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5-20 忍び寄る悪

 ***


「それにしても、クルム遅くないか?」


 今や倉庫と化した元研究所へと、新しい弾丸を作るために必要な資料を取りに行ったクルムは、時計の針が一周しても戻って来ることはなかった。


 クルムがいない間に、残されたリッカとシンクとパルマは、武器を授かったり、色々な話をしていた。クルムが戻って来るには、十分過ぎる時間が経過したと言ってもいいほどだ。

 こんなに時間が掛かっているとなると、何か事件に巻き込まれたのかと心配になる。


 リッカとシンクは落ち着きなく、同じところを右往左往に歩き回っていた。


「あぁ、クルムくんはボクを気遣って、わざとゆっくりしているのさ」


 シンクの言葉に、パルマは何てことのないように返事をする。リッカもシンクも、思わず「え」と声を漏らし、パルマに目を向けた。パルマは一切心配する様子もなく、優雅にコーヒーを飲んでいるところだった。


「クルムくんが出発する前、安全第一でゆっくりで良いよとボクは言っただろう? それで、クルムくんはボクを少しでも休ませようとしてくれているんだよ。おかげで、必要な休息は取ることが出来た」


 そう言うパルマだが、何だかんだとリッカとシンクの相手をしていて、傍から見れば休息と呼ぶには似つかない時間を過ごしていた。しかし、それでもパルマの顔は、クルムを見送った時の煮詰まった表情と比べて生き生きとした表情へと回復していた。

 パルマは気持ちの切り替えが得意なのだ。


「加えて、旧研究所はデムテンの離れに位置するこの研究所とは真反対の場所にあるんだ。時間が掛かってしまうのも仕方がないってもんさ」

「……そう、ですね」


 最初に訪れた元研究所から今いる研究所までに至る道のりを思い出しながら、リッカは相槌を打った。


「まぁ自分の家だと思って、寛ぎながら待っていてくれよ。多分そろそろ帰って来るはずだからさ」

「はい」


 リッカとシンクは小さく頷くと、パルマは鼻歌を奏でながら体を左右に揺らし始めた。新しい物を作る際の、パルマ特有の癖だった。クルムが資料を持って来たら、すぐに取り掛かることが出来るよう準備しているのだ。


 クルムが戻って来るまでの間、手持ち無沙汰になったリッカとシンクは、それぞれパルマから譲り受けた物の確認を始めた。


 シンクは短剣を振ったりしているが、パルマのように形状を変えることが出来ず、頭を悩ましている。

 リッカは新しくエインセルに備わった機能を試していた。

 二つのボタンを同時に押して振る。すると、エインセルの画面に自身を中心に俯瞰した画像が出て来る。今は中心の黒点以外には何も表示されていないが、悪魔人が半径一キロ以内に近づいて来ると、赤い点が表示されるようだ。


 短剣に飽きたシンクが、リッカの隣に近寄って来た。その瞳から、エインセルに興味が丸出しだということが容易に伝わる。


「いいなぁ、俺にも貸してくれよ」


 羨ましそうに言うシンクに、リッカは一瞬の間逡巡したが、


「見るだけだからね。勝手に変なところ触っちゃダメよ」

「お、さすがリッカ! 分かってるって!」


 シンクにエインセルを渡した。エインセルを受け取ったシンクは、目を輝かせながら画面に釘付けになっている。その子供然とした素直な反応に、リッカは微笑みを零した。


「でも、悪魔人が来なくて画面に変化がないから、つまらないな!」

「それがいいのよ。平和の証拠なんだから」

「まぁ、その通りなんだけどなー」


 そんな軽い言葉のやり取りをした直後だった。先ほどまで目を光らせていたシンクの顔が一転、目を見開かせて明らかに動揺し始めた。


「リッカ、これ……」


 震える声で、シンクはリッカにエインセルを返した。シンクの態度が豹変してしまう理由は一つしかない。


「パルマさん!」


 画面の中に先ほどまでなかった赤点が現れたことを視認すると、リッカはパルマにエインセルをもって報告をした。


 パルマはぴたりと体を止めると、エインセルの画面を覗き込んだ。すると、「ありゃ」と、まるで人ごとのように緊張感の欠片も感じられない声を漏らした。


「検知圏内に悪魔人が入って来ちゃったみたいだね。でも、研究所の中にいれば、ひとまずは大丈夫だよ。今までボクの案内なしにここまで来た人は誰もいないからね」


 確かにこの研究所まで来るのには、複雑な道を通らなければならなかった。事情を知らないパルマがいなければ、いつ辿り着くことが出来たのか分からないほどだ。リッカとシンクも身をもって体感したから、パルマの言葉には説得力がある。


