5-25 新しい戦い方
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一発の銃声が響き渡ると同時、周囲の音は静まっていた。
戦場にいるのは、黄色い銃を構えたクルムと弾丸に撃たれて蹲るベルディだった。
あのクルムが弾丸を撃った――、その意味を分かる者ならば、今後の展開を口を閉ざしいて見守ることは当然だった。
誰もが息を呑んで、状況の行く末を見届けていた。
銃を撃ったクルムは、ベルディから目を離さずにいる。
もちろん弾丸を一発撃っただけでは、命を落とすことはないだろう。相手は悪魔人で、一般人とは異なり、体も頑強に出来ている。
しかし、それでも弾痕は残るし、相手を傷つけたという事実は変わらない。
相手を守るために、相手を傷つける。
分かっていても、心優しきクルムには堪えるものがあった。
「……ぐっ、つっ」
静寂に空間が包まれる中、やがて弾丸をまともに喰らったベルディが、呻き声を上げながら起き上がった。ベルディは弾丸が当たった左腕を右手で押さえていたが、途中で違和感に気付き、右手を離した。
すると、弾丸を撃ち込まれたはずの左腕には、弾痕が刻まれていなかった。むしろ、血一滴さえも流れていない。
「な、んだこれ!」
ベルディは自分の体に起こっている現象を理解出来ずに、声を荒げた。ベルディの問いに、クルムは応じることが出来なかった。むしろ、弾丸を撃ったクルム本人でさえ、疑問に思っていることなのだ。
ベルディの左腕に目を向けていたクルムだったが、ふっと視線を別の方向に移す。
唯一、この不可思議な状況を説明出来るのは――、
「クルムくんの想いは、ちゃーんと汲んだよ」
他でもない、ベルディに撃ち込んだ弾丸を作り上げた本人であるパルマは、満足げに微笑みながら、そう言った。
「キミも分かっているだろう? 戦場での一瞬の迷いは、死に繋がる。――しかも、相手はただの人間ではない。悪魔人なんだ」
クルムに語るパルマの声音は、真剣そのものだった。
「悪魔から人を救うためとは言え、本当は人に銃を向けたくないし、そもそも人を傷付けたくもないだろう。そんな優しいクルムくんは、悪魔人に銃口を向けた瞬間、本当に撃っていいのか、他に方法はないのかと間違いなく考えるはずだ。だから、そんな躊躇を一瞬でも抱かせないために、弾丸の接触部を通じて脳の痛覚に働き掛けることが可能な、特別な弾丸を作り上げたんだ」
パルマが作った弾丸は、触れた箇所の神経を介し、脳に影響を与えるものだった。つまり、痛覚に働きかけることで、実際に弾丸で撃たれるような痛みを相手に感じさせながらも、実際はその体に傷を負うことはないのだ。
想いを汲んで作られた弾丸が籠った銃を、クルムは見つめる。
まさにクルムが求めていた機能が備わった弾丸ということだ。
「だから遠慮なくやっちゃえ、クルムくん!」
「はい!」
銃を構え直したクルムの表情には、もう一切の迷いは生じていなかった。
「……黙って聞いてりゃ、調子に乗ってんじゃねェぞ!」
銃口を向けられたベルディは、怒りに体を震わせながら立ち上がる。
「要は、お前の攻撃は脳の錯覚ってことだろォが!」
クルムの弾丸から立ち直ったベルディが、自ら結論付けて、バックステップで適切な距離を取った。
この痛みが脳が誤認識することによって生まれるものならば、自分の意志で我慢し抑え込むことが可能なはずだ。
そう思うと、クルムの攻撃は、ベルディにとって恐れるに足りない。
魔技の力を加えた木片を指と指の間に挟めるだけ挟んで、ベルディはクルムに向かって投げつけた。
クルムは降り注ぐ木片を、弾丸によって撃ち落とす。空中で火花が散り、爆音が鳴り響いた。
しかし、撃てども撃てども、ベルディの手から放たれる爆弾の手は止まらない。
「お前の攻撃は、俺様には通じない! てことは、俺様は何も気にすることなく攻撃を仕掛けることが出来るというわけだ!」
ベルディは防御を全て捨てて、攻撃だけに特化している。ベルディの選択は、正しい。確かに痛みを錯覚だと思えば、わざわざ防ぐ必要はないのだから、攻撃に全てを捧ぐことが出来る。
「弾丸の仕組みさえ分かれば、お前の弾丸なんて何発受けようが――ぐぁぁッ!」
だが、ベルディの目論見は甘かった。
魔技の隙間を縫って、クルムの弾丸がベルディの腹部に当たる。
