5-14 原点
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ジュディ・ガミーヌは自分の命が終わることを覚悟していた。タバル・レファンという、突如デムテンの町に現れて暴れ回っている人間に、まさに大鎚を振るわれて潰されてしまうところだったからだ。
しかし、ジュディが迎えた現実は、自身が想像したものとは全く異なっていた。
ジュディと倒れ込むオクタとカットルに大鎚を振り下ろしたタバルに向けて、クルムが弾丸を撃って阻んでいたのだ。
クルムの銃を構える様は、遠目から見ても、本来のクルムの大きさよりも何倍も大きくジュディの目に映った。
この人物に委ねればデムテンは安心だ――、そう本能に訴え掛けてくる。
「……って、違うっす」
ジュディは自分の頭に浮かんだ思考を振り切るように、大きく首を横に振った。デムテンの平和を守るのは、世界政府である自分の役目のはずだ。ましてや、この町に何の関係もない人間に頼り切っていいはずがない。
「い、一般人が敵う相手じゃないっす! 今すぐ避難するっす!」
ジュディの必死に叫ぶ声に、クルムはジュディへと顔を向ける。クルムに近付いていたタバルも、足を止めて、クルムがこれから何を言うのか見物するように立ち止まっていた。
「僕は困っている人を助けたいんです。ここで逃げたら、僕は僕を否定することになってしまいます」
優しい声に温かな微笑、しかし、その裏にはとてつもない覚悟が隠されているのが分かった。ジュディが抱えている想いとは、別次元の強さを持っている。
クルムの意志の強さに、ジュディがこれ以上言葉を紡げないことを確認すると、クルムは再びタバルの方に向いて、
「なので、ここは僕に任せてください。――全部助けてみせます!」
何故か武器である銃を懐にしまい、タバルへと身一つで突っ込んだ。
「――え」
ジュディがクルムの姿を捉えた時には、クルムとタバルの距離は半分ほどに縮まっていた。クルムの速さは、オクタとカットルよりも上だった。銃を手にしていない分、走る姿勢に迷いが感じられない。
ジュディは純粋に驚くと共に、先ほど本能で感じたことは間違っていなかったと思った。
「はッ、全部助けるってか。かっこいいねェ、まるで英雄みたいだな。けどよォ、お前には俺の強さが分からないのか?」
「……」
タバルの挑発を受け流すように、クルムは口を噤んで地を駆けている。
「言葉を出す余裕もねェってか! なら、その身で味わうがいい! 魔技・グラレアタイド!」
タバルがその場で大鎚を地面に叩きつけると、先ほどオクタとカットルが喰らったように、無数の飛礫がクルムに襲い掛かった。
真っ直ぐに迫る飛礫に、一直線に走るクルム。まさに真っ向勝負となろうとしたところ――、
「その魔技は先ほど見ました」
クルムは冷静に一言漏らすと、飛礫の軌道から逸れるように右方向に躱した。相手を失った飛礫は、誰もいない地面に虚しく叩きつけられる。
「避けた気になってんじゃねェ!」
大鎚を地面に触れさせたまま、タバルは体の向きをクルムに合わせた。すると、グラレアタイドによって発生する飛礫は、再びクルムに照準を合わせて飛んで行った。
「なッ」
しかし、クルムは襲い掛かる瓦礫を、全て躱し続けた。しかも、ただ躱すだけではなく、螺旋を描くように徐々にタバルとの距離を詰めていく。
魔技・グラレアタイドよりも、クルムの速さの方が完全に上回っていた。
「ちィ」
タバルは舌打ちをすると、魔技の発動を止め、大鎚を構え直した。タバルの変化を見逃さなかったクルムは、方向転換をし、真っ直ぐにタバルとの距離を詰めた。
「ウラァアアァアッ!」
クルムはタバルの前まで瞬く間に接近した。しかし、タバルは大鎚を振り下ろし、クルムの更なる接近を阻む。クルムは速度を落とすことなく、大鎚の攻撃を左に避け、タバルの背後を取った。そして、大鎚を振り下ろした状態のタバルの背中に掌底を繰り出した。
「……ぐッ」
背後からのクルムの掌底により、バランスを失ったタバルは前のめりになって、よろめいてしまう。しかし、すぐにタバルは姿勢を立て直し、クルムの方へと向いた。
クルムには追撃をする様子はなく、その場に立ってタバルの出方を窺っていた。
「おいおい……。舐めてるのか、テメェ! 背後を取った瞬間に銃を使っていれば、お前も勝てたかもしれないんだぜ?」
