5-13 いざ戦場へ
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いつもは人々の往来によって賑わうデムテンの町は、一人の人物が大鎚を持って暴れることで別の意味で賑わい、まるで違う町のようになっていた。
デムテンの住民達は通りに出ることをやめて家の中で息を潜め、世界政府の服を着た二人の男が悪魔人の暴走を食い止めているところだった。デムテン支部の二人――オクタ・キャンベルとカットル・ミラーは、お互いの動きを分かっているのか、流れるような動きで悪魔人を追い詰めていく。悪魔人の暴挙に対して、デムテンに多大な被害が及んでいないのは、二人の行動が大きいだろう。
「これならクルムくんの出番はないんじゃないかい?」
パルマの研究所から急いで町の方へと下って来たため、パルマは息を荒げながらクルムに問いかける。
しかし、クルムはすぐに言葉を返さずに、世界政府と悪魔人の戦いを観察していた。クルムの横顔を見れば、そこには余裕はなかった。むしろ、来るべき時に備えて集中しているようにさえ思えた。
少し離れた位置で戦いを見守っていたクルムとパルマの元に、
「あ、そこの方達! 危ないっすよ!」
世界政府の制服を着た見た目も若い女性が声を掛けて来た。
「キミは……?」
「自分は今年からデムテン支部に配属された、世界政府のジュディ・ガミーヌっす!」
ジュディは敬礼をしながら、はきはきと答える。
「ジュディさん、世界政府が相手をしている方は、この町に住む人なんですか?」
「いや、違うっすね。急にデムテンにやって来たと思ったら、いきなり建物を鎚で壊し始めたっす。なので政府の方で注意をしたんですが、その鎚の矛先を先輩達に変えて来たので、今ああして押さえようとしているところっす。新人の自分は、住民の安全を守るために、避難を促しているところっすよ」
「ちなみに、二人は強いのかい?」
「それはもちろん! 手を合わせた二人に勝てる人なんて、そうはいないっすよ! 時期に終わるんじゃないっすかね?」
ジュディは目を輝かせながら答えた。オクタとカットルに全幅の信頼を寄せていることが、目に見えて分かった。
「だってさ、クルムくん。政府が悪魔人を取り押さえたら、事情を説明して悪魔人から悪魔を滅ぼすことにしよう」
この場は世界政府に任せても大丈夫だろう、とパルマは判断した。
「……あの二人が、未だに悪魔人に決定打を与えていないことにお気づきですか?」
「え?」
クルムの言葉に、パルマとジュディが戦いの場に目を向ける。
確かにクルムの言う通り、二人は流れるような攻撃を繰り出しているが、悪魔人の顔は余裕に満ち満ちていた。まるで二人の剣撃を、つむじ風が吹いている程度にしか感じていないようだった。
「そ、それは二人が相手の命を奪わないように手加減してるからっすよ! 二人が本気を出せば、すぐにでも――」
ジュディが必死に釈明をしようとした時だった。
オクタとカットルが、反撃の隙を与えぬほどの速さで、悪魔人の左右目がけて同時に剣を振るう。このまま行けば、悪魔人が武器を持つ腕を切り落とし暴れなくさせることが出来るだろう。
「ほらねっす!」
ジュディが握り拳を作りながら、勝利を確信したようにクルムとパルマを見つめた。しかし、その期待に満ちた瞳は、
「ハァアアァアァ――」
地の底から這いあがったような唸り声によって、失意の色へと変わる。
悪魔人は唸り声を上げながら、手に持っていた大鎚を政府の二人よりも早く手放すと、そのまま空いた両手で二人の剣を掴み取った。
「……なッ」
「ぐッ」
剣を掴んだ悪魔人は、その場で腕を交差させた。剣を振る速度に加え、悪魔人が腕を振る速度により、重力に負けてしまった二人は、剣から手が離れ、そのまま地面へと叩きつけられる形になってしまった。
そして、悪魔人は持ち主を失った剣を足元へと乱雑に落とすと、大鎚を掴み、
「なぁ、政府の犬たちよ……。解体屋タバル・レファンって名は聞いたことはねェか?」
立ち上がろうとするオクタとカットルに向けて問いかけた。
オクタとカットルは、膝を地に着いた状態で、脳内に疑問符を浮かべて言葉を発しなかった。
「ハッ、知らねェってか。まぁいい、最初から期待はしてねェさ。これだけ憶えてくれれば十分だ」
そう言うと、悪魔人――タバル・レファンは思い切り鎚を振り上げた。
タバルの行動が何をしようとしているのか、オクタとカットルはすぐに察し、急いで動き出そうとする。しかし、二人の体は自分の想像以上に傷を負っているようで、満足のいく速度を出すことが出来ない。
タバルは不敵な笑みを浮かべると、
「俺の生き甲斐は、物や人を問わずに全てをぶっ壊すことにある! そのためなら、悪魔にだって魂を売ってやらァッ!」
思い切り剣に向けて叩きつけ、剣の刀身を粉々に砕いてしまった。
「ハハッ、武器を失った犬どもには、もう俺を止める術はねェ! 俺がこの町を壊していく様を、大人しく指でも咥えて眺めていやがれ」
タバルは砕けた剣の破片を足で無下に扱いながら、オクタとカットルを侮辱した。
「そ、そんな……。う、嘘っすよ……」
その一部始終を見ていたジュディは、現実を受け止めることが出来ないように放心してしまった。目の前の事実を否定するように、何度も首を横に振る。
