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5-18 ささやかな時間

 ***


「あっれー、やっぱここにも資料がないかぁ」


 パルマの研究所にて一夜を明かし、朝昼を越え、また夜を迎えた時のことだった。これまで研究室から一切顔を出して来なかったパルマが、困ったような表情を浮かべながら、居間に姿を現した。


「どうしたんですか?」

「いや、開発に必要な資料を探していたんだけど、見当たらないんだ。うーん、ここにないから、旧研究所に置きっぱなしにしてしまったようだなぁ」

「あぁ、あそこですか。僕が取って来ますよ」


 記憶力が優れたパルマが、旧研究所に探し物があると言ったなら、もうそこにあることは疑いようがない事実だった。


 陽も暮れてしまった山中を、パルマに歩かせて、怪我をさせる訳にもいかない。クルムは椅子から腰を上げ、ここから離れた旧研究所に向かう準備をした。


「クルム、俺も一緒に行く!」


 この一日で研究所内を回り終えて暇を持て余していたシンクが、勢いよく手を挙げる。


「いえ、夜道は危険ですから、シンクはここで待っていてください。それとも、あの道をまた行きたいですか?」

「……今回はクルムの言う通りにしとくぜ」


 シンクは、この研究所まで来る時の道のりの険しさを思い出した。冷静に考えて、薄暗い中であの道を渡り歩く自信は、シンクにはなかった。


「というわけで、僕一人で行って来ます」

「ほんとかい? いやぁ、悪いね。助かるよ。資料は本棚の中にあるはずだから、よろしくね」


 パルマはニコリと笑みを浮かべると、頭を冴えさせるためか、コーヒーを入れ始めた。パルマが研究室に籠ってから、一度も居間に姿を見せることはなかった。つまり、食いも飲みもせずに、ずっと新しい武器を作り続けていたということになる。それに、眼鏡越しでも、パルマの目の下に隈が出来ていることが分かった。


「ちなみに、その資料は急ぎのものですか?」

「まぁ、その資料がないと次に進めないから、急ぎと言えば急ぎかな。でも、夜道は危険だから、クルムくんは安全第一でゆっくりで構わないよ」

「分かりました。では、行って来ます」

「ありがとう、クルムくん」


 クルムは含みのある笑みを浮かべると、パルマの研究所を後にして、ほぼほぼ放置された研究所へと向かった。


「ふー、疲れたぁ」


 カップを手にしたパルマは、溜め息を吐きながら椅子に座った。


 てっきり、クルムが出立した後でもパルマは研究室に籠って何かしらの作業をすると思っていたから、リッカにはパルマの行動は意外だった。


 パルマは椅子に深く背を預けながら、口を窄めてコーヒーに息を吹きかけている。コーヒーの熱により、パルマの眼鏡は曇っていく。


「研究室に戻らなくてもいいんですか?」

「あぁ、いいのさ。クルムくんにお願いした資料がないと、曖昧なまま進めてしまうことになるからね。だったら、机に向かっているよりも、休める時に休んだ方がいい」


 リッカの質問に軽い口調で答えながら、パルマは美味しそうにコーヒーを啜った。


 普段砕けた様子を見せてだらしのない印象を与えるパルマだが、こと開発においては、完璧を求めている。パルマは自分の開発において妥協を許すことなく、更には誰も気付かないようなところも目ざとく気付き、改良していく。もし、作り手が完璧を目指さなければ、依頼主に不要な傷を与えてしまうかもしれないからだ。


 それゆえ、パルマの開発品は周りからの評価が高く、天才博士とまで称されるようになっているのだ。


「――それにしても」


 パルマはカップから口を離すと、からかうように口角を上げて、


「ボクに休憩もせずに部屋に籠ってろだなんて、意外とリッカちゃんは攻め手だねぇ」

「なっ……! ち、違います! そういう意味じゃ……っ!」


 リッカはパルマの言葉をすぐさま否定した。自分の研究室に戻った方が落ち着けるのではないか、とリッカは純粋に案じただけのつもりだった。けれど、確かにリッカの台詞は、パルマが捉えたように捉えられても仕方のないものだ。


「リッカはそういうところがあるからなー」

「無理強いなんて一度もしたことないでしょ!」


 一人納得するように首を縦に振るシンクに、リッカは思わずツッコミを入れる。誤解が更に誤解を生んでしまうような状況は避けたい。


 必死に焦るリッカを前に、ふっと息の漏れる音が聞こえると、


「アッハッハ、分かってるよ。ボクなりの冗談さ」


 パルマは大口を開けて、楽しそうに笑った。その様子を見て、リッカはほっと胸を撫で下ろした。


 昨夜から丸一日の間、パルマは一人研究室で新しい武器の開発に取り組んでいた。研究室には入るなと固く言われていたから、中で何をしているかの詳細は分からないが、きっと根詰めて作業をしていたはずだ。だから、こうしてパルマが笑って息抜きをしてくれるのならば、それは喜ばしいことだった。


 少しの間、リッカとシンクとパルマは、互いに他愛のない話を交わした。

 しかし、ふとした瞬間に、パルマは真顔に戻る時があった。口ではクルムが戻るまで休憩すると言っていたが、実際はパルマの頭の中では休みなしで、新しい武器となる弾丸の設計図を組み立てているのだろう。


