4-06 終の夜
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終の夜は、悪魔の存在を提唱するエスタ・ノトリアスによって、ここ十年にも満たない間で作り上げられた組織だ。
終の夜に加入すると、その人の中に悪魔がいるかどうか、もしくは悪魔に完全に思考と行動を奪われて悪魔人と化す可能性があるかどうかを識別するゴーグルを支給され、そのゴーグルを通して目に見えない悪魔と戦い、ダオレイスを守ることが使命になる。ゴーグルを使わずとも悪魔の存在を可視することが出来る人間も一部いるが、そのゴーグルが終の夜のメンバーかどうかを一般人が認識する象徴のようなものとなっていた。
悪魔人によって苦しめられている人を実質的に救ってくれるという理由で、終の夜はダオレイスの中でも評価を高めつつある。今や終の夜という組織の名前は、世界政府やシエル教団にも勝るとも劣らないほど広まっている。
それでも、一般人の間では、悪魔がこの世に存在していて、人を苦しめているという事実は多く知られていない。
その理由は単純明快。
悪魔に憑かれているという説明をろくにしないまま、悪魔人ごと悪魔を滅ぼしてしまうからだ。
それでも助けられたという事実は変わらない。世界政府やシエル教団でもすぐに解決してくれなかった問題も、終の夜ならば多少の荒々しさがあるものの、理不尽な現状から助け出してくれる。
だから、終の夜という名前だけが一人歩きして、人々の間に知れ渡っていく。
いつしか終の夜という組織は、多くの人々から求められるようになっていた。
この混沌とした世界で、気が狂った人間をいち早く治めてくれる組織は、終の夜の他はない。
人々の声に応えるように、終の夜も活躍の場を更に広げていった。
しかし、先ほどにも挙げた通り、終の夜のやり方に容赦はない。悪魔に憑かれる人間は、行動的に犯罪を犯していたり、精神的にも罪の思考が根付いている。
だからこそ、悪魔にその心を利用され、悪魔人として人々を苦しめるようになる。
所謂、自業自得なのだ。今まで私利私欲のために悪事を働き、今度も悪事を働く人間に遠慮などする必要はない。むしろ、悪魔人となったまま悪事を続けていく方が、悪魔人と化した人間にとっても、ダオレイスに生きる人にとっても不幸なことなのだ。
その思想の元、終の夜は悪魔人を完全に仕留めることで、悪魔人となった人間とダオレイスを救おうとしている。
終の夜の姿が、一般の人間にとって強引で乱暴で残虐なやり方に見えたとしても、彼らはそのやり方を止めるつもりはない。
――そうしなければ、この世界は悪魔によって混沌としたままなのだから。
けれど、当然のことながら、終の夜のメンバー全員が同じ思想で行動している訳ではない。悪魔人を殺してしまうことに抵抗の声を上げる者もいる。
そして、四年前の「災厄の解放」という事件を境に、メンバー間での終の夜に対する不信感は更に強まり、反発心を抱いていた者は終の夜を抜けていったのだった。
かつてのクルム・アーレントも同様だった。
もっともクルムの場合は、終の夜の主要メンバーであったが故に、抜けることに熾烈を極めたのだが――、ここでは多く語らない。仮にこのまま語ってしまえば、ダイバースの問題が解かれるのは随分先になるだろう。それほどクルムと終の夜には深い因縁があるのだ。
様々ないざこざを経てクルムも終の夜を抜けた後、内部で声を上げる者がいなくなった終の夜では、より一層武力に頼り――。
結果、現在の終の夜が築き上げられるようになった。
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「随分と余裕だなァ! アーレントォ!」
叫び声と同時、クルムの背には鋭く研ぎ澄まされた剣が襲い掛かっていた。勿論、その剣を振るうのはガルフ・セロノスだ。
ガルフの剣の切っ先は、一切の躊躇もなくクルムの首筋を狙っている。このままの軌道で行けば、クルムの胴体は真っ二つになることは避けられない。
クルムは油断していた。悪魔人を先に救うゲームだから、クルムとガルフの間で直接的に攻防が交わされることはないと高を括っていたのだ。ガルフの性格を考えれば、どうなるかなんて簡単に想像が出来るというのに。
しかし、その油断が今回ばかりは――、
「……っ!?」
命を救う形となった。
急に顔の角度を変えたこと、ガルフの攻撃に虚を突かれたこと、そして雨のせいで足場がぬかるんでいたこと。それらの要因が重なって、クルムは足を滑らせて態勢を崩し、地面に右半身から飛び込んでしまった。その結果、ガルフの斬撃の軌道から逸れ、意図せずも攻撃を躱すことが出来た。
「……ッ」
今まさに剣を振り下ろした人物に、クルムは目を向ける。
