4-05 望まぬ再会、望まぬ戦い
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「……ひどい有り様ですね」
件の建物の目前にまで辿り着いたクルムは、思わずそう言葉を漏らした。
ちょっとした緩やかな坂の上の先にあるのは、瓦礫と化した建物の姿だった。先ほど雨宿りをしていた場所からも影形が視認出来るほどの建物だったのに、今やその姿を想像することは出来ない。
けれど、近くまでやって来て、クルムは一つの事実を確信した。
これは雷によって起こった自然的なものではなく、人為的によるものだ。もし雷によって建物が破壊されていたのなら、周りの自然への被害ももう少し出ているはずだ。それだけではない。坂道の途中に落ちている瓦礫に触れると、雷による焼け焦げたような跡は見当たらなかった。
ならば、別の問題が現れる。誰がやったのか、ということだ。
実はクルムには一つだけ心当たりがあった。
それはダイバースに足を踏み込んでから抱いている違和感から生じるものだ。
先ほどの大きな雷鳴以降、雨や雷も仕切りなしに続いているが、その音に紛れるように一つまた一つと悪の波長だけが並大抵ではない速度で途絶えていくのだ。
ペシャルが仲間割れをしているとしても、ここまで容赦のない仕打ちはしないはずだ。
だから、この一連の行動を取っている人物は、明確に悪に対してのみ攻撃を行なっている。そして、その行動を取る人物が何者なのか、クルムは予想出来ていた。
「……先を急がないと」
可能性の少ない話ではあるが、クルムの想像する人物達でないことに一縷の望みを抱き、クルムは最後の坂を駆け上る。
先日の傷に加え、マントに吸い込んだ雨が足取りを重くさせる。けれど、そんな重さに気を取られている余裕はない。
一刻も早く、手遅れになる前に上らないと――。
そして、クルムは自分の体に鞭を打ちながら、坂を上り切った。
そこでクルムを待ち構えていたのは、予想よりも酷い現実だった。
崩れた建物に潰される人々、雨に野晒しにされて横たわる人々。無事と呼べる人は、いない。
クルムはぎゅっと唇を噛み締めた。
この残虐な光景を作ることが出来るのは、クルムの想定した人物達だ。いつか再会する運命だとは思っていたが、まさかこんな小さな町で出会うとは思わなかった。
その先にクルムの知る人物達がいると確信して、雨に振り付けられながら正面を捉える。
クルムの双眸に、二人の人物が映り込んだ。
一人は首元にゴーグルを下ろし瓦礫の上に膝を立てながら座る小柄な男、もう一人は雨など気にも留めずに立ち尽くす長身な男と、対照的な二人組。共通しているのは、クルムに敵意を向けていることだ。
その内の背の小さな人物が、まるで獲物を見つけた獣のように動き出す。ひょいっと瓦礫の上から降りると、
「よぉ、クルム・アーレント。久し振りだなァ」
「元気そうで何よりだよぉ、クルム」
一切親密の籠っていない眼差しをもって、形式ばかりの挨拶を交わした。
「……ガルフ・セロノスさん、ペイリス・バークレットさん」
クルムは警戒を解かずに、二人の名前を呼んだ。ガルフは獰猛に歯を見せ、ペイリスはにっこりと微笑みを浮かべた。
「ハッ、相変わらずその喋り方は健在ってわけか」
ガルフはつまらなそうに、首を動かした。
「それはこちらの台詞です。まだこんなひどい方法を取っているんですか」
クルムは倒れ込む人々の姿を見ながら、言葉を紡ぐ。ペシャルの団員達は体を微動だにもせず横たわっているままだ。この場に伏す人で息をしている者はいない。
「ハハッ。世間話を楽しむ余裕すらないって訳か、アーレント。聞かなくても分かってるだろ。こいつらは悪魔に憑かれる要因を持っていた。実際、ここのボスはすでに精神が悪魔に侵され、悪魔人と化していた。だから、悪魔による被害が広範囲に及ぶ前に、滅ぼした。これが俺達――、終の夜の使命だ」
――終の夜。