「あの、パルマさん」

「ん、何だい?」


 リッカの声に、パルマはパッと笑みを浮かべる。


「……本当にクルムは撃つと思いますか?」


 先ほどまでの他愛のない会話とは違って、これからの核心に迫るような内容を突拍子もなく切り出した。


 この疑問は、クルムがパルマに新しい弾丸を作ってもらうと聞いた時から、リッカが抱いているものだった。


 悪魔の力が上がって来て、従来通りに事が進まなくなっているとしても、あの心優しいクルムが果たして引き金を引くのだろうか。クルムの性格ならば、パルマに弾丸を作ってもらっても結局撃つことなく、変わらない方法で悪魔人と向き合う可能性も十分に考えられた。


 しかし――、


「撃つね。クルムくんは、悪魔から人を救うと決めている。そのために必要なのであれば、迷うことなく引き金を引く。もうとっくに覚悟は出来ているはずだよ」

「……っ」


 躊躇もなく、流暢に語られた答えに、リッカとシンクは息を呑んだ。


 パルマの答えに動揺している自分がいることに、リッカは気が付いた。やはり心の奥底では、そのような手段をクルムには取って欲しくないと思っているのだろう。


 無意識の内に胸元に手を置くリッカを見て、


「――で、その後、ずっと後悔し続けるんだ。人を傷付けてしまった自分を責めて、責めて、責めて、苦しんでいく」


 語るパルマの表情は、まるで自分自身を嘲笑うようなものだった。

 自分が開発したものによって、間接的に人を傷付けた経験のあるパルマは、クルムの気持ちが痛いほどに分かるのだろう。


 しかし、リッカは素直に同意することが出来なかった。


「そこまで見据えていて、クルムの依頼を引き受けたんですか? クルムが傷付くというのに……っ!」


 どうしてクルムがそこまで傷付かないといけないのだろうか。ただでさえクルムは罪人という扱いを受けて世界中から誤解されているのに、悪魔から人々を守ることで余計に心身共に傷を負っていくのは、人が好きだという理由だけでは到底耐え切れるものではないはずだ。


「今までのクルムくんが甘過ぎただけだよ。ダオレイスの秩序ともいえる世界政府でさえも、時には人を傷付けてでも、罪人を止めるだろう? そして、大小は異なれど、その時彼らは手を上げたことに心を苛まれているはずだ。犠牲なしに得るものは、一つもないんだよ。そのことをクルムくんも認めたから、ボクに頼み込んで来た。そして、ボクはクルムくんの依頼に適う弾丸を作り上げる。ただそれだけのことさ」


 パルマの言葉は、否定の余地もないほど正論だった。


 リッカ自身も世界政府の一員だから、痛いほどに分かる。罪人を前にした時、喜んで手を出したことなどない。もし争うことに喜悦を見出していたら、それこそ罪人と変わらないし、悪魔に見初められる隙となるだろう。


 それでも完全に納得の出来ないリッカは、小さく拳を握り締めた。


「ふっ、優しいね。リッカちゃんは」


 言葉を失ったリッカに向けて、パルマは微笑みかけた。


「そ、そういう話では……」


 急に褒められたリッカは言葉に窮してしまい、その様子をパルマはニヤニヤとした態度で見守る。


「ま、新しい弾丸がどうなるのかは、作ってからのお楽しみってことで。ボクは、作っている最中に全て種明かしをするのは好みではないんだ。完成品を見た時の楽しみが減ってしまうだろう?」


 釈然とはしなかったが、鼻歌交じりにコーヒーを飲み直したパルマからは、これ以上詮索するなという気配が感じられて、リッカはこれ以上クルムの話題に関して広げることが出来なかった。


 だから、リッカは空気を変える意味でも――、


「パルマさん。私も、悪魔と戦えるようにして頂くことは可能でしょうか?」


 リッカの問いを受けて、カップを持つパルマの手が止まった。ほんのわずかな時間、パルマは考えを巡らせるように自分のカップに目線を落とす。対し、リッカはパルマの一挙手一投足をじっと捉えている。


「……随分と唐突な質問だね、リッカちゃん。けれど、キミは世界政府の人間だろう? 悪魔退治なんて仕事じゃないと思うけど」


 まるでリッカの覚悟を問うかのように、真っ直ぐにリッカのことを見つめながら訊ねた。


「確かに、私は世界政府の人間です。でも、困っている人を助けることが私の仕事だと思っています。悪魔によって苦しんでいる人がいるなら、私は指を咥えて眺めている訳にはいきません」


 それは、クルムと旅をしていながら、リッカがずっと考えていたことだった。


 いつも悪魔人との戦いはクルムに任せきりで、リッカは見守ることしか出来なかった。しかし、もしもリッカが悪魔人と戦うことが出来れば、クルムの負担を少しは減らすことが出来るはずだ。

 黙って見ているだけというのは、もう嫌だった。


 揺れることのないリッカの瞳に、パルマは満足のいったように微笑みを浮かべると、


「アッハッハ、やっぱリッカちゃんはクルムくんから聞いていた通りの人だね!」

「え?」


 高笑いするパルマの口から予想外の人物の名前が紡がれて、リッカは呆けた声を出した。


 一体、いつクルムはパルマに対してリッカのことを話す機会があったというのか。ずっと同じ屋根の下にいたはずなのに、クルムとパルマが話をしている素振りに、リッカは全く気付かなかった。


 茫然とするリッカを置いて、パルマは楽しそうに更に言葉を重ねていく。


「リッカちゃんは真面目な人で、人を守りたいという使命感が強いって聞いていたんだ。それで、僕と旅してからは悪魔人の前で何も出来ないことを歯痒く思っているんじゃないかって言ってたよ」

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