錯覚のはずの痛みなのに、まるで本物の弾丸をまともに受けたかのような痛みが、ベルディを襲う。
「確かに痛覚に働きかけることで、攻撃を受けたと脳に錯覚させてはいるけど、キミは生理現象に逆らうことが出来るのかい? 脳からの信号を無視するなんて、生きている限り誰にも出来ないよ。さぁて、油断していると、体に傷跡一つ付かないまま、痛みに耐えられずに気を失ってしまうだろうね!」
「……ぐっ」
「これが科学の力、創造の力だよ! アッハッハ!」
自身の発明の出来栄えに高笑いをするパルマは、マッドサイエンティストのようだった。
しかし、パルマの発言は聞く人からしたら煽るようにも聞こえるだろう。
実際――、
「てめェ! 魔技・シューティングバーハ!」
激昂したベルディは、標的をパルマに変えて魔技を放った。一直線の軌道で、爆弾と化した木がパルマに襲い掛かる。
しかし、その木はパルマに到達する前に爆ぜて、役目を果たせずに終わった。
目的を達成出来なかったベルディは、怒り狂う目で邪魔をした人物に目を向ける。
「パルマ博士には指一本触れさせませんよ」
黄色の銃を構えているクルムは、澄ました表情で言った。
「ちィ! だったら、お望み通りにお前から相手してやるよ!」
先に始末するのはクルムだと判断したベルディは、クルムだけに意識を集中させる。片手間で倒せるような相手ではないことは、目に見えて明らかだったからだ。
「魔技・エイムバーハ!」
ベルディはクルムの足元にある木片を爆発させた。
しかし、初見であるエイムバーハにも関わらず、クルムは何事もないように後方へと跳び、難なく躱した。リッカから事前に情報を聞いていたクルムは、地面に落ちている木片を眺め、爆発する予兆を見逃していなかった。
「魔技・シューティングバーハ!」
エイムバーハが躱されることは想定内だったのか、クルムが避けた瞬間を見計らったように、魔技・シューティングバーハを放った。
いくらクルムでも、宙にいる状態では避けることは出来ないはずだ。
「――ふっ」
クルムは息を吐くと同時、銃口を迫り来る魔技に定めて発砲した。銃口から放たれた弾丸は、ベルディの魔技よりも明らかに速かった。
弾丸と魔技が衝突した結果、爆風が生じたが、もろに爆風を受けたベルディに対して、クルムにはそよ風程度にしか届かなかった。
「……くッ、まだまだだァ!」
ベルディは態勢を立て直すと、すぐさま魔技を放つ。
二種類の魔技を織り交ぜながら攻撃を仕掛けるが、どの魔技も、クルムには通じなかった。むしろ、魔技の隙を見計らって放たれる弾丸に、ベルディの体に痛みが蓄積していくだけだった。
弾丸を体に受け続けるベルディは、次第に魔技を放つ腕の動きも鈍くなって来ていた。
「……すごい」
自分が苦戦したベルディと戦うクルムの姿を見て、リッカは率直な感想を漏らした。
ノスチェスによって、リッカが戦った時よりも更に力を増しているベルディを相手にしても、クルムにはまだ翻弄するほどの体力がある。
圧倒的だった。
クルムはもともと腕が立つ人間だ。パルマの弾丸によって迷いを断ち切った今ならば、その実力を十二分に発揮することが出来る。
針に糸を通すような的確な攻撃を、クルムは繰り出している。
悪魔の力に目覚めたばかりで、まだ二つの魔技しか使うことが出来ないベルディは、ここで手詰まりだ。リッカを相手に苦戦の末敗北したベルディが、リッカよりも悪魔人との戦歴が多いクルムに敵う手立てはないはずだ。
しかし、リッカは途中で違和感を抱いた。
窮地に立たされているとは思えないほど、何故かベルディは余裕に満ちた笑みを浮かべているのだ。
「随分と余裕そうな表情を浮かべておりますね」
リッカが抱いた違和感と同様のものを感じていたクルムは、銃口を向けながらベルディに問いかける。
「……あァ。俺様には、お前を圧倒している未来しか見えないからなァ……」
「どこから自信が湧いてくるのかは分かりませんが、そろそろ悪魔の力を手放して頂きますよ」
「そうか。お前は先ほどの俺様の復活劇を見ていないもんな……」
クルムに向けるベルディの視線は、憐みのものだった。
「俺様自身、この魔技の威力が計り知れないから使わないでいたが……、出し惜しみするのは終わりだ! ノスチェスから授かった新たな力を見せてやるッ!」