吠えるタバルに、クルムは動じることなく首を横に振った。
「いいえ、勝とうだなんて思っていません。先ほども言った通り、僕はあなたを助けに来ました」
「……助ける、だと?」
「はい。あなたには悪魔が憑いています。この状態が続いてしまえば、利用されるだけ利用されて、道具のように捨てられてしまいます。そうしたら、あなたに残るのは苦痛のみになってしまいます。だから、そのような悲劇が生まれる前に、今ここであなたを助けます!」
タバルはクルムの言葉に驚きを隠せなかった。今まで悪魔の力を使うようになってから、誰もがタバルのことを蔑視の目で見つめるようになり、関わることを避けるようになった。それなのに、この町で初めて出会ったクルムは、タバルが道具のように扱われることを危惧して助けようとしてくれる。
しかし、だ。
「ハハッ、上等だよ」
クルムの真剣な眼差しを、タバルは一笑に付した。
「俺は既に捨て駒の扱いを受けて裏切られているんだ。今更、どんな仕打ちを受けようが構わねェ」
悪魔に憑かれる前の過去を思い出した。思い出すだけで、吐き気がした。だから、あの時に比べれば、クルムが言う悲劇などタバルはいくらでも耐えられる。
「その甘さが命取りになる!」
余裕に満ちたクルムに向かって、タバルは大鎚を振り回した。クルムを翻弄するかのような小回りの利いた攻撃だった。一発の威力よりも、何度も振ることを意識し始めたのだろう、見た目からして重い大鎚を、タバルはまるで小枝を振り回すように軽快に扱っていく。
けれど、その軽快な攻撃も、クルムには当たらない。全ての攻撃を、クルムは躱す。
小回りの攻撃が通じないと、戦闘中に判断したタバルは、一発の威力に重きを置いた攻撃へと転換していく。しかし、その攻撃も当然クルムには掠ることさえなかった。大振りな攻撃は、タバルに隙を生じさせているのに、クルムは反撃する素振りもなく、ただひたすらに回避するだけだった。
クルムの動きを見て、タバルの中に違和感が芽生えた。
何故クルムは銃を使って攻撃して来ないのか。
大鎚を振り回しながら違和感を辿っていくと、タバルの中である閃きが起こった。
「……そういうことか」
その閃きを頭の中で確信へと変えていくと、タバルは思わず舌打ちをした。そして、タバルは怒りをぶつけるように、クルムの目の前の地面に大鎚を叩きつけた。クルムはタバルの大鎚を軽々しく躱し、タバルとの距離を空けた。勿論、タバルの計算通りだ。
タバルは大鎚を振り下ろした状態のまま、肩で息をする。疲労も混ざっているが、どちらかと言えば怒りが起因となっている。
何度か息をした後、タバルは顔を上げると、
「テメェの狙いは分かった! もうその通りにはさせねェ!」
クルムに向かって駆け出した。クルムはタバルの攻撃に備えるように、足に力を入れる。
しかし、タバルはクルムへと距離を狭めると、途中で方向転換し、建物の方へと向かい始めた。
「お前は俺の体力がなくなるのを狙っていたようだが、そうはいかねェ! お前なんかと遊ぶよりも、俺は本来の目的を果たさせてもらうぜ!」
そう言うと、タバルはある一つの建物の前で足を止めた。
その場所は、クルムからも距離が離れていて、パルマやジュディ達とも遠い場所に位置していた。
今から焦ってタバルを止めようとも、止められる前に目の前の建物は破壊出来る。
まさに誰の邪魔も入らず、タバルが破壊を楽しむためのとっておきの場所だった。
「この町には縁もゆかりもありゃしねぇが、俺が足を踏み入れたのが運の尽きってなァ! あばよ、デムテン!」
まるで極上の食べ物を目の前にしたかのように、一度唇を舌で舐めると、タバルは力強く大鎚を振り下ろした。
そして、まさにタバルの大鎚が建物に到達しようとする瞬間、
「させませんよ」
鋭く短い一言と共に、一発の銃声が聞こえた。振り上げた大鎚に衝撃が走り、タバルの狙いはずれてしまう。大鎚は建物ではなく、虚しく地面を叩きつけた。
予想だにしていなかった邪魔が入ったことに、タバルは殺意の籠った瞳で、背後を振り返る。
「……伝わっていなかったようなので、もう一度言います。僕はこの町もタバルさんも助けます、絶対に」
当然、視線の先にはタバルにクルムがいた。しかし、タバルにとって予想外なのは、クルムが銃口を向けていることだった。
