5-07 成り立ち
「どうだろうか、パルマ博士。少しは悪魔の存在を認めてもらえただろうか?」
「そうだね。彼が放った魔技? というものは、無から有を生み出していた。それに、その物質もこの世には存在しないもの……。到底、人間では成し得ないものだ。悪魔が潜んでいると納得しよう」
パルマの言葉に満足のいったように、エスタは頷く。
「でも、その悪魔の技をいとも容易く躱し、瞬く間に打ち勝ってしまうキミの連れの方が、よっぽど悪魔に近い力を持っているんじゃないかい?」
パルマはエスタに視線を向けず、長身の人物の隣でいじけた姿を見せている小柄な人物に目を向ける。先ほど悪魔人を倒したとは思えないほど、子供然とした態度だった。
「ハハハ! あなたにそう評価して頂けたなら、彼にとって喜ばしいことだ」
悪天候の空に似つかわしくない声で、エスタは高笑いをした。
「だけど、まだ悪魔が上手く人間と適合していなかったから、圧倒的に見えただけだ。もしも悪魔が本来の実力を発揮していたら、あれも容易に倒すことは出来なかっただろう」
エスタの瞳は、全てを見透かしているかのように鋭く光って、悪魔人のことを捉えている。その眼光はまるで――、
「まるで悪魔が人間の中でどう動いているか見えているようだね」
突拍子もない推論を、パルマは口にした。
勿論、パルマ自身そんなことはあり得ないと思っている。目に見えない存在である悪魔を、人が見ることなど出来るはずがない。
「あなたは本当に天性の才能をお持ちになられている。まさか、私の言いたいことをここまで素早く正確に察知してもらえるとは……。もっと周りに評価されるべき存在だ」
しかし、パルマの踏み外した推論に、エスタは馬鹿にするどころか感嘆していた。
「それが今回、あなたに依頼したいことですよ。パルマ・ティーフォ博士」
「……本気かい?」
パルマは思わず呆れるように呟いた。エスタは真剣な表情を貫いたまま、パルマのことを見つめている。口にせずとも、エスタが本気であることが伝わった。
今回、エスタがこの辺鄙な場所へ足を運んだ理由が、悪魔が人の中に潜む姿を誰もが可視化出来る機械を作ってもらうためだということを、エスタの数少ない言葉の中からパルマは悟った。
パルマは顎に手を当てて考える。
パルマにとって、開発が出来るかどうかは問題ではない。パルマは天才ゆえに、どんな無謀な依頼も、ほぼ要望に近い形で開発して来た。
だから、パルマにとって重要なのは、
「キミが冷やかしでボクの元に訪れた訳ではないことは分かった。でも、どうして悪魔を可視化するための機械が欲しいんだい?」
――依頼人の動機だった。
「言っては何だけど、悪魔という存在は、このダオレイスでは迷信とされている。大半の人に、悪魔だと言っても、嗤われて話は終わりになるだろう。仮にボクが開発した機械を使っても、悪魔という存在を信じるようになるかは、その人次第だ。高い費用を掛けてまでそんなものを作っても、キミにとって何一つ利点はないとボクは推測するが?」
悪魔という存在を認めたという前提で話を進めるとして、エスタがわざわざ悪魔を可視化しようとする目的までは、まだパルマは読むことは出来なかった。
エスタの放つ雰囲気からは、世界に悪魔の危険性を伝えたいという使命感は、感じられない。エスタはその雰囲気の裏に、一体何を隠しているのだろうか。
まるでパルマの質問を意に介さないように、エスタはニコリと微笑みを浮かべると、
「この世界で罪を犯し、サルバシオン大陸にある世界最大規模の牢獄ジェンドへと、世界政府によって収容される罪人の中に、一体どれだけの悪魔人がいると思う?」
「……え?」
突然のエスタの問いかけに、パルマは答えることが出来なかった。そもそも悪魔という存在を今日初めて知るようになったパルマに、答えられる質問ではないのだ。
「罪人として収容される人の実に三分の二以上は、悪魔が関与しているといっても過言ではない。当然、罪人ではなく、精神異常者という扱いを受ける人間の中にも悪魔が携わっている場合が多い」
「この世の悪事の大半は、悪魔によって成されていると言いたいんだね?」
「その通り。悪魔のせいで、過去から現在までダオレイスは混沌としているのだ。しかし、誰も悪魔の存在を現実のものと認めないから、夜明けの訪れることのない絶望の世界へと陥ってしまっている。たとえ、世界政府でもシエル教団でも、悪魔のことを分かっていなければ、真の平和を成すことは出来ない。だから、悪魔が蔓延るダオレイスを救うため、私は悪魔と敵対するための新たな勢力となる組織を作り始めている」
「……新たな組織」
ダオレイスには、三大勢力がすでに存在している。
圧倒的な勢力で人々の安定した暮らしを守る世界政府に、英雄の存在を世界に述べ伝えることで人々の心の安寧を守るシエル教団、そして、独自の繋がりによって成される物や情報を滞ることなく動かすことで人々の生活を支えるメルクリウス。
この三大勢力の前では、どんな組織の名前も霞み、世間一般に浸透する前に存在が消えてしまう。
そんな中、エスタが悪魔を討つための組織を作り上げようとしていることが、パルマにとって純粋に驚きを隠せなかった。
エスタが小さく頷くと同時、その唇がゆっくりと動き出す。
「その名も――、終の夜」
エスタが言葉を紡ぐと、パルマは本能的に身震いを起こした。悪天候から来る冷たい風がパルマの体を撫ぜたのか、それともエスタの放つ雰囲気にパルマが当てられてしまったのか。
どちらにせよ、パルマが変質した空気を感じ取ったのは一瞬で、原因を突き詰めることは叶わなかった。
エスタは続けて語る。
「私が創設する終の夜が、このダオレイスに光を灯す存在となると確信している。そのために、私の意志に賛同するもの皆が、悪魔と戦うことを可能にするために可視化出来る機械を作って頂きたい。これが、パルマ博士の力を切にお借りしたい理由だ。――パルマ博士の納得のいく説明になっているだろうか?」
エスタは優しく問いかけているが、その瞳には有無を言わせぬ力があった。ここで首を横に振り、エスタの依頼を断れば、自分の命が危ぶまれる可能性もある。
パルマはごくりと唾を呑み込むと、
「ああ、十分だよ」
エスタから滲み出ていた空気が、ふっと霧散した。パルマは息が軽くなり、思わず溜め息を吐いた。
正直、パルマの心の一部では、この件に深入りするなと告げていた。悪魔なんて非科学的なものに首を突っ込んだら、人生の歯車が狂ってしまう可能性もあると第六感が痛いほどに働いていた。
実際、エスタから話を聞いたものの、悪魔だなんて突拍子もない話だとも思う。恐らく、エスタが悪魔人を見せて説明をしなければ、パルマは悪魔のことを一笑に付して終わらせていただろう。
だけど、檻の中に閉じ込められている人物からは、悪魔という言葉を使わなければ説明が出来ないほど――、人の皮をかぶった化け物のように映った。
もしも、このように悪魔に心を囚われ続けている人がいて、悪魔を可視化できる機械を作ることが出来れば、エスタが作り上げる終の夜によって悪魔を倒すことに力添えが出来る。
そうすれば、パルマの発明によって、多くの人の命を守ることが出来るようになるのだ。
その事実が、第六感を上回り、パルマの博士としての心に火を付けた。人好きなパルマ・ティーフォには、十分な動機となった。
「……いいよ、ボクに任せなよ。多分、一週間くらいあれば作れるはずさ」
パルマは檻の中に閉じ込められている悪魔人を見つめながら、頭の中で簡易的な設計図を描いた。可視化するならば、ゴーグルのようなものを作れば、戦いに与える影響を少ないはずだ。
この瞬間で、完成形を描くことが出来るパルマは、まさに天才と言えよう。
「一週間か、さすがパルマ博士だ。では、改めて一週間後にお邪魔するとして、今日のところは帰らせてもらおう」
満足そうに頷いたエスタは、二人組の仲間に合図を送ると、パルマの横から離れた。エスタの動きを見て、小柄な人物はエスタに遅れを取らないように動き出した。
しかし、長身の人物の方は、檻の傍から離れなようとはしなかった。
「彼と悪魔は帰らないのかい?」
「あの悪魔人は研究資料として置いておくから自由に使ってくれ。資料がないと、いくら天才であるパルマ博士も至難を極めるはずだ」
「それはそうだ」
「あと、長身の方の部下を置いていく。万が一の時は、彼に声を掛けるといい。パルマ博士に必要な能力を持っているからね」
「ふーん、でもボクは人がいると話したくて気が散っちゃう性質でね。最終手段として、頭の片隅にでも置いておくよ」
「それでいい」
エスタは含みのある笑みを浮かべると、今度こそパルマの前から去ろうとした。去り行くエスタの背中を見て、
「――最後に、もう少しだけ質問をしていいかい?」
パルマは呼び止めていた。エスタは足を止めて、パルマの方に振り返った。
「私に答えられることであれば、いくらでも」
その声音からは、敵意は感じられない。エスタの依頼を受けるようになったから、エスタの中でのパルマの評価も少しは変わったのだろう。
「どうしてキミは悪魔の存在が分かったんだい?」
だからこそ、パルマは今までずっと頭の中で思い描いていた疑問を、包み隠さずにぶつけた。
確かに、檻の中にいる悪魔人は普通の人間とは違う。しかし、だからといって、それを悪魔が原因だと突き詰めることが出来るようになったのは、何かしらの理由があるはずだ。
「そうだね、あそこまで普通の人間と違う行為をすれば、人間とは別の存在が介入していると怪しむのは当然だろう。だけど、私が悪魔の存在を認めるようになった決定打は、カダベル大陸に行って悪魔についての文書を見つけたことだ」
カダベル大陸は世界最大の無人島になっていて、ここ最近で何らかの理由によって、世界政府の管理下に置かれるようになった。その大陸にエスタが訪れたということは、管理下に置かれる前にいったのか、もしくは世界政府に伝手があるのか、どちらかの二択になる。
しかし、ここで質問を重ねたら、疑問の根本まで辿り着かなくなることを直感し、あえてパルマは口を噤み、言及することをしなかった。
「その文書を見てから、英雄列書の見方が変わり、私の価値観も覆されたよ」
「……英雄列書」
英雄列書は、ダオレイスの中で最も人々に読まれている書物だ。この世界の絶対的な英雄であるシエル・クヴントは勿論のこと、シエル以外にも英雄と呼ばれた人物達が、どのように英雄と呼ばれるように至ったのか、その道程が描かれている。
この混沌とした世界で、人々は希望を与える英雄の再来を心待ちにしている。
まさか、今このタイミングでエスタの口から、英雄列書という単語が出て来るとは予想もしていなかった。英雄列書と悪魔に、一体どのような関係性があるというのか。もしかしたら、悪魔を可視化する機械を作るために必要になるかもしれない、とパルマは発明に取り掛かる前に英雄列書に一度目を通すことを決めた。
そんなパルマの決意を知らないエスタは、こめかみに指を当てながら、更にパルマの問いに答えていく。
「でも、一番の決め手は、私自身にあるかな」
「キミ自身?」
エスタはパルマの言葉にニコリと微笑んだ。
「見えるんだ。彼の中に、彼の魂とは別に、禍々しい存在が共存し合っていることがね」




