5-15 活かす手
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解体屋タバル・レファンは、その恵まれた屈強な体を活かして、誰も解体したがらない場所でも自ら率先して解体作業を行なっていた。立地が悪かろうと、環境が悪かろうと、依頼されれば崩れ落ちそうな建物も解体した。そうして、解体した先で、新しい景色が生まれることが好きだった。何より、その新しい景色の中で、人々が喜ぶ姿を見るのが好きだったのだ。
そう。タバル・レファンは、鍛え抜かれた屈強な体に反して、心優しい人間だった。
しかし、優しくて人を疑うことを知らなかったタバルは、ある日突然裏切られることになった。
とある解体屋の集団に紹介された現場に足を運ぶと、そこにはすぐにでも崩れ落ちそうな建物が斜面に建てられていた。これでは、いつ建物が崩れて、通行人が被害を及んでもおかしくはない状況だ。タバルはさっそく自慢の相棒でもある大鎚を掴んで、解体作業を始めようと、斜面に足を掛けた。
その時、建物が音を立てて崩れ落ち、タバル一人を襲った。タバルは瓦礫の山に埋もれ、身動きを取ることが出来なかった。声だけは発することが出来たので、助けを呼ぶ。だけど、助けは来ない。むしろ、タバルの事故を喜ぶような嘲笑が、タバルの耳を痛く突いた。タバルを嘲笑する声も、次第に遠くなっていく。
その瞬間、タバルの人気に嫉妬した者達に、裏切られたと思い知った。
タバルの頭の中で渦巻いていたのは、何故という疑問だった。
そして、答えの出ない疑問を全て絞り出すと、次にタバルの中で芽生えた感情は、恨みだった。この状況に陥れた人間への恨み、人の言葉を鵜呑みにする甘い自分自身に対する恨み。
タバルの中で一度恨みが芽生えると、もう止まることは出来なかった。次第に、世界に対する恨みも抱いていた。
すると、その想いに応じるように、腹の底から力が湧いて来るのが感じた。大鎚を握っている右手に力を籠めると、大鎚から飛礫が噴き出して、自身を埋めていた瓦礫の山を吹っ飛ばした。
――恨みを晴らせ。
瓦礫の山から脱したタバルは、頭の中に響く言葉に従って、自分を裏切った解体屋の集団に向けて自慢の大鎚を振るった。人に向かって鎚を振るうのは初めてのことだったが、タバルは快感を得ていた。自分が解き放たれるような感覚だった。
それから、破壊による快楽を求めるように、タバルはいくつもの町や人を壊していく。完全に満たされることのない欲求を、その場しのぎで満たしていった。
だから、デムテンに足を踏み入れたのも、満たされない欲を僅かでも満たすための延長戦上だった。
まさか、そこで出会った真っ直ぐに人のことを信じる青年に、昔の自分を重ねることになるとは思いもしなかった。
瓦礫の山に埋もれて暗がりに塞がれてしまったタバルの心に、微かな光が差し込んだ。
そして、その光はどんどん大きくなり、いつの間にかタバルのことを照らしていた。
――その光は、タバルにとって懐かしいものだった。
「―――」
弾丸を撃った後も、クルムは立ち尽くしたままタバルのことを見つめていた。
宙から最後の大技を仕掛けたタバルを、クルムはパルマ特製の弾丸で、見事に大鎚ごとタバルの額を貫いた。弾丸による攻撃を受けたタバルは、宙から地面に墜ち、横になったまま指一つ動かないでいる。傍からすれば、クルムが勝利したように見えるだろう。しかし、クルムの勝敗は、まだ決していない。
クルムとパルマが目指しているところは、悪魔人のことを命を奪わずに悪魔から助け出すことにあるからだ。もし、このまま弾丸で脳天を貫かれたタバルが起き上がらなかったら、試合に勝って勝負には負けたことになる。
自然とパルマも息を呑んで、横たわるタバルに意識を向ける。
クルムもパルマも、まるで結果がどうあろうとも自分の行為の責任を全て請け負うかのように、倒れたタバルから目を離さなかった。
「……かはっ」
そして、無意識に血反吐を吐くと、タバルの胸が呼吸をすることで上下に動き始めた。まだ意識を失っているが、生命活動が止まった様子はない。タバルは生きていた。