ガルフは追撃を仕掛けようとはしていなかった。まるで自身の強さを誇示するかのように剣を肩に当てて、クルムを見下ろしていた。ゴーグル越しでも痛いほどに伝わって来る。ガルフの瞳は冷酷そのもので、並大抵の者ならば臆してしまうだろう。
「……ガルフさん」
名前を呼ばれたガルフはふっと息を漏らすと、
「フッ、俺の攻撃を躱すとはやるじゃねェか。完全に背後を取ったと思ったのによ」
言葉とは裏腹に、その口調はどこか楽しげだった。
「ま、あんな不意打ちで終わりになったら、興醒めだったけどな。ほら、早く立てよ。まだゲームは始まったばかりだぜ?」
そう言うと、ガルフはクルムに切っ先を向けた。剣を構えた瞬間、ガルフから殺気が溢れる。
ガルフは獣のように強い。武器を持たなくても、建物一つを拳で壊せるほどの力の持ち主なのだから、剣を持てば更に実力を増す。
だからこそ、ガルフは終の夜の最前線に立って、世界各地を回りながら悪魔を滅ぼしている。
「立たないのか? まさか腰を抜かしてもう立てません、とか言うつもりじゃねェよな?」
挑発するようなガルフの台詞に、クルムは拳を握り締めた。
「このゲームは……、悪魔人を救うことが目的のはずです! なら、僕とガルフさんがここで争い合う理由はありません! 違いますか?」
クルムは今のガルフの言動に納得がいっていなかった。
一刻も早く、終の夜よりも早く、悪魔人の中から悪魔を滅ぼして救いたいというのに。
方法や信念は違えども、悪魔から人々を救うという目的は同じだとクルムはそう思っていた。
なのに、何故ガルフはここでクルムに攻撃を仕掛けに来たのか。クルムの頭の中で、疑問が渦巻いていた。
「ハハッ! 本当に頭の固い奴だな、アーレント。久し振りに会ったんだから、手合わせくらいするのは当然だろ?」
しかし、クルムの言葉に真剣に取り合う気がないガルフは、ただ笑みを浮かべるだけだ。
「昔は互いに拳で語り合った中じゃねェか。あの頃みたいに一戦やろうぜ」
「あれは、訓練だからやっただけです。今は状況が違います」
剣先を向けるガルフに、クルムはあくまでも取り合うつもりはない。ガルフの言動を非難するような視線を、真っ直ぐに向ける。
クルムとガルフに雨が打ち続ける。けれど、二人とも膠着状態となり、動き出す気配はなかった。
その均衡を先に破ったのは、
「……ちっ。そこまで心配だって言うのなら……、ペイリスッ!」
「どうしたの、ガルフ?」
ペイリスの名を呼ぶガルフの声だった。ガルフはクルムに切っ先を向けたまま、ぺリスに目を向けようとしない。
「逃がした末端のところまでペイリスを先に向かわせる。こいつもお前と同じ目の持ち主だ。この町から悪魔人が逃げない限り、容易に探すことが出来る。そうしたら、お前は心置きなく俺と戦えるだろ?」
「りょーかい。そういうことでまた会おうねぇ。ガルフ、クルム」
「――なっ、待ってくだ」
クルムに反論の隙を与えることなく、ペイリスは呑気な口調に反して、機敏な動きでクルム達の前から去って行った。迷いのない足取りで、最短距離で悪魔人の元へと向かう。
クルムはきっと睨み付ける様にガルフに目を向けると、
「ガルフさん! 先にペイリスさんが行ったら意味が――」
「安心しろ。最初に言った通り、ペイリスには悪魔人に手出しはさせねェ。これは、俺とお前の一対一のゲームだからな」
ガルフの口調は、先ほどのように軽快としている。そして、悪戯を思い付いた子供のように、にんまりと尖った犬歯を浮かべ、
「――まァ、当然の話、悪魔人の事態が悪化するようなら始末は任せるけどな。その場合は、お前の負けで構わない……よな?」
「……ッ!」
クルムはガルフの意図していることが分かっていた。クルムを煽ることで、本気で戦わせようとしているのだ。
クルムは戦いになど興味がない。自分の実力を誰かと比較するつもりもない。
クルムの目的は人を救うことにある。
けれど、今人を救うために立ちはだかる者がいるのなら――、
「――勝ち負けはどうでもいいですが」
立ち上がったクルムはマントの下に手を入れて、
「悪魔人は、必ず僕が救い出します!」
ガルフに向けて黄色の銃を構えた。
クルムの真剣な面構えを見て、ガルフは不敵に笑みを浮かべる。クルムの瞳からは、明確な揺るぎない意志が感じ取れた。
これこそ、まさにガルフ・セロノスが相手をしたかったクルム・アーレントの姿だ。
「ハッ、ようやく良い面になったじゃねェか。……けど、俺はお前のそういうところが昔から嫌いだ。だから――」
先ほどの不意打ちの時とは違って、ガルフは剣を持って真正面から突撃して来た。ガルフは走るというよりも、空を滑るような速さで迫る。
「そろそろ続きと行こうぜ、アーレント! 悪魔人をお前の方法で救いたければ、本気を出せよォ!」