ベルディはその場で跳躍し、体三つ分ほどの高さに達すると、力いっぱい腕を振り下ろして木片を投げつけた。しかし、言葉とは裏腹に、木片を投げつけるという行動においては先ほどとは何も変わっていないように見えた。地に足を着けて投げるか、跳躍した状態で投げるか、角度が異なるだけに見える。
「何が来ようと、撃ち落とせば――」
「――弾けろォ! 魔技・スプレッドバーハ!」
ベルディが放った魔技は、クルムが引き金を引く前に自ら爆発し、小粒の木片が勢いよく雨のようにクルムを襲った。
「……くっ」
クルムは咄嗟に体を守るように、身に纏っていたマントを使った。
しかし、当然ながら、雨のように降り注ぐ魔技を全て受け流すことは叶わない。一つ一つ切れ味が鋭い木片が、クルムの体を傷つけていく。
「ハハハッ! こいつはいい! 上等な威力だァ!」
重力に逆らうことなく落下するベルディは、自身が放った新しい魔技の威力に満足していた。
魔技・スプレッドバーハは予測不能、否、予測したとしても無数に降り注ぐ攻撃であり、相手は無数の攻撃を身に浴びるしかない。
試し打ちをすることなく、いきなり実戦で使用する形となったが、結果としてクルムに攻撃を加えられたことにベルディは満足していた。
新たに力を与えてくれたノスチェスには感謝しかなかった。
「――」
ベルディが横目でノスチェスのことを見れば、さも当然と言ったように澄ました表情を浮かべていた。
――クルム・アーレントを倒すことが出来たら、あなたに更なる力を与えることを約束しましょう。
ベルディの脳内で、先ほどのノスチェスの言葉が甦る。
まだまだ内側から力が湧き上がっている途中だというのに、これ以上に力を手にしたら自分はどうなるのだろう。
楽しみで、楽しみで、ベルディは乾く唇を舌で潤した。喉から手が出るほど欲しいというのは、まさにこのことを言うのだと、ベルディは今更ながら感じた。
「これでトドメだァ!」
地に降り立ったベルディは、もう一度跳躍を繰り返した。再び魔技・スプレッドバーハを繰り出す態勢に入る。
渾身の力を籠めたスプレッドバーハを喰らえば、今度こそクルムもただでは済まない。
自身の盾となっていたマントを翻すと、クルムは懐に左手を入れ、
「自分の変化に誰もついていけない――、そう思っていませんか?」
そう言ったクルムの手に握られたのは、もう一つの武器である白い銃だった。
黄色の銃と白色の銃――、二丁の拳銃の銃口を上空に向けた。
「ハァ!」
そして、爆ぜたスプレッドバーハに対して、クルムは一つ一つを的確に撃ち落としていった。
ベルディの奥の手となっていたスプレッドバーハは、クルムの射撃力によって全て無効化される。爆撃の慣れの果てが、虚しく地面に落ちるだけだった。
「な、何故だァッ!」
ノスチェスによって得た新たな魔技も通じないことで、ベルディを無理解が襲った。
ベルディは悪魔に身も心も委ねることで、力を得たはずだ。その力は、他をも圧倒する力で、全てを破壊する力を持っていた。そして、ただでさえ人並外れた力を、ノスチェスにとって更に強化された。
だから誰もベルディに反抗出来るはずがない――、そう思っていたのに。なのに、どうして悪魔の力がクルムには通じないのか。
ベルディは目の前で起こっている現実を、現実として受け止めることが出来なかった。
窮地へと追い込まれ、切羽詰まったベルディが取った行動。それは――、
「爆ぜろ爆ぜろ爆ぜろォ!」
悪夢のような現実を振り払うように、見境なくあらゆる箇所に爆発させることだった。クルムの視界が、すべて爆発に包まれる。
しかし、発動する魔技すべてを見極め、クルムは難なく対処していく。魔技を躱し、魔技を撃ち――、クルムに傷一つ生じることはなかった。
それでも、ベルディが魔技を放つ手は止まらない。引くに引けなくなってしまったのだ。
「……もうクルムくんの勝利は決まったもんだね」
「え?」
爆発音に紛れたパルマの呟きを、リッカは聞き逃さなかった。
眼鏡の奥底に隠れたパルマの瞳には、ベルディに対する憐みの感情が混ざっていた。
「魔技は無限に使えるものじゃない。あんなにも無謀に使っていれば、彼の体力も底が尽きるだろう。そうなったが最後、クルムくんの血が混ざった弾丸を使い、彼の中にいる悪魔を退けるはずさ」
まるで未来を確信しているかのような口調だった。