タバルとの戦いにおいて、クルムが銃口を向けたのはこれで二度。ジュディを助ける時と、デムテンの建物を守る時だ。どちらもクルムとタバルとの間に距離があり、且つ狙ったのはタバルが持つ大鎚だ。
それは何故か――。クルムの宣言通りだろう。一発目は、タバルのことを傷付けずに止めるため、そして、二発目は町が破壊されそうになったからタバル自身ではなく武器を狙ったのだ。
つまり、クルムが本気を出してタバルを狙えば、いつでもタバルのことは止める腕を持っていると、暗に言っているのだ。だけど、クルムの信条に乗っ取り、必要最低限でしか銃を使わない。
自分が舐められていることに気が付いたタバルは、思い切り奥歯を噛み締めた。
「何なんだよ、お前ェ! 大人しく壊させろよ! お前もこの町も破壊すれば、俺は大人しくここから出ていくってのによォ!」
ひどく自己中心的な思考だ。聞くだけ嫌気が差すような言葉だが、クルムは冷静に首を横に振り、
「これ以上、壊す必要はありません。あなたの手は壊すための手じゃないはずです」
「違う! 俺は解体屋として、ずっと壊して来た! 俺の、俺達の! 邪魔をするなァ! クルム・アーレントォ!」
タバルがクルムの名前を呼ぶと、クルムの全身が一瞬だけ強張った。
言った当の本人は興奮のあまり息を荒げ、自分が何を言ったのか良く分かっていない様子だ。
「……な、何で彼がクルムくんの名前を知っているんだい?」
パルマはタバルの口からクルムの名前が飛び出たことの異常性を瞬時に察した。クルムはタバルに対してまだ名前を名乗っていない。パルマが何度かクルムの名前を呼んだことはあるが、フルネームでは一度も言っていない。
このことから導き出せる答えは一つ。
タバルと悪魔の境目が、より曖昧になってしまっていることだ。いや、むしろタバルの精神が悪魔に近づいている。
「あァ、もうまどろっこしい真似はなしだ! お前からぶっ壊してやるよォ! そうすることが、俺達の目的を達成するために必要なようだしなァ!」
タバルが大鎚を握り締めると、その想いに呼応するように、どす黒い靄が大鎚に集約していく。
「タバルさん! 自分を強く保ってください!」
クルムは必死にタバルの心に届くように声を張り上げる。しかし、当然ながら、悪魔の影響を強く受け始めたタバルの耳には響かない。
「まずは、ちょこまかとした動きを止めてやる!」
怒り狂ったタバルは、その場で黒い靄に包まれた大鎚を振り上げて、
「魔技・グラレアヴィブラ!」
思い切り地面に叩きつけた。すると、大鎚に纏わりついていた黒い靄が、地面の中に潜り込み消えた。
タバルが魔技を放っても、大鎚を振るった地面には、先ほどの魔技のように異常が見受けられなかった。一体何が起ころうとしているのか――、静寂とした空気が嫌に不気味だった。
クルムは何が起ころうとも対処が出来るように、周囲に警戒を張る。
「……ッ!?」
すると、クルムの足元から熱気が立ち込めると同時、立つのも困難なほど激しく揺れ始めた。突発的な激しい揺れに、真顔だったクルムも、思わず目を見開いてしまった。
この激しい揺れはデムテン全体で起こっているのか確かめるため、クルムは後方にいるパルマや離れた位置にいるジュディ達の方に視線を向けた。しかし、クルム以外の人間が揺れている様子は見受けられなかった。
つまり、グラレアヴィブラは、タバルが狙った人物の足元だけを揺らすことが出来る魔技だと、クルムは瞬時に見極めた。
「正解だァ、クルム・アーレント! 動くのが困難な震動が、容赦なくお前に襲い掛かっていくぜ!」
「――ならば」
動くのが困難な足場にも関わらず、クルムはその場で前転をして起き上がり様に駆け抜けようとした。
まるで震動を気にも留めていない、俊敏な動きをクルムは見せつける。
そして、ある程度の距離を開いたところで、クルムは立ち止まり、タバルがいる方向を向いた。
「――くっ」
しかし、震源地を離れたはずなのに、クルムを襲う揺れは止まることはなかった。
「言っただろ、容赦なくお前を襲うと! グラレアヴィブラは、お前の足元を揺らしているんじゃない! お前の体内を揺らしているんだよ! さァて、どう嬲り殺してやろうか」
そう言うと、タバルは大鎚を地面から離して、一歩一歩クルムとの距離を詰め始めた。どうやら先ほどの魔技とは違い、グラレアヴィブラは大鎚が地面に接したままでなくても、効果を発揮し続けるようだ。クルムの全身は、依然として揺れている。
