちが入れ替わりに商売を始めている。そのことから、数多くの人がこの町で必要なものを備えることが出来るのだ。

 また、オリエンスの居住区は風通りのよい土地に建てられているということもあり、ここでは主に、風車を用いて発電をしている。その風車が町の雰囲気と絶妙に合っているということもあり、たくさんの人がこの地を訪れる。

 勿論の話ではあるが、今もオリエンスの町には変わらず人が多い。



 そんな状況の中、彼は道の真ん中に堂々と立っている。


 前触れもなく人々の往来を止められたことにより、多くの人は立ち止まった彼を訝しむような眼で見つめ、先を進んだ。すれ違いざまに、舌打ちをする者もいる。

 だが、彼はその視線を気にも留めることはなく、自らが背負っていた袋をゴソゴソと漁り出した。そして、そこから、棒三つと大きな板を取り出し、慣れた手つきでそれらを組み合わせ始めた。

 その姿に、心証を害していた人々も、次の行動に少しだけ興味を惹かれ、足を止めていた。

 彼は組み立て終わると、それを人々に見えるように、頭一つ飛び出る位置にまで上げた。そこには「何でも屋 どんな小さなことでも受付中」と板から零れ落ちるように大きく書かれていた。使い古されているのか、汚れや傷が所々に目立っている。

 少し遅れてから、どうやら何かの広告だと人々が気付くと、その場を離れようとした。

 しかし、人々が離れるより早く――


「困っている人はいませんかぁぁ!」


 と、彼は町中にも響かんばかりの大きな声で叫んだ。

 その声に、一度関心を失って自分の道へと進もうとした人々は、再び彼に視線を戻した。


「何でもします。僕、何でも屋ですから」


 先ほどとは打って変わって、彼は諭すような口調で言葉を紡いだ。その表情からは微笑みも浮かんでおり、優しさも感じ取れる。

 どんな小さなことでも、気兼ねなく打ち明けて欲しいと思っているからだ。


「そうか。兄ちゃんは何でも屋で、どんなことでもしてくれるんだな?」


 早速、悩める声が彼の耳に聞こえた。


「はい、お任せください。すぐに解決して――」


 後ろを振り向くと、そこには顔を真っ赤にした体つきの良い男性が立っていた。苛ただしげに腕を組んでいる。


「何でもしてくれるなら、ここに立ちっぱなしで大声出すな。商売の邪魔だ!」

「す、すみませんでしたぁ!」


 彼――クルム・アーレントという人物は、その男性に頭を下げると、その場を立ち去った。


 ***


 クルム・アーレント――。

 彼は、何でも屋として世界を旅している若者である。

 クルムが何でも屋をしている理由は、単純明快だ。人が好きなクルムにとって「何でも屋」という肩書きを持っている方が人々の反感なく人助けをすることが出来る――、ただそれだけの理由で、明日の食料も不安定な道を選んだ。

 たとえ、その行ないに値する報酬を得ることが出来なかったとしても、彼にしてみたら問題がなかった。

 だから、今日も多くの人の力になるため、クルムは旅を続けていた。



 そんなクルムは先ほどのオリエンス商業区から場所を移し、少し離れた丘の上にある居住区の方を訪れていた。

 商業区と打って変わって、商売人や買い物客による賑やかな雰囲気はなく、昼間だというのに静かだった。勿論、静かだからといって活気がないわけではない。

 町の子供は元気に遊んでおり、家の中からは母親が料理をしている音が聞こえていた。心なしか、美味しそうな香りが漂い、鼻孔をくすぐる。また、年齢を重ねた人々が、観光に来ている人に対して、町の案内をしていた。

 風が吹く。マントによって隠れている口を出すと、新鮮な空気が体内を廻り、心地よかった。ツンツンとしたクルムの黒い髪も風によってなびき、多くの場所に設置されている風車も満足げに回っていた。


 クルムはオリエンスの町を見渡しながら、つい微笑みを浮かべていた。希望を抱く黄色い双眸は、ガラスのように輝いている。


 ――この様子なら、ひとまずは大丈夫そうですね。ここから一番近い町は……。


 クルムは暫くオリエンスを観光してから、次の町へ移動しようかと考えた。それほど、この町が平和に感じられたからだ。

 そう考えたのも束の間、クルムの中を何かが掠めた。本当に小さなもので、具体的に何なのか、クルム自身にも分からなかった。無視してもよい、心の機微な動きかもしれない。


 ――オリエンスには何かがある。


 けれども、クルムはそう確信して神妙な面持ちになると、その違和感のきっかけを探そうと辺りを見渡そうとした。


「ねぇ、あなた……何でも屋の人?」


 その時、クルムの背後から女性の声が聞こえた。柔らかく、透き通った声だ。


「はい! ご依頼とあれば、何でもお任せください」


 クルムはその声に反応し、後ろを振り向いた。詮索は一時中断だ。オリエンスに潜んでいる何かを探すことも重要だが、目の前の人を無視するわけにはいかない。

 そこには、一人の若い女性がいた。

 薄明るい茶色をした髪を後ろの方で髪留めを使ってまとめているのが、十代に思わせるくらいに彼女の見た目を若々しくさせていた。また、真正面から見ると、まとめた髪の毛先が微かに頭の上から飛び出しており、活発な印象を与える。


「あ、ごめん。私はお客じゃないんだ」


 クルムの言葉を聞いた女性が首を横に振ると、上にまとめ切れなかった横の髪が右へ左へ動物の尻尾のように揺れていた。


「そうなんですか……。なら、僕に何か用が……?」


 クルムは瞬間肩を落としたが、すぐに自分を訪ねた理由を問いかけた。何でも屋として声を掛けて来なかったのであれば、その理由を推測するのはそう簡単ではない。

 目の前の女性は、目を瞑った。何を言おうか、思案しているのだろうか。先を促すことなく、クルムは彼女が語る言葉を待った。

 やがて、言葉が固まったのか、ゆっくりと目を開く。草色の瞳が、クルムのことを真っ直ぐに捉えた。


「単刀直入に言わせてもらうね。あなた……何でも屋として活動したいなら、ここじゃない場所に移った方がいいと思う」


 目の前の女性は、少し早口ながらも、きっぱりとクルムにこの町から離れるよう勧めた。

 しかし、その口調とは裏腹に、彼女の表情からは、クルムを心配していることが窺える。その声色からも、名も知らないクルムのことをどこか気遣っている様子が感じ取れた。

 おそらく、彼女だけが知っている理由があるのだろう。


「……ありがとうございます」


 だから、クルムは礼を言った。皮肉でもなく、ただありのままに感謝を込めて。

 その言葉を聞いて、彼女はパァッと顔を輝かせた。自分の言葉を受け入れて、クルムがオリエンスから離れると思ったのだろう。クルムが見せる笑顔も、その判断の後押しをしている。


「なら――」

「でも、その前に理由を聞いてもいいですか?」


 クルムは彼女の言葉を遮って、更なる説明を求めた。

 彼女が抱えている理由が、先ほどクルムがオリエンスの町から感じた違和感に関連している、と直感的に分かったからだ。

 ならば、クルムはオリエンスからまだ足を退く訳にはいかない。


「……そうだね。訳も分からないのに、はい去ります、とは簡単に言えないよね。理由は、この町の人はきっと他所から来たあなたに頼みごとをしないから、かな。それに、あなたがさっき大声で宣伝したことが――」

「……」


 ふと、クルムの視線に、物陰に隠れている一人の少年が目に入った。いつからそこにいたのだろうか、彼は物陰に隠れながら動くこともせず、ただジーッとこちらの方を見つめていた。

 おそらく、クルムと対面している女性は気付いていないだろう。


「ちょっと失礼します」


 いつものように、当たり前のように、クルムは少年の方へと近づいて行った。

 彼女はクルムが隣を過ぎていく姿を見て、驚きの表情を浮かべたが、彼の歩く方向を見て、納得の表情へと変わった。そして、ゆっくりとクルムの後に続いた。

 距離を寄せてくるクルム達に気付くと、少年は顔を左右へと忙しく向けた。悪戯がバレた子供のような振舞いだった。


「君、どうしたの?」


 クルムは少年の傍に寄ると、目と目が合う位置まで膝を屈めて、優しく言葉をかけた。

 遠目からは分からなかったが、少年の服装はボロボロだった。また、服だけではなく体にも所々汚れが付いており、その金色の髪もボサボサで整髪がされていないことが窺えた。


 降参したかの如く、少年は物陰から姿を露わにさせた。


 全貌を見せると、やはりと言うべきか、少年はボロボロな恰好だった。しかし、今の少年には似つかないものが一つあった。

 首輪、のようなものだった。

 少年に付いている黒い首輪だけが、綺麗に繕われていたのだ。それは、少年が首を付けているのではなく、まるで、首輪が少年を付けているかのような印象を与えてくる。

 後ろにいる女性が、息を呑んでいるのが感じられた。


「あんた、何でも屋? さっきの言葉、本当か……?」


 目の前の少年は紅い眼を鋭く向けた。言葉の端々から、敵意のようなものを感じる。

 クルムはその時、自分が信用されていないのだと分かった。いや、その表現では正しくない。人間すべてを信用していないのだと悟った。


「うん。困っていることがあったら、遠慮なく僕に言ってください」


 まずは信頼をしてもらおうと、真っ直ぐに少年を見つめながら、クルムはそう言った。


「――いつになったら、シエル・クヴントは、俺の……」


 小さな声だった。

 先ほどの強気な口調からは想像も出来ないくらい、微かな声だった。いつの間にか、少年は俯いている。


「え? シエル……?」


 クルムは少年の言葉を、思わず聞き返してしまった。不意を打たれてしまったクルムは、その単語一つしか聞き取ることが出来なかったのだ。

 少年はクルムの反応を見ると、ハッとしたような顔を浮かべ、息を吐く間を与えないほど素早くこの場を去ろうとしていた。


「……ちょっと待ってくだ――」


 クルムは手を伸ばした。

 しかし、その手で掴んだのは虚空だった。クルムの指は、少年の元にギリギリ届くことが出来なかった。

 少年は身軽にも屋根へと飛び移り、あっという間に視界の外から消えようとしていた。


「とにかく、忠告はしてあげたから。厄介な事にぶつかりたくなかったら、早くこの町から出ていきなさい」


 女性はクルムに指を突きつけ、そう言い放った。そして、すぐに女性は少年の後を追い始めた。

 走る姿を見ると、護衛用なのか、腰からは鞭が垂れ下がっているのが分かった。


「あ……」


 クルムが何かを言おうと思った時には、すでに人の姿を確認することさえ難しかった。


「……」


 もう周りには誰もいない。

 嵐が過ぎたように、静かな時間だけが流れている。


 一人残されたクルムは、茫然と立ち尽くすことしか出来なかった。中途半端な情報と更なる謎を得てしまったクルムは、一先ず、この先の行く末と自分に出来ることを考え始めた。


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