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そのに

――二〇一三年 四月二十三日――



「はぁ……」


 昼休みという事もあり、教室中がきゃっきゃと盛り上がっている。そんななか、咲楽は一人席に座ったまま物憂げに窓の外を眺めていた。二階の窓からは何も植えられていない田んぼが見える。茶色い地面に視線を落とし、咲楽は一週間前の出来事を思い出していた。

 偶然コンビニで出会ったサクラ君。彼は中学生のように見えた。さすがに学年まではわからないが、咲楽と同年代のはずだ。

 サクラ君は一体どんな人なのだろう。もっと彼の事を知りたい。また彼に会いたい。そんな欲求が自分の中でむくむくと湧き上がるのを感じながら、頬杖をついた咲楽はまたため息を漏らす。

 咲楽の通っている中学はごくごく一般的な公立校だが、同じような公立中学は近くにまだあるし私立校だってある。この辺りの学区は複雑だ。たとえ最寄り駅が同じ駅でも通っている中学が違うという事はままある。サクラ君が近所に住んでいるとしても、同じ学校に通っているとは限らない。

 学校を通じて知り合えないのなら、塾を通じればどうだろう。咲楽自身生徒数の多い大手の塾に通っているし、同じようなクラスメイトも何人かいたはずだ。だが、名前も知らない男子の事をどうやって尋ねればいいのだろう。妙な誤解をされる事は目に見えているし、情報収集もうまくできそうになかった。


「咲楽、どうしたの?」

「あ……ううん、なんでもないよ」


 背後から声がかかる。振り返ると、名も知らないクラスメイトが不思議そうな顔をして椅子に座った咲楽を見下ろしている。確か彼女は、コンビニでサクラ君と再会した日に一緒に下校した友人だ。そういえば名前を確認するのを忘れてしまったが、どうせ呼びかける場面もないだろう。友人その一でいいか、と咲楽は彼女にいいかげんな仮名を与えた。

 妙な勘繰りをされたくない。咲楽は笑顔でごまかした。クラスメイトもとい友人その一は、去年も同じクラスだったからか今年も何かと絡んでくる面倒な御仁だ。やれ一緒に帰ろうだの一緒に移動教室に行こうだの、その程度ならまだ可愛げがあるし咲楽も苦笑いながらに許容する事はできる。しかし、その締まりのない口から下世話な噂話が飛び出すのだけはいただけない。咲楽はそういった話が何より嫌いだった。ゴシップを聞かされるのはもちろん、名も知らない連中のために身を挺して話題を提供するのもまっぴらごめんだ。


「私に何か用?」


 笑顔のまま、咲楽は話を切り替える。友人その一も咲楽の様子自体には大した関心を持ち合わせていなかったのか、それ以上何も言う事はなくへらへらと笑う。その視線の先には、咲楽の机の上に置かれた数学の宿題用ノートがあった。


「悪いんだけどさ、宿題見せてくれない?」


 火曜の五時間目は数学だ。月曜に出された宿題があるので、授業が始まると同時に宿題用ノートを提出しなければいけない。とはいえ、量自体はさほどでもないし昼休みが終わるまではまだだいぶ時間がある。授業が始まるまでには友人その一も答えを写し終わるだろう。咲楽は二つ返事で了承し、水色のノートを友人その一に差し出した。


「ありがとー!」


 友人その一はそれを素早く受け取り、さっさと自分の席に戻っていく。彼女は咲楽のノートと自分のノートを開き、軽やかにシャーペンを走らせた。だが、すぐにその手は止まってしまう。別のクラスメイトが彼女に話しかけたからだ。友人その一は宿題そっちのけでクラスメイトとお喋りを始める。手よりもよほど口のほうが動いているようだ。


(……昼休みが終わるまでにノートが帰ってくるならそれでいいんだけど、さ)


 嬌声をあげる友人その一に冷めた視線を送り、咲楽は再び窓の外に視線を向けた。



 講師はホワイトボードの上に黒のマジックを走らせる。まるで自ら筆跡でホワイトボードの白い部分を塗り潰そうとしているかのようだ。講師の動きは素早く、大半の塾生達は板書するので精一杯だった。


「咲楽、どうしたの?」


 時計の針が午後九時を指したところでようやく授業が終わり、塾生達はどこかげんなりした顔をしながら帰り支度を始める。咲楽もその例に漏れず、疲れたように教材を鞄にしまっていた。しかし彼女の場合、塾の授業に疲れたのではない。隣の席に座った少女から声をかけられたのはちょうどその時だ。


「ん……、なにが?」


 さすがの咲楽も、彼女の名前は覚えている。大牟田(オオムダ)奈那(ナナ)だ。中学こそ別だが、奈那と咲楽は六年間同じ小学校に通っていた。小学校を卒業し、咲楽は公立の中学校へ、奈那は私立の中学校へと進学したものの、同じ塾に通っている事もあって二人の関係が疎遠になる事はなかった。