「まずはさっき貶された魔技を浴びせてやる! グラレアタイド!」
タバルが大鎚を振るうと、飛礫の雨がクルムを襲った。先ほどは容易に躱すことが出来た魔技も、二つの魔技が合わさってしまうと、回避することは容易ではなく、クルムは攻撃を受けるしかなかった。守りの態勢を取り、受ける傷を最小限に抑えようとする。
無数の飛礫が、容赦なくクルムを襲っていく。
「どうだァ、俺の魔技・グラレアタイドの味は?」
タバルが口元に歪んだ笑みを浮かべながら、大鎚を地面から離した。グラレアタイドによる飛礫が止まった。
クルムは飛礫による攻撃を受けて、グラレアヴィブラの震動の影響を体に受けながらも尚、立ち続けていた。ただし、クルムの体はあちこちに生々しい傷が出来上がっている。加えて、クルムの体はゆらゆらと左右に揺れていた。
誰の目から見ても、クルムが限界を迎えていることは明らかだった。
「グラレアヴィブラの効果も続く中で、立っていられるのは褒めてやる。でも、本当は今にも倒れそうなんだろ? だったら、俺が直接お前をぶっ壊してやるよ!」
満身創痍のクルムに向かって、タバルが最後の攻撃を仕掛けに、走り寄る。
散々クルムによって邪魔をされて来たが、ようやく終わりだ。これでタバルは、本来デムテンを訪れた目的を達成することが出来るのだ。
しかし、クルムの目は死んでいなかった。力強い黄色い双眸が、迫り来るタバルのことを捉える。
「――」
重心が定まらないまま、クルムは深呼吸をした。
動いても動かなくても震動の影響を受けてしまうのなら、やるべきことは明確化される。それに、グラレアタイドの攻撃を受けて、クルムの体力も限界に近付いている。よくて弾丸を一発撃つだけの体力しか残っていない。
だからこそ――、
「……」
クルムは懐からパルマ特製の弾丸を取り出すと、銃に籠めて、タバルに向けて真っ直ぐに構えた。激しい震動によって、銃口は定まらないが関係はない。
どんなに揺れようとも、クルムの意志は揺らがない。
クルムは光を彷彿とさせる黄色い双眸で、タバルのことを見つめた。先天的に悪魔のことを視認出来る瞳によって、タバルのことを苦しめて嘲笑う悪魔の姿を捉えることが出来た。
クルムは奥歯を噛み締める。
この不条理を見て、どうして黙ってなどいられようか。悪魔に憑かれた人を、絶対に救うと決めた。クルムでさえも悪魔人を見捨ててしまったら、一体誰が彼らを救うことが出来るというのか。
これから先、どんな困難が待ち受けようとも、クルムの成すべきことは変わらない。否、ここからクルムの真に成すべきことが始まっていくのだ。
「……何なんだよ、その面は――ァッ!」
瀕死状態のはずのクルムの真っ直ぐな瞳に当てられたタバルは、本能的に足を止め、目の前の存在を拒絶するように叫んでいた。
どれだけ逆境に追いやられても、自分の信念を貫こうとするクルムに、タバルはかつてないほどに嫌気が差していた。圧倒的にタバルの方が有利のはずなのに、どうしてクルムの心は折れないのか。
過去のタバルは、力がなかったが故に裏切られ、心が挫けてしまったというのに。
「なんでお前は、俺の邪魔をするんだよォ! たかが人間が、悪魔の力を使う俺のことを止められる訳がねェだろうが! さっさと諦めて楽になれよ!」
「あなたに悪魔が憑いているからです。悪魔の支配を受けながら行動することによって、あなた自身も、そしてあなたに関わる人々も、不幸になってしまいます。だから、何を言われようと、僕はあなたから悪魔を滅ぼして、あなたを救います」
クルムは震える指先で、引き金に指を掛けた。あとは指一本を動かすだけで、弾丸を放つことが出来る状態だ。
ボロボロの状態になってまで自分を助けようとするクルムの言葉に、タバルの心は揺れた。しかし、すぐにクルムが自分に銃を突き付けていることに思い至り、自分の考えを改めた。
「……ハッ、言うことは立派だが、結局は銃を撃って俺を殺して止めるつもりなんだろ?」
この世に人を殺さない弾丸はない。クルムの言うことを素直に受け入れれば、結局タバルは弾丸の餌食となり、ここで命を落とすことになる。危うくタバルはクルムの口車に乗ってしまうところだった。そう、元からクルムにはタバルを救うつもりなんてないのだ。