それは、今このダオレイスで勢力を上げている組織だ。彼らは悪魔の存在を正確に認識していて、悪魔を滅ぼすために世界中を駆け回っている。終の夜に属する人物一人一人の実力は相当に高く、彼らの間で悪魔人と呼ばれている悪魔に憑かれた悪人から人々を守る存在として、ダオレイス中から称賛を受けている。その名の通り、悪魔によって混沌としつつある世界に光を照らすようだ。
しかし、彼らの悪魔を滅ぼすやり方には容赦がない。
クルムが悪魔だけを倒し悪魔に憑かれた人は救おうとするやり方であることに対し、終の夜は悪魔を滅ぼすためなら悪魔に憑かれた人がどうなろうと関係ない。むしろ、悪魔が憑く可能性があるのなら、芽が出る前に絶やしてしまう。
まさに、今のこの現状のように、だ。
「……それでも他にやり方はあるはずです」
クルムは拳を強く握りしめながら、問いかける。
「時間も手間も無駄なんだよ」
それに対し、ガルフの物言いは、クルムの言葉を受け流すように冷ややかだ。
「お前みたいなやり方で、一人ひとりと向き合っていたら、いくら時間があっても足りやしねェ。お前がのんびりと悪魔人に説教を垂れている間に、俺達のやり方なら何人を救えるとも思ってる」
「しかし、終の夜の方法では、再び誰かの心に隙間を生み、新たな悪魔を誘い込むだけです。負の連鎖が解かれることはありません」
「そしたら、何度だって悪魔を滅ぼしてやる。終の夜の使命は、このダオレイスから悪魔を根絶やし、全ての人が安心して暮らせる世界を作ることだ」
「その全ての人に、悪魔に憑かれた人間は含まれない、と……?」
クルムとガルフの視線が交錯する。どちらの瞳も揺ぎなく、意見を曲げるつもりはない。
ガルフが属する終の夜の意志とクルムの意志は、根本的に異なっている。まさに水と油のような状態だ。
「……はァ」
火花を散らす視線の応酬から、先に視線を反らしたのはガルフだった。ガルフは面倒くさそうに溜め息を吐き、首を鳴らしている。
「やっぱりお前と話しても埒が明かねーな。なぁ、アーレント。これ以上言葉を交わしたって、状況は変わらねェ。俺はお前が自分の信じる道を、一直線に突き進む馬鹿な野郎だということは知っている。それなりに付き合いも長かったからなァ」
「……ありがとうございます」
ガルフの発言の意図を読み取ることが出来なかったクルムは、適切な返す言葉を思い浮かぶことが出来ず、場違いにも頭を下げた。
そのクルムの反応に、ガルフは嘲笑するような笑い声を上げ、沈黙を貫いていたペイリスは呑気にもクスクスと笑った。
「やっぱりクルムはクルムだねぇ」
「ハッ、誰も褒めちゃいねェよ。俺が言いたいのは、俺もお前も意見を覆すことはないってことだ。……だからよ、一つ、ゲームでもしようぜ」
「ゲーム……?」
「俺はこのダイバースを占めていたペシャルという集団を潰した。その頭だった悪魔人も始末済みだ」
ガルフは自分の功績を示すように、手を大きく広げた。ガルフの言う通り、もうペシャルは完膚なきまでに壊滅させられている。頭を失い、人を失い、組織としての形がなくなったペシャルは、もう二度と悪事を行なうことが出来ず、確かに悪魔に利用されることもない。
「――だがな」
ガルフから視線を反らさないクルムに、ガルフはわざとらしく口角を上げ歯を見せた。
「実は一人だけ末端の男を逃がしているんだ。そいつは今頃、このダイバースを死に物狂いで駆け巡っているだろうぜ」
「なっ!?」
動揺するクルムを見て、ガルフは更に笑みを濃くする。
「負の感情を抱えた悪魔人が、何をしでかすかは分からねぇ。もしかしたら、ただ逃げるだけかもしれねぇし、感情を住人にぶつけるかもしれねぇ。……そこでだ。その末端を、先に始末した方が勝ちっていうのはどうだ?」
「そんなの……っ」
「お前がゲームに参加しないなら、俺達の方法で始末するだけだ」
ガルフが言ったと同時、雷鳴が轟き、更に雨脚が強くなった。ただ雨の降る音だけが、この場に流れる音だった。
クルムは雨に打たれながら考える。
先ほどガルフが言った通り、クルムと終の夜の意見は平行線だ。いくらクルムが止めるように諭そうとも、ガルフ達はゲームを止めるつもりはないだろう。それどころか、クルムがガルフ達の誘いに乗らなければ、ガルフ達は今にもその逃げ惑う悪魔人を彼らのやり方で滅ぼしに行くはずだ。
クルムはガルフ達から視線を反らし、リッカ達が休んでいる町の方角を向く。悪魔が放つ独特の嫌な感覚が、どんどんと強くなっている。
ガルフ達の言うゲームに賛同するのも嫌だが、もう悩んでいる時間もなさそうだ。
「……分かりました」
「さすがアーレント。話が分かる奴で助かるぜ」
そう言うと、ガルフは首元まで下していたゴーグルを掛けた。
「このゲームに制限時間は存在しない。不本意だがな、お前の実力だけは認めているんだ。互いに本気を出せば、時間なんて掛からないだろ。悪魔人に出会った瞬間に勝負がつく」
「……、二対一ですか?」
クルムがその疑問を抱くのは当然だった。
二人でペシャルという団体を倒し、更には建物までも瓦解させてしまうほどの実力者だ。先に人を捜索した方が勝利に近づく勝負では、人手が多い方が有利になるに決まっている。もしも、ガルフとペイリスが二人とも勝負に参加するのなら、クルムには手痛い展開になるのは想像に容易い。
しかし、クルムの質問を、二人は首を横に振って否定する。
「ううん、僕は参加しないよー」
「当たり前だろ。さすがに二対一は可哀想だからな。ペイリスは審判役だ。こいつの合図で、ゲームをスタートさせる。いいな?」
「……最後にもう一つだけ聞かせてください」
ガルフもペイリスも何も言わなかった。クルムは無言の肯定と受け取り、
「今の終の夜は、悪魔に苦しむ人々の気持ちを無視して、このように享楽を得ているのですか?」
真っ直ぐな視線をガルフとペイリスに当てながら言った。
終の夜は悪魔を滅ぼすために、悪魔に憑かれた人そのものを歯牙に掛けてしまうところがある。それだけであるならば、クルムには許しがたいが、百歩譲って許容することが出来る。
しかし、自分の実力を誇示するためだけにゲームという名の元、無用に悪魔人を苦しめるというのなら、話は別だ。
悪魔に精神を奪われることは、辛く苦しく、まるで光の当たらない暗闇に放り込まれるようなものだ。
その状態を長引かせることは、人を助けることを信条とするクルムにとってあまりにも許せないことだった。
ガルフとペイリスの返答次第では、何でも屋としての旅を終わらせ、終の夜の本部に乗り込んで直接話し合うことも暇ない。
「――ハッ、愚問だな。誰がそんな面倒くさいことをするかよ。俺の流儀は、パッパと終わらせることにあるんだ」
「今日はクルムがいるって分かっていたから、特別だよぉ」
「……そうですか。一つだけ胸のつかえが取れました」
クルムは安堵するように胸を撫で下した。ガルフは獲物を待ち切れない獣のように歯を見せると、
「そいつは良かったぜ。これで思い残すことなく本気を出せるってわけだなァ! おい、ペイリス!」
「うん。じゃあ、行くよぉ。よーい、スタート」
ガルフの荒々しい呼びかけに、ペイリスが呑気な声で合図をした。
こうして、どちらが悪魔人を見つけ、悪魔を滅ぼすことが出来るかというクルムとガルフによる勝負が始まった。
ペイリスの合図と同時に、クルムはペシャルの残党を見つけ出すため駆ける。
もし終の夜より早く、クルムがペシャルに出会っていれば、このような惨劇は生まれていなかったかもしれない。悪魔に憑かれ、悪事を行なっていたからと言って、彼らの命を蔑ろにしていい理由には絶対にならない。
だから、せめて、一人だけでも救わなければならない。
「――」
クルムは決意を込めるように拳を握った。
そして、ある一つの違和感に気付く。
悪魔人を見つけ出すことが前提条件となる勝負で、ガルフから急ぐような感覚は感じられない。むしろ、ガルフの足音は一切聞こえなかった。クルムのように駆けることもせず、ガルフはその場で立ち止まっているようだ。
クルムは背後が気になり、ガルフの様子を探ろうと一瞬だけ振り返ろうとした。
まさにクルムの視線が動いたその矢先、
「俺に背を向けるとは、随分と余裕だなァ! アーレントォ!」
クルムの背後から、ガルフの振るう剣が襲い掛かった。




