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5-06 暗雲の訪れ

 ***


 その日は、不穏な空気が漂っていた。天候も悪く、今にも嵐が襲って来てもおかしくないほど空模様は荒れている。

 研究所に籠るパルマ・ティーフォは、コーヒーを飲みながら窓の外を見つめていた。


 パルマは空気に敏感な人間だ。人から流れる空気、環境が与える空気、また近い未来が隠密に伝える空気――、そのような空気をいつも察知しながら、パルマは世間を渡り歩いて来た。

 そのパルマの胸中に、嫌な予感が痛々しいほど過っていた。


「今日は早めに研究を切り上げて、寝るとするか……」


 今日のように不穏な空気が漂う日は、大抵何をしても上手くいかない。依頼が殺到していない限り、翌日に回した方がよっぽど効率的だ。


 パルマは手に持っていたカップを机に置くと、白衣を着たまま、寝室に戻ろうとした。


「……一足遅かったかな」


 研究所内に響く呼び鈴の音に、パルマは思わず舌を打った。


 こんな悪天候の中、奥地に佇むパルマの研究所を訪れる輩は、物好きか馬鹿か、自分の目的のために手段を選ばない人間だ。


 しかし、聞こえてしまった来訪者の合図を、パルマは無碍にすることは出来ない性分だった。人でも環境でも、もし新たな出会いを逃してしまい、誰も開発したことのない成果を生み出す機会がなくなると思うと、出会いというものを大切にしたいのだ。いつどこから、構想が生まれるかなんて分からないのだから。


「誰だい?」


 パルマはわざとらしく不機嫌な声を出して、扉を開けた。


 扉の前に立つ人物は、尋常ではない威圧感を放っていた。言葉を交わさずとも、行動を見ずとも、立ち振る舞いだけで分かる。この人間は、只者ではない。


「突然の来訪、失礼。私はエスタ・ノトリアス。以後お見知りおきを、パルマ・ティーフォ博士」


 エスタ・ノトリアスと名乗った人物は、まるで従者が主君に仕えるような丁寧な仕草で頭を下げた。その余裕に満ちた行動は、かえってエスタの異常性を助長させた。


「……へぇ。ボクの名前を知っているということは、何か発明してほしいという依頼があるということでいいのかな?」


 パルマは緊張していることを悟られないように、あえて先手を打って強気に攻める。エスタはパルマの虚勢を見切っているのか、ふっと微笑みを浮かべた。


「さすがは若くして天才と称されるだけはある。話が早くて助かる。では、こちらも手早く用件を話そう」


 エスタが指を鳴らすと、それを合図にして、身長がちぐはぐな二人の若い人物が布に覆われた台車を押して来た。時折ガシャガシャと音を立てていることから、布の中身が簡易的な檻であると、パルマは推測した。


 そして、二人組がエスタの隣まで来ると、エスタは小さく首を動かした。二人組は息を合わせて、布を外した。


「ぐるぁああああ――ッ!」

「……っ」


 パルマの予想した通り、布の中身は檻だった。しかし、檻の中にいる人物が死んだ目を浮かべながら獣の如く叫び出すことは、流石のパルマも予想出来なかった。思わず、パルマは目を逸らした。人を見て、狂気のあまり目を逸らしてしまうというのは、パルマにとって初めての出来事だった。


「パルマ博士。あなたの目には、あの姿がどう映る?」


 そのパルマの反応を面白がるように、エスタは問いかけた。しかし、その一方で、エスタの視線はパルマの一挙手一投足全てを捉えていて、パルマは自分の器量を量られていることを察した。


 厄介な相手が来訪して来たものだ、とパルマは大きく嘆息を吐くと、


「狂っているね。ただただ快楽に身も心も委ねようと、人間の領域を踏み外しているように見える。……正直、同じ人間だとは思いたくもないし、長く視界に入れておきたいものではない、と評しておくよ」

「素晴らしい眼識だ」


 エスタはわざとらしく手を叩いて、パルマのことを褒め称えた。


「そんな心の籠っていない賛辞、嬉しくもなんともないけどね」

「いやいや、今まで会った名の知れた博士は、あなたのような答えには至っていなかった。ただの精神病者だ、という表現しかしていなかったものでね……。年を取ると、自分の価値観を絶対だと信じ、新しいものを受け入れなくなる。やれやれ、老いたくはないものだ」


 エスタの言葉により、今までダオレイスを回って多くの著名な博士と出会って来たことを、パルマは読み取った。そして、数々の出会いから、エスタが望む答えを得ることは出来なかったということも同時に感じ取った。

 幸か不幸か、パルマはエスタから及第点をもらうことが出来たようだ。


「ボクのことを高く見積もって頂けたようで何よりだ。でも、残念ながら、ボクはまだあれの正体が何なのまでは分かっていないよ」

「あれは悪魔だ」


 エスタは一切出し惜しみすることなく、答えを口にした。「悪魔なんて馬鹿馬鹿しい」とパルマはエスタの言葉を一笑に付すことも出来たのだが、エスタが放つ雰囲気から、冗談だと口にすることは叶わない。