だが、クルムはゆっくりと首を横に振ると、
「これは普通の弾丸とは違います。悪魔だけを滅ぼす弾丸です。……人は殺さない」
「人を殺さない弾丸? そんなのあるわけがねェ!」
「この弾丸には、祈りに似た想いが込められています。僕は、人を想う気持ちを――その優しさを信じています」
「……ッ」
真っ直ぐに思いを口にされてしまうと、タバルの暗闇に染まった心の奥底に微かな光が生まれてしまう。
――信じることは悪ではない、と。
それはかつて人を純粋に信じたことがあるタバルにとっては、まさに喉から手が出るほどに縋りたい言葉だった。
しかし、その結論を野放しに信じることは出来ない。盲目的に信じて痛い目に遭ったのだ。
タバルは自分に芽生えた感情を無理やり押し込めるように、首を大きく横に振ると、
「信じたら裏切られる! 下手に出れば、足元を掬われる! それがこの世界の道理だろ!」
自身の手元にある大鎚を強く握り締めた。まるで頼りになるのは自分の力だけだと誇示しているかのようだ。
「お前に俺の苦しみは分からない! 甘い奴はこの世界を生きることは出来ないんだよ!」
今更生き方は変えられない。タバルには壊す方法しかないのだ。見たくない現実を、受け入れがたい現実を壊すために、今のタバルには何が出来るか焦る脳で必死に考える。
このままクルムの言動を聞いていたら、自分自身を否定することになってしまう。
――たじろぐな。お前には力がある。
「……そうだ」
心に響いた声に、タバルは迷うことなく縋る。それは自分で考えることを放棄した結果なのだが、タバルは気付かない。
「俺には全てを壊す力があるんだ。誰も俺のことは止められねェ!」
決意をしたタバルは、空高く跳躍をすると、
「魔技・マルトビラージ!」
クルムに向けて、魔技によって更に大きくなった大鎚を振り下ろした。空から急降下するタバルの姿は、巨大化した大鎚に隠れて見えなかった。
「……」
タバルは全神経を今の魔技に注いだのか、クルムの芯から揺らしていた震動はなくなった。
クルムは全身の力を抜くと、集中するようにゆっくりと目を閉じた。銃を構える手も、重力に従って自然と地面を向く。
「お前の言う甘い妄想は、絶対に現実にならねェ! お前の方法じゃ、誰も救えねェんだ! そこまで言うなら、俺のことを殺さずに救ってみせろ!」
目を閉じるクルムに、タバルは大鎚の上から威勢よく吠えた。
その巨大さ故に攻撃も防御も兼ね備える魔技・マルトビラージは、タバルの深層心理を表している。自分が気に食わない現実に向き合わないために、わざと鎚を大きくして、自分が壊そうとするものさえも目に入れないようにして破壊する。そうすれば、自分は安全圏にいながらも、気に入らない現実を壊すことが出来るのだ。
まさに今のタバルにとって、うってつけの技であった。
「確かに、僕一人なら誰も救えないかもしれません。だけど、僕は一人じゃない。救うための手段は――、僕の手にあります」
ゆっくりと開いたクルムの双眸は、タバルから一切逸らすことなく、真っ直ぐに捉えていた。魔技によって更に大きくなった大鎚で、上空から攻撃を仕掛けるタバルに向かって、クルムは銃口を向けた。
クルムの弾丸とタバルの魔技が真っ向から対立し合う――、これが互いにとって最後の攻撃になると、この戦いを見守っていた誰もが直感的に分かった。
クルムが引き金を引く。
その瞬間――、
「……ッ!」
パルマは目の前で繰り広げられる光景に、思わず目を見張った。
クルムの銃が全体的に淡い光に包まれたのだ。そんな機能を加えた記憶はないし、原理も分からない。銃全体から放たれる光は、人工的に作り出す光度ではなかった。
しかし、当の本人は銃から光が発せられていることなど、まるで気にも留めることなく、ただタバルを助けることだけに集中している。
「シエル・クヴントの、伝説……」
パルマは無意識に、言葉を紡いでいた。
英雄列書の中で、シエルも光る剣で悪魔人を斬った場面があった。まさに、今目の前で起こっていることは、シエルと同一のことではないか。
そう自覚すると、目の前にいるクルムの姿が、一度も見たことのないシエルの姿と重なって映った。
「――今、救います」
そして、クルムは光り輝く銃から弾丸を放つ。世界に光をもたらす弾丸は、人を覆い隠すほど巨大な大鎚を壊し、タバルの額を真っ直ぐに貫いた。