「まだ……っ」
タバルが息をする姿を見て、一安心したパルマだったが、肝心なことを確認出来ていない。
パルマが作った弾丸によって、タバル・レファンの中から、本当に悪魔を消滅させることが出来たかどうかだ。
パルマは「バロール」を使って、タバルの姿を捉えた。タバルからは悪魔の反応を捉えることが出来なかった。
つまり――、
「成功だッ!」
クルムが放ったパルマ特製の弾丸は、誰の手も汚すことなく、見事に悪魔だけを滅ぼすことに成功したのだ。
その事実に、パルマは人目を憚ることなく、思い切り叫び拳を握り締めた。
エスタに「バロール」を作ってしまったせいで多くの人を間接的に傷付けてしまったが、今パルマの発明により、一人の人物を救うことが出来た。
きっとパルマ一人では成し得なかった。クルム・アーレントという自ら最前線に出る協力者がいたからこそ、果たすことが出来たのだ。
当然、悪魔を識別出来る目を持ったクルムも、この事実に気が付いているだろう。
「クルムくん!」
興奮のあまり顔を綻ばせながら、パルマはまだ立ち続けているクルムに向かって駆け寄った。
しかし、クルムは未だ緊張を保ったまま、空を見上げていた。震える手で銃を持ちながら、何とか空に銃口を向けると、クルムはそのまま何もないはずの空に向かって発砲した。
パルマには、クルムが何を狙い撃ったのかは分からないが、まるで勝どきの声に聞こえた。
最後の一発に渾身の力を振り絞ったのか、張り詰めていた糸が解けるように、クルムは背中から倒れ込んだ。
「……ッ、クルムくん!?」
先ほどまで喜びのあまり興奮していた時とは一転、パルマはクルムの身を案じて、急いでクルムの元へと走り出す。
クルムが倒れてしまうのも、考えれば当然のことだ。悪魔人を殺さずに済むかどうか分からない緊張感、タバルからの容赦のない攻撃――肉体的にも精神的にも、クルムは背負うものが多過ぎたのだ。
「大丈夫かい、クルムくん!?」
パルマは膝をついてクルムのことを抱きかかえると、必死に呼びかけた。パルマの痛切な声に応じるように、クルムは目をゆっくりと開けた。満身創痍ではあるが、どうやら命に別状はないようだ。
「……やはり」
クルムの唇が微かに動いたのを、パルマは見逃さなかった。限界を迎えているため、クルムは言葉一つ紡ぐことも大変そうだった。パルマはクルムを抱える腕を強くすることで、どれだけ時間が掛かろうともクルムの言葉の続きを待っていることを意思表示する。
クルムは静かに微笑むと、
「やはり、パルマ博士の手は、人を活かす手、ですね」
「――っ」
パルマは今まで自責の念を抱いていた。パルマが終の夜に作った「バロール」のせいで、悪魔と共に多くの人が殺されている。更生出来る可能性がある人も容赦なく命が尽きていく様に、もしも自分が「バロール」を作らなければ、多くの命が生きていたのではないかと思うこともあった。
だから、自分の手は血に汚れている。自分の発明は、誰も幸せにしない。
そう思い、心を閉ざしていた。
しかし、今、パルマの発明品が、一人の命を救った。そして、それを扱う人物が、優しい声でパルマのことを褒め称えてくれる。
たったそれだけで、自分の犯した罪が軽くなる訳ではない。けれど、たったそれだけで、パルマは救われた気分になってしまう。
自分でも気付かない内に、パルマの瞳から涙が滴り落ちていた。
「パルマ博士、無茶な依頼を、叶えてくださって、本当に、ありがと、ございました」
「……お礼を言うのは、ボクの方だよ」
クルムは震える腕を伸ばし、パルマの頬に指を当てた。クルムの指で、溢れる涙はせき止められる。体力を全て使い果たしたはずなのに、クルムはいつもと変わらない笑みを浮かべた。
「パルマ博士、のおかげで、悪魔に憑かれた、人の命も、救うことが、出来ます。ですが――」
言葉を区切ると同時、パルマの頬に触れていたクルムの手が、だらんと地面に着いてしまった。