 しかし、パルマの発言を否定するように、外でガサガサと乱雑な音が聞こえた。その音が人為的であることを証明するように、リッカ達の位置を示す黒点のほぼ真隣に赤点が迫って来ていた。


「……と思ったけど、発明が常に世の中を新しくしていくように、今まで通じていた常識が覆る時は必ず来るってもんだよね」


 苦笑を浮かべながら軽い調子で言ったものの、パルマの第六感は嫌な方向に警鐘を鳴らしていた。悪魔人が来たことによるものと分かってはいるが、「悪魔人が訪れた」というそんな単純なことでは終わらないような嫌な予感だ。

 この場にクルムがいないことも、パルマの第六感を助長していた。


 しかし、賽は投げられたのだ。ここで、クルムの帰りをずっと待ち続けていられるほどの猶予は与えられていない。


 今ここで何とかしなければ、悪魔人によって研究所もろとも三人はやられてしまうだろう。


 パルマは立ち上がり、


「さて、いつ研究所に乱暴されるか分からないから、大人しく出迎えて来るとするよ」


 あえて普段と変わらない軽い口調を用いながら玄関口へと歩き始めた。


「待ってください、パルマさん。一人じゃ危険です!」

「俺も行く!」


 研究所を出ようとするパルマに、リッカとシンクも置いていかれないように後を追った。リッカもシンクも、パルマ一人に任せようとする気は毛頭なかった。

 二人が共にしてくれるという事実に、窮地に晒された状況にも関わらず、パルマは内から溢れる感情を抑えきれず、微笑を浮かべていた。


 そして、まるで相手の目当てはここにあると主張せんばかりに、パルマは玄関の扉を大きな音を立てて開けた。


 扉の先には、一人の人物が大人しく立っていた。攻撃を仕掛けるような素振りは見せず、どこか立ち振る舞いも紳士的で、悪魔人だとは思えない佇まいだった。流れる空気も、今まで出会った悪魔人とは異なり、穏やかなものである。


 パルマ達が出向いたことを視認すると、悪魔人は恭しく頭を下げた。


 リッカとシンクは、パルマの背後で互いに顔を合わせた。もしエインセルで悪魔人の存在を確認していなければ、目の前にいる人物を、ただの来客にしか思えなかっただろう。


「――やぁ、キミも物好きだね。こんな山奥に来ても、キミの望むものは何もないんだけど」


 パルマが先手を打つように声を掛けた。しかし、その言葉の中には棘がある。悪魔人はお呼びではないと、言外に訴えていた。


「いやいや、素敵な場所ですよ。静かだし、空気も美味しいし、住みやすそうな場所です」


 皮肉が通じているのか通じていないのか、悪魔人は気にも留めず、余裕綽々と辺りの風景に目を配る。悪魔人の視線が、土へ、木へ、空へと移ろい、最後にパルマをハッキリと捉えた。


「そして何より……、パルマ・ティーフォ。あなたがいるから、この場所もより一層特別な意味を持つようになってます」


 そう言うと、それまで悪魔人から醸し出されていた空気が一転した。まるで獲物を定めた獣のように、鋭い緊張感が伴った空気が流れ始める。しかし、あくまでも佇まいは紳士的なままだった。


「へー。ボクに興味があるのかい? 嬉しいなぁ。発明品の一つでもプレゼントしてあげようか?」


 空気が転じたことに気が付いているはずなのに、パルマは普段通りの緩い口調で語りかける。


「本当ですか。そういたしましたら、一つだけ所望してもよいでしょうか」

「勿論だとも。遠慮なく言ってくれたまえ」

「私が欲しいのはただ一つ」


 悪魔人はニヤリと笑みを浮かべると、


「――パルマ・ティーフォ、あなたの命です」


 言うや否や、瞬く間に動き出し、パルマとの距離を詰め始めた。悪魔人の広げた左手が、容赦なくパルマの首元を狙っている。


「パルマさん!」


 悪魔人が仕掛けて来たのを目にすると、リッカはすぐさま盾になるようにパルマの前に立った。そして、その勢いで素早く鞭を振るう。


 差し迫っていた悪魔人の左手首に鞭が当たると、悪魔人は一瞬苦痛に顔を歪め、華麗なバックステップで詰めていた距離を再び空けた。


「――」


 リッカは肩で息をしながら、右手に収まっている鞭を見つめた。

 悪魔人には今までほとんど通じなかった攻撃が、今初めて悪魔人に通じた。確かな手ごたえを覚えたリッカは、心の中で拳を握り、この鞭を渡してくれたパルマに感謝を述べた。


 リッカの鞭による攻撃を受けた悪魔人は、痛む左手首に視線を落としながら、納得のいったように笑みを浮かべた。


「ふふ、お見事です。その鞭もあなたが作ったものですね、パルマ・ティーフォ。あなたの手から生み出されるものは、すべて悪魔にとって害を成すものとなります。だから、今ここで研究所ごとあなたには消えてもらうとしましょう」

