5-16 生粋の
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「――タバル・レファンという悪魔人を倒して、デムテン支部の子達に研究所へと運ばれてから、ボクとクルムくんは丸一日ほど泥のように眠ったよ」
パルマが長い長い過去を語り終えると、手にしていたカップを口にした。しかし、話の途中途中で中身を飲んでいたので、カップの中は何も残されていなかった。パルマは残念そうに顔をしかめると、カップを机の上に置いた。
クルムもリッカも、とっくに飲み干していて、中身はない。ちなみに、シンクはといえば、話の長さに耐え切れなくなり、椅子に全体重を預けながら寝息を立てているところだった。
「で、目が覚めてからは、クルムくんの体を調べさせてもらったよ。いやぁ、あの時は楽しかったなぁ」
「……僕個人としては、あれきりで終わらせて欲しいですけどね」
当時のことを思い出したのか、パルマは恍惚とした表情を浮かべる一方、クルムは恐怖に怯えるように全身を震わせた。
クルムの体を調べる過程で何が起こっていたのか、リッカは気になったが、言葉にはしなかった。その話をさせると、パルマの口は今まで以上に饒舌になり、クルムのトラウマを掘り返すことになることを確信していたからだ。
「それで、クルムの体を調べた結果、何が分かったんですか?」
だから、リッカはパルマが続きを話したくなるように、質問を投げかける。パルマと出会ってから、まだ数時間も経過していないが、何となくパルマの扱い方は分かって来たものだ。
過去に思いを馳せて喜々としていたパルマは、リッカの問いにより現実へと意識を戻し、引き締めた顔を作った。まるで、この先の言葉に重要事項が隠されているように、真剣そのものだった。
リッカは口の中に溜まった唾をごくりと飲み込んだ。
「検査の結果、クルムくんの体に、悪魔への抗体物質が秘められていることが分かったんだ」
「抗体物質……?」
パルマの言葉にピンと来なかったリッカは、同時に頭を捻らせた。
パルマはリッカの注目を集める意味でも、指を一本立てると、
「たとえば――、普通の人であれば、実行しないにしても悪に近い考えを浮かべることは、ままあることだろう?」
リッカは素直にうなずいた。リッカは世界政府に所属し、正義のために生きようとしている。世界政府に所属していること自体が、人一倍正義感が強く、真面目である証明であろう。しかし、それでも時々、リッカは自分の欲求に負けそうになる。
人のために生きると決意したはずなのに、我が身可愛さにあえて自分からは声を掛けるのを躊躇したり、一般人の要望を煩わしく思ってしまったり――、一瞬でもそのような邪な考えが浮かんでしまうことだってある。もちろん、実際は行動することで、それらの欲求には打ち勝っている。
リッカは自分の思考を見つめ直すと、少しだけ恥じた。
「そうした考えを持つ人間を悪魔は照準にして、狡猾に狙っては憑くようになる。もちろん、悪魔も微弱な力よりも強大な力を狙っているから、めったなことでは一般人が狙われることはないけどね。でも、たまにあるだろう? 普段、物静かな人間が、急激に人が変わったように変化してしまうことが」
「……」
リッカは世界政府としてまだまだ新米だが、何度もそういった件を両の目で見届けて来た。だから、パルマの話は身に沁みて分かった。
リッカがパルマの話を理解していることを確認すると、「ここで本題」と一言前置きを挟み、
「――不思議なことに、クルムくんには一切そういう考えがないんだ」
「え」
パルマの言葉に、リッカは思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。
今の話の流れからするに、クルムには悪魔に隙を与えるような邪な考えを抱かないということになる。
確かに、クルムの行動を見ると、自分のためより人のため――、自己犠牲を厭わずに人助けをしている。それに、クルムの性格もいつも穏やかで、人当たりの良い好青年と言ったところだ。まるで御伽話に登場する英雄のようだと表現しても、過言ではないだろう。
しかし、それでも一切ないという発言は、あまりにもリッカにとって驚愕だった。クルムは物語の登場人物ではなく、現実に生きている人間だ。現実に生きる人間が、欲もなく生きることが本当に出来るのか。
リッカが疑問を抱いていることは分かりやすく顔に現れていた。さも当然だと言いたいように、パルマはしっかりと頷くと、
