4-23 各々の使命
「……いいんですか。取り締まらないで」
ピンデとオッド、二人のやり取りを見守っていたクルムは、いつの間にか隣まで近づていたリッカにそう訊ねた。リッカの後ろには、当然シンクも付いて来ている。
リッカは一度微笑を浮かべると、エインセルを手にして、わざとらしく肩を竦めた。
「……まだピンデっていう悪人の情報がエインセルに載ってないの。何の罪を犯していない市民を捕まえることなんて、世界政府として出来ないでしょう?」
「ふふっ、そうですね」
「クルムだって、もうこれ以上何かするつもりはないでしょ?」
「ええ、ピンデさんはもう大丈夫ですから」
クルム達はピンデに視線を移した。ピンデはオッドに引っ張られて、体を起こしているところだった。人の優しさに触れることに慣れていないのか、ピンデは顔をしかめているが、弛緩する頬は隠せていなかった。
ピンデは今まで犯して来た罪を、これからきっとこの町で償っていく。
そう確信しているから、クルムもリッカも、ピンデに罰を与えるような行為をする理由がなかった。むしろ、改心したにも関わらず罪人として扱われ続けることの方が、今のピンデには危険だろう。再び憎しみを募らせ、悪魔に囚われる可能性があるからだ。
「ふふっ、さすがクルムだねぇ。そぉんなに傷だらけの状態で悪魔人を救っちゃうなんてぇ」
「――っ!?」
気配もなく突如声を掛けて来たペイリスに、リッカとシンクは驚き、振り返る。そこには、長身で、何を考えているのか分からない穏やかとした表情を浮かべているペイリスがいた。背後の方で、オッドとピンデも驚き――、特にピンデの方は震えまでしていた。
「……正直、ペイリスさんが悪魔人に攻撃を加えていなければ危なかったですよ。悪魔人が万全の状態で相対していたら、こんなものじゃ済まされなかったでしょう」
慣れているのか、クルムは一切動じることなく、ペイリスの言葉に応じている。褒められたと受け取ったのか、ペイリスは更に笑みを濃くさせた。
一見、和やかに治まるかのように見えた場に、
「ハッ、なら、まだお前のやり方が正しいとは認められねェな!」
波紋を入れに来たのは、勇みながら登場したガルフだった。
ガルフの口々からは敵意が込められているように感じ、初対面だったことも相まって、リッカとシンクはちぐはぐな二人に警戒を張り巡らせた。
リッカとシンクの気配に即座に気付いたガルフは、鋭い犬歯を見せると、
「安心しろ、おチビちゃん。今は戦うつもりはねェよ。アーレントが解決したことで、今日の終の夜の仕事はおしまいだ」
「……っ、お前も十分チビだろ!」
一瞬、静寂が訪れる。完全に空気が凍った、と表現してもいいだろう。空気の変化に気が付いていないのは、ガルフよりほんの僅かだけ背の小さいシンクくらいだ。
余裕を見せていたガルフだったが、眉間に皺を寄せ、頬を引き攣らせると、
「あァ!? いい度胸だ、このチビ野郎! 生意気な口利けなくなるくらい、痛めつけてやんよ!」
腕まくりしながら、シンクへと足を踏み出した。ガルフの荒立った殺気にも、シンクは全く怯えていない。むしろ、シンクから突っかかろうとしている節もある。
「ガルフさん、子供相手に大人げないですよ。シンクも、初対面の人にいきなりそんな言葉使ってはいけません」
シンクとガルフのことを知る、唯一の人物であるクルムが冷静に二人の仲介役に入った。クルムの指摘を受けたシンクとガルフは、互いにしゅんとした顔を見せた。シンクとガルフは、どうやら身長だけでなく性格も似た者同士なようだ。
「……ぐっ、まぁいい。とにかく、だ!」
仕切り直すように、ガルフはクルムに人差し指を突き付ける。
「一応、今回のゲームはお前の勝ちだ! 腕も多少は鈍っていたが、及第点くらいはくれてやらァ」
「ありがとうございます」