ジュディにとって、オクタとカットルはデムテン支部の先輩で、武術にも人徳にも長けている印象だ。その二人がやられてしまったら、もうこの町の平和を守る人はいない。
「舐めるな、タバル・レファン!」
「武器がなくたって、世界政府の名に懸けてお前を止める!」
しかし、オクタとカットルは、武器を失っても闘志が消えていなかった。絶望の余韻に浸ることなく、単身でタバルに特攻を仕掛ける。二人とも、ここで諦めてしまったら、デムテンが壊されてしまうことが分かっているからだ。
「クハハハッ! 自分が壊されない限り身の程も分からないようだなァ!」
オクタとカットルの雄姿を嘲笑うようにタバルは高笑いを浮かべると、
「魔技・グラレアタイド!」
地面に向けて思い切り大鎚を叩きつけた。
次の瞬間、石の飛礫が二人を襲った。オクタとカットルは足を止め、飛礫に対抗しようとするが、武器をタバルに壊されてしまったため、成す術がない。まさかタバルが、こんな技を隠し持っているとは予想だにしていなかったのだ。正面から、また上方から、石の飛礫が、二人に向かって降り注いだ。
オクタとカットルは最低限の被害になるよう、身を屈めて、守りの姿勢に入る。
しかし、飛礫一つ一つの威力が、二人の想像よりも重い。それに加え、膨大な量だ。数の暴力に自身を守り切ることは出来ず、ついにはその場で気を失ってしまった。そのまま無防備になった二人は、飛礫の波に圧され、同じ建物へと叩きつけられる形になった。
「先輩ッ!」
オクタとカットルが吹っ飛ばされた建物へと、ジュディは駆け足で近づいていく。大きな打撃を喰らって意識を失ってはいるが、まだ息はしていた。この建物も、無人の倉庫となっていて、住民に影響はない。
良かった、とジュディは胸を撫で下ろすが、その安堵も束の間だ。
「ハハッ! やはり、世界政府の人間も大したことがないな!」
ジュディの背後から、オクタとカットルを嘲笑う声が響き渡った。
ジュディは背後に近付く足音を耳にした。ジュディの心臓が五月蠅いほどに高鳴っているのが、自分でも分かった。恐怖のあまり、タバルにやられる前に心臓が破裂してしまうのではないかと思うほどだ。
「おい、世界政府の女。そこで大人しくしてれば、お前のことだけは壊さないでやるよ」
そんなジュディのことを察してか、タバルが笑いを堪えながら、提案を掲げた。その案は、まだ力のないジュディには甘美なものに聞こえた。先輩二人が戦っても勝てなかった相手だ、ジュディがこの場を生き抜くためにはタバルの提案を受け入れるしかないことを頭では分かっていた。
「……先輩達のことは?」
意識を失っている二人を見ながら、ジュディはタバルに問いかける。
タバルは大鎚の柄を肩に当てて、空いた手で耳の穴に指を入れていた。そして、狡猾な笑みを浮かべると、
「はァ? 俺の邪魔をしたんだから、この町を壊した後に壊すに決まってるだろォが。分かり切った質問をするんじゃねェよ」
ジュディを嘲笑うような声音で、吐き捨てた。
その瞬間、倒れ込むオクタとカットルの前で、力強く拳を握り締め、
「だったらお断りっす! 自分も新人とはいえ世界政府の一員……、悪に屈する訳にはいかないっすよ!」
振り返りざま、ジュディは力の限り言った。
「なんだ。すべてが終わった後、裏切りに顔を歪ませた女を壊すことが楽しみだったんだがな……。予定変更だ。お前から先に壊してやるよォ!」
言葉とは裏腹に、さして気にも留めない表情を浮かべながら、タバルは無防備なジュディに向かって思い切り大鎚を振り上げた。
解体屋タバル・レファンにとって、物も人も同じだ。壊す対象と認めたなら、何であれ形も残らないほどに壊すだけだ。壊れた様を見た時にだけ、タバルの欲は満たされる。
「っ」
迫り来る大鎚を前にして、ジュディは瞼を閉じるも、逃げ出すことはしなかった。ここで殉職してしまうのは怖い。けど、先輩二人をおいて逃げ出したら一生後悔すると、ジュディは分かっていたのだ。
正義感と恐怖に葛藤するジュディの表情を見ることで、愉悦を感じたタバルは舌なめずりをして、躊躇もなく大鎚を振り抜こうとした。
「――なッ!?」
しかし、タバルの大鎚がジュディに届く直前、大鎚に衝撃が走り弾かれた。
タバルは大鎚に視線を送る。大鎚の側面には、弾痕が残っていた。
愉悦に浸っていたタバルは、お楽しみを邪魔されたことに怒り、弾丸が飛んで来た方向を睨み付ける。そこには、銃を構えたクルムと、その隣で心配そうな表情を浮かべたパルマがいた。
悪魔人であるタバルは、クルムを敵だと判別し、狙いを定めた。
「……本当に、やるのかい?」
クルムの隣に立つパルマは心配そうな瞳で、クルムのことを見つめている。
賽は投げられた。もうクルムとパルマに後を引くという選択肢は残されていない。二人に残された道は、パルマが作った弾丸で、クルムが悪魔からタバルを救うことだけだ。
しかし、パルマは自分が作り上げた弾丸に自信がなかった。まだ試験も何もしていない、理論上だけ悪魔を滅ぼすことが可能な弾丸だ。ぶっつけ本番で、悪魔だけを滅ぼすことが出来るとは、パルマには到底思えなかった。
不安に陥るパルマに対して、クルムは対照的だった。
「はい。パルマの博士の研究が人々を救うことを、あなたの目の前で証明してみせます」
パルマが作った弾丸を握り締めながら、そう言った。