そして、実際パルマの言う通り、
「――ハァ、ハァッ」
あんなにも魔技を連発させたベルディの手は止まり、全身を使って息を荒げるようになっていた。対して、クルムの呼吸は乱れておらず、その体には目立つ傷が刻まれていなかった。クルムには、まだまだ余裕すら感じられる。
「もう終わりにしましょう」
クルムは左手の白い銃を懐にしまい、黄色い銃口をベルディに向けた。
使える手段を全て使い、成す術がなくなったベルディは、息を荒げながら俯いている。ベルディが何を企んでいるかは読めなかった。
しかし、ベルディの目論見が何であれ、クルムのやるべきことは変わらない。
「――ハハハッ!」
突如、追い詰められているとは思えないほどの高笑いが、ベルディの口から溢れ出した。
「な、何がおかしいんだ……?」
クルムとベルディの戦いを見守っていたシンクが、疑問の声を上げる。当然ながら、シンクの疑問に、隣にいるリッカとパルマは答えることが出来なかった。
今の状況に置かれながらも、勝ち誇ったような笑い声を漏らすとは、ベルディの気が触れれてしまったのか。
「ただ闇雲に魔技を使っているだけ――、そう思ったか?」
笑いを止め、顔を上げたベルディの表情は、まだ死んでいなかった。
今までの言動すべてが、この瞬間のための演技。そう思わせるほど、ベルディは企んだような表情を浮かべている。
「全ては最後の一撃に威力を籠めるための布石だ!」
投げ込んだ木片は、真っ直ぐにクルムに向かって進む。それだけで終われば、今までの魔技と何も変わらない。
しかし、大見得を切って言葉にしたベルディの魔技が、そんな単純なことで終わると考えるのは早計だ。
クルムは何が起ころうと対処出来るように、魔技に全神経を注ぐ。
「――っ」
その瞬間、ベルディが繰り出した魔技に異変が生じた。なんと魔技の速度が急に増したのだ。
「これが本当に俺様が今出せる最高にして最強の魔技……、チェインバーハだ! 俺様の全てを籠めた魔技で、全部ぶっ壊してやる!」
魔技・チェインバーハは、今まで魔技による爆発が生じた場所を通り過ぎる度、再度爆発が起こり、その衝撃を受けて木片の速度が増していく魔技だ。その速さの増しようは、まるで倍速機を搭載したかのようだった。
常人の目では捉えることが出来ない速さで、魔技・チェインバーハがクルムを襲う。
クルムは銃を構えたままであるも、引き金を引かなかった。
今までの魔技よりも何倍も違う速さを誇る魔技に、さすがのクルムも対応出来ないのだろう。そう結論付け、ベルディは自分が最後の賭けに勝ったことを確信した。
しかし――、
「言ったでしょう。もう終わりにしましょう、と」
ベルディの最終魔技を眼前にしても、クルムは一切動じておらず、むしろその口調は冷静そのものだった。
迫る魔技に銃口を向けると、真っ向から引き金を引いた。
クルムが銃を撃ったと同時、速度の追随がチェインバーハに生じる。クルムとの距離を鑑みると、魔技・チェインバーハの威力も最高点に達したのは明らかだった。
クルムが放った弾丸が、ベルディの魔技に衝突した。
互いの全力が籠った攻撃だ。暫くの間、拮抗するかと思いきや――、
「……なッ」
声を漏らしたのは、ベルディだった。
クルムの弾丸が、ベルディの放った最高の魔技であるチェインバーハを下したのだ。チェインバーハを貫いた弾丸は、留まることを知らず、更に勢いをつけてベルディへと迫る。
「悪魔の力は万能でもなんでもなく、ただ忌むべき力です」
魔技・チェインバーハに全ての力を籠めたベルディに、クルムの弾丸を躱す力は僅かにも残されていない。
自身に迫る弾丸を前にして、ベルディは恐怖を覚えた。しかし、誰も助けてくれるものはいなかった。
自分の内側に感じる存在に問いかけるも、何も変化はない。むしろ、冷たい声で「あれだけの力を与えてもやられるとは……、使えない奴め」とあしらわれただけだった。
今まで縋って来た力に裏切られたことで、ベルディはようやくクルムの言葉が正しかったことを悟る。
だが、ベルディにとっては後の始末だ。
「あなたの敗因は、魔技の力を過信し過ぎたこと。それだけです」
同情するような声音で紡がれたクルムの声を最後に、ベルディの胸部の中心に弾丸が当たると、そのまま意識を失って地へと倒れ込んだ。