ガルフの言葉に、クルムは律儀にも頭を下げる。しかし、クルムの後ろ側で、シンクとリッカは互いに小声で、
「……何か礼を言ってるけど、あれ褒められてるのか?」
「分からないわ」
「あれは、ガルフなりの照れ隠しだよぉ。ガルフは素直になれないんだぁ」
二人の囁くような小声のやり取りを敏感に聞き取ったペイリスが、本人が隣にいるにも関わらず、ガルフの言動の正体を暴露する。
「うるせェ、ペイリス! 余計なこと言ってんじゃねェ!」
ガルフは顔を赤くして、ペイリスに言葉の矛先を向ける。言葉だけでなく、ペイリスの尻に一蹴り入れていた。パァンと豪快な音が響いたのに、ペイリスは笑みを絶やすことなく、まるで気にも留めていないようだった。
そんなガルフとペイリスのやり取りを、クルムは温かい眼差しで見つめている。リッカとシンクも、二人に対して抱いていた最初の警戒心もどこかへ飛んで行ってしまった。
終始ペースが乱されているガルフは、面倒くさそうに髪の毛をガシガシとすると、
「おい、アーレント!」
クルムの名前を乱暴に呼んだ。クルムは真剣な表情で、ガルフに向き直る。
「お前が悪魔に憑かれた人間を救おうとしているのは分かったが、終の夜にも譲れない信念があるんだ。もうお前の実力を確かめるために、まどろっこしい真似をする必要なんてない。今度お前と一緒になることがあっても、お前の事情なんて構わずに、ちゃちゃっと悪魔人ごと裁く。そして、被害が広範囲に及ぶ前に、全て丸く治めてやる。いいな!」
「……分かってます」
痛い事実を、最後に突き付けて来る。
クルムは確かにピンデを命あるまま救うことが出来たが、ピンデ以外のペシャルの人間は終の夜のやり方で救いを受けた。つまり、これ以上罪を犯して暴走しないように、命でもって歯止めをしたのだ。
かつて終の夜に在籍していたクルムには、終の夜にもルールがあることを分かっている。けれど、罪をこれ以上犯させないために、その人の未来までも奪うのは間違っている。
クルムのやり方は、終の夜に比べたら、困難を強いられるだろう。だけど、それでいい。
クルムの方法で、一人でも多くの人を救う。そのために――、
「――それと、だ」
思考の途中だったため、クルムは一瞬ガルフの声に反応遅れてしまった。クルムは思考を現実に戻し、ガルフを見つめる。しかし、ガルフが呼んだのは、クルムではなくピンデだった。
ガルフに指されたピンデは、終の夜に痛めつけられた経験からか、本能的に震えていた。
「俺達は、ペシャルを潰したことに後悔も罪悪感も微塵に感じていない。俺達が対処していなければ、お前らは悪魔に利用され続けていた。悪魔に囚われる感覚がどういうものか、お前自身が身をもって感じただろう?」
堂々と言葉を紡ぐガルフに、ピンデは小さく頷いた。
ガルフの言う通りだった。
悪魔に憑かれた時の、自分が自分でなくなるような感覚。そして、深い闇に堕ち続ける感覚――、今はクルムによって救われたおかげで、あの感覚は抱えていないが、もう二度と思い出したくもない感覚だ。あれは誰も経験してはならない、とピンデは今だからこそ思える。
しかし、実際は、終の夜に出会うまでペシャルの誰もがあれに近い感覚を抱いていた生きていた。ペシャルの頭であるミハエルは、特に強かっただろう。
ガルフは真っ直ぐにピンデを見据えると、微かに歯を見せ、
「だから、お前は二度と悪魔に寄り付かれないように生きろ。俺達の目に触れないようにしてれば、死ぬまで生きていられるぜ」
「ッ」
ガルフなりの激励の仕方だと、ピンデは分かった。
正直、ペシャルを潰されたことへの憤慨がピンデの中で完全に消化されたかと言えば、それは嘘だ。しかし、ペシャルを壊滅させたのも終の夜の仕事で、ガルフとペイリスにも悪気があった訳ではないということだけは認めることが出来た。
ピンデは言葉を返すことはなかったが、いつの間にか体の震えは止まっていた。
返答を求めていなかったガルフは、満足したと言いたげに、ピンデから視線を逸らした。
「さて、いつまでもこんなところにいられねェ。そろそろ帰るぞ、ペイリス」
「うん、分かったぁ」
やるべきことは全て終えたと言いたいように、面倒くさそうに頭を掻きながら歩き始めるガルフの背中を、ペイリスは長身に似合わずちょこまかと追いかける。
しかし、ペイリスは途中で足を止めると、クルムの方に向き直り、
「あ、クルムぅ。一応、今日クルムと逢ったことは、上に報告しておくからねぇ」
「……」
クルムは無言で頷いた。
終の夜の一員であるガルフとペイリスの二人と邂逅した時から、クルムの情報が終の夜に伝わることは予想していた。
クルムの情報が終の夜に伝わることで、今後のクルム達の旅路にどう影響するかは分からない。無関心を貫かれて泳がされるか、勝手に悪魔人を救っていることで命が狙われるか。両極端な意見だが、双方の可能性はどちらも否めない。
それでも、クルムのやることは変わらない。
どんな障害があろうとも助けを求めている人は誰であろうと救う――、それだけだ。
「上に報告と言えば……、忘れてた」
ペイリスの言葉に、ガルフも足を止めて、視線だけクルムに流す。ガルフの言動に心当たりがなかったクルムは、きょとんと首を傾げた。
「リテイトから万が一アーレントに逢ったら、伝えて欲しいって言われていたことがあったんだ。――お前が終の夜を抜けて以来、いや災厄の解放以来、世界規模で悪魔人の被害数が格段に上昇している、ってな」
「――っ」
ガルフの言葉に、クルムの顔色は完全に変わった。ガルフとペイリスは、まるで観察するようにクルムのことを眺めている。
自身に注目が集まっていることに気が付いたクルムはふっと微笑むと、
「ありがとうございます。そしたら、僕からも伝言を。健康に気を付けて頑張って、と。……あ、もちろんガルフさんもペイリスさんもですが」
「ハッ、それが敵対する組織の人間にわざわざ言うことかよ。まァ、アーレントらしいがな」
まるで親友同士がじゃれ合うような軽い口調で、ガルフが応じた。ガルフの隣で、ペイリスもクスクスと笑っていた。クルムは二人の姿を見て、微かに口角を上げる。
そして、ひとしきり笑うと、
「あばよ、アーレント」
「またねぇ、クルムぅ」
そう言い残すと同時、二人の姿が瞬く間に消えた。
ガルフとペイリスが去って行く様は、躊躇がなく、一切の未練が感じられなかった。かつての仲間とはいえ、今は信念の異なった敵同士だからだろうか。
しかし、クルムの横顔を見た瞬間、リッカは自分の思考が思い至らなかったことを知る。
もう誰もいなくなった場所を見つめるクルムの横顔は、ふっと柔らかく笑みを浮かべていた。
かつての仲間だったから、余計な言葉も必要ないのだ。ガルフとペイリスは、クルムのことを信じているから、また逢えると確信している。そして、クルムも二人のことを信じている。
その時敵同士で逢い、互いの信念がぶつかろうとも、クルム達の信頼関係は変わらないのだ。
リッカの視線に気が付くと、クルムは更に笑みを濃くさせた。
「――ぁ」
「クルムさん、色々とありがとうございました」
リッカがクルムに声を掛けようとした瞬間、オッドがクルムに近づいて来て頭を下げた。オッドの後ろからは、ピンデが痛む体に鞭打つようにヨロヨロと歩いていた。リッカは口にしようとした言葉を飲み込み、クルムとオッドのやり取りに、一歩後ろへと引く。
「これから私はこの町を立て直します。たとえ何年かかったとしても、この町に息吹が吹くまでやってやります」
「そしたら、僕も少し――」
クルムの言葉を最後まで言わせまいと、オッドは静かに首を横に振った。
「それより、クルムさん達にはやるべきことがあります。クルムさん達の力を必要としている人が、世界中の様々な場所で待っているはずです」
確かにクルムには、何でも屋としての仕事がある。それに加え、悪魔に苦しむ人を救う使命もある。だけど、ダイバースを立て直す手伝いがしたいというのも、クルムの本心だ。
言葉を噤むクルムは二つの狭間で迷っていることが見て取れた。
それがクルムの優しさであり、人柄だということを、今のオッドなら分かる。
「……ねぇ、クルムさん。私は思うんです。主要な町だけを巡回するだけで小さな町は見向きもしない組織なんかより、誠実に行動で応えてくれる一人の人の方が英雄だと称えられるべきだと」
「僕はそんな大層なものではありませんよ。困っている人がいれば助ける、それが僕の性分なんです」
当然のことをしただけだと思っているクルムは、気恥ずかしくなって頭を掻きながらオッドの言葉に応じる。
しかし、そう言われても、オッドの意見は誇張でも何でもない。
生まれてからずっと変わらなかったこの町を、そして苦しむピンデを救ったクルムは、まさに英雄の所業だ。オッドは本物の英雄に出会ったことがないから、英雄については詳しくは分からない。
けれど、一つだけ分かることがある。
英雄という呼び名が重要ではなく、ひとつの命に真剣に向き合う姿こそが、本物の英雄に求められる所行なのだ。
そして、その英雄の姿はクルムの姿と重なって映る。
オッドは高く口角を上げた。
「この町は必ず、僕達で立て直しますから、先を行ってください」
「……次、お前が来る時は、この町も明るくなってる。だから……、また来いよ」
無自覚な英雄にこれ以上手を煩わせることなく先に進んでもらえるよう、オッドとピンデは希望のある未来を約束した。
――今は誰も目向きもしないダイバースを、絶対に復興させると。
「……分かりました。必ず、来ます。では、リッカ、シンク、行きましょう」
「うん」
「ああ」
オッドとピンデの決意を受け、クルムはダイバースの手伝いをすることを止め、旅路に戻ることに決めた。これ以上、二人に何かを言うことは失礼に値するものだろう。
オッドは改めて頭を下げると、
「ありがとうございました。クルムさん、リッカさん、シンクくん。ダイバース全員で見送ることが出来ないのは残念ですが、私とピンデさんが代表で見送らせて頂きます」
「いえ、十分ですよ。では、また」
クルムとリッカは頭を下げ、シンクは大きく手を振りながら、ダイバースを後にした。
オッドはクルム達の姿が見えなくなるまで頭を下げ続け、ピンデも腕を組んではいるがその後ろ姿から目を逸らすことはしない。
やがて、クルム達の姿が完全に見えなくなると、
「んじゃ、まずは瓦礫でも集めて掃除でもするか」
ピンデは大きく肩を回しながら、破損してしまった家の方へと歩いて行った。歩く姿はまだ覚束ないが、ピンデの背中からは今までの行ないを償おうという誠意が感じられた。
今までこの町を苦しめていた人間と、これから町を復興させていくなんて、誰が考えるだろうか。普通ならあり得ない。でも、クルムが関わったことであり得てしまった。
人は、接してみないと分からない。人から聞いた情報や外見だけでは、その人の本質を知ることは出来ない。
今は世界中の人々に罪人だと認識されてしまったクルムの誤解が、どうかこの先解かれることを願いながら、オッドは最後にもう一度クルム達が去った方向を見た。クルム達が来る前はあんなにも鬱屈とした空模様だったのに、今や一点の曇りもないほどの晴天となっている。
晴れ渡った空に希望を抱き、そして、ピンデの方に振り返ると、
「――はいっ!」
オッドは力強く答え、これから長い付き合いになるだろう人物の隣を並び歩いた。




