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4-20 胸打つ姿

「――それが、三つ目の弱点です」

「……ッ!」


 ピンデが自身の変化に気付くと、クルムはゆっくりと突き刺すように言った。


 そう。禍々しく形作られていた魔技の鎧が、今やその姿虚しく必要最低限しか鎧の形を保たなくなっていた。それだけではない。ピンデが放っていた魔技の槍も、実は放つ度に微量ながら小さくなり、威力が落ちていたのだ。


 魔技は、悪魔だけが出せる特別な技だ。宿った人間や、周囲の負の感情を利用しながら使っている。しかし、当然ながら、何度も何度も繰り返し使えるものではない。


 今のピンデの中の悪魔が使っていたように、無作為に使っていれば、いつか威力が衰え、限界に近づくことは当然のことだ。


 だからこそ、クルムは今こうして立ち上がることが出来ている。


「へぇ、弱点が三つも存在してたんだぁ」


 ペイリスは足をぶらぶらとさせながら、感嘆の声を漏らす。そして、隣にいるガルフに目を向けると、


「ガルフは気付いてたぁ?」

「……ハッ」


 ペイリスの問いにガルフは吐き捨てるように笑うだけだった。


 あえて言及しないということは、ガルフは気付いていなかったということだ。否、気付いていないのではなく、消耗させるという発想に至らなかったと表現した方が正しい。ガルフなら、二つの弱点さえ分かっていれば、あっという間にピンデを倒し、終の夜の裁きを与えることが出来る。


「昔と変わらずってか」


 かつて終の夜にクルムが所属していた時も、クルムは誰よりも人の弱みも強みも見抜いていた。仲間には強みを伸ばすように教え、悪魔人には弱みを通じて必要最低限の傷で勝利を治める。


 今だって、わざと魔技を乱用させてピンデの力を消費させることで、戦う時間を減らそうとクルムは目論んだのだ。たとえ非効率であろうとも自分が犠牲になろうとも、それが相手のためになるのなら、クルムは迷いなくそちらを選ぶ。


「……やっぱ甘ェ奴だよ、アーレント」


 瞬間的に追憶した過去に、そして今も尚変わらない姿に、ガルフは誰にも聞こえないほどか細い声で呟いた。


「ぐっ、こんなことがあってたまるか! 俺はまだやれる! まだッ!」


 ピンデの体を利用している悪魔は、見苦しくも魔技の鎧を繋ぎ止めようと必死に踏ん張っている。しかし、その甲斐虚しく、前のような禍々しい形を取り戻すことが出来ない。


「……もう満足したでしょう」


 必死に焦る悪魔の耳に、クルムの声が届く。


「その体はお前のものではなく、ピンデさんのものです。いくら力を振り回そうとも、お前の思い通りに事は進みません」


 クルムの声音は、まるで駄々をこねる子供を諭すようなそれと同じだ。

 ピンデの中の悪魔に向かって、クルムは怯むことなく出ていけと言っているのだ。


 ――俺が人間に舐められている?


 悪魔はピンデの体で思い切り歯を喰いしばる。血走った眼で、まるで射殺さんばかりにクルムのことを見据える。

 すると、クルムは憐れむような瞳をピンデに向けていた。


 その瞳が逆に悪魔を冷静にさせた。誰が素直に言うことを聞くと言うのだろうか。


 悪魔はピンデの体を使って、皮肉を込めた冷笑を浮かべると、


「ハッ、この体は人間のもの? 違うね、これはもう俺のものだ!」


 クルムの主張を真っ向から否定した。


 悪魔は、利用している最中のピンデの体に注目させるため、まるで自分の体のように左胸部に手を触れた。


「全てを奪われたこいつは、この世界を壊すために俺の力を求めた! 悪魔が力を貸すには微力な人間だったが、それでも力を与えた結果がこれだ! こいつは願っていた力を得ることが出来た! 町だって、人だって、望むように壊し続けられる! こいつは今、自分の体で町を壊していることに悦びを感じているだろうさァ!」


 雨の中に、残虐非道な笑い声が響き渡る。その声は、聞いていて心地よいものではなく、聞く者の心に波風を立てるものだった。


 それは、悪魔の声に人としての感情が一切籠っていないからだろう。自己本位で的外れな主張を、堂々と語る。だから、聞く者全てに不快感を与える。


「どうだ! これは互いにとって良い結果、こいつにとっても本望だろう! むしろ俺はこいつに感謝される側だ! そして、俺は感謝の代価として、身も魂も頂く!」

「……違います」

「――あァ?」


 中途半端に遮る声。演説をするように悦に浸って主張をしていたというのに、興醒めを喰らった悪魔は怒りを孕んだ声を絞り出す。


 クルムは拳を握りながら、悪魔を睨み付けると、


「人は、お前の――お前たちの欲を満たすための玩具じゃない!」


 普段温厚なクルムに相応しくない声で叫んでいた。


 クルムは悪魔の主張に対して怒りを感じていたのだ。

 これまでの間、いったいどれだけの人間が悪魔に苦しめられて来ただろうか。しかも、悪魔が人間を通して行なった悪事は、悪魔が行なったこととしてその人間の気が狂って行なったこととして見られている。人々は目に見えない存在を感じることはないし、信じることもない。それを良いことに、悪魔は人間を好き放題に使い、使えなくなったら容赦なく捨てる。