「クルムくんが度が過ぎるほど善良な人間であることは、リッカちゃんも一緒に旅をして、既に知っていると思う。タバルから悪魔を退けた後、ボクはクルムくんから話を聞いて、そして実際にその体を調べて、クルムくんの体内に悪に対抗する力があることを突き止めたんだ」
「……だからこそ、クルムの頭には悪の考えが浮かばず、いつも善の側で生きることが出来る」
パルマの話と自分の推測を紐づかせたリッカの声に、パルマは頷いた。
「驚くべきは、それだけじゃない。クルムくんの中にある抗体物質は、自分の内でだけ働くのではなく、外界にも影響を与えることが可能だと分かったんだ。いや、その抗体物質があることで、悪魔を討つことが可能だと言うべきかな」
クルムの力が外に影響を及ぼすことについては、リッカは何度もこの目で見て来た。
今までクルムの能力の源を深くは考えないようにしていたが、改めて原理を聞くと、クルム・アーレントという人間が特殊だということが分かる。
「クルムは自分の力に気付いていたの?」
「僕も、パルマ博士に本格的に調べてもらうまでは分かりませんでした。けど、昔から悪事を行なおうとは思いもしなかったですし、幼少期のある日から、むしろ人助けがしたいと思うようになっていました。そのために、英雄列書の中に登場する英雄達を教科書のようにして、生きていたんです。それが功を奏したんですかね?」
クルム自身もよく分かっていないように、苦笑を浮かべながら答えた。
自分が周りに与える影響力に無自覚で、人にとって当たり前でないことを当然のようにやってのける――、クルムらしいと言えば、クルムらしかった。
「まぁ、理由は何であれ、クルムくんの中には悪魔への抗体物質が秘められていたという訳だったんだ」
パルマが言葉を続けていく。
「ボクが作った弾丸の試作品の段階では、弾丸の中に神経を鎮静化させる成分を入れて脳の興奮を抑えることによって、悪魔が付け入る隙を減らそうというものだったんだ。つまり、ボク自身も理論上の対悪魔の抗体物質を弾丸の中に取り組んでいたんだ。でも、クルムくんの抗体物質の方が、ボクの試作品よりも遥かに影響力が高い。だから、ボクは弾丸の外側には人体に解け込むように設計、そして内部にはクルムくんの血液を一滴程流し込むことで、現在の弾丸を作ることにした」
「クルムの血……?」
パルマの口から生々しい言葉が出たことに、ついリッカは言葉を挟む。パルマは気に障ることもなく、静かに頷くと、
「クルムくんには悪魔の抗体物質があると言っただろう? クルムくんの血液一滴でも、十分に悪魔を退ける力があるということが分かってね。抗体物質を弾丸に籠めるには、血液を入れるのが一番手っ取り早かったんだ。といっても、クルムくんは戦う際に、弾丸に籠めた以上の血を流すから、まぁ何とも言えないんだけどね」
パルマは苦笑しながら言った。
リッカはパルマの言うことに心当たりがあった。
クルムが悪魔人と戦う時、いつも相手のことを考えて戦っていた。悪魔人に向けて直接弾丸を撃つことはせず、武器を狙うことで戦闘手段を奪おうとする。たとえ傷付けられても、最後まで立ち上がり、ボロボロになりながらも最終的に悪魔を滅ぼしてしまう。
自分が傷付いても構うことなく、相手の無事だけを願って戦場を駆け巡るクルムの姿は、英雄のように人々を救って生きたいと願っているクルムの決心の象徴だろう。
「……あれ。でも、おかしくないですか?」
クルムの戦う姿を思い出しながら、リッカは一つだけ違和感を抱いた。
「うん、何か疑問点でもあるのかい?」
「クルムの血が混ざった弾丸によって、悪魔を倒せることは分かりました。なら、クルムはわざわざ傷を負わなくても、抗体が籠った弾丸をすぐに撃てば、速やかに事は済むのではないですか?」
そうすれば、クルムが命の危険を冒してまで、悪魔人と対峙する必要はないはずだ。それに、周りの被害も考えずに、悪魔人を救うことが出来るのだから、一石二鳥にもなる。
しかし、今までクルムの戦いを目にして来て、クルムが開戦早々に弾丸を使うことはたったの一度しかなかった。しかもその一回も、苦渋の選択の末といった形だった。
どうして便利で手軽な方法があるのに、そちらに頼らなかったのか。
「あー、そう思うのは当然だよね。だけど、それは――」
「ここからは、僕が説明します」
パルマの言葉を遮って、クルムが口を開いた。