 二人はどちらから言い出す事なく同時に教室の外へと向かう。廊下は電灯のおかげで明るいが、外はすでに暗かった。今夜は星はおろか月すら見えないようだ。


「いつもより元気がないみたいだったからさ。授業についていけなかったわけじゃないでしょ? 何か嫌な事でもあった?」


 奈那の一言で咲楽は思わず苦笑する。思い浮かんだのは今日の学校での出来事だ。

 友人その一に貸した宿題用ノートはあまり意味をなさなかった。彼女の宿題用ノートは本来埋まるはずだったページの三分の一も埋められず、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴ったのだ。友人その一にはもう少しで終わるからギリギリまで待ってくれと懇願されたが、咲楽はそれを拒みさっさとノートを取り返した。

 結局、友人その一は未完成のままノートを提出したようだ。恨みがましい視線を向けられたような気もしたが、そんな事は咲楽の知った事ではない。前日に宿題をやってこなかったうえ、人のノートを借りておきながら写しもせずに雑談に興じていた罰だ。それにもしあのまま彼女にノートを貸していたら、咲楽は提出する事すらできずに未提出者の烙印を押されていた事だろう。咲楽がそこまでする義理はない。


「ううん、平気だよ。ちょっと眠かっただけだからさ。……そういう奈那はどうしたの? なんだか嬉しそうだけど」


 しかし、そんな事を奈那に言ってもどうしようもない。咲楽は曖昧に笑ってはぐらかし、逆に奈那に問いかける。奈那は照れ臭そうに笑った。


「実はうちのクラス、不登校の生徒が一人いてさ。今日、進級してから初めてそいつが教室に来たの」

「不登校?」


 奈那の通う私立中学は、とある名門高校の付属校だったはずだ。当然、その授業もハイレベルなものだろう。まだ四月とはいえ、今日初めて学校に行くようで授業についていけるのだろうか。


「そ。一年の時からほとんど学校に来ないんだ。出席日数を計算してるみたいで、たまーに登校するんだけどね」


 出席日数が足りないと高校受験に響くというのは教師から聞いた事がある。去年、咲楽のクラスの生徒で、一時期学校に来なくなった女子がいたのだ。ある日ふらりと外出したきり家にも帰らなくなり、女子生徒の両親は警察に捜索願までだしたという。

 彼女の影響もあってか、再来年になって苦労しないように学校にはなるべく来るように、と担任は淡白な顔で咲楽達に言い聞かせた。教え子が不登校だというのは担任教師の査定にも響くのだろうな、と自分がぼんやりと思っていた事は今でも鮮明に思い出せる。

 もともとあまり素行のいい生徒ではなかったし、どうせただの家出だろう。周囲の大人達はそう結論づけた。事を荒立てたくない日和見主義も手伝ってか、大人達は『行方不明』ではなく『不登校』として彼女の事を取り扱ったはずだ。それから二週間ほど経って彼女の無残な死体が発見された時の事も、咲楽はよく覚えていた。


「四月初めの課題テストの日も学校には来たみたいだけど、あたし達とは違う教室で授業を受けたんだって。始業式は学校にすら来なかったし、今日初めてそいつに会ったんだよ。一年のときはクラスが違ったから、噂でしか聞いた事がなくてさ」

「それにしても、テストの日は必ず来るって……授業もろくに受けてないのに、そこはこだわるんだね」


 テストの日に出席するよう気を配るぐらいなら、最初から学校に来ればいいのに。咲楽は他人事のように呟いて苦笑を浮かべる。確かにテストを受ける事は大事だが、日ごろから欠席が多いのだからテスト当日に出席してもたいした意味はないだろう。

 しかし、奈那はにこりともしない。困ったように眉根を寄せ、彼女は言葉を続ける。


「出席日数がぎりぎりだから、成績自体はよくないらしいんだけど……全教科学年一位って言ったら信じる?」

「え?」

「佐久良君――その不登校の男子、佐久良(サクラ)(ケイ)って名前なんだけど、テストの点数だけで言ったら学年トップなんだよ。一年のときからずっとね。うちの学校、定期テストの結果が張りだされるんだけど……一番上に佐久良君がいなかった事って一回もないんだ」

「す、すごいね」


 有名私立の学年一位を取り続けるのは相当厳しいだろう。不登校ならなおさらだ。顔も知らない佐久良君に向けて、咲楽は心の中で拍手を送った。


「でしょ? しかも佐久良君って、不登校なのがもったいないくらいカッコいいんだよ」


 どうやら奈那の機嫌がいいのはそれが主たる理由らしい。化け物じみた頭脳をもつ挙句に顔までいいなんて、いささか完璧すぎやしないだろうか。純粋に人として、佐久良君とやらに興味がわいた。


 それからたわいのない話をしてから二人は塾の外に出て、別れを告げながら反対の方向へと帰っていく。奈那の家はここから近いし、咲楽も暗い夜道を一人で歩くのには慣れている。咲楽は夜の闇にも恐れを抱く事なく淡々と足を前に進めた。

 家の近くまで来たところでコンビニに立ち寄る。サクラ君と予期せぬ再会を果たしたコンビニだ。特に買うものはなかったが、もう一度ここに来ればサクラ君に会えるかもしれない、という淡い期待が咲楽の足をコンビニへと向かわせていた。

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