「あはは、すみません。今は、少しだけ、休ませてください」
見て分かるほどに、クルムは無理やり笑顔を浮かべていた。クルムは自分が限界を迎えていたというのに、パルマの発明の結果を褒め称えることを選んだ。
一体、クルム・アーレントという人間は、どれほど人に優しい人間なのだろうか。
「……ふふっ、アッハッハ」
笑う場面ではないことは、当然パルマも分かっていた。けれど、今はあえて笑顔を作ることでクルムを安心させて上げたい、という思いの方が強かった。いや、それもパルマにとっては建前に過ぎない。
クルムの優しさが嬉しくて、つい笑ってしまったのだ。
「もちろんだよ、クルムくん。ボクも今は一刻も早く休みたい。試作品を磨くのは、目を覚ましてからにしよう」
パルマがそう言うと、クルムは安心したのか、パルマの腕の中で安らかに寝息を立て始めた。
その寝息にパルマは安堵し、労いの意味を込めてクルムの髪を優しく撫でた。
「本当にありがとう。悪魔に苦しめられる人がいない世界を作るために、ボクは何でもキミに協力する」
パルマは、クルムによって救われた。生きる甲斐を失っていたパルマに、再び立ち上がる希望を与えてくれたのだ。
本人の前では恥ずかしくて言えないことを、クルムが寝ていることをいいことに、小さく伝えた。
「それにしても……」
クルムの安らかな寝顔を見て、パルマは先ほどのことを考える。
パルマ特製の弾丸をクルムが放った時、確かに銃全体が光りを放ち、弾丸そのものも光を纏っていることを目撃した。
けれど、パルマは弾丸が光る性質を作ってなんていなかった。それは理論上不可能だ。そう頭は否定するが、この目で見てしまったのだから否定することは出来ない。
つまり、クルム自身に何かがあると想定しなければ、説明することは到底難しい。
「――ふふっ、これから忙しくなりそうだ」
未来を見据えて、心が弾んだのはいつぶりだろう。
楽観的に捉える状況ではないと分かっていても、知るという行為が出来るのは嬉しいものだ。
研究所に戻ったら、クルムの体も調べて、弾丸が光った理由と悪魔だけを滅ぼした理由を、更に追及していこう。
今後の方針を頭の中で決めた時、
「……あれ、シエルのようにクルムくんが悪魔だけを倒したってことは、シエルの伝説も本当ってことになるのか?」
不意に脳裏に掠めた疑問を、パルマはそのまま口にした。
――いつか希望をもたらす者が、つまり英雄シエル・クヴントが、またこの地上に現れる。
これが、過去から語り継がれるダオレイスの伝承だ。人々はずっと英雄の再来を心待ちにしているが、シエルの死後、一度もシエル・クヴントが姿を見せたという記述はない。
しかし、今、クルムは光る弾丸をもって、タバルの中にいる悪魔だけを滅ぼした。
この出来事は、まさに英雄列書と同じだ。
ならば、シエル・クヴントの再来も実現可能になるということではないか。
「……アッハッハ、まさかね。悪魔までは信じられるとしても、もう幾千年も前に死んだ人物が生き返るのは、流石にあり得ないだろう」
しかし、パルマはすぐに自分の疑問を一笑に付した。
どうやら疲労のあまり、突飛めいた論理が脳裏に浮かんでしまったようだ。パルマもそろそろ一息吐きたいところだ。出来れば、研究所兼自宅でのんびりと休みたい。
「さてさて、目下の問題は今どうするかということだけど……」
ひとまずクルムと一緒に研究所まで戻ることが最優先事項なのだが、寝ている人間を運べるほど、パルマには力がない。そもそも小さな子供一人を抱いて歩くことさえも、パルマの腕力では厳しいのだ。
そう迷いあぐねているところ、ジュディが、パルマの元へと足を運んで来た。ジュディの後ろには、意識を復活させたオクタとカットルもいた。
彼らに任せれば、クルムのことを研究所まで連れて行ってくれるだろう。
これで、目先の心配はしなくて済むようになった。対悪魔の弾丸を磨き上げるのは、ゆっくりと脳も体も休めてからだ。
今は、悪魔人を救えたという事実を、ひたすらに噛み締めよう。パルマはそう思いながら、目を閉じた。