 クルムの抱いている感情は、怒りではなく義憤と表現すべきかもしれない。


「誰にだって不幸な出来事に、自暴自棄に陥ってしまうこともあるでしょう。間違った道を歩んでしまうこともあります。だからといって、その弱みに付け込んで、更に闇へと誘うのは違う! 人はいつだって間違えたと気付いた瞬間からやり直すことが出来ます。だけど、やり直せるものも、お前がいてはやり直せない!」


 クルムは真っ直ぐに悪魔を見通しながら語る。その姿は、やはり悪魔の癪に障り、胸の奥をざわざわとさせる。


「――ッ、うるせェ! こいつにやり直す価値なんてねェ! 誰がこいつを受け入れる? 悪事を行なう組織にいて、一人路頭に彷徨うことになって、反省することなく俺の力を使って世界に憂さ晴らしをするこいつに、誰も興味なんてねェのさ!」

「そのために、僕がいます」


 クルムは一切の迷いなく、そう口にした。


「どれだけピンデさんが道に迷って、悪魔の力に染まろうとも、僕が助けます。たとえ一人になってしまうことがあろうとも、僕が支えます。僕はピンデさんのことを、最後の最後まで見捨てはしません」


 そして、クルムは傷だらけの体でもなお、銃口を悪魔に向けた。もう茶番は終わりだ、とその姿は語っている。


 悪魔はピンデの体で握り拳を作ると、


「上等だァ……。そこまで言うなら、こいつのことをどうにかしてみせろよッ! 俺がこいつの中にいる限り、お前には無理だろうが――ぐッ!」


 言葉の途中、突如悪魔はピンデの左胸を抑え始めた。


 しかし、クルムは動じることなく、悪魔の挙動を見つめていた。むしろ、クルムの表情は僅かに緩んでいる。


 悪魔は痛みを抑えつけるように、身体を丸め込んで蹲った。

 これは外側からの痛みによるものではない。内側から湧き出る痛みだ。その感覚が、自身にとって毒だということを、悪魔は分かっていた。


 この悪魔を焦がす毒の正体。それは――、


 ――どうして……無関係の俺にそこまで……。


 奥底へと追いやったはずのピンデの覚醒だった。悪魔にとって想定外の反乱だった。


 元々、ピンデという人間には何もなかった。


 昔、彼は家にも周りにも上手く馴染むことが出来なかった。何をしても疎まれ、暴力を振るわれる。だから、彼は生まれ故郷と名前を捨て、一人で旅に出ることにした。新しく生まれ変わりたかったのだ。

 しかし、当然のことながら、旅に出たからと言っていきなり新たな自分になることは出来ず、誰とも関係性を作れず、むしろ仕事もすることが出来ず、飢えと孤独に苛まれていた。誰からも必要とされずに路頭に迷っているところ、ペシャルのボスであるミハエルに声を掛けられた。ミハエルにとっては都合の良い駒の一つだと分かっていたが、初めて人に必要とされた彼は、ミハエルに従い、ピンデという名前をもらった。

 そして、ペシャルで多くの仲間と共に時間を過ごすようになり、飢えも孤独も味わわなくてすまなくなったが、その実ピンデの心が満たされることはなかった。捨てられるのではないかという不安と恐怖が、いつもピンデの心を占めていた。けれど、それでもピンデが縋っていられる唯一の場所は、ペシャルだった。

 だから、何度も何度もミハエルの指示に従って、悪事を行なって来た。


 全ては、もう二度と独りにならないために、だ。


 だけど、終わりは突然にやって来た。


 今まで人に対して理不尽な悪事を働いて来たペシャルは、終の夜によって理不尽な裁きを受けた。因果応報というやつだ。


 その中で、何故かピンデだけが生き残されてしまった。


 唯一の居場所を奪われ、再び孤独を味わうことになったピンデは、理不尽な運命に対して絶望と憎悪を抱くようになり、その感情に悪魔が誘われた。そして、ピンデは悪魔の蜜のような甘い言葉に唆され、悪魔の手を取った。ピンデは自身の内から力が漲るのを感じ、異能の力を使えることに喜びを抱くようになった。