「ははっ、それは困るなぁ」


 悪魔人の言葉を、パルマは笑いながら否定する。


「ボクの頭の中は、作りたいという欲求で満たされている。そして、その発明品で世界を良くしたいという夢があるんだ。現状で満足しているボクじゃない。だから、こんなところで死ぬわけにはいかないのさ。――ってことで、リッカちゃん。クルムくんが来るまで、あいつの相手はヨロシク!」

「ええ!」


 突然の無茶振りに、リッカは思わず声を上げた。


「だって、仕方ないじゃないか。今この中で戦うことが出来るのはキミしかいないんだから」


 確かにその通りだ。実際リッカはクルムが戻るまでの間、悪魔人の相手をしようと考えていたが、丸投げにされると多少の戸惑いは生じるものだ。


 お茶らけていたパルマだったが、急に眼鏡の奥の瞳が光り、リッカを捉えると、


「それとも、リッカちゃんは悪魔と戦う勇気はないかい? キミの手には戦う術があるというのに」

「……ッ」


 パルマの言葉は、リッカの心に鋭く響き渡った。なんてパルマは卑怯な人間なのだろうか。それを言われたら、退きたくても退く訳にはいかなくなる。


 リッカはパルマから貰った鞭を、改めて強く握り締めた。


「俺だって、パルマから短剣を貰ったんだ。俺も一緒に戦うぞ!」

「シンクくんは許可出来ないな。まだ悪魔人の実力は分からないんだし」


 意気揚々と声を上げるシンクに、パルマは当然のように断りを入れる。仮に悪魔人の実力を把握していたとしても、シンクを戦場に出すことはしないだろう。


「分かりました、パルマさん。でも一つだけ訂正します」


 リッカは一歩前へ進み出ると、慣らすように鞭を地面に向けて振るい、


「クルムが来る前に、私がこの悪魔人を倒します!」


 改めて鞭を構えて、力強く宣言した。


 パルマから鞭を貰ったからといって、自分がどこまでやれるのかはリッカは分からなかった。異彩な雰囲気を放つ目の前の悪魔人を、本当に倒せるかどうか不明瞭だ。だけど、悪魔人と戦うと決意したのだから、最初からクルムが戻るまでの足止め程度に戦おうなんて後ろ向きには考えない。やるからには、全力でぶつかるだけだ。


 しかし、リッカの決意を嘲笑うように、「ふふっ」と嘲笑する声が漏れ聞こえて来た。

 悪魔人が顎に手をやりながら、人を小馬鹿にするような笑みを浮かべている。


「……悪魔人、ですか。ふふっ」

「何がおかしいの?」


 リッカ自身でも大言壮語だとは思っていたが、相手に卑屈な笑みで返されると、腹が立つというものだ。リッカは上擦った声で問いかける。


「いえいえ、失敬。こちらのお話です」


 悪魔人は咳払いを一つ挟むと、改めてリッカの顔を見据え、


「お嬢さん、やめておきなさい。あなたと私の実力は、天と地ほどにも差があります。今引き返せば、互いにとって損はないはずですが?」


 悪魔人の取引は、理論として成り立っていなかった。


 仮にリッカがここで引き返したら、目の前にいる悪魔人はパルマと研究所に手を加えるだろう。確かにリッカとシンクは無事かもしれないが、パルマが無事でなければ、意味がない。悪魔人の言葉を真に受けて、得をするのは目の前にいる悪魔人だけなことは、誰が考えても明らかだった。


 自分も舐められたものだ、とリッカは鞭を持つ手に更に力を籠めると、


「私は世界政府に所属するリッカ・ヴェント。救うべき人がいるのに、悪魔人が相手だからといって逃げるほど、落ちぶれてはいないわ!」

「ふむ……、退けて頂く訳には行きませんか。なるべく事を荒立てたくありませんでしたが、仕方ありません」


 悪魔人は肩を落としながら、あからさまに溜め息を吐いた。まるで物事を分からない人間を相手にするのは面倒だ、と言わんばかりの態度だった。


 そして、これから厭々仕事をこなすかのように、首を左右に傾けると、


「さて、世界政府のリッカ・ヴェントと仰いましたね。ならば、私も僭越ながら自己紹介を致しましょう」


 最初に見たような紳士然とした雰囲気で、リッカに向けて声を上げた。しかし、武器も構えずに余裕綽々とした態度が、丸腰にも関わらず、リッカの胸中に嫌な予感を漂わせて来る。


「私はノスチェス・ラーバス。この世界に闇をもたらす者――。以後、お見知り置きを」


 ノスチェス・ラーバスと名乗った悪魔人は、恭しく頭を下げた。

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