6-03 夜の話、クルムとパルマの場合
シンクが部屋からいなくなると、先ほどまでの喧騒とした空気が霧散し、ただ静かな空気が満ち溢れる。クルムもリッカもパルマも、どのように動くべきか模索するように、ただ扉を眺めているだけだった。
そんな静かな空気を壊すように、「はぁ」と誰かの口から嘆息の音が漏れた。否、誰かではなく、その嘆息は三人同時だった。顔を上げた三人の視線が重なる。
「とりあえず私が様子を見て来るよ」
「助かります、リッカ」
そう言うと、飛び出していったシンクの後を追って、リッカが部屋を出た。先ほどシンクが出た時とは違って、リッカが部屋を出る時の音は静かだった。
今後を見据えるかのような瞳で扉を見つめるクルムの耳に、「――で」と短い声が聞こえた。息と間違うようなほど小さく細い声を出したパルマの表情は、まるでクルムのことを見定めようとせんばかりだった。
「クルムくんの本心としては、シンクくんのこと、どうしたいんだい?」
「どうしたい、とは……?」
「とぼけなくてもいいさ」
クルムの疑問は、パルマによってすぐさま切り捨てられてしまう。この中でクルムと一番付き合いが長いのはパルマだ。また、付き合いの長さだけでなく、感受性も鋭いパルマにとって、クルムの感情の機微を察するのは容易いものだった。
だから、この瞬間もクルムが迷っていることは、パルマは分かっていた。
しかし、それでもあえて訊ねるのは、クルムの本心をハッキリと知りたいからだ。
「一般論からすると、さっきクルムくんが言ったことは正しいと思うよ。あんな幼い子供を、危険な戦場に連れて行く行為は、正気の沙汰じゃない。シンクくんを守るためにも、ボクは喜んでこの研究所を貸そう。でも、さっきの会話にはクルムくんの本心がなかった。だから、もう一度聞くよ。クルムくん個人としては、どうしたいんだい?」
「……」
クルムの視線が、床に落ちた。クルムとしては珍しい、思い詰めるようなどこか切ない表情だった。
しかし、似つかわしくない表情を見せたのは一瞬だけで、クルムは顔を上げると、
「シンクは今記憶を失って、この世界のことはおろか、自分自身のことも分からない状態です」
「うん、そうだね」
「だから、一緒に旅をすることで色々なものに触れてもらい、シンクには成長して欲しい――、僕はそう思っています」
「クルムくんの言う通りだ。幼少期の感受性豊かな時に、多くのことを経験し、吸収した方がいい。そう言う意味では、記憶喪失である今のシンクくんは、スポンジのように受け入れることが出来るだろうね」
「はい。でも、それも命があってこそです」
そう言ったクルムの瞳は、ここではないどこかを見つめているようだった。
「喜びを感じられるのも、悲しみを感じられるのも、美しい景色を美しいと思えるのも、この体があって、この心が生きてこそです。だからこそ、僕は苦しんでいる人の力になれるようにと、何でも屋として旅を続けてきました」
クルムは世界中を旅する中で、多くの人に手を差し伸べる傍ら、悪魔も退治し続けていた。しかし、言葉には言い表せられないほど多く、命が失う瞬間を見て来たのも、また事実だ。
唇を噛み締めていたクルムだったが、ふっと肩の力を抜くと、
「これから先、悪魔人との戦いは熾烈を極めることは目に見えて分かっています。いくらシンクが子供とはいえ、僕達について来るのであれば、悪魔人にとって格好の獲物になります。子供という事情を慮ることなく、むしろ、足手纏いの子供がいるからとシンクが利用されるでしょう」
クルムの言う通り、シンクは一度だけ悪魔人の手に陥ったことがある。オーヴという町でティルダという人物が子供を攫っていた事件に遭遇した時のことだ。その時は純粋に標的として巻き込まれただけではあるが、悪魔人がシンクのことを人質に取り、クルム達の行動を制限させる可能性も十分にあり得るのだ。
その時、クルム達がシンクのことを絶対に守れるという保証は、どこにもない。
「じゃあ、クルムくんの意見としては、シンクくんを連れて行かない……ということだね」
今までのクルムの話を統括して、パルマが結論を言った。
しかし、クルムは優しく微笑むだけで、肯定も否定もしなかった。
「今日一日、シンクが考えて考えて」
クルムの唇が、優しく動く。
「考えた結果、それでも僕達について行きたいという選択肢を選ぶなら、僕はその意志を尊重しようと思っています。もちろん逆も然りです」
クルムの言葉に、パルマは少しばかり驚いた。
つまりは、ついて行っても行かなくても、責任はシンクにあるということだ。
「……子供にそこまで強いるなんて、クルムくんは意外と容赦がないよね」
「シンクが一人の人として成長する道を選んでほしい――、僕の本心はそれだけです」
クルムの言うことに納得したパルマは、これ以上口を挟むことはなかった。
「それに、シンクはもう子供じゃないですよ」
クルムは柔らかな表情を浮かべながら、ドタバタと音がする方向を見つめていた。