 しかし、その関係性も、悪魔の力を使う毎に、上下していく。自我が奥へ奥へと押し込まれ、怒りだけが前面に出ていき、自分の身体なのに自分の思い通りに動かなくなった。そして、言うことを聞くだけの人形と化したピンデを、悪魔は自分の手足のように扱い、いざ悪魔の本領を発揮出来なくなったらピンデの感情を塵のように捨て、ただピンデの体を悪魔の入れ物として扱うようになった。


 その際、ピンデは一切の抵抗をせずにいた。


 ピンデ自身、何もなかったのだ。ピンデの唯一の拠り所であるペシャルが潰れたことで、生きる気力を失くしていた。ただ内に宿すのは、理不尽な世界への怨みだけだった。だから、悪魔にどう利用されようとも、どうでも良かった。利用されているだけと分かっていても、悪魔という自分とは違う存在を感じられるだけで、孤独から解放される気がした。ただ悪魔が成すことに、身も心も委ねていた。


 悪魔にとって、ピンデという人間ほど利用しやすい駒はなかった。


 しかし、今は違う。


 ピンデの明確な意志が、悪魔を抑えつけようとしている。

 それは、クルムの何度も絶望に立ち向かう勇姿に、そしてピンデを叱咤激励する言葉に、奮い立たされたからだ。


 このダイバースという町のように死んだも同然に心臓を動かしていたピンデは、場所も目的も何もないが、生きたいと願うようになってしまった。もしかしたら自分は独りではないかもしれないと、そう淡い希望を抱くようになってしまった。そして、クルムの示す道が正しいのではないかと考える余地が生まれてしまったのだ。


 その想いが、悪魔という存在を熱く焦がしている。


 悪魔は自身の存在が萎んでいくのを感じながら、


 ――どけ! お前の出る幕はないッ!


 力を振り絞って怒声を振るう。まるで、まだ玉座にいる王が持てる権力を持って民をひれ伏すかのようだ。


 ――いや……、これは元々……俺の体……だっ!


 しかし、ピンデの意志は悪魔の想像以上に強かった。力で撥ね退けようとしても、ここは元々ピンデの心身――、ピンデの精神が復活しかけた今となっては、力の上下関係が逆転しかけている。


 ピンデが本気で悪魔を排他することを望み、今の状態を悔いて、光の世界を願うならば、ピンデの中で出来上がっていた悪魔の負の依り代はなくなってしまう。


 このままでは、悪魔は自分の力が出せる場を失うのは見えていた。ならば、妥協案を提示して、何とかピンデを依り代とし続けなければならない。


 ――俺を必要としてくれる人がいるなら、俺は……ッ!

 ――分かった。俺にはお前が必要だ。だから、力を貸そう。そして、お前がやりたいようにやるがいい。


 悪魔は二の句を継ぐようにピンデに語りかけた。


 まだピンデの中には、ペシャルが潰れたことに対する絶望が残っている。本人が自覚しているしていないにしろ、それほどペシャルという場所が大きかったのだ。ならば、その絶望に炊きかけるのが、この状況で悪魔が出せる最善策になる。


 それにもし、このまま悪魔が妥協をせず強行していれば、ピンデの心は間違いなくクルムに――つまり、希望に向いていた。あのまま思いを語らせていたら、悪魔にとって危険だった。


 クルムの言葉に傾きかけていたピンデだったが、悪魔に必要だと言葉で語られ、まだ悪魔の力を使い続けることを選んだ。

 結局、ピンデは真に切に誰かに求められた経験がないのだ。だから、どんなに薄っぺらく軽い言葉でも、必要だと言われてしまったら従順な犬となって付き従うしかない。


 それがピンデの生きるための処世術だ。


 ――だが、いいな。あいつの言葉にこれ以上耳を貸すな。あいつはお前のことなど微塵にも興味がない。ただ甘い言葉でお前のことを釣ろうとしているだけだ。そこだけは忘れるなよ……。


 悪魔は奥に引っ込む前に、そっとピンデの心に囁いた。


「――」


 暫しの間、左胸部の痛みに蹲り、呻き声を漏らしていたピンデに動きが起こる。


 痛みが治まったのか、ピンデはゆっくりと真っ直ぐに姿勢を戻し、クルムを睨み付けると、


「……黙れェッ!」


 開口一番、怒声を張り上げた。


 先ほど悪魔に支配されていた時の闇に染まった瞳には、少しだけ光が灯っていた。しかし、その瞳からは憎悪が滲み出ていて、惜しみなくクルムは負の感情を向けられる。


「ペシャルが! ミハエル様が! 俺にとって唯一の居場所だったんだァ!」


 ピンデは自制が利かなくなったように、心の内を吠え叫んだ。

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