 それに、実際にパルマの目の前で一般人とは違う奇行に走る人間が、エスタの言葉に真実味を増し加えて来るのだ。


 加えて、だ。パルマは空気に敏感な人間である。エスタが悪魔と評した人間から、異質な空気が交えているのは、すでに分かっていた。


「悪魔は随分と人に似た姿をしているんだね」


 エスタの言葉を受け入れつつも、完全に悪魔の存在を認めていないパルマは、皮肉を込めて言った。


 しかし、エスタはパルマの皮肉を一切気に留めることなく、


「あぁ、誤解を与えるような言い方をしてしまったようだ。非礼を詫びよう。あの人間は悪魔の依り代とされて、身も心も悪魔に支配されている。だから、実質あれは悪魔だ」


 むしろ言葉を訂正して、より明確な表現を口にした。


「……あの人間は、本来ならば只の人間だった。しかし、何かしらの理由により、悪魔が彼に介入して、精神に異常を来たすようになった。キミはそう言いたいのかい?」

「やはり、あなたは素晴らしい方だ」


 エスタの言葉をパルマが自分の中で噛み砕くと、エスタはニヤリと笑みを浮かべた。


「さて、お互い、あれが悪魔だと認めたところで、私が今日あなたのもとへ訪れた本題に入らせてもらおう」

「早合点はやめてくれよ。ただキミの言葉を受け入れただけであって、あれが悪魔であるということを完全に信じた、とはボクはまだ言っていない」


 エスタは顎に手を当てて、思案顔を浮かべた。


 今の悪魔人の状態では、まだ精神に異常を来たしているだけの人間とも捉えることが出来る。勿論、パルマの中でエスタの言うことはほとんど真実味を帯びているのだが、エスタの言葉を早々に受け入れてはいけない予感がしていた。


 もう少し、時間を先延ばしし、エスタの思惑を図っておきたい。


「パルマ博士の仰る通りだ。ならば、論より証拠。あれが悪魔であることを実践にて証明してみせよう」

「――は?」


 パルマが疑問符を上げるよりも早く、エスタは再び二人の仲間に合図を送った。すると、小さな人物はエスタの前に移動し、長身の人物はあろうことか躊躇いもなく檻の鍵を開けた。悪魔人と称された人間が、檻から解き放たれる。


 悪魔人は怒りの目を低身長の人物――否、彼の背後にいるエスタに向けて、惜しみなく当てていた。


「目を逸らさずに見ていてくれたまえ、パルマ博士」


 エスタがそう言ったと同時、悪魔人の手から禍々しい異物が生成された。鋭く尖っている異物は、この世に存在するもので出来ているのではないと、パルマは遠目でも分かった。


「魔技・ロックスパイラル!」


 そして、悪魔人は大きく振りかぶると、ロックスパイラルと呼んだ禍々しい異物を思い切りエスタに向けてぶん投げた。ロックスパイラルの鋭い尖端が、螺旋を描きながらエスタの心臓を目掛けて飛んでくる。


「はッ、こんなものがエスタ様までに届くと、本気で思ってるのか?」


 エスタの前に立っていた小さな人物は、勝気な口調でそう呟くと、ロックスパイラルに向かって駆け出した。その速さは、悪魔人の放ったロックスパイラルの速さにも引けを取らない。


 いとも容易くロックスパイラルの前まで辿り着くと、小さな人物はいつの間にか剣を振るい、ロックスパイラルを真っ二つに切り裂いていた。そして、そのまま速度を落とすことなく――、むしろ更に速度を上げて、悪魔人に近付いていくと、


「ぐぁッ!」


 悪魔人の服を掴んで、そのまま悪魔人の背を地面につけた。更なる反撃を許さないように、悪魔人の目の前に剣先を突きつけている。


「弱ェ弱ェ弱ェ! 俺達の実験台になるくらいの実力しかない悪魔人が粋がってんじゃねェよ!」


 悪魔人に圧倒的な実力差を見せつけたエスタの仲間は、高笑いを浮かべている。


「なァ、エスタ様! もうコイツやっちまっていいか? その方が、コイツのためにもなるしよォ!」


 切っ先を悪魔人に向けたまま、指示を仰ぐようにエスタに体ごと向ける。悪魔人に反撃をされるとは、微塵にも思っていないようだ。


「剣を収め、悪魔人を檻に入れろ」

「なッ!」

「はぁい」


 エスタの命令に、凄まじい戦いぶりを見せた仲間は狼狽を隠さず、檻の鍵を開けた長身の人物は素直に従った。悪魔人の襟首をつかむと、ポイッと檻を目がけて投げ出した。悪魔人が成す術なく、檻の中に入れられると、長身の人物は檻の鍵を閉めた。


「エスタ様! 何故ッ!」


 悪魔人を倒した小柄な人物が、エスタに訴えかけた。しかし、エスタはその声を一切気に留める素振りを見せない。むしろ、あたかも耳に入っていないかのように、パルマに向けて微笑みかけている。


 小柄な人物は長身の人物に宥められると、エスタがもう聞く耳を持っていないことを悟り口を噤んだ